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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ノエリア編
72/131

裁定者

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「聖剣解放」


振り下ろされた刃から、純白の奔流が解き放たれた。


大地が裂ける。


一直線の閃光が荒野を奔り、黒く焼けた地層ごと抉り飛ばした。


遅れて轟音。


空気そのものが悲鳴を上げ、熱風が石片を巻き上げる。


それを、レックスは見ていた。


恐怖ではなく、集中で。


エリオスの身体から力が抜け、聖剣へとすべてが流れ込む瞬間。


防御の光膜が消え、世界がわずかに開く一拍。


その一瞬だけが、勝機だった。


――兄貴!


叫ばない。


視線だけで伝える。


ガロードの琥珀の瞳が獣の光を帯びる。


――わからいでか!


巨大な狼は、真正面から光の奔流へ突っ込んだ。


白銀の毛並みが焼ける。


皮膚が裂ける。


それでも止まらない。


左へ跳ぶように軌道をずらし、閃光を紙一重で躱す。


焦げた肉の臭いを撒き散らしながら、その勢いのままエリオスへ肉薄した。


「小賢しい」


エリオスが聖剣を横薙ぎに振り抜く。


必殺の斬撃。


だが次の瞬間、狼の顎がその刃へ食らいついた。


金属と牙がぶつかり、火花が散る。


「……なに?」


初めて、エリオスの声に揺らぎが混じる。


ガロードは四肢で地面を抉りながら、聖剣を噛み止めていた。


牙は砕け、口元から血が滴る。


それでも離さない。


エリオスは即座に周囲を見渡す。


背にいたはずのレックスがいない。


気配。


頭上。


見上げた先、逆光の空に少年の影があった。


ガロードが突進の直前、背中を踏み台に跳ばせていたのだ。


空中で身体を捻り、両手で棍棒を握るレックス。


赤い瞳だけが、まっすぐエリオスを射抜いている。


「エリオス!」


振り下ろされる一撃。


鈍く、重い音が荒野に響いた。


白金の総面甲が砕け散る。


兜の破片が光を反射しながら舞った。


露わになった銀髪と、美貌。


そして初めて剥き出しになった驚愕の表情。


続けざまに、返す一打。


手首を打ち抜かれ、エリオスの指が開く。


聖剣が宙へ放り出された。


誰もが息を呑む。


天を舞う神鋼の刃は、弧を描き――


戦場へ駆け込んできた二人の前へ突き立った。


セラフィナ。

そしてルーナ。


白き刃は地面に刺さり、なお神々しい光を放っている。


勇者の象徴。


世界を裁く力。


その所有者を失った剣。


レックスは着地し、膝をついた。


腕は痺れ、呼吸は乱れている。


ガロードも血まみれの口で笑った。


「やったな……レックス」


勇者ではない少年たちが。


選ばれなかった者たちが。


絶対であった勇者エリオスを、ついに凌駕した瞬間だった。


そして――


聖剣の柄へ、震える手が伸びる。


セラフィナの瞳に、迷いと決意が同時に宿る。


戦いは、まだ終わっていなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



巡礼の大地を吹き抜けていた熱風が、ふいに止んだ。


戦いの余韻だけが残り、砕けた岩と焼け焦げた土が、静かに煙を上げている。


その中心で、勇者エリオスは立ち尽くしていた。


砕かれた兜。


素顔を晒した銀髪の青年は、先ほどまでの絶対者とは思えぬほど、虚ろだった。


蒼と金のオッドアイは焦点を失い、己の空いた手だけを見つめている。


聖剣を失った現実を、まだ理解できていないようでもあった。


「シン!」


ルーナが駆け出す。


倒れていた少年の傍らに膝をつき、その肩を抱き起こした。


「……ったく、無茶して」


「うるさい……助かったんだから、いいだろ」


ぶっきらぼうな声。


だが、そのやり取りには確かな安堵があった。


ルーナが額の汗を拭い、シンが照れ隠しに顔を背ける。


互いを当然のように支える姿だった。


その光景を、少し離れた場所からセラフィナは見ていた。


胸の奥が、軋む。


――羨ましい。


その感情を認めた瞬間、長く閉ざしていた何かが裂けた。


もし、あのように笑い合えていたなら。


もし、役割ではなく、ただ一人の人間として隣に立てていたなら。


自分も変われたのだろうか。


視線が、地に落ちた聖剣へ吸い寄せられる。


白銀の柄。


神意を宿す刃。


無意識のまま、手が伸びた。


触れた瞬間、心臓が大きく跳ねる。


どくん、と。


体の奥で眠っていた傷口が、無理やりこじ開けられるように。


耳元で、誰かが囁いた。


――君が望むなら、願いを叶えてあげよう。


――彼の隣に立ちたいのだろう。


――愛されたいのだろう。


――ならば、すべてを捧げればいい。


声は甘く、優しかった。


だが、その温度は墓穴の底のように冷たい。


セラフィナの瞳から光が消える。


「私は……全部、捨てたのです」


誰に語るでもなく、唇が動く。


「名前も。人生も。心も……」


震えた声は、やがて熱を帯びた。


