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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ノエリア編
66/131

正しさに縛られた少年

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



数日後。


『蒼天盟約軍』は、古き聖域――巡礼地点へと到達していた。


空は高く、雲ひとつない。


だが地上には生命の気配がなかった。


盆地の中央に広がるのは、果ての見えぬ荒野。


草木は枯れ、土は灰色にひび割れている。


「本当に、ここなのか?」


シンの声は、乾いた風にさらわれた。


「はい。ここが“勇者の儀”の巡礼地点です」


ノエリアは淡々と答える。


その横顔に感情は読み取れない。


マリスが地面へ膝をつき、砂をすくった。


掌から零れた粒の中に、陽光を返す透明な欠片が混じる。


「溶けた石です。過去、この地で幾度も聖剣が振るわれた証でしょう」


ルーナが息を呑んだ。


「石まで焼く戦いって……冗談でしょ」


誰も笑わなかった。


ノエリアは説明を終えると、そのまま奥へ歩き出す。


「ようやく我々に協力する気になったのですか」


セラフィナが問う。


「いいえ」


足を止めず、ノエリアは言った。


「私の目的地も、ここだっただけです」


その一言に、場の空気がわずかに張る。


沈黙のまま進軍が続いた、その時だった。


「待ちやがれぇぇッ!」


荒野に響いた怒号。


全員が振り向く。


逆光の中、二つの影が立っていた。


ひとつは銀の耳を揺らす狼人の青年。


もうひとつは、赤褐色の髪を風に揺らす少年。


「やっぱり、こういう登場は恥ずかしいよ兄貴……」


「うるせぇ! 勢いが大事なんだよ!」


ガロードと、レックスだった。


ノエリアの瞳が、大きく揺れる。


「……レックス、ガロード」


その名は、かすれていた。


「「レックス!?」」


シンとルーナの声が重なる。


生きていた。


それだけで胸を打つ事実だった。


だがレックスの視線は、二人を見ても晴れない。


――やっぱり、そこにいるんだね。


責めるでもなく、悲しむでもなく。


ただ静かな現実を受け止める眼差しだった。


「やい、悪漢ども! ノエリアを返してもらうぞ!」


ガロードが拳を鳴らす。


「悪漢、か。短絡的な評価だな」


アルセイドが一歩前へ出た。


次の瞬間、銀閃。


抜刀と同時に距離を潰す。


だがガロードは紙一重で躱し、牙を見せて笑った。


「へぇ。速ぇな」


「君も、獣の勘だけではないらしい」


二人の間に火花のような殺気が走る。


「それはじゃぁ、俺の相手はあれか」


バルグロスはレックスとガロードのさらに後ろに陣取る存在を見据える。


黒衣のメイド服を纏ったアウラ。


バルグロスはアウラの纏う何かを感じ、戦闘態勢を整えた。




レックスは棍棒を背から下ろす。


「ノエリア。僕は君と話をしに来た」


真っ直ぐな声だった。


ノエリアは信じられないものを見るように、ただ立ち尽くす。


マリスが静かに告げる。


「皆さん、彼らの排除をおねがいします」


「エリオス様、儀式の準備を」


エリオスはレックスを一瞥し、何も言わず歩き去った。


対峙する二人の少年。


レックスとシン。


「……レックス」


シンが聖剣の柄を握る。


「……邪魔するのか」


「邪魔、か」


レックスは苦く笑った。


「君はまだ、そうやって分けるんだね」


「何?」


「味方と敵。守る人間と、切り捨てる人間」


風が吹き抜ける。


「そうしなきゃ守れないんだ!」


シンの声が荒れた。


「迷えば失う! 俺は知ってる!」


「……うん。君が痛いほど知ってることも、分かるよ」


レックスは否定しない。


だからこそ、シンの胸がざわついた。


「でも」


少年の赤い瞳が、静かに細まる。


「誰かを守るために、誰かの声を最初から聞かないなら」


「それは本当に、守ったことになるのかな」


聖剣を握る手に力が入る。


シンの正義。


レックスの優しさ。


どちらも誰かを救いたい願いから始まっている。


だからこそ、容易に譲れない。


荒野の中央で、二人は再び向かい合った。


過去の敵としてではない。


