正しさに縛られた少年
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日後。
『蒼天盟約軍』は、古き聖域――巡礼地点へと到達していた。
空は高く、雲ひとつない。
だが地上には生命の気配がなかった。
盆地の中央に広がるのは、果ての見えぬ荒野。
草木は枯れ、土は灰色にひび割れている。
「本当に、ここなのか?」
シンの声は、乾いた風にさらわれた。
「はい。ここが“勇者の儀”の巡礼地点です」
ノエリアは淡々と答える。
その横顔に感情は読み取れない。
マリスが地面へ膝をつき、砂をすくった。
掌から零れた粒の中に、陽光を返す透明な欠片が混じる。
「溶けた石です。過去、この地で幾度も聖剣が振るわれた証でしょう」
ルーナが息を呑んだ。
「石まで焼く戦いって……冗談でしょ」
誰も笑わなかった。
ノエリアは説明を終えると、そのまま奥へ歩き出す。
「ようやく我々に協力する気になったのですか」
セラフィナが問う。
「いいえ」
足を止めず、ノエリアは言った。
「私の目的地も、ここだっただけです」
その一言に、場の空気がわずかに張る。
沈黙のまま進軍が続いた、その時だった。
「待ちやがれぇぇッ!」
荒野に響いた怒号。
全員が振り向く。
逆光の中、二つの影が立っていた。
ひとつは銀の耳を揺らす狼人の青年。
もうひとつは、赤褐色の髪を風に揺らす少年。
「やっぱり、こういう登場は恥ずかしいよ兄貴……」
「うるせぇ! 勢いが大事なんだよ!」
ガロードと、レックスだった。
ノエリアの瞳が、大きく揺れる。
「……レックス、ガロード」
その名は、かすれていた。
「「レックス!?」」
シンとルーナの声が重なる。
生きていた。
それだけで胸を打つ事実だった。
だがレックスの視線は、二人を見ても晴れない。
――やっぱり、そこにいるんだね。
責めるでもなく、悲しむでもなく。
ただ静かな現実を受け止める眼差しだった。
「やい、悪漢ども! ノエリアを返してもらうぞ!」
ガロードが拳を鳴らす。
「悪漢、か。短絡的な評価だな」
アルセイドが一歩前へ出た。
次の瞬間、銀閃。
抜刀と同時に距離を潰す。
だがガロードは紙一重で躱し、牙を見せて笑った。
「へぇ。速ぇな」
「君も、獣の勘だけではないらしい」
二人の間に火花のような殺気が走る。
「それはじゃぁ、俺の相手はあれか」
バルグロスはレックスとガロードのさらに後ろに陣取る存在を見据える。
黒衣のメイド服を纏ったアウラ。
バルグロスはアウラの纏う何かを感じ、戦闘態勢を整えた。
レックスは棍棒を背から下ろす。
「ノエリア。僕は君と話をしに来た」
真っ直ぐな声だった。
ノエリアは信じられないものを見るように、ただ立ち尽くす。
マリスが静かに告げる。
「皆さん、彼らの排除をおねがいします」
「エリオス様、儀式の準備を」
エリオスはレックスを一瞥し、何も言わず歩き去った。
対峙する二人の少年。
レックスとシン。
「……レックス」
シンが聖剣の柄を握る。
「……邪魔するのか」
「邪魔、か」
レックスは苦く笑った。
「君はまだ、そうやって分けるんだね」
「何?」
「味方と敵。守る人間と、切り捨てる人間」
風が吹き抜ける。
「そうしなきゃ守れないんだ!」
シンの声が荒れた。
「迷えば失う! 俺は知ってる!」
「……うん。君が痛いほど知ってることも、分かるよ」
レックスは否定しない。
だからこそ、シンの胸がざわついた。
「でも」
少年の赤い瞳が、静かに細まる。
「誰かを守るために、誰かの声を最初から聞かないなら」
「それは本当に、守ったことになるのかな」
聖剣を握る手に力が入る。
シンの正義。
レックスの優しさ。
どちらも誰かを救いたい願いから始まっている。
だからこそ、容易に譲れない。
荒野の中央で、二人は再び向かい合った。
過去の敵としてではない。
それぞれの選んだ“正しさ”を背負って。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
灼けた風が、荒野を舐めるように吹き抜けていた。
