さようなら
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巡礼の大地に立つ者は、もはや満身創痍ばかりだった。
焼けた土。
裂けた岩盤。
白光に穿たれた無数の傷跡。
その中心で、聖剣を携えたエリオスだけが、まるで戦いの外側にいるような静けさを纏っている。
対するノエリアは、あまりにも小さかった。
華奢な身体。武器も鎧もない。
この場に似つかわしくない、祈りのような少女。
誰が見ても、絶望的な構図だった。
その時だった。
「はい、失礼します」
アウラが倒れていたガロードを肩に担ぎ、続けてシンとルーナを回収する。
迷いなく後方へ飛び退いた。
「ちょ、雑っ……!」
「文句言えるなら、まだ助かる」
軽口を叩きながらも、その動きは迅速だった。
まるで、この瞬間が来ると知っていたように。
レックスは息を呑む。
ノエリアが指示したのだと、直感で理解した。
ならば彼女には、まだ何かある。
「エリオス様。セラフィナ様」
ノエリアの声は静かに響いた。
「私は、終わらせるために来ました」
「何を終わらせるというのですか」
エリオスの声音も穏やかだった。
だが、その瞳は獲物を見るように鋭い。
ノエリアはまっすぐ見返す。
「”私”を、です」
風が止んだ。
「私の“選定の力”を終わらせに来ました」
勇者を選ぶ力。
神託として崇められ、王国に利用され、多くの者の欲望を煽った力。
選ばれたい者。
選ばれなかった者。
そのどちらも狂わせてきた。
「役目だと教えられました。必要なことだと信じていました」
長い青髪が揺れる。
「ですが違いました。裁かれるべきは、選ばれなかった人ではなく……私です」
その声は震えていない。
「だから、私は私を裁きます」
レックスの胸が締めつけられる。
彼女は、自分ごと終わらせる覚悟でここに来たのだ。
「理解しました」
エリオスが一歩前へ出る。
「ならば、この私が裁いて差し上げましょう」
「そして私が世界を導く」
「それが最善です」
ノエリアは首を横に振った。
「違います」
それだけで、空気が変わる。
そして彼女は、レックスへ向き直った。
「レックス」
「今だけでいい、私を信じてください」
唐突だった。
だが、その瞳だけは迷いなく澄んでいた。
「……何が起きるかわからないけど」
「僕でいいなら」
レックスは頷いた。
ノエリアはそっと目を閉じる。
次の瞬間、歌声が流れた。
言葉ではない。
祈りでも呪文でもない。
遥か昔、世界がまだ名を持たなかった頃の旋律のような音だった。
光が、レックスの棍棒へ集まっていく。
黒く鈍い棒身が震え、形を変える。
軋むような音。
裂けるような輝き。
「……なに」
初めてエリオスの声に動揺が混じった。
レックスの手にあったのは、夜そのものを鍛えたような玄夜い刀身。
光を拒み、闇を映し、それでいて神聖さを失わない深遠な夜空を体現した色。
その姿は、まぎれもなく”聖剣”だった。
「馬鹿な……!」
エリオスのオッドアイが見開かれる。
「姫巫女は、勇者ですらない存在を選ぶというのですか!」
「え、ええっ!? 僕!?」
当のレックスが一番驚いていた。
握り慣れた棍棒の感触は残っている。
だが宿る力は別物だった。
ノエリアはレックスの手に、自分の手を重ねる。
「レックスは私の選定者ではありません」
静かな声だった。
「ですが、玄夜の聖剣は、レックスに応えました」
黒き聖剣の切っ先が上がる。
白き聖剣もまた構えられる。
光と夜。
正統と異端。
選ばれた勇者と、選ばれてしまった少年。
次の瞬間、二振りの聖剣が激突した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「「聖剣解放!」」
天を裂いた衝撃は、遅れて世界を揺らした。
白と黒の光。
二つの奔流がぶつかり合った中心で、光そのものが軋んでいる。
荒野の砂が浮き上がり、砕けた岩が空へ舞う。
吹き荒れる余波の中で、レックスは歯を食いしばり、玄夜の聖剣を両手で支えていた。
隣に立つノエリアの細い指先は震えている。
だが、その瞳だけは逸れなかった。
「まだです、レックス……、耐えてください」
「簡単に言わないでよ……!」
腕が裂けそうだった。
骨まで軋む。
それでも、不思議と手放す気にはならない。
この剣は重いのに、自分の手に馴染んでいる。
当たり前だ。
これは自分と進み続けた相棒だから。
対するエリオスは、白の聖剣をなお掲げていた。
「認めません」
静かな声だった。
怒号ではない。
だからこそ、狂気が深い。
「選ばれたのは私だ」
「救済を成せるのは私だけだ」
金と蒼の瞳が揺れる。
初めて、その完璧な顔に亀裂が走っていた。
「失った者の痛みも、奪われた者の涙も、弱き者の絶望も……私は知っている!」
叫びと共に、白光がさらに膨れ上がる。
ノエリアは悲しげに目を伏せた。
