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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ノエリア編
73/130

さようなら

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



巡礼の大地に立つ者は、もはや満身創痍ばかりだった。


焼けた土。


裂けた岩盤。


白光に穿たれた無数の傷跡。


その中心で、聖剣を携えたエリオスだけが、まるで戦いの外側にいるような静けさを纏っている。


対するノエリアは、あまりにも小さかった。


華奢な身体。武器も鎧もない。


この場に似つかわしくない、祈りのような少女。


誰が見ても、絶望的な構図だった。


その時だった。


「はい、失礼します」


アウラが倒れていたガロードを肩に担ぎ、続けてシンとルーナを回収する。


迷いなく後方へ飛び退いた。


「ちょ、雑っ……!」


「文句言えるなら、まだ助かる」


軽口を叩きながらも、その動きは迅速だった。


まるで、この瞬間が来ると知っていたように。


レックスは息を呑む。


ノエリアが指示したのだと、直感で理解した。


ならば彼女には、まだ何かある。


「エリオス様。セラフィナ様」


ノエリアの声は静かに響いた。


「私は、終わらせるために来ました」


「何を終わらせるというのですか」


エリオスの声音も穏やかだった。


だが、その瞳は獲物を見るように鋭い。


ノエリアはまっすぐ見返す。


「”私”を、です」


風が止んだ。


「私の“選定の力”を終わらせに来ました」


勇者を選ぶ力。


神託として崇められ、王国に利用され、多くの者の欲望を煽った力。


選ばれたい者。


選ばれなかった者。


そのどちらも狂わせてきた。


「役目だと教えられました。必要なことだと信じていました」


長い青髪が揺れる。


「ですが違いました。裁かれるべきは、選ばれなかった人ではなく……私です」


その声は震えていない。


「だから、私は私を裁きます」


レックスの胸が締めつけられる。


彼女は、自分ごと終わらせる覚悟でここに来たのだ。


「理解しました」


エリオスが一歩前へ出る。


「ならば、この私が裁いて差し上げましょう」


「そして私が世界を導く」


「それが最善です」


ノエリアは首を横に振った。


「違います」


それだけで、空気が変わる。


そして彼女は、レックスへ向き直った。


「レックス」


「今だけでいい、私を信じてください」


唐突だった。


だが、その瞳だけは迷いなく澄んでいた。


「……何が起きるかわからないけど」


「僕でいいなら」


レックスは頷いた。


ノエリアはそっと目を閉じる。


次の瞬間、歌声が流れた。


言葉ではない。


祈りでも呪文でもない。


遥か昔、世界がまだ名を持たなかった頃の旋律のような音だった。


光が、レックスの棍棒へ集まっていく。


黒く鈍い棒身が震え、形を変える。


軋むような音。


裂けるような輝き。


「……なに」


初めてエリオスの声に動揺が混じった。


レックスの手にあったのは、夜そのものを鍛えたような玄夜(げんや)い刀身。


光を拒み、闇を映し、それでいて神聖さを失わない深遠な夜空を体現した色。


その姿は、まぎれもなく”聖剣”だった。


「馬鹿な……!」


エリオスのオッドアイが見開かれる。


「姫巫女は、勇者ですらない存在を選ぶというのですか!」


「え、ええっ!? 僕!?」


当のレックスが一番驚いていた。


握り慣れた棍棒の感触は残っている。


だが宿る力は別物だった。


ノエリアはレックスの手に、自分の手を重ねる。


「レックスは私の選定者ではありません」


静かな声だった。


「ですが、玄夜の聖剣は、レックスに応えました」


黒き聖剣の切っ先が上がる。


白き聖剣もまた構えられる。


光と夜。


正統と異端。


選ばれた勇者と、選ばれてしまった少年。


次の瞬間、二振りの聖剣が激突した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「「聖剣解放!」」


天を裂いた衝撃は、遅れて世界を揺らした。


白と黒の光。


二つの奔流がぶつかり合った中心で、光そのものが軋んでいる。


荒野の砂が浮き上がり、砕けた岩が空へ舞う。


吹き荒れる余波の中で、レックスは歯を食いしばり、玄夜の聖剣を両手で支えていた。


隣に立つノエリアの細い指先は震えている。


だが、その瞳だけは逸れなかった。


「まだです、レックス……、耐えてください」


「簡単に言わないでよ……!」


腕が裂けそうだった。


骨まで軋む。


それでも、不思議と手放す気にはならない。


この剣は重いのに、自分の手に馴染んでいる。


当たり前だ。


これは自分と進み続けた相棒だから。


対するエリオスは、白の聖剣をなお掲げていた。


「認めません」


静かな声だった。


怒号ではない。


だからこそ、狂気が深い。


「選ばれたのは私だ」


「救済を成せるのは私だけだ」


金と蒼の瞳が揺れる。


初めて、その完璧な顔に亀裂が走っていた。


「失った者の痛みも、奪われた者の涙も、弱き者の絶望も……私は知っている!」


