まだ、終わってない
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
無傷のエリオス。
満身創痍のレックスとガロード。
その対比だけで、戦況は誰の目にも明らかだった。
白銀の鎧には土埃ひとつなく、聖剣の輝きも衰えない。
対する二人は、肩で息をし、血と煤にまみれている。
焼けた荒野を熱風が舐めるたび、傷口が鈍く痛んだ。
「……手も足も出ないなんて」
レックスの声には、珍しく焦りが滲んでいた。
棍棒を握る手に力を込めても、指先が震える。
―― 届かない。
技も、連携も、覚悟も。
すべてがあの男の前では意味を失っていく。
「……いや」
隣でガロードが低く唸る。
琥珀の瞳は、獲物を狙う獣のそれだった。
「あいつに攻撃は通る」
「え?」
レックスが顔を向ける。
ガロードは口端の血を拭い、先ほど投げた石の軌道を思い返していた。
悪あがきで投げた石礫。
あれだけは、光膜に弾かれずエリオスへ届いた。
偶然ではない。
理由は一つ。
「聖剣解放だ」
ガロードは吐き捨てるように言った。
「あの野郎、全部ぶっ放す瞬間だけ守りが薄くなる」
力を百とするなら、百すべてを攻撃へ回す技。
神聖気の防御も聖剣を経由して発生している。
その直後、絶対防御の神聖気は再展開まで一瞬遅れる。
ほんの刹那。
だが、勝機と呼べるものがあるならそこだけだった。
「狙うのは一点突破だ」
ガロードが拳を鳴らす。
「レックス。俺の賭けに乗れるか」
迷いなく返事が飛ぶ。
「もちろん」
短い言葉だった。
だが、その声に怯えはなかった。
二人は縦一列に並ぶ。
前にレックス。
後ろにガロード。
速度で撹乱し、最後に獣が噛み砕く。
打ち合わせもない、何度も死線を越えた者同士の形だった。
「俺のタイミングに合わせろ!」
「わかった!」
エリオスはその様子を静かに眺めていた。
「覚悟を決めたようですね」
哀れむような微笑み。
「では、終わらせましょう」
聖剣が掲げられる。
白光が刃に収束し、空気そのものが震えた。
レックスとガロードが同時に駆ける。
地を蹴る音。
呼吸。
心臓の鼓動。
そのすべてが、レックスの世界で引き延ばされる。
――遅い。
極限の集中。
一秒が幾重にも伸びる感覚。
エリオスの肩が動く。
剣筋が見える。
「聖剣解放!」
振り下ろされた閃光が、荒野を薙いだ。
「今だ!」
ガロードの叫び。
二人は迫る光刃の直前で左右へ跳ぶ。
白熱の奔流が中央を通過し、大地を裂いた。
その脇を抜け、ガロードが肉薄する。
「これで、どうだ!」
渾身の拳がエリオスの顔面へ伸びる。
だが。
神聖気の復活が、僅かに速い。
「っ!」
拳は止まり、骨まで軋む衝撃が返る。
エリオスの冷えた声が落ちた。
「終わりです」
聖剣が振り上がる。
ガロードを斬るための、処刑の軌道。
――やられる!
レックスが踏み出すより早く。
その瞬間、背後から土を蹴る音が一つ走った。
凄まじい金属音が荒野に炸裂した。
火花が散る。
エリオスの聖剣を、別の刃が受け止めていた。
「……君が、私に刃を向けるのですか」
黒髪の少年。
怒りを隠さぬ、赤みを帯びた瞳。
「何故、私の邪魔をするんです、シン」
エリオスの声音が、初めてわずかに揺れる。
少年は歯を食いしばったまま睨み返した。
「あんたを止めに来た、エリオス」
「もう……これ以上、誰かを切り捨てさせない!」
二人の勇者が、巡礼の大地で相対した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巡礼の大地を裂く光の余熱が、なお空気を歪めていた。
白く焼けた地面の中央で、二本の剣が噛み合っている。
シンの人造聖剣は震えていた。
受け止めているだけで、腕の骨まで軋む。
それでも退かなかった。
「もう、やめよう。エリオス様」
絞り出した声だった。
「何を言う、シン」
エリオスの声音は、いつもと変わらず穏やかだった。
「君の求める救済は、目の前にあるではありませんか」
だからこそ、冷たい。
出会った日のことを、シンは忘れていない。
焼け跡の村。
泣き叫ぶ子どもたち。
血に濡れた瓦礫の中で、銀髪の青年だけが静かに立っていた。
――争いを終わらせよう。
あの日の言葉に、救われた気がした。
「俺たちは……失ったから、わかるはずだったんだ」
シンの剣に力がこもる。
「大事なものを奪われる痛みを!」
「なのに、あんたはまた別の誰かから奪おうとしてる!」
エリオスの瞳が細められる。
「小さな犠牲を拒み、大きな悲劇を許す」
「君は感傷に溺れている」
「違う!」
シンが叫ぶ。
「憎しみは、力で消えない!」
「剣で押さえつけても、また生まれる!」
一瞬、拮抗した刃が火花を散らした。
「そして……聖剣に頼る俺たち自身が変わらなきゃ、世界は何も変わらないんだ!」
静寂。
エリオスはわずかに息を吐いた。
「言いたいことは、それだけですか」
次の瞬間、圧が弾けた。
シンの体が数歩押し戻され、地を滑る。
膝が沈み、砂塵が舞った。
「過去に誰も成せなかった」
エリオスは天を見上げる。
「だから不可能だと? 愚かな論です」
聖剣が持ち上がる。
「他の誰にもできない、だから出来ないと決めつけるか」
聖剣の柄を握るエリオスの手に力が入る。
「それは否だ ―― 私にはできる!」
その確信に、迷いは一片もなかった。