聖域――巡礼地点。
空はどこまでも澄み、高い。
だが地には、命の色がひとつもない。
抉れた地面。
焼け爛れ、硝子のように固まった黒岩。
かつて幾千もの刃と祈りが交錯した痕跡だけが、静かに残されていた。
その中央で、二人の少年が向かい合う。
「ルーナ、絶対に手は出さないでくれ」
シンの声は鋭かった。
ルーナは不満げに唇を尖らせながらも、数歩退く。
その視線はレックスから離れない。
シンは続けて周囲へ目を走らせ、聖剣を横薙ぎに振るった。
赤い閃光。
張り巡らされていた透明な魔糸が、次々と断ち切られる。
マリスの仕掛けた拘束術式だった。
「あんたもだ、マリス。”俺の戦い”に手を出すな」
マリスは肩をすくめる。
「青いですね、実に」
それだけ言い残し、エリオスたちの後を追った。
残されたのは、勇者シンと、レックス。
互いに数歩。
それだけで空気が張りつめる。
「……生きてたんだな」
先に口を開いたのはシンだった。
怒りにも、安堵にも聞こえる声。
「君こそ」
レックスは小さく笑う。
「ルーナさんも無事でよかった」
その言葉に、シンの眉が跳ねた。
「……なんで、そんなこと言えるんだよ」
「え?」
「俺たちはお前を斬った。殺しかけた敵なんだぞ!」
聖剣の柄が軋む。
「なのに、なんで俺たちの心配なんかする!」
叫びは怒声ではなく、悲鳴に近かった。
レックスは少しだけ目を伏せる。
「あの時、君たちは本気だった」
「守りたい人がいたんだろ」
「それは、たぶん責められることじゃないよ」
「……っ!」
シンの奥歯が鳴る。
理解されたくなかった。
許されたくもなかった。
正しかったと認められたいわけでもない。
間違っていたと断じられるのも怖い。
その揺らぎごと、目の前のレックスは見抜いていた。
「ふざけるな!」
シンが踏み込む。砂塵が舞う。
「敵なら敵らしくしろ!」
「俺たちを恨め! 憎め!」
「そうすれば、俺だって……!」
言葉が途切れた。
レックスは静かに問い返す。
「君は、僕に恨まれたいの?」
その一言が、鋭く胸を穿つ。
シンの呼吸が乱れた。
「……違う」
「じゃあ、何なんだよ……」
声は急速に弱くなる。
「俺は……どうすれば、よかったんだ」
荒野に、その呟きだけが落ちた。
レックスはすぐに答えなかった。
風が二人の間を吹き抜ける。
やがて、穏やかな声が響く。
「たぶん、君が選んだことは、君なりに正しかったんだと思う」
シンが顔を上げる。
「でも、誰かにとって正しいことが、別の誰かを傷つけることもある」
「だから、人は苦しむんだと思う」
レックスは自嘲するように笑った。
「僕だって同じだよ」
棍棒を下ろし、握り直す。
「ノエリアを取り戻したい」
「だから、君たちの邪魔をする」
「それが正しいかなんて、分からない」
赤い瞳が、真っ直ぐシンを射抜いた。
「でも――」
その声は静かで、揺るがない。
「正しさだけで、人を選びたくない」
シンの目が見開かれる。
「強いから」
「勇者だから。役目だから」
「そんな理由だけで、誰かの隣に立つ人間を決めたくない」
「ノエリアが誰といるかも、誰を信じるかも」
「誰かの正義で決めちゃいけないんだ」
荒野が沈黙した。
迷いながら立つ少年。
しかし、迷いを持っていても、それでも進む少年。
それは、シンが最も恐れていた強さだった。
「……レックス」
聖剣の切っ先が、ゆっくり下がる。
「俺は、お前が気に食わない」
「うん」
「でも……少し、羨ましい」
レックスは困ったように笑う。
「買いかぶりだよ」
遠くでは、ガロードとアルセイド、アウラとバルグロスの殺気がぶつかり始めていた。
巡礼地点は、再び戦場へ変わろうとしている。
シンは聖剣を握り直す。
迷いは消えていない。
むしろ、前より増えていた。
それでも。
「……来い、レックス」
「うん」
少年たちは構える。
正しさのためではない。
自分で選ぶために。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
聖域――巡礼地点。
