だが――その程度で
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
もう一方の戦場。
巡礼地点の外縁部。
砕けた岩柱が林立し、硝子化した地面が陽光を鈍く照り返している。熱を孕んだ風が吹くたび、砂と灰が渦を巻いた。
その中央で、ガロードとアルセイドは向かい合っていた。
二人の間に、語るべき思想はない。
ガロードにとっては、ノエリアを泣かせた連中の一味。
アルセイドにとっては、秩序を乱す野獣。
それで十分だった。
アルセイドは静かに立つ。
白銀の髪が風に揺れ、二振りの刀はまだ鞘に収まったまま。
隙だらけに見えるのに、近づくほど喉元へ刃を突きつけられているような圧迫感があった。
「来ねえのか」
ガロードが拳を鳴らす。
耳の上の狼耳がぴくりと動き、琥珀の瞳が細まる。
「君が来るべきだろう」
アルセイドの声は低く、温度がない。
「獣は待てを知らないと聞いていたが」
「……言ってくれんじゃねえか」
次の瞬間、ガロードの姿が消えた。
爆ぜるような踏み込み。
一直線に懐へ飛び込み、拳を叩き込む。
だが、手応えは空を打った。
アルセイドは半歩だけずれていた。
それだけで致命の間合いを外している。
「遅い」
抜刀。
視えた時には、すでに終わっていた。
ガロードは本能だけで身を捻る。
銀線が頬を掠め、背後の岩柱が音もなく斜めに滑り落ちた。
切断面は磨いた鏡のように滑らかだった。
一拍遅れて、ガロードの頬から血が伝う。
「……ちっ」
舌打ちと同時に笑う。
恐怖より先に、血が熱くなる性質だった。
「いいじゃねえか」
傷口を親指で拭い、その血を見て牙を覗かせる。
「少しは楽しめそうだ」
再び突進。
今度は直線ではない。
右へ、左へ、不規則に軌道を変え、獣のような低姿勢で迫る。
アルセイドは二刀を抜いた。
黒と白。
対になる刃が交差し、風そのものを裂く。
拳と刀がぶつかる。
鋼のような前腕で受け止めたガロードの腕に火花が散った。
「素手で受けるか。愚かだな」
「噛みつく時、いちいち手袋なんざしねえだろ」
蹴り上げる。
アルセイドは後方へ跳ぶが、追撃の拳圧が外套を裂いた。
初めて、その目が細くなる。
「なるほど。膂力だけではないか」
「今さら気づいたのかよ」
ガロードは地を蹴る。
裂けた地面が砕け、砂塵が爆ぜた。
左右から連打。
肘打ち、掌底、回し蹴り。
型などない。
だが一撃一撃が獣の狩りそのものだった。
アルセイドは最短距離でそれを捌く。
刃の腹で逸らし、柄で急所を打ち、最小限の動きで反撃する。
美しい戦い方だった。
完成された技。
だが、そこに熱はない。
「君の行動原理は単純だな」
斬撃が走る。
ガロードの肩口が裂け、鮮血が舞う。
「守る、怒る、殴る。それだけだ」
「それで十分だろ」
ガロードは止まらない。
流れる血すら構わず踏み込む。
「難しいこと考えてる暇に、泣いてる奴ぁ死ぬんだよ!」
拳が振り抜かれた。
アルセイドは受けた。
受けたはずだった。
だが衝撃は想定を超え、身体ごと十数歩も滑らされる。
靴底が硝子の地面を削り、白い筋を刻んだ。
沈黙。
風だけが吹く。
アルセイドは自らの痺れた腕を見る。
そして、初めて薄く笑った。
「……面白い」
対するガロードは肩の傷を乱暴に押さえ、牙を剥く。
「やっと本気出す気になったか、蛇野郎」
二人の殺気が、荒野の熱気を塗り替えていく。
力と力。
理性と本能。
次の一撃こそ、互いの骨を砕くと理解しながら。
それでも二人は、同時に地を蹴った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「惜しいな」
アルセイドの声は静かだった。
灼けた荒野を渡る熱風の中で、その声音だけが異様に冷えている。
白銀の髪を揺らし、二刀を下げたまま青年は立つ。
「こちら側に生まれていれば、君はもっと価値ある存在になれた」
視線は獲物を見るそれではない。
素材を値踏みする職人の目だった。
「誇りも秩序も持たぬまま朽ちるには、惜しい資質だ」
「はっ」
ガロードは口端の血を親指で拭い、砂へ吐き捨てる。
「上から物言う癖、ほんと気に食わねえな」
次の瞬間、地面が爆ぜた。
脚力だけで空気を裂く、人狼種特有の加速。
筋肉の収縮と反発だけで生まれる、純粋な暴力的速度だった。
ガロードの拳が横薙ぎに走る。
側頭部を砕く必殺の軌道。
だが。
アルセイドは、わずかに首を傾けただけだった。
拳は鼻先を掠めて空を切る。
「な……!」
「読める」
黒刃が閃いた。
脇腹が裂ける。
続けざまに白刃が肩を抉る。
さらに返しの一撃が腿を浅く断ち、遅れて鮮血が噴いた。
音より早い三連撃。
ガロードは咄嗟に後退し、爪先で地面を削って止まる。
熱い。
痛みより先に、危険だけが肌を刺した。
(こいつ……先に俺の動きを……!)