「ええ。だからこそ、貴方は”選定の力”の力など持つべきではない」
「何……?」
「”選定の力”は自らの救済に繋がらない真逆のもの……」
その言葉は責める声ではなかった。
ただ、事実を告げる鐘の音のようだった。
エリオスの顔が歪む。
「何だと……!?」
白光が爆ぜる。
同時に、黒の聖剣が夜のような輝きを増した。
レックスの中で、何かが繋がる。
勝つためではない。
倒すためでもない。
終わらせるためだ。
「ノエリア!」
「はい!」
二人の声が重なる。
黒き刃が、一歩前へ出た。
その瞬間。
甲高い破砕音が天地に走る。
白の聖剣、その中央に亀裂。
蜘蛛の巣のように広がり――砕け散った。
無数の光片が、雪のように空へ舞う。
エリオスの手に残った、聖剣の柄がゆっくりと地面に落ちた。
「馬鹿な…わ…私には、救済の使命が…」
膝が折れ、地に崩れる。
王国の勇者。
喝采の中心にいた男は、一人の人間に戻った。
「エリオス!」
セラフィナがエリオスに抱きつくと、緊急転移用の刻印魔法を発動させる。
セラフィナとエリオスを中心に光が放たれ、収まったとき、二人の姿は消えていた。
折れた聖剣を残して。
静寂の中、ノエリアが一歩進む。
「私の”裁定”は終わりました」
その声に、誰も逆らえない。
「そして、次は私です」
玄夜の聖剣が微かに震える。
レックスは嫌な予感に眉をひそめた。
「……えっ、次って何!?」
ノエリアは振り返る。
泣いたあとのように赤い目で、それでも柔らかく笑った。
「この儀式を終わらせるには、この“仕組み”に関わっている存在を消さなければならないのです」
彼女の涙が、風に散った。
「だから、”裁定の力”も……”裁定者”も、共に世界から消えなくてはなりません」
レックスの顔色が変わる。
戦いは終わった。
だが、本当の別れは、今から始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦場に満ちていた殺気は、潮が引くように消えていた。
砕けた岩。焼け焦げた大地。
折れた白の聖剣の残滓だけが、先ほどまでの激戦を物語っている。
その中心で、ノエリアは静かに立っていた。
「ノエリア、終わりってどういうことだ」と、レックス。
震えていたのは声の方だった。
勝ったはずなのに、胸の奥に冷たい穴が開いていく。
「言葉通りの意味ですよ、レックス」
ノエリアは微笑み、足元に落ちていた白の聖剣の柄を拾い上げた。
触れた瞬間、それは輝く砂のように崩れ、光となって天への帰る。
「私の“選定の力”が役目を終えた今、儀式は終わりました」
長い蒼髪が風に揺れる。
「そして、それは私自身の終わりでもあります」
同時に、レックスの手にあった玄夜き聖剣も、いつの間にか見慣れた棍棒へ戻っていた。
重さだけが、現実のように残る。
「ノエリア様……」
鉄のように強い女のアウラの声が、初めてか細く揺れた。
「ありがとう、アウラ」
「ずっと傍にいてくれて、私はとても嬉しかったです」
「おやめください」
「命令してください、守れと、戦えと……私はまだ何でもできます」
だが、ノエリアは首を横に振る。
アウラは唇を噛み、うつむいた。
「ありがとう、ガロード」
「礼なんかいらねぇ!」
ガロードは拳を握り締め、牙を見せる。
「何とかならねぇのかよ! こういう時だけ、神様みてぇな顔しやがって!」
「ふふ。怒ってくれて、嬉しいです」
その言葉に、ガロードは何も返せず顔を背けた。
そして、ノエリアはレックスの前へ来る。
近い。
触れれば消えてしまいそうなほど。
「君は……知ってたのか」
「はい」
「なんでそこまでしたんだ!」
叫びは責める声ではない。
置いていかれる恐怖だった。
ノエリアは少しだけ困ったように目を細める。
「わからないですか。鈍感ですね、レックス」
「え?」
次の瞬間、柔らかな温もりが唇に触れた。
時が止まる。
離れたノエリアの頬は、ほんのり赤い。
「レックスに、生きてほしかったのです」
「たとえレックスの心に、別の誰かがいたとしても」
レックスは言葉を失う。
「…好き」
少年に、まっすぐ向けられた好意。
それは何より重かった。
「貴方に、私を覚えていてほしかった」
「貴方の心に、私を刻んでおきたかった」
涙がこぼれる。
だが笑っていた。
裁定者でも、神秘でもない。
ただ恋をした少女の顔だった。
「さようなら、みんな」
「ごめんなさい、巻き込んでしまった、勇気ある人たち」
ノエリアの体が光に包まれる。
輪郭が薄れ、風景に溶けていく。
「やめろ……!」
(まだ、ノエリアに何も言っていない!)
レックスは手を伸ばが、届かない。
「ノエリア!」
「ノエリア!!」
「ノエリア様!」
三人の叫びが重なった。
閃光が弾ける。
その中で、ノエリアは微笑みながら、消えていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