それぞれの選んだ“正しさ”を背負って。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



灼けた風が、荒野を舐めるように吹き抜けていた。


聖域――巡礼地点。


空はどこまでも澄み、高い。


だが地には、命の色がひとつもない。


抉れた地面。


焼け爛れ、硝子のように固まった黒岩。


かつて幾千もの刃と祈りが交錯した痕跡だけが、静かに残されていた。


その中央で、二人の少年が向かい合う。


「ルーナ、絶対に手は出さないでくれ」


シンの声は鋭かった。


ルーナは不満げに唇を尖らせながらも、数歩退く。


その視線はレックスから離れない。


シンは続けて周囲へ目を走らせ、聖剣を横薙ぎに振るった。


赤い閃光。


張り巡らされていた透明な魔糸が、次々と断ち切られる。


マリスの仕掛けた拘束術式だった。


「あんたもだ、マリス。”俺の戦い”に手を出すな」


マリスは肩をすくめる。


「青いですね、実に」


それだけ言い残し、エリオスたちの後を追った。


残されたのは、勇者シンと、レックス。


互いに数歩。


それだけで空気が張りつめる。


「……生きてたんだな」


先に口を開いたのはシンだった。


怒りにも、安堵にも聞こえる声。


「君こそ」


レックスは小さく笑う。


「ルーナさんも無事でよかった」


その言葉に、シンの眉が跳ねた。


「……なんで、そんなこと言えるんだよ」


「え?」


「俺たちはお前を斬った。殺しかけた敵なんだぞ!」


聖剣の柄が軋む。


「なのに、なんで俺たちの心配なんかする!」


叫びは怒声ではなく、悲鳴に近かった。


レックスは少しだけ目を伏せる。


「あの時、君たちは本気だった」


「守りたい人がいたんだろ」


「それは、たぶん責められることじゃないよ」


「……っ!」


シンの奥歯が鳴る。


理解されたくなかった。


許されたくもなかった。


正しかったと認められたいわけでもない。


間違っていたと断じられるのも怖い。


その揺らぎごと、目の前のレックスは見抜いていた。


「ふざけるな!」


シンが踏み込む。砂塵が舞う。


「敵なら敵らしくしろ!」


「俺たちを恨め! 憎め!」


「そうすれば、俺だって……!」


言葉が途切れた。


レックスは静かに問い返す。


「君は、僕に恨まれたいの?」


その一言が、鋭く胸を穿つ。


シンの呼吸が乱れた。


「……違う」


「じゃあ、何なんだよ……」


声は急速に弱くなる。


「俺は……どうすれば、よかったんだ」


荒野に、その呟きだけが落ちた。


レックスはすぐに答えなかった。


風が二人の間を吹き抜ける。


やがて、穏やかな声が響く。


「たぶん、君が選んだことは、君なりに正しかったんだと思う」


シンが顔を上げる。


「でも、誰かにとって正しいことが、別の誰かを傷つけることもある」


「だから、人は苦しむんだと思う」


レックスは自嘲するように笑った。


「僕だって同じだよ」


棍棒を下ろし、握り直す。


「ノエリアを取り戻したい」


「だから、君たちの邪魔をする」


「それが正しいかなんて、分からない」


赤い瞳が、真っ直ぐシンを射抜いた。


「でも――」


その声は静かで、揺るがない。


「正しさだけで、人を選びたくない」


シンの目が見開かれる。


「強いから」


「勇者だから。役目だから」


「そんな理由だけで、誰かの隣に立つ人間を決めたくない」


「ノエリアが誰といるかも、誰を信じるかも」


「誰かの正義で決めちゃいけないんだ」


荒野が沈黙した。


迷いながら立つ少年。


しかし、迷いを持っていても、それでも進む少年。


それは、シンが最も恐れていた強さだった。


「……レックス」


聖剣の切っ先が、ゆっくり下がる。


「俺は、お前が気に食わない」


「うん」


「でも……少し、羨ましい」


レックスは困ったように笑う。


「買いかぶりだよ」


遠くでは、ガロードとアルセイド、アウラとバルグロスの殺気がぶつかり始めていた。


巡礼地点は、再び戦場へ変わろうとしている。


シンは聖剣を握り直す。


迷いは消えていない。


むしろ、前より増えていた。


それでも。


「……来い、レックス」


「うん」


少年たちは構える。


正しさのためではない。


自分で選ぶために。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



聖域――巡礼地点。