踏み込みの角度。
重心移動。
次に狙う急所。
獣の勘で選んだ最短距離すら、先回りされている。
アルセイドは静かに歩み寄った。
砂を踏む足音すら整然としている。
「君は粗い」
「ゆえに選択肢が少ない」
二刀を交差させ、淡々と告げる。
「本能は優れた演算装置だ」
「だが、所詮は経験則の集積に過ぎない」
人造勇者として鍛えられた肉体。
聖剣の加護による強化。
視線、呼吸、筋肉の収縮を読む観察眼。
それら全てを同時に処理し、最適解だけを選び続ける戦闘思考。
派手さはない。
だが現実として、強い。
黒刃が振り下ろされる。
ガロードは拳で軌道を逸らした。
だがその瞬間、白刃の柄頭が鳩尾へめり込む。
肺の空気が潰れた。
さらに回し蹴り。
細身の身体から放たれたとは思えぬ衝撃で、ガロードの体が吹き飛ぶ。
岩柱へ叩きつけられ、石片が弾けた。
「崇高な思想なく戦う者の限界だ」
アルセイドは感情なく言う。
「力とは、選ばれた者が持つ責任だ」
「君のような衝動任せの獣が振るっていいものではない」
沈黙が落ちる。
砕けた岩の奥で、影がゆっくり立ち上がった。
肩から血を流し、呼吸は荒い。
それでも琥珀の瞳だけは死んでいない。
「……まだ立つか」
「……当然だろ」
ガロードは首を鳴らし、崩れた岩を蹴り飛ばす。
裂けた傷口が、じわじわと塞がり始めていた。
獣じみた回復力。
口端から覗く犬歯が獰猛に笑う。
「お前は強い」
その言葉に嘘はない。
「頭も回る。技もある。今までそうやって勝ってきたんだろうな」
一歩。
また一歩。
血の跡を残しながら近づく。
「だがよ」
狼耳がぴんと立つ。
鼻先が風を嗅ぐように動いた。
「お前には、誰か守って傷だらけになった匂いがしねえ」
アルセイドの目が細まる。
「そんな奴を――勇者とは認められねえな」
拳を握る。
骨が軋む音が鳴った。
「なんせ俺は、未来の“魔王”になる男だ」
その瞬間。
アルセイドの無表情に、初めて明確な怒気が宿る。
「ならば私は“勇者”として、魔王を討つまでだ」
熱風が唸った。
荒野の空気そのものが、次の激突を恐れるように震えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦場は、すでに終局の色を帯びていた。
硝子化した荒野には、無数の斬痕と拳痕が刻まれている。
砕けた岩肌。飛び散った血。焼けた砂の匂い。
熱風だけが、敗者と勝者を区別せず吹き抜けていた。
その中心で、アルセイドは静かに笑った。
外套は裂け、銀の髪には砂が絡む。
それでも姿勢は崩れていない。
二刀を構えるその姿は、なお研ぎ澄まされた刃そのものだった。
対するガロードも満身創痍だった。
肩は裂け、脇腹から血が流れ、呼吸も荒い。
だが琥珀の瞳だけは、まだ獣の火を失っていない。
「ここまで食らいつくとは見事だ」
アルセイドの声は冷静だった。
「だが、君はここで終わる」
次の瞬間。
ガロードが地を砕いて突進した。
爆ぜるような加速。
人狼種の脚力が生む、純粋な暴威。
アルセイドの瞳が細まる。
癖。呼吸。間合い。視線。殺気。
人は動く前に、必ず兆しを見せる。
彼はそれを読む天才だった。
――左から来る。
――違う、牽制。
――本命は膝蹴り。
先読みした斬撃が閃く。
だが。
ガロードはその黒刃を、素手で掴んだ。
金属が軋む。
掌から血が噴く。
それでも離さない。
しかも掴んだ位置は鍔元。
もっとも力の乗らぬ一点だった。
「な……」
アルセイドの予測線が、そこで消えた。
読めない。
理解できない。
合理性も、勝率も、常識も捨てた一手。
死を恐れぬ獣の踏み込み。
それは彼の世界に存在しない選択だった。
「なぜだ……なぜ貴様は……!」
初めて声が乱れる。
ガロードは牙を見せて笑った。
「言ったろ。俺は魔王になる男だって」
掴んだ刃を強引に引き寄せる。
体勢の崩れたアルセイドの懐へ、拳がめり込んだ。
肺の空気が吐き出される。
さらに肘。膝。踵。
獣じみた連撃が、理知の鎧を粉砕していく。
アルセイドはなお白刃を振るう。
だが、その太刀筋には迷いが混じっていた。
「失敗したら……死ぬんだぞ……!」
絞り出すような声。
「そうかもな」
ガロードは肩で息をしながら答える。
「でも、獣ってそういうもんだろ」
最後の一撃。
踏み込みと共に放たれた拳が、アルセイドの胸を貫くように突き刺さった。
細身の身体が宙を舞い、黒い岩壁へ叩きつけられる。
崩れ落ちた砂煙の中、二刀が乾いた音を立てて転がった。
アルセイドは膝をついたまま、立てない。
その瞳から、確信だけが失われていた。
勝者こそ正しい。
強者こそ選ばれる。
優れた者こそ導く。
その全てを、目の前の男は理屈なく打ち砕いた。
「この私が……負ける……?」
もうそこに副団長の威厳はなかった。
「それでも私は……正しかったはずだ」
ガロードはゆっくり近づく。
血まみれの拳を握ったまま、見下ろす。
「お前は強かった」
率直な言葉だった。
「頭も回る。技もあった」
一拍置く。
そして、冷たく告げた。
「だが――その程度で世界を救うな」
熱風が吹いた。
その言葉だけが、敗者の胸に深く突き刺さっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




