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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ノエリア編
69/131

片鱗

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



夜風が荒野を吹き抜ける。


その中央で、二つの怪物が向かい合っていた。


ノエリアを守る侍女、アウラ。


そして、エリオスへ絶対の忠誠を誓う暴力の勇者、バルグロス。


両者の間に、もはや言葉で埋まる余地はない。


「……あんたに恨みはない」


低く唸るように、バルグロスが言った。


灰混じりの金髪を乱しながら立つその巨体は、人というより獣に近い。


極端に広い肩。


分厚い胸板。


鎧の隙間から覗く腕は異様なほど太く、筋肉が隆起していた。


獲物を見定める猛獣のような瞳だけが、静かにアウラを射抜いている。


「私にはあります」


対するアウラは、一歩も退かない。


黒髪を風に揺らし、静かに鉄球を握る。


「ノエリア様を悲しませる下賤な輩が」


次の瞬間だった。


鋼鉄の鉄球が、空気を裂いた。


轟音。


砲撃にも等しい速度。


躊躇など一切ない。


初撃から殺すつもりだった。


「――?」


だが。


ゴンッ、と鈍い衝撃音だけが響く。


「……あぶねぇなぁ」


バルグロスは片手で止めていた。


鉄球を。


まるで子供の玩具でも掴むように。


「……俺でなければ死んでる威力だ」


「元より油断する気はねぇが……」


右腕。


いや、義手。


肩口から先を切り落とし、接続された異形の腕。


それこそが、バルグロスの人造聖剣だった。


金属とも骨ともつかぬ白銀の腕が、不気味な光を帯びている。


「ただの女じゃねぇな」


「返すぜ!」


握り潰すように掴んだ鉄球を、力任せに投げ返した。


暴風。


アウラが放った時以上の速度だった。


だがアウラは冷静だった。


鎖を滑らせる。


回転を逃がす。


正面から受けず、軌道を逸らし、威力を殺す。


その瞬間。


バルグロスの姿が消えた。


「っ……!」


巨体とは思えない速度。


次の瞬間には、目前。


重戦車が突っ込んできたような圧力だった。


技術ではない。


理屈でもない。


ただ純粋な暴力。


生存本能。


闘争。


捕食。


強者を食らい、さらに上へ進む獣の理。


「耐えられりゃ、お前も強者だ!」


「そして俺が食うに値する御馳走だ!」


義手が輝いた。


人造聖拳。


叩き込まれた拳圧が、空間ごとアウラを吹き飛ばす。


身体が宙へ舞う。


まるで重さを失ったように。


「自分から空に逃げたか」


バルグロスが嗤う。


「だが、誤ったな」


地を蹴る。


爆発のような衝撃と共に、巨体が空へ跳んだ。


空中でなお加速する。


「そこに逃げ場はねぇ!」


上。


バルグロスがアウラを見下ろしていた。


義手がさらに白く発光する。


宿る力は、大地。


重力操作。


数秒だけ、世界そのものの重さを支配する異能。


「終わりだ!」


振り下ろされた拳が、アウラへ直撃した。


轟音。


衝撃波が夜空を裂く。


空中では勢いを逃がせない。


アウラの身体が地面へ落ちる。


激突。


大地が陥没した。


土と岩が爆ぜ、巨大なクレーターが生まれる。


土煙が荒野を覆った。


「終わったか?」


バルグロスが低く呟く。


だが次の瞬間。


煙の奥から、鎖の音が鳴った。


ジャラリ、と。


静かに。


冷たく。


「……随分と楽しそうですね」


土煙の中。


アウラは立っていた。


額から血を流しながら。


それでも表情は崩れていない。


だが。


その瞳だけが違った。


黒く。


深く。


人ではない何かを宿したような眼。


「ノエリア様を泣かせた罪……」


鎖が、ゆっくり持ち上がる。


「その程度で済むと、本気で思っているのですか?」


空気が変わった。


バルグロスの本能が、初めて警鐘を鳴らす。


目の前にいるのは、ただの侍女ではない。


もっと別の何かだと。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



土煙を裂いて、アウラが駆けた。


一直線。


迷いも駆け引きもない。


その速度は、先ほどまでとは別物だった。


瞳孔が獣のように細くなる。


「――潰す!」


低い声。


空気が震えた。


対するバルグロスも前へ出る。


迎え撃つという発想ではない。


踏み潰す。


砕く。


そのためだけに前進する。


思考より本能。


理性より行動。


圧倒的な“前進圧”。


それこそが、バルグロスという勇者を名乗る怪物の最大の武器だった。


一歩。


踏み込むだけで大地が鳴る。


重戦車の突撃。


いや、山そのものが迫ってくるような威圧感。


鈍い音が響いた。


アウラが身を捻る。


避けた。


そう見えた瞬間だった。


遅れて衝撃が到達する。


「っ……!」


空気ごと叩き潰された。


まともに受けた左腕が、不自然な方向へ折れ曲がる。


骨が軋む音が夜に響いた。


だがアウラは止まらない。


痛みを無視したまま懐へ潜り込む。


逆手に握った“くない”が閃いた。


ザシュッ――!