灼けた風が、硝子化した荒野を走り抜ける。


かつて聖剣の熱が大地を焼いた痕跡は、今も黒く鈍く光っていた。


その中央で、レックスとシンは激しく打ち合っていた。


棍棒と聖剣。


重い衝突音が乾いた空へ響く。


聖剣が唸り、棍棒が迎え撃つ。


衝突した衝撃で、黒い大地が砕け散るようなぶつかり合い。


二人の戦いに駆け引きはない。


迷いも怒りも、真正面からぶつけ合うだけだった。


「なぜ俺たちの邪魔をする!」


シンが踏み込み、鋭い斬撃を放つ。


「お前だって平和を作りたいんだろ!」


レックスは身を捻り、その刃を受け流した。


足元の砂が弾ける。


「悪いことを正そうとするのは、間違ってない」


短く答え、棍棒を振り抜く。


シンは聖剣で受け止め、火花が散った。


「僕だって平和は望んでる」


互いの武器が押し合い、腕が震える。


「だけど――誰かを道具にしてまで作る平和を、正しいとは認められない」


その言葉に、シンの表情が歪んだ。


「……っ!」


力任せに押し返し、距離を取る。


「だったら俺の家族はどうなる!」


叫びは怒号というより、悲鳴だった。


「平和のための犠牲だったって言うのか!」


踏み込み、斬る。


斬って、斬って、なお止まらない。


脳裏に焼けた家が蘇る。


血の臭い。


泣く妹。


震える手に握った剣。


あの日から、シンは信じてきた。


敵を討てば、誰かを守れる。


迷わなければ、二度と失わないと。


レックスの突きが胸元へ迫る。


シンは咄嗟に防いだ。


「だったら君は!」


レックスの声が荒野に響く。


「君自身が不幸にならないと、誰も救えないのか!」


シンの動きが止まる。


「それで勇者なんて名乗るな!」


その一言は、刃より深く刺さった。


勇者になりたかった。


誰かを守るために。


失ったものを償うために。


泣いていた妹へ、せめて胸を張れる自分になるために。


なのに。


「守るためにノエリアを差し出した瞬間」


レックスが踏み込む。


――想いを込めた剣は何より重い!


重い一撃が聖剣を揺らした。


「君たちは、もう守る側じゃない」


「やめろ……!」


「君の家族が奪われた痛みを知ってるなら、同じことをしていい理由にはならない!」


シンの呼吸が乱れる。


認めたくなかった。


ここで認めれば、自分が積み上げたものが崩れてしまう。


「うるさい!」


叫びと共に剣を振るう。


「何も失ったことのないお前に、何がわかる!」


そこで声が詰まった。


次の瞬間、涙が溢れた。


「妹が……助けてって……言ってたんだ……!」


声が震える。


「なのに俺は……何も……!」


レックスは、その姿をまっすぐ見つめた。


「今、僕らはノエリアさんを失おうとしてる」


静かな声だった。


「シンに、分からないはずないだろ」


シンの指から力が抜けた。


聖剣が落ちる。


乾いた音を立て、黒い地面へ突き刺さった。


静寂が落ちた。


シンは膝をつく。


「……全部、間違いだったって言うのかよ」


掠れた声だった。


「俺がやってきたこと……全部……」


レックスは武器を下ろし、ゆっくり近づく。


勝者の顔ではなかった。


ただ、同じ痛みを見つめる者の顔だった。


「守ったじゃないか」


シンが顔を上げる。


「ルーナさんも、村の人たちも」


「君の勇気が守ったものだろ」


風が吹く。


熱を帯びた荒野を、やさしく撫でるように。


「君が全部、間違ってたわけじゃない」


レックスは手を差し出した。


その手は綺麗ではない。


血に汚れ、皮が裂け、無様ですらあった。


それでも、迷いなく伸ばされていた。


「今ここで、間違いをやめればいい」


シンの目が見開かれる。


「人は一回で全部正しくなんてなれない」


「でも、選び直すことはできるはずなんだ」


シンはその手を見つめる。


勇者としてではない。


誰かの命令でもなく。


ただ一人の少年として。


そして震える手で、その手を取った。


遠くで、別の戦いの轟音が響く。


だがこの場所では今、ひとつの戦いが終わっていた。


正しさに縛られた少年が。


ようやく、自分で選び始めたのだ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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