勇者の力
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
聖域――巡礼地点。
その空へ、少年の声が鋭く突き抜けた。
「ノエリア!」
レックスだった。
血と砂にまみれながらも、まっすぐ駆けてくる。
「レックス!」
ノエリアの表情が初めて揺れる。
張り詰めていた姫巫女の顔ではない。
ただ、一人の少女の顔だった。
駆け出そうとしたその肩を、白銀の籠手が静かに押しとどめる。
エリオス。
その瞳は、蒼と金の異なる光を宿しながら、氷のように冷えていた。
「バルグロス、アルセイド、シンは、どうしました」
責める口調ではない。
事実確認をするような、平坦な声。
「残念ながら、ご退場だよ」
ガロードが肩を鳴らしながら前へ出る。
傷だらけの身体で、それでも獣のように笑った。
「いよいよ大詰めだな。勇者の大将」
エリオスは薄く微笑む。
「まことに失礼した」
「どうやら不甲斐ない同志しか揃わなかったようです」
その声音に、仲間を失った悲しみはなかった。
あるのは、期待した駒が壊れたことへの失望だけ。
セラフィナの睫毛がわずかに伏せられる。
「セラフィナ。ノエリアをお願いします」
「……はい」
命令に迷いは許されない。
セラフィナはノエリアへ歩み寄り、拘束の術式を起動する。
青い光が手首を縛り、ノエリアの身体から力が抜けた。
意識が薄れていく中、それでも彼女の目はレックスを見ていた。
「ノエリア!」
「大丈夫です……レックス……」
かすれた声が、風に消える。
レックスの拳が震えた。
最初に会った時のエリオスは違った。
人々へ分け隔てなく手を差し伸べ。
争いを終わらせると語り。
誰より真剣に平和を願っているように見えた。
だが今、目の前にいる男は違う。
少なくとも人を救う者には見えない。
エリオスは兜を被り、腰の聖剣を抜く。
澄んだ金属音。
その瞬間、空気そのものが張り詰める。
シンたちの人造聖剣とは明らかに違った。
刃から溢れる神聖な圧。
存在するだけで周囲を従わせる絶対性。
神の世界より召喚された神鋼。
王国が誇る、真なる聖剣。
「たとえ紛い物であろうと、彼らは私が勇者として迎えた者たちです」
一歩。
砂が鳴る。
「それを倒したのであれば、その不始末を私がつけるのは必然でしょう」
また一歩。
歩いているだけなのに、山が迫ってくるような威圧だった。
ガロードが舌打ちする。
「気に食わねえ野郎だ」
レックスは棍棒を構える。
「……お前は、勇者なんかじゃない」
エリオスの笑みが、わずかに深くなった。
「そうですか。ならば教えてあげましょう」
聖剣を天へ掲げる。
雲一つない空が、白く染まった。
太陽の輝きが刃へ吸い込まれていく。
否。
太陽そのものが、剣に跪いているようだった。
石舞台の紋様が暴れ、荒野の黒い大地がひび割れる。
セラフィナでさえ息を呑む。
ノエリアの閉じかけた瞳が見開かれた。
「まさか……そこまで……」
エリオスは光の中心で、静かに告げる。
「崇めたまえ」
声は穏やかだった。
だが、その響きは命令だった。
「これが、真の勇者が用いる聖剣の力です」
次の瞬間。
「聖剣解放!」
巡礼の大地を、昼より眩い光が貫いた。
世界が、一瞬だけ白に呑まれる。
それは希望の輝きではない。
正義の名を与えられた、怪物の産声だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巡礼の大地に、白き閃光が奔った。
それは斬撃ではない。
光でも、雷でもない。
ただ――浄化だけを目的にした熱だった。
黒く硝子化した荒野が、一瞬で白く焼ける。
石は蒸発し、砂は溶け、遅れて轟音が空を裂いた。
「散れッ!」
ガロードが叫び、レックスの襟を掴んで横へ跳ぶ。
次の瞬間。
二人がいた場所を、巨大な光刃が通過した。
大地が深く裂ける。
赤熱した断面が、地獄の口のように開いた。
「っ……洒落になってねえぞ!」
着地したガロードが牙を剥く。
熱で焦げた銀髪が逆立ち、狼耳がぴくりと震えていた。
エリオスはなお穏やかな表情のまま、聖剣を片手で下ろす。
その刃には、昼の太陽を削り取ったような光が宿っている。
「これは救済の力です」
淡々とした声だった。
「すべての争いを終わらせるために、世界が私へ託した力なのです」
レックスは奥歯を噛み締める。
かつて村で見た男は違った。
傷ついた人の前に膝をつき、同じ目線で手を差し伸べていた。
目の前の男は違う。
高みから見下ろし、世界ごと裁こうとしている。
「そんなものが、救済であってたまるか!」
レックスが駆けた。
一直線だった。
迷いのない突進。
追うように、ガロードが地を蹴る。
獣じみた加速で背後へ回り込む。
挟撃。
レックスの棍棒。
ガロードの拳。
二つの一撃が、同時にエリオスへ届く――はずだった。
キィン、と高い音が鳴る。
二人の攻撃は、エリオスの全身を覆う薄い光の気流に阻まれていた。
「な……!」
「何だこりゃ!?」
拳も棍棒も、一寸たりとも進まない。
「完成された勇者が、その程度で傷つくことはありません」
エリオスは眉一つ動かさない。
「勇者の儀によって、聖剣を持つ私の肉体には神意が宿っています」
エリオスの身体にまとった神聖気は光り輝く気流のように見え、彼を守る盾と化している。