バルグロスの胸元が切り裂かれる。


鮮血が飛んだ。


「ハハ……!」


だが。


バルグロスは笑っていた。


心底楽しそうに。


血を流しながら。


「いいぞ……それだ!!」


口元が獣のように吊り上がる。


強さだけを追い求めた男。


その果てにいるのは英雄ではない。


暴力そのものだった。


アウラの蹴りが炸裂する。


腹部へ叩き込まれた一撃が、巨体を浮かせた。


訓練時のガロードが顔を苦悶でしかめるほどの威力。


常人なら上半身が千切れていてもおかしくない。


それでも。


バルグロスは平然と受け止める。


「ハッ……効くじゃねぇか」


口から血を垂らしながら笑う。


苦戦している。


確かにダメージも受けている。


だが、それすら快楽だった。


人造聖剣から絶えず流し込まれる投薬。


そして、自身の脳が放出する異常な興奮物質。


痛みは歓喜へ変換される。


敵から見れば、恐怖以外の何物でもない。


次の瞬間。


アウラが背後へ回った。


フレイルの鎖が蛇のように伸びる。


首を締め上げるつもりだった。


だが。


「――が……!」


一瞬で逆転する。


巨大な手が、アウラの頭を鷲掴みにした。


そのまま空中へ持ち上げる。


片手だけで。


「もっとだ」


ギリギリ、と音が鳴る。


万力すら玩具に思える握力。


「俺を愉しませろ!」


アウラの身体が震えた。


力が抜ける。


左腕は折れ、呼吸も乱れている。


だが。


バルグロスは止まらない。


「まだだ……まだ足りねぇ……!」


獣のような咆哮。


「もっと来い!!」


その瞬間だった。


脱力していたはずのアウラが、ゆっくり顔を上げる。


黒い瞳。


その奥に、底知れぬ暗闇が宿っていた。


「……ほざくな」


声が変わる。


底冷えするような低音。


「獣の分際で」


空気が凍った。


本能で生きるバルグロスですら、一瞬だけ違和感を覚える。


目の前にいるのは、怒った女ではない。


もっと別の何かだ。


バルグロスは知らない。


この世には。


目覚めさせてはいけない怪物が存在することを。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



薄暗い荒野に、重い風が吹き抜けた。


土煙の中心。


そこに立っていたのは、巨大な影だった。


バルグロスは違和感を覚える。


握り潰したはずの女の頭部。


その感触が、先ほどまでとは明らかに違っていた。


骨ではない。


鋼でもない。


もっと硬質で、生物らしさを感じさせない何か。


「……ハッ」


低い笑いが漏れる。


「何をする気だ」


バルグロスは片腕でアウラを吊り上げたまま、獰猛な目を細めた。


「人造オリハルコンを、どうにか出来るつもりか?」


右腕。


勇者の力そのもの。


己の肉を捨て、聖剣へ変えた異形の義手。


それを、アウラは無造作に掴んでいた。


まるで枝でも握るように。


ギチ――……。


微かな音。


金属が悲鳴を上げる音だった。


バルグロスの笑みが止まる。


「……あ?」


もう一度。


ギギ、ッ――。


今度は確かに聞こえた。


亀裂。


絶対に砕けぬはずの義手へ、ひびが走っている。


アウラの口元が、静かに歪む。


それは初めて見せる表情だった。


冷たい。


あまりにも冷たい嘲笑。


「人造オリハルコン?」


「だとしたら……随分と粗悪品ですね」


黒い瞳が、底冷えする光を宿す。


「私程度で、破壊できるのですから」


次の瞬間。


メギィィィッ!!――という破砕音が響いた。


アウラが。


素手で。


バルグロスの人造聖剣を、捻じ切った。


「――ッ、ぁぁぁぁぁぁッ!!?」


絶叫。


それは痛みに耐える猛獣の咆哮だった。


薬物。


興奮。


狂気。


それらで塗り潰された神経すら貫く激痛。


バルグロスの巨体が初めて崩れる。


だが、アウラは止まらない。


引き千切った義手の残骸。


人造オリハルコンの塊を、そのまま鈍器として振り下ろした。


ゴッ――!!


顔面が潰れる。


さらに。


ゴッ!!


ゴッ!!


ゴッ!!


骨が砕ける音。


血飛沫。


大地が揺れる。


それでもバルグロスは笑っていた。


歯を砕かれながら。


顔を歪めながら。


獣のように。


「……ハ、ハハ……!」


「強ぇじゃねぇか……!」


膝をつく。


だが瞳だけは死んでいない。


強さだけを求め続けた男。


その執念だけが、なお燃えていた。


「なんだ……お前……」


アウラは答えない。


静かに歩み寄る。


その右手が、ゆっくり変色していく。


黒。


深淵のような漆黒。


艶やかな光沢は、まるで生きた金属。


人の腕ではなかった。


ズン――ッ。


空気そのものが沈む。


そこにいたガロードですら、本能的な寒気に眉をひそめる。


バルグロスの意識が霞ぐ。


(……次は)


(もっと強くなる)


(この程度で終わる俺じゃねぇ)


(力が……まだ足りねぇ……!)


どれが最後の思考だったのか。


それは誰にもわからない。


一閃。


アウラの手刀が振るわれた。


それはもはや斬撃だった。


黒い刃。


音すら置き去りにして、バルグロスの首が宙を舞う。


巨躯が崩れ落ちた。


土煙が静かに広がる。


その死体を見下ろしながら、アウラはぽつりと呟いた。


「……”アウラ”に任せていては、この身体が壊れてしまう」


「私の任務の妨げるからな」


その声音は、今までの彼女とは別人だった。


感情がない。


温度もない。


ただ“命令”だけで動く存在の声。


アウラ対バルグロス。


勝敗は決した。


だが。


本当に恐ろしいものは、そこからだった。


アウラ自身すら知らない、もう一つの人格。


帝國が生み出した勇者殺しの系譜。


その片鱗だけが、今、静かに目を覚ましていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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