灼けた風が、硝子化した荒野を走り抜ける。
かつて聖剣の熱が大地を焼いた痕跡は、今も黒く鈍く光っていた。
その中央で、レックスとシンは激しく打ち合っていた。
棍棒と聖剣。
重い衝突音が乾いた空へ響く。
聖剣が唸り、棍棒が迎え撃つ。
衝突した衝撃で、黒い大地が砕け散るようなぶつかり合い。
二人の戦いに駆け引きはない。
迷いも怒りも、真正面からぶつけ合うだけだった。
「なぜ俺たちの邪魔をする!」
シンが踏み込み、鋭い斬撃を放つ。
「お前だって平和を作りたいんだろ!」
レックスは身を捻り、その刃を受け流した。
足元の砂が弾ける。
「悪いことを正そうとするのは、間違ってない」
短く答え、棍棒を振り抜く。
シンは聖剣で受け止め、火花が散った。
「僕だって平和は望んでる」
互いの武器が押し合い、腕が震える。
「だけど――誰かを道具にしてまで作る平和を、正しいとは認められない」
その言葉に、シンの表情が歪んだ。
「……っ!」
力任せに押し返し、距離を取る。
「だったら俺の家族はどうなる!」
叫びは怒号というより、悲鳴だった。
「平和のための犠牲だったって言うのか!」
踏み込み、斬る。
斬って、斬って、なお止まらない。
脳裏に焼けた家が蘇る。
血の臭い。
泣く妹。
震える手に握った剣。
あの日から、シンは信じてきた。
敵を討てば、誰かを守れる。
迷わなければ、二度と失わないと。
レックスの突きが胸元へ迫る。
シンは咄嗟に防いだ。
「だったら君は!」
レックスの声が荒野に響く。
「君自身が不幸にならないと、誰も救えないのか!」
シンの動きが止まる。
「それで勇者なんて名乗るな!」
その一言は、刃より深く刺さった。
勇者になりたかった。
誰かを守るために。
失ったものを償うために。
泣いていた妹へ、せめて胸を張れる自分になるために。
なのに。
「守るためにノエリアを差し出した瞬間」
レックスが踏み込む。
――想いを込めた剣は何より重い!
重い一撃が聖剣を揺らした。
「君たちは、もう守る側じゃない」
「やめろ……!」
「君の家族が奪われた痛みを知ってるなら、同じことをしていい理由にはならない!」
シンの呼吸が乱れる。
認めたくなかった。
ここで認めれば、自分が積み上げたものが崩れてしまう。
「うるさい!」
叫びと共に剣を振るう。
「何も失ったことのないお前に、何がわかる!」
そこで声が詰まった。
次の瞬間、涙が溢れた。
「妹が……助けてって……言ってたんだ……!」
声が震える。
「なのに俺は……何も……!」
レックスは、その姿をまっすぐ見つめた。
「今、僕らはノエリアさんを失おうとしてる」
静かな声だった。
「シンに、分からないはずないだろ」
シンの指から力が抜けた。
聖剣が落ちる。
乾いた音を立て、黒い地面へ突き刺さった。
静寂が落ちた。
シンは膝をつく。
「……全部、間違いだったって言うのかよ」
掠れた声だった。
「俺がやってきたこと……全部……」
レックスは武器を下ろし、ゆっくり近づく。
勝者の顔ではなかった。
ただ、同じ痛みを見つめる者の顔だった。
「守ったじゃないか」
シンが顔を上げる。
「ルーナさんも、村の人たちも」
「君の勇気が守ったものだろ」
風が吹く。
熱を帯びた荒野を、やさしく撫でるように。
「君が全部、間違ってたわけじゃない」
レックスは手を差し出した。
その手は綺麗ではない。
血に汚れ、皮が裂け、無様ですらあった。
それでも、迷いなく伸ばされていた。
「今ここで、間違いをやめればいい」
シンの目が見開かれる。
「人は一回で全部正しくなんてなれない」
「でも、選び直すことはできるはずなんだ」
シンはその手を見つめる。
勇者としてではない。
誰かの命令でもなく。
ただ一人の少年として。
そして震える手で、その手を取った。
遠くで、別の戦いの轟音が響く。
だがこの場所では今、ひとつの戦いが終わっていた。
正しさに縛られた少年が。
ようやく、自分で選び始めたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




