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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ノエリア編
67/133

だが――その程度で

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



もう一方の戦場。


巡礼地点の外縁部。


砕けた岩柱が林立し、硝子化した地面が陽光を鈍く照り返している。熱を孕んだ風が吹くたび、砂と灰が渦を巻いた。


その中央で、ガロードとアルセイドは向かい合っていた。


二人の間に、語るべき思想はない。


ガロードにとっては、ノエリアを泣かせた連中の一味。


アルセイドにとっては、秩序を乱す野獣。


それで十分だった。


アルセイドは静かに立つ。


白銀の髪が風に揺れ、二振りの刀はまだ鞘に収まったまま。


隙だらけに見えるのに、近づくほど喉元へ刃を突きつけられているような圧迫感があった。


「来ねえのか」


ガロードが拳を鳴らす。


耳の上の狼耳がぴくりと動き、琥珀の瞳が細まる。


「君が来るべきだろう」


アルセイドの声は低く、温度がない。


「獣は待てを知らないと聞いていたが」


「……言ってくれんじゃねえか」


次の瞬間、ガロードの姿が消えた。


爆ぜるような踏み込み。


一直線に懐へ飛び込み、拳を叩き込む。


だが、手応えは空を打った。


アルセイドは半歩だけずれていた。


それだけで致命の間合いを外している。


「遅い」


抜刀。


視えた時には、すでに終わっていた。


ガロードは本能だけで身を捻る。


銀線が頬を掠め、背後の岩柱が音もなく斜めに滑り落ちた。


切断面は磨いた鏡のように滑らかだった。


一拍遅れて、ガロードの頬から血が伝う。


「……ちっ」


舌打ちと同時に笑う。


恐怖より先に、血が熱くなる性質だった。


「いいじゃねえか」


傷口を親指で拭い、その血を見て牙を覗かせる。


「少しは楽しめそうだ」


再び突進。


今度は直線ではない。


右へ、左へ、不規則に軌道を変え、獣のような低姿勢で迫る。


アルセイドは二刀を抜いた。


黒と白。


対になる刃が交差し、風そのものを裂く。


拳と刀がぶつかる。


鋼のような前腕で受け止めたガロードの腕に火花が散った。


「素手で受けるか。愚かだな」


「噛みつく時、いちいち手袋なんざしねえだろ」


蹴り上げる。


アルセイドは後方へ跳ぶが、追撃の拳圧が外套を裂いた。


初めて、その目が細くなる。


「なるほど。膂力だけではないか」


「今さら気づいたのかよ」


ガロードは地を蹴る。


裂けた地面が砕け、砂塵が爆ぜた。


左右から連打。


肘打ち、掌底、回し蹴り。


型などない。


だが一撃一撃が獣の狩りそのものだった。


アルセイドは最短距離でそれを捌く。


刃の腹で逸らし、柄で急所を打ち、最小限の動きで反撃する。


美しい戦い方だった。


完成された技。


だが、そこに熱はない。


「君の行動原理は単純だな」


斬撃が走る。


ガロードの肩口が裂け、鮮血が舞う。


「守る、怒る、殴る。それだけだ」


「それで十分だろ」


ガロードは止まらない。


流れる血すら構わず踏み込む。


「難しいこと考えてる暇に、泣いてる奴ぁ死ぬんだよ!」


拳が振り抜かれた。


アルセイドは受けた。


受けたはずだった。


だが衝撃は想定を超え、身体ごと十数歩も滑らされる。


靴底が硝子の地面を削り、白い筋を刻んだ。


沈黙。


風だけが吹く。


アルセイドは自らの痺れた腕を見る。


そして、初めて薄く笑った。


「……面白い」


対するガロードは肩の傷を乱暴に押さえ、牙を剥く。


「やっと本気出す気になったか、蛇野郎」


二人の殺気が、荒野の熱気を塗り替えていく。


力と力。


理性と本能。


次の一撃こそ、互いの骨を砕くと理解しながら。


それでも二人は、同時に地を蹴った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「惜しいな」


アルセイドの声は静かだった。


灼けた荒野を渡る熱風の中で、その声音だけが異様に冷えている。


白銀の髪を揺らし、二刀を下げたまま青年は立つ。


「こちら側に生まれていれば、君はもっと価値ある存在になれた」


視線は獲物を見るそれではない。


素材を値踏みする職人の目だった。


「誇りも秩序も持たぬまま朽ちるには、惜しい資質だ」


「はっ」


ガロードは口端の血を親指で拭い、砂へ吐き捨てる。


「上から物言う癖、ほんと気に食わねえな」


次の瞬間、地面が爆ぜた。


脚力だけで空気を裂く、人狼種特有の加速。


筋肉の収縮と反発だけで生まれる、純粋な暴力的速度だった。


ガロードの拳が横薙ぎに走る。


側頭部を砕く必殺の軌道。


だが。


アルセイドは、わずかに首を傾けただけだった。


拳は鼻先を掠めて空を切る。


「な……!」


「読める」


黒刃が閃いた。


脇腹が裂ける。


続けざまに白刃が肩を抉る。


さらに返しの一撃が腿を浅く断ち、遅れて鮮血が噴いた。


音より早い三連撃。


ガロードは咄嗟に後退し、爪先で地面を削って止まる。


熱い。


痛みより先に、危険だけが肌を刺した。


(こいつ……先に俺の動きを……!)


