表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ノエリア編
68/131

巡礼の真実

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



巡礼地点の最奥。


荒野の中央にぽつりと存在するそれは、初見では祭壇などと分からない。


草一本生えぬ黒い大地の上に築かれた、五メートルほどの円形石舞台。


継ぎ目なく削り出された白灰色の石は、幾百年の風雨を受けても欠け一つない。


荒廃した世界の中で、そこだけが時間から取り残されていた。


「……これが、そうなのか」


マリスが地図と方位盤を見比べながら呟く。


疑い深い彼でさえ、足元から伝わる異様な気配に声を潜めていた。


誰より先に歩み出たのはノエリアだった。


赤い衣の裾を揺らし、迷いなく石舞台へ上がる。


その足取りには一片の躊躇もない。


「ここが、巡礼の地です」


澄んだ声が、乾いた空へ静かに広がった。


「ようやく私たちに協力してくれる気になったんですね」


エリオスが微笑む。


その瞳は、やっと願いが叶うことを期待することに満ちている。


一方のノエリアは振り返らない。


「ここまでは、利害の一致と解釈してください」


冷えた返答だった。


その言葉に、セラフィナが小さく眉を寄せる。


ノエリアの視線が、ゆっくりとマリスへ向く。


「あなたで、よろしいのですか」


「……何の話でしょう」


平静を装う声。


だが喉はわずかに強張っていた。


「必要なのは、“選定者”に同意する“同意者”です」


その瞬間、空気が止まった。


「なに……?」


マリスの顔色が変わる。


王国保管庫の文書には、巡礼の地にて儀式を行えば勇者がさらなる力を得る。


そこまでしか記されていなかった。


誰が。


何を代償に。


何を試されるのか。


肝心な部分だけが空白だった。


マリスは当然、それが試練であればエリオスが主役だと思っていた。


「…危険は、ないのですか」


声が少し上ずる。


ノエリアは静かに首を傾げた。


「何も伴わない儀式など、あると本気で考えていたのですか」


その一言は、刃のように鋭かった。


マリスは押し黙る。


彼にはノエリアが、仮面の奥で嘲笑っているようにすら感じた。


横ではエリオスが見ている。


期待と命令を込めた視線で。


ここで拒めば、自分の価値は終わる。


才覚ある者に寄り添い、共に高みに至る。


それがマリスの処世だった。


だが今、その計算は音を立てて狂い始めている。


「頼んだぞ、マリス」


穏やかな声だった。


逃げ道を塞ぐには、十分すぎるほど。


長い沈黙の末、マリスは拳を握る。


「……分かりました。その試練、受けましょう」


ノエリアは何も答えず、両手を胸の前で重ねた。


次の瞬間。


歌が始まる。


人の言葉ではない。


古く、澄み、どこか懐かしい旋律。


「……私の分からない歌…」


セラフィナが呟く。


石舞台の円周に刻まれていた見えぬ紋様が、青白く浮かび上がる。


地面が脈打つ。


風が止む。


セラフィナは祈るように胸元で手を組む。


それでもエリオスだけは微動だにしない。


未知の力を前にしてなお、その瞳には何者にも揺るがないの意思があった。


ノエリアの歌声が、一際高く響く。


するとマリスの正面、何もなかった空間に亀裂が走った。


光が線となり、やがて一枚の扉を形作る。


古木のようにも、金属のようにも見える不思議な扉。


中央には、目を閉じた人の紋章が刻まれていた。


マリスの背に冷たい汗が流れる。


――この先に、何がある。


ノエリアはそこで初めて、エリオスを見た。


その眼差しには従順さも恐れもない。


ただ、確かな意志だけがあった。


「“巡礼の儀”は、“選定者”が“選定者”たるかを試す儀式」


静寂の中、澄んだ声が落ちる。


「“選定者”と共にある“同意者”に、相応しい資質があるか」


「その者が真に“同意”した時のみ、“選定者”は次なる位へ進めます」


エリオスの顔から表情が消える。


「私は見守り、裁定する者」


「すべては、”選定者”の”同意者”に委ねられます」


マリスは扉を見つめたまま動けない。


そして誰もまだ知らない。


ノエリアがこの世界に来た目的を、


力を授けるためではなく――


全く別の目的を秘めていたことに。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



マリスは、扉の前に立ったまま動かなかった。