「それでようやく、あの方の隣に立てた……!」


愛。


献身。


幸福。


人を満たすはずのそれらが、別の形へ捻じ曲げられていく。


それこそが、『悪意』の歯車だった。


本来なら噛み合わぬ想いを利用し、回ってはならぬものを回す。


セラフィナは歩き出す。


ゆっくりと。


しかし迷いなく。


聖剣を抱え、エリオスのもとへ。


「……なっ」


いち早く異変に気づいたのはガロードだった。


五感ではない本能が、場に満ちる腐った気配を嗅ぎ取っていた。


かつて己を狂わせ、多くを壊したもの。


根絶すると誓ったもの。


「やべぇ……!」


全身の毛が逆立つ。


「レックス! そいつを止めろ!!」


叫びは風を裂いた。


レックスが振り向く。


だが、一歩遅い。


セラフィナはエリオスの前に膝をつき、恭しく剣を差し出した。


その姿は、勇者と供にある姫巫女。


同時に、奈落へ供物を捧げる信徒にも見えた。


「エリオス……」


熱に浮かされたような声だった。


「貴方だけを、愛しております」


虚ろだった勇者の瞳が、ゆっくりと動く。


「貴方の御心の、ままに」


差し出された柄を、エリオスの手が掴んだ。


「……セラフィナ」


その瞬間。


聖剣が脈打つように発光し、白き奔流が天へ噴き上がる。


大地が震えた。


空が軋んだ。


絶望は、終わっていなかった。


勇者の手に、聖剣が戻る。


そして、誰もが悟った。


本当の絶望は、ここからだと。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



巡礼の大地に、白い静寂が降りた。


焦土と化した荒野。


砕けた岩。


倒れ伏す者たち。


その中心で、勇者エリオスは聖剣を握っていた。


「ああ……やっと届いた」


吐息のような声だった。


歓喜とも狂気とも違う。


かつて最も欲したもの。


誰より優れ、誰より正しく、誰より選ばれた自分なら当然手に入ると信じていたもの。


”愛”。


だが少年の日、その願いは拒まれた。


選ばれたのは、自分より弱く、未熟で、取るに足らぬ少年だった。


純粋であるため理解できなかった。


正しき者が選ばれず、劣る者が愛される理由など。


だから彼は理解できない理不尽な世界を呪ってしまった。


世界の仕組みそのものを、正し直そうと決めた。


そして今。


聖剣を取り戻した瞬間、胸の空洞が満たされていた。


誰かに愛されたわけではない。


だが、世界そのものに認められたと感じたのだ。


その顔を見て、誰もが息を呑む。


先ほどまでの冷酷な支配者の貌ではない。


怒りも、執着も、飢えも消えていた。


ただ静かで。


ただ穏やかで。


あまりにも澄み切った、救済者の顔。


まるで、この世の苦しみをすべて理解した聖者のように。


「皆、ようやく救われます」


優しい声だった。


ぞくり、とレックスの背筋が凍る。


怒りを向けられる方がまだ分かりやすい。


この男は本気で、善意のまま殺そうとしている。


「聖剣抜刀」


切っ先がわずかに揺れた。


次の瞬間、一条の白光が走る。


「が……っ!」


ガロードの胸を貫き、吹き飛んだ。


血飛沫すら焼き消され、荒野に転がる。


「兄貴!」


レックスの叫びも届かない。


「苦しみから解放して差し上げます」


エリオスは慈しむように告げる。


その姿は、死こそ最大の救済と信じる僧にも見えた。


寄り添い合う番の姿へ、視線が移る。


「聖剣抜刀」


二条目の光。


「っ……!」


シンが咄嗟にルーナを庇う。


だが二人まとめて貫かれ、折り重なるように倒れた。


赤い髪が土に広がる。


伸ばされた手は、互いに届いたまま止まっていた。


残されたのは、レックス一人。


熱風が吹く。


焦げた匂いと、血の匂いだけが残る。


「……駄目か」


棍棒を握る手に、力が入らない。


勝ち筋は尽きた。


仲間は倒れた。


自分一人では届かない。


今度こそ、詰みだ。


「君だけは少し惜しいですね、レックス」


エリオスが歩み寄る。


「ですが、未熟な善意は世界を乱す」


聖剣が掲げられる。


「ここで終わるべきです」


終わる。


そう思った、その時だった。


風が止んだ。


エリオスの足が止まる。


視線が、レックスの背後へ向けられる。


つられて振り向いたレックスは、目を見開いた。


「……ノエリア?」


赤い衣をまとった少女が、静かに立っていた。


眠っていたはずの瞳は澄み切り、風に青髪が揺れている。


その場にいるだけで、空気が張り詰めた。


まるで、世界そのものが彼女の到着を待っていたかのように。


ノエリアはレックスを見る。


「力を貸してください」


震えも迷いもない声だった。


「この選定を、終わらせるために」


エリオスの微笑みが、初めて揺らぐ。


裁定者ノエリア。


すべてを終わらせる少女が、勇者たちの前に立ち塞がった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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