踏み込みの角度。


重心移動。


次に狙う急所。


獣の勘で選んだ最短距離すら、先回りされている。


アルセイドは静かに歩み寄った。


砂を踏む足音すら整然としている。


「君は粗い」


「ゆえに選択肢が少ない」


二刀を交差させ、淡々と告げる。


「本能は優れた演算装置だ」


「だが、所詮は経験則の集積に過ぎない」


人造勇者として鍛えられた肉体。


聖剣の加護による強化。


視線、呼吸、筋肉の収縮を読む観察眼。


それら全てを同時に処理し、最適解だけを選び続ける戦闘思考。


派手さはない。


だが現実として、強い。


黒刃が振り下ろされる。


ガロードは拳で軌道を逸らした。


だがその瞬間、白刃の柄頭が鳩尾へめり込む。


肺の空気が潰れた。


さらに回し蹴り。


細身の身体から放たれたとは思えぬ衝撃で、ガロードの体が吹き飛ぶ。


岩柱へ叩きつけられ、石片が弾けた。


「崇高な思想なく戦う者の限界だ」


アルセイドは感情なく言う。


「力とは、選ばれた者が持つ責任だ」


「君のような衝動任せの獣が振るっていいものではない」


沈黙が落ちる。


砕けた岩の奥で、影がゆっくり立ち上がった。


肩から血を流し、呼吸は荒い。


それでも琥珀の瞳だけは死んでいない。


「……まだ立つか」


「……当然だろ」


ガロードは首を鳴らし、崩れた岩を蹴り飛ばす。


裂けた傷口が、じわじわと塞がり始めていた。


獣じみた回復力。


口端から覗く犬歯が獰猛に笑う。


「お前は強い」


その言葉に嘘はない。


「頭も回る。技もある。今までそうやって勝ってきたんだろうな」


一歩。


また一歩。


血の跡を残しながら近づく。


「だがよ」


狼耳がぴんと立つ。


鼻先が風を嗅ぐように動いた。


「お前には、誰か守って傷だらけになった匂いがしねえ」


アルセイドの目が細まる。


「そんな奴を――勇者とは認められねえな」


拳を握る。


骨が軋む音が鳴った。


「なんせ俺は、未来の“魔王”になる男だ」


その瞬間。


アルセイドの無表情に、初めて明確な怒気が宿る。


「ならば私は“勇者”として、魔王を討つまでだ」


熱風が唸った。


荒野の空気そのものが、次の激突を恐れるように震えていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



戦場は、すでに終局の色を帯びていた。


硝子化した荒野には、無数の斬痕と拳痕が刻まれている。


砕けた岩肌。飛び散った血。焼けた砂の匂い。


熱風だけが、敗者と勝者を区別せず吹き抜けていた。


その中心で、アルセイドは静かに笑った。


外套は裂け、銀の髪には砂が絡む。


それでも姿勢は崩れていない。


二刀を構えるその姿は、なお研ぎ澄まされた刃そのものだった。


対するガロードも満身創痍だった。


肩は裂け、脇腹から血が流れ、呼吸も荒い。


だが琥珀の瞳だけは、まだ獣の火を失っていない。


「ここまで食らいつくとは見事だ」


アルセイドの声は冷静だった。


「だが、君はここで終わる」


次の瞬間。


ガロードが地を砕いて突進した。


爆ぜるような加速。


人狼種の脚力が生む、純粋な暴威。


アルセイドの瞳が細まる。


癖。呼吸。間合い。視線。殺気。


人は動く前に、必ず兆しを見せる。


彼はそれを読む天才だった。


――左から来る。


――違う、牽制。


――本命は膝蹴り。


先読みした斬撃が閃く。


だが。


ガロードはその黒刃を、素手で掴んだ。


金属が軋む。


掌から血が噴く。


それでも離さない。


しかも掴んだ位置は鍔元。


もっとも力の乗らぬ一点だった。


「な……」


アルセイドの予測線が、そこで消えた。


読めない。


理解できない。


合理性も、勝率も、常識も捨てた一手。


死を恐れぬ獣の踏み込み。


それは彼の世界に存在しない選択だった。


「なぜだ……なぜ貴様は……!」


初めて声が乱れる。


ガロードは牙を見せて笑った。


「言ったろ。俺は魔王になる男だって」


掴んだ刃を強引に引き寄せる。


体勢の崩れたアルセイドの懐へ、拳がめり込んだ。


肺の空気が吐き出される。


さらに肘。膝。踵。


獣じみた連撃が、理知の鎧を粉砕していく。


アルセイドはなお白刃を振るう。


だが、その太刀筋には迷いが混じっていた。


「失敗したら……死ぬんだぞ……!」


絞り出すような声。


「そうかもな」


ガロードは肩で息をしながら答える。


「でも、獣ってそういうもんだろ」


最後の一撃。


踏み込みと共に放たれた拳が、アルセイドの胸を貫くように突き刺さった。


細身の身体が宙を舞い、黒い岩壁へ叩きつけられる。


崩れ落ちた砂煙の中、二刀が乾いた音を立てて転がった。


アルセイドは膝をついたまま、立てない。


その瞳から、確信だけが失われていた。


勝者こそ正しい。


強者こそ選ばれる。


優れた者こそ導く。


その全てを、目の前の男は理屈なく打ち砕いた。


「この私が……負ける……?」


もうそこに副団長の威厳はなかった。


「それでも私は……正しかったはずだ」


ガロードはゆっくり近づく。


血まみれの拳を握ったまま、見下ろす。


「お前は強かった」


率直な言葉だった。


「頭も回る。技もあった」


一拍置く。


そして、冷たく告げた。


「だが――その程度で世界を救うな」


熱風が吹いた。


その言葉だけが、敗者の胸に深く突き刺さっていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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