乾いた荒野に吹く風だけが、衣の裾を揺らしている。


額には、じわりと汗が滲んでいた。


――同意。


その言葉の意味は単純だ。


賛成すること。


認めること。


受け入れること。


ならば難しくはない。


エリオスこそ王国を導く者。


その才覚、力、器量。どれを取っても凡百とは違う。


自分は、その価値に賭けたのだ。


「この私が、エリオス様を証明してみせます」


芝居がかったほど堂々と、マリスは胸を張った。


エリオスは何も言わない。


ただ静かに見つめている。


期待も、命令も、失望も。


その無言の眼差し一つに、すべてが含まれていた。


「姫巫女様。儀式の開始は、この扉をくぐればよろしいのか?」


ノエリアは答えず、ただ一度だけ頷いた。


それが妙に冷たく見えた。


だが、今さら退く道はない。


マリスは唇を引き結び、扉の取っ手へ手を伸ばす。


触れた瞬間。


その姿が、空気へ溶けるように消えた。


「マリス!」


セラフィナの声が鋭く響く。


一歩踏み出しかけた彼女を、ノエリアの声が止めた。


「扉をくぐる意思を示した時点で、儀は始まっています」


「そんな説明は……!」


「必要ありません」


ノエリアの声音には、一切の揺らぎがなかった。


「“同意者”とは、説明を受けて従う者ではなく、自ら理解して選ぶ者です」


その言葉に、エリオスの眉がわずかに動く。


ノエリアは両手を胸元で重ね、静かに歌い始めた。


古い祈りの旋律。


人の言葉ではないはずなのに、胸の奥へ直接触れてくるような歌声だった。


石舞台の紋様が淡く発光し、空気そのものが脈打つ。


 


マリスが目を開けると、世界は白かった。


天も地もなく、境界もない。


ただ、自分だけが存在している。


その正面に、もう一人の自分が立っていた。


同じ顔。


同じ姿。


違うのは、薄く笑っていることだけ。


「なるほど……自己対話の試練か」


余裕を装って言う。


だが喉は乾いていた。


鏡の中のマリスが口を開く。


「お前は、本当にエリオスを信じているのか?」


声は、自分そのものだった。


「当然だ。彼こそ世界を救う器だ」


「では、なぜ彼が敗れた時の保身策を用意したのだ?」


心臓が跳ねた。


この虚像は自分にしかわからないことを知っている。


「……慎重と言え」


だが、次に耳に届いた言葉は、マリスの表情を凍らせるに十分だった。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」


「何だ、何を言っている?」


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」


「馬鹿な、そんなことに同意できる人間などいるものか!」


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」


「黙れ! 謀っているのか姫巫女!!」


白い空間に怒声が走る。


鏡の自分は、なお穏やかに笑う。


「お前は誰にも同意していない」


「”同意者”の資質ない者」


「お前は何も選べない」


マリスの顔が引きつった。


糸が走る。


無数の魔糸が鏡像へ絡みつき、首を締め上げる。


「私は違う! 私は選んだ! 私は――!」


だが絞まっていくのは、鏡像の首ではなかった。


自分の喉だった。


 


歌が止む。


現実へ戻った石舞台の前で、マリスは膝をついたまま痙攣していた。


両手の魔糸が、自らの首へ深く食い込んでいる。


「やめてください!」


セラフィナが駆け寄る。


糸を断ち切った時には、もう遅かった。


マリスの瞳から光は消えていた。


荒野に、重い沈黙が落ちる。


エリオスですら言葉を失う。


ノエリアは初めて明確な動揺を見せた。


「……そんな」


白い唇が震える。


「選定が、まだ生きている」


誰に向けた言葉でもなかった。


遥かな過去へ呼びかけるように、彼女は祭壇を見上げる。


「フィデリア……あなたは、まだ待ち続けていると言うのですが」


「選定のその先を……!」


かつて厄災の蛇と相討ちになり、世界を救った伝説の姫巫女と呼ばれたノエリアの姉妹。


その意志が、今なおこの地で、この世界で生きている。


「何を考えているのですか……!」


ノエリアの声が震える。


同じ裁定者であるフィデリアなのに、ノエリアには彼女の考えがわからなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