「この聖剣が輝くと、私の体は神聖気と呼ばれるエネルギーの気流に覆われるのです」
次の瞬間、光の気流が脈動した。
衝撃。
レックスとガロードの身体が弾き飛ばされる。
「この聖剣と神聖気を持つ私に、君たちが太刀打ち出来る道理はない」
地面を何度も跳ね、砕けた石片の中でようやく止まった。
「……てめえ」
ガロードが立ち上がる。
拳が震えていた。
怒りだけではない。
本能が告げている。
危険だ、と。
これまで倒してきた人造勇者たちとは違う。
強い弱いではない。
存在の質そのものが異なる。
人間ではなく、理念に肉体を与えた怪物。
レックスもまた、膝をつきながら棍棒を握り直す。
手のひらが汗で滑る。
聖剣から放たれる光は、ただ強いだけではない。
触れたものの意思ごと消し去るような、絶対の圧だった。
「これが……本物の勇者……」
掠れた声が漏れる。
エリオスは再び聖剣を掲げる。
その仕草は静かで、美しかった。
だからこそ恐ろしい。
「聖剣解放!」
振り下ろされた刃から、白の奔流が解き放たれる。
一直線に走った光が、荒野を真二つに割った。
轟音。
地鳴り。
吹き上がる灼熱の砂塵。
人が振るった一太刀ではない。
天災だった。
砕けた岩陰に身を伏せたレックスの頬を、熱風が切り裂く。
ガロードでさえ、顔から笑みが消えていた。
エリオスだけが、白き破壊の中心に立っている。
「理解しましたか」
蒼と金の瞳が、二人を見下ろす。
「力なき意志は、願望に過ぎないのです」
巡礼の大地が震える。
正義を名乗る怪物が、今まさに牙を剥いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巡礼の大地を裂いた白光の余熱が、なお空気を歪めていた。
焼けた砂は赤く燻り、踏み込むたび靴裏に熱が噛みつく。
その灼熱の中を、レックスは迷わず駆けた。
爆風が晴れきる前。
視界が悪い今しかない。
低く身を沈め、黒い棍棒を脇に抱えたまま一気に間合いへ滑り込む。
「はああっ!」
全身の捻りを乗せた一撃。
凄まじい金属音が荒野に弾けた。
エリオスの聖剣が、当然のように受け止めていた。
「ぐ……っ!」
両腕が痺れる。
肩から先の骨が軋み、歯の根まで震えた。
ただ刃を合わせただけ。
それだけで、巨大な城壁に打ち込んだような絶望的な手応えだった。
エリオスは表情ひとつ変えない。
蒼と金のオッドアイが、静かにレックスを見下ろす。
「何ですか、それは」
冷えた声音だった。
「私の聖剣を受け止める鈍器など、聞いたことがない」
レックスは答える代わりに、棍棒を引き戻し、そのまま頭上から叩き落とす。
再び激突音。
火花が散る。
聖剣がまたしても受け止めていた。
「知るもんか!」
珍しく荒い声が漏れる。
余裕など、最初からない。
「僕だって、これが何なのか知らない!」
「無知を誇るのは、弱者の癖ですね」
エリオスの手首がわずかに返る。
それだけでレックスの体が弾かれ、数歩後退した。
「レックス!」
直後、横合いから銀影が飛ぶ。
ガロードだった。
地を這う低い姿勢から、一気に踏み込み、全体重を乗せた貫手がエリオスの脇腹へ伸びる。
獣の膂力。
人骨など容易く貫く一撃。
だが。
エリオスの周囲に光の気流が広がった。
拳はそこで止まる。
「……っ!」
爪が軋み、腕の筋肉が膨れ上がる。
それでも突破できない。
「獣の膂力。興味深い」
エリオスは視線すら向けずに告げた。
「ですが、獣は理想を語れない」
次の瞬間、聖剣が閃く。
白線が走り、ガロードの左腕から血が噴いた。
「ちっ!」
後方へ飛び退く。
裂かれた腕は深く抉られ、熱で焦げた肉の臭いまで漂っていた。
レックスの顔色が変わる。
「兄貴!」
「うるせえ、まだ動し、余裕だ!」
そう吐き捨てながらも、ガロードの額には脂汗が滲んでいた。
エリオスは二人の狼狽を気にも留めず、再び聖剣を天へ掲げる。
白銀の鎧が陽光を反射し、その姿は神像じみて見えた。
「三度目です」
穏やかな声。
だが、そこに人への情はない。
「何度でも可能です。救済に、限度などありません」
「くそっ! 三発目だぞ、無尽蔵かよ!」
ガロードが吠える。
「聖剣解放」
振り下ろされた刃から、純白の奔流が解き放たれた。
大地が裂ける。
一直線の閃光が荒野を走り、地層ごと抉り飛ばす。
遅れて轟音。
空気そのものが破裂した。
レックスは転がるように回避し、ガロードは跳躍して逃れる。
それでも衝撃波だけで全身が打たれ、呼吸が止まりそうになる。
「……ふざけんな」
ガロードは近くの焼け石を掴み、意地だけで投げつけた。
石礫は一直線に飛び――光の気流へ当たり、乾いた音を立てて砕け散る。
カンッ。
あまりにも虚しい音だった。
「兄貴!」
「心配すんな……まだ死んでねえ」
笑おうとした口元が引きつる。
左腕は肩口から先まで赤黒く焼かれ、指先はもう動いていなかった。
それでも琥珀の瞳だけは、なおエリオスを睨みつけている。
レックスは棍棒を握り直す。
掌に汗が滲む。
目の前にいるのは、人ではない。
正義という言葉だけを肥大させ、形にした怪物だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