叫びと共に、白光がさらに膨れ上がる。


ノエリアは悲しげに目を伏せた。


「ええ。だからこそ、貴方は”選定の力”の力など持つべきではない」


「何……?」


「”選定の力”は自らの救済に繋がらない真逆のもの……」


その言葉は責める声ではなかった。


ただ、事実を告げる鐘の音のようだった。


エリオスの顔が歪む。


「何だと……!?」


白光が爆ぜる。


同時に、黒の聖剣が夜のような輝きを増した。


レックスの中で、何かが繋がる。


勝つためではない。


倒すためでもない。


終わらせるためだ。


「ノエリア!」


「はい!」


二人の声が重なる。


黒き刃が、一歩前へ出た。


その瞬間。


甲高い破砕音が天地に走る。


白の聖剣、その中央に亀裂。


蜘蛛の巣のように広がり――砕け散った。


無数の光片が、雪のように空へ舞う。


エリオスの手に残った、聖剣の柄がゆっくりと地面に落ちた。


「馬鹿な…わ…私には、救済の使命が…」


膝が折れ、地に崩れる。


王国の勇者。


喝采の中心にいた男は、一人の人間に戻った。


「エリオス!」


セラフィナがエリオスに抱きつくと、緊急転移用の刻印魔法を発動させる。


セラフィナとエリオスを中心に光が放たれ、収まったとき、二人の姿は消えていた。


折れた聖剣を残して。


静寂の中、ノエリアが一歩進む。


「私の”裁定”は終わりました」


その声に、誰も逆らえない。


「そして、次は私です」


玄夜の聖剣が微かに震える。


レックスは嫌な予感に眉をひそめた。


「……えっ、次って何!?」


ノエリアは振り返る。


泣いたあとのように赤い目で、それでも柔らかく笑った。


「この儀式を終わらせるには、この“仕組み”に関わっている存在を消さなければならないのです」


彼女の涙が、風に散った。


「だから、”裁定の力”も……”裁定者”も、共に世界から消えなくてはなりません」


レックスの顔色が変わる。


戦いは終わった。


だが、本当の別れは、今から始まろうとしていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



戦場に満ちていた殺気は、潮が引くように消えていた。


砕けた岩。焼け焦げた大地。


折れた白の聖剣の残滓だけが、先ほどまでの激戦を物語っている。


その中心で、ノエリアは静かに立っていた。


「ノエリア、終わりってどういうことだ」と、レックス。


震えていたのは声の方だった。


勝ったはずなのに、胸の奥に冷たい穴が開いていく。


「言葉通りの意味ですよ、レックス」


ノエリアは微笑み、足元に落ちていた白の聖剣の柄を拾い上げた。


触れた瞬間、それは輝く砂のように崩れ、光となって天への帰る。


「私の“選定の力”が役目を終えた今、儀式は終わりました」


長い蒼髪が風に揺れる。


「そして、それは私自身の終わりでもあります」


同時に、レックスの手にあった玄夜き聖剣も、いつの間にか見慣れた棍棒へ戻っていた。


重さだけが、現実のように残る。


「ノエリア様……」


鉄のように強い女のアウラの声が、初めてか細く揺れた。


「ありがとう、アウラ」


「ずっと傍にいてくれて、私はとても嬉しかったです」


「おやめください」


「命令してください、守れと、戦えと……私はまだ何でもできます」


だが、ノエリアは首を横に振る。


アウラは唇を噛み、うつむいた。


「ありがとう、ガロード」


「礼なんかいらねぇ!」


ガロードは拳を握り締め、牙を見せる。


「何とかならねぇのかよ! こういう時だけ、神様みてぇな顔しやがって!」


「ふふ。怒ってくれて、嬉しいです」


その言葉に、ガロードは何も返せず顔を背けた。


そして、ノエリアはレックスの前へ来る。


近い。


触れれば消えてしまいそうなほど。


「君は……知ってたのか」


「はい」


「なんでそこまでしたんだ!」


叫びは責める声ではない。


置いていかれる恐怖だった。


ノエリアは少しだけ困ったように目を細める。


「わからないですか。鈍感ですね、レックス」


「え?」


次の瞬間、柔らかな温もりが唇に触れた。


時が止まる。


離れたノエリアの頬は、ほんのり赤い。


「レックスに、生きてほしかったのです」


「たとえレックスの心に、別の誰かがいたとしても」


レックスは言葉を失う。


「…好き」


少年に、まっすぐ向けられた好意。


それは何より重かった。


「貴方に、私を覚えていてほしかった」


「貴方の心に、私を刻んでおきたかった」


涙がこぼれる。


だが笑っていた。


裁定者でも、神秘でもない。


ただ恋をした少女の顔だった。


「さようなら、みんな」


「ごめんなさい、巻き込んでしまった、勇気ある人たち」


ノエリアの体が光に包まれる。


輪郭が薄れ、風景に溶けていく。


「やめろ……!」


(まだ、ノエリアに何も言っていない!)


レックスは手を伸ばが、届かない。


「ノエリア!」

「ノエリア!!」

「ノエリア様!」


三人の叫びが重なった。


閃光が弾ける。


その中で、ノエリアは微笑みながら、消えていった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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