石舞台を包む空気は、先ほどまでの熱とは異なる緊張に満ちていた。


白灰色の祭壇。


青白く脈打つ紋様。


その中央で、ノエリアだけが静かに立っている。


足元には、首へ魔糸を食い込ませたまま絶命したマリス。


見開かれた瞳には、最期まで理解できなかった恐怖だけが残されていた。


「……そんな」


セラフィナの声が震える。


理知的で感情を抑えてきた彼女でさえ、目の前の現実をすぐには受け止められなかった。


つい先ほどまで策を語り、勝利を疑わなかったマリスが、自らの手で自らを殺したのだ。


エリオスは無言だった。


ただ倒れたマリスを見下ろし、その双眸だけが刃のように細められている。


「説明してもらおうか、ノエリア」


低く抑えた声。


激情を押し殺した者の声音だった。


ノエリアはマリスの傍らへ歩み寄ると、そっとその瞼を閉じさせた。


死者への慈悲にも見えたし、敗者への区切りにも見えた。


「“巡礼の儀”は、虚偽は通じません」


その言葉に、セラフィナがはっと顔を上げる。


「虚偽……?」


「選定者に同意するとは、口先で認めることではありません」


ノエリアの声は静かで、どこまでも澄んでいた。


「選定者を見て、知って、なお共に進むと決めた魂の在り方が問われるのです」


セラフィナの胸が冷えた。


同意とは契約ではない。


忠誠でも命令でもない。


心の最奥にある、偽れぬ選択。


熱風が石舞台を吹き抜ける。


マリスの長い白髪が、力なく揺れた。


「彼は、あなたの理想に同意したのではありません」


ノエリアはエリオスを見据える。


「勝者に乗り、自らも高みに立つ未来に同意していただけです」


セラフィナは唇を強く結んだ。


否定したかった。


だが思い返せば、マリスの言葉には常に損得があった。


忠義を語りながら、自分の利益を量っていた。


「……では、彼は試されたのですね」


「はい」


ノエリアは頷く。


「真実を見せられ、それでもなお“同意するか”を問われた」


「問われたのです」


「自分自身を」


静寂が落ちる。


エリオスが一歩、前へ出た。


その足音だけが妙に重く響いた。


「つまり、私の側近は相応しくなかったと」


ノエリアは答えない。


沈黙そのものが答えだった。


「……私には、相応しい者が必要だ」


その声に、部下を失った悲しみはなかった。


あったとしても、便利な駒を失った程度の痛み。


セラフィナの肩がわずかに震える。


その揺らぎを、ノエリアは見逃さなかった。


「まだ分からないのですか、偽りの”選定者”」


初めて、彼女の声音に冷たい怒気が宿る。


「この儀は、あなたに力を授けるためのものではありません」


エリオスの眉がぴくりと動いた。


「私が、この世界の召喚に応じたのは――」


ノエリアの赤い衣が、風に翻る。


「“選定”を行うためではありません」


 


祭壇の紋様が強く明滅する。


「選定を止めるためです!」


その宣言は雷鳴のように荒野へ響いた。


セラフィナが息を呑む。


エリオスの瞳に、初めて明確な困惑が走った。


勇者として選ばれるために歩んできた男にとって、それは世界そのものからの否定に等しい。


ノエリアはまっすぐ彼を見つめる。


「あなた方は勘違いしている」


「”選定者”は世界を作る存在ではありません」


「”選定者”は…」


禁則が阻み、ノエリアはそれ以上、声を出さない。


裁定者ノエリアと選定の終わりが始まる。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