シンの喉が鳴る。
言葉では届かない。そう悟ってしまうほど、完成された狂気だった。
石舞台の端。
拘束を解かれたノエリアの傍らで、セラフィナは立ち尽くしていた。
そこへ足音が近づく。
「……セラフィナ」
振り返った先に、赤髪の少女がいた。
「ルーナ」
その名を呼んだ声は、ひどく震えていた。
「お願い。エリオスを止めて」
「無理よ……!」
抑えていたものが決壊する。
「私はセラフィナじゃない!」
セラフィナは激しく頭を左右に振った。
「あの人のために、名前も人生も捨てた偽物よ!」
涙が頬を伝った。
「そんな私に、何ができるっていうの……!」
「あの人は私なんて見ていない……!」
ルーナはまっすぐ見つめ返す。
「知ってるよ」
短く、しかし強く言った。
「私、あの村の出身だから。あなたが本当の姉さんじゃないことも知ってる」
セラフィナの肩が跳ねる。
「でもね」
ルーナは一歩近づいた。
「泣いてる人まで偽物なわけない」
言葉を失う。
「誰のために生きたかなんて、今ここで決め直せばいい」
熱風が二人の髪を揺らした。
「一緒に止めよう。今度は、自分の意志で」
長い沈黙の末、セラフィナは唇を噛み――小さく頷いた。
「……わかりました」
その瞬間、倒れていたノエリアの身体がふわりと浮かぶ。
「それは、私の仕事ですので」
柔らかな声と共に、アウラが現れた。
眠るノエリアを抱き上げ、戦場を見る。
白き勇者。
抗う少年。
揺らぎ始めた従者たち。
巡礼の儀は、いまや選定ではない。
それぞれが、自分の在り方を選ぶ最後の盤面へと変わっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巡礼の大地を渡る熱風が、焦げた砂を巻き上げていた。
白く焼けた裂痕のあいだで、ガロードが舌打ちする。
「くそっ、失敗した」
唯一の勝機。
聖剣解放の直後、無防備になる一瞬。
そこに届かなかった。
エリオスはなお無傷。
対してこちらは満身創痍だった。
「……いや」
膝に手をついていたレックスが、ゆっくり顔を上げる。
「まだ、終わってない」
額から血が伝い、頬を濡らしていた。
それでも赤い瞳だけは、静かに冴えている。
作戦は間違っていなかった。
足りなかったのは二つ。
タイミング。
そして、速度。
レックスの脳裏には、これまで放たれた四度の聖剣解放が焼き付いていた。
構えに入る肩の沈み。
息を吸う間。
剣先がわずかに傾く癖。
振り下ろす軌道。
極限の集中の中で見たそれを、一つも忘れていない。
「…僕を信じられるか、兄貴」
ガロードは片眉を上げ、それから牙を見せて笑った。
「答えるまでもねえだろ」
その返答だけで十分だった。
言葉より先に、背中が語っている。
弟分が行くなら、自分も行く。
その頃、シンは、なお剣を振るっていた。
息は荒い。
腕は震え、足取りも乱れている。
それでも倒れない。
エリオスはその場から一歩も動かず、すべてを受け流していた。
シンは人造聖剣を双剣に変形させ、怒涛の剣撃を振るう。
交互に止まることのない二つの刃。
エリオスは神聖気を使用せずにシンの攻撃を受け止める。
金属音が連続し、火花が散る。
「腕を上げましたね、シン」
穏やかな声だった。
まるで鍛錬場で、後輩を褒める師のように。
「私が間違っていると思ったなら、いつでも正しに来るといい」
「ですが、私を倒せると思った時にのみ決断して欲しい」
エリオスはかつて、宣言した言葉を口にする。
次の一撃が走る。
白い閃線。
シンは咄嗟に剣を立て、防いだ。
だが衝撃は止まらない。
身体ごと吹き飛ばされ、地面を転がる。
剣が手を離れ、砂の上を滑った。
「……っ」
起き上がろうとした指先から力が抜ける。
意識が闇へ沈んだ。
エリオスは自分の足音を見る。
そこに残る自分の無数の足跡。
「一歩も動くつもりはなかったのですが」
手には痺れが残る。
エリオスは軽く息を吐く。
「こちらの不手際で待たせてしまいましたね」
「失礼しました」
振り返った先。
そこにいた二人の姿に、初めて彼の眉がわずかに動いた。
巨大な白銀の狼。
全身の筋肉を膨張させ、四肢で大地を掴む完全獣化のガロード。
自身の中の魔王の力を解放したガロードの最強の姿。
琥珀の瞳は獣の光を宿している。
その背にまたがり、低く身を伏せるレックス。
棍棒を槍のように構え、視線はただ一点――エリオスのみを射抜いていた。
「騎兵にでもなったつもりですか」
エリオスの口元がわずかに歪む。
速度は満たされた。
あとは、あの一瞬に賭けるだけ。
レックスが呼吸を整える。
鼓動が静まっていく。
世界の音が遠ざかる。
「いくぞ、勇者エリオス!」
ガロードが咆哮し、大地を蹴った。
爆ぜるような加速。
巨体とは思えぬ速度で一直線に駆ける。
「愚か者の辿る末路を見せてあげましょう」
エリオスは聖剣を天へ掲げた。
白日の光が刃へ吸い込まれていく。
空気が震え、巡礼の大地そのものが悲鳴を上げる。
――聖剣解放の構え。
「天罰を受けなさい」
狼が迫る。
勇者が振り下ろす。
少年が息を止める。
その瞬間、世界の時間が引き絞られた。
勇者エリオスと、勇者ではない少年レックス。
最終対決が、ついに始まる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




