その答えに甘えていたから
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
石造りの部屋には、静寂だけが満ちていた。
窓辺に置かれた燭台の火が揺れ、その淡い光を鏡が静かに反射している。
セラフィナは、その鏡の前に立っていた。
青い髪を肩先で揃えた少女の姿。
整いすぎた横顔。
感情を押し込めた赤い瞳。
鏡の中に映るのは、“セラフィナ”だった。
だが、その名を呼ばれるたび、胸の奥に薄い痛みが走る。
エリオスの目標は決まった。
王国を変え、世界を統一する。
そして、自分はその隣に立つ。
ただ、それだけだった。
(私は、エリオス様を支えるだけ)
それが自分に与えられた役割。
それ以外を望む資格など、最初から持っていない。
その時だった。
控えめなノック音が響く。
「どなた?」
「ルーナです。入室してもよろしいでしょうか?」
「かまいません、許可します」
扉が開く。
赤髪の少女が静かに入室し、自ら後ろ手で扉を閉めた。
いつものような勢いはない。
だが、その瞳には強い感情が宿っていた。
「どうかしたの?」
「どうかしたじゃない、セラフィナ。あなた、一体どうしてしまったの!」
鋭い声音だった。
セラフィナは表情を変えない。
「世界平和のためと、説明しました」
「王国と戦争することが平和って言い張るつもり!?」
ルーナの声が震える。
怒りだけではない。
悲しみが混ざっていた。
「“セラフィナ”は、そんなことをする女性じゃないわ!」
一瞬だけ。
セラフィナの瞳が揺れた。
だが、それもすぐ消える。
「今は私が“セラフィナ”なのよ、ルーナ」
薄く微笑む。
作り物のような笑みだった。
「“姫巫女”は私なの」
「ええ、そうね……」
ルーナは俯いた。
その返答には、責めきれない苦さが滲んでいた。
ルーナは知っている。
“セラフィナ”という名前が、最初は別の人間のものだったことを。
王国教会は、勇者と聖剣を求めていた。
姫巫女ノエリアによって神鉄の召喚までは成功した。
だが、その後ノエリアは姿を消した。
神鉄だけが残された。
素材はある。
教会は、神鉄を聖剣とする力を欲した。
そこへ現れたのが、一人の少女だった。
ルーナと同じ村の出身。
そして、ルーナの姉“セラフィナ”と同い年の少女。
どこにでもいる、普通の娘だった。
少なくとも最初は。
ルーナの紹介で教会へ入り、雑務を手伝い、静かに働いていた。
それだけだったはずなのに。
ある日、彼女は神鉄へ触れた。
そして――同調した。
教会は熱狂した。
誰も成功しなかった神鉄適合。
それを、名もない少女が成し遂げたのだから。
だが、彼女は完全ではなかった。
聖剣顕現には足りない。
だから彼女は、自ら提案した。
人造姫巫女への改良。
しかも、その方法すら知っていた。
まるで最初から、そこへ至る道筋を知っていたかのように。
「聖剣の勇者を、私に選ばせてください」
それが彼女の条件だった。
教会は信用したわけではない。
ただ、可能性があるなら利用する。
それだけだった。
そして儀式の日。
ルーナが見た“完成品”は――。
息を呑むほど、姉に似ていた。
青い髪。
赤い瞳。
静かな微笑み。
死んだ姉が、そのまま戻ってきたようだった。
だからこそ、ルーナには分からなかった。
目の前にいるこの人が、本当に誰なのか。
姉なのか。
姉ではない誰かなのか。
あるいは、自分自身すら捨ててしまった、“役割”だけの存在なのか。
沈黙が落ちる。
セラフィナは鏡越しにルーナを見つめた。
その瞳には、感情があるようで。
けれど最後の一線だけは、決して見せなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
廊下へ出る直前、ルーナは立ち止まった。
扉の向こうには、鏡のように静かな部屋。
その中心に、“セラフィナ”がいる。
「ひとつ、確認させて」
「なにかしら?」
「エリオスは世界を平和に出来ると、本気で考えているの?」
セラフィナは迷わなかった。
「本気よ」
「エリオス様以外に、誰にできると思っているの?」
その答えに、熱はなかった。
盲信というより。
自分へ言い聞かせる祈りに近かった。
ルーナは小さく息を吐く。
「……それを、見届けさせてもらうわ」
セラフィナは何も返さない。
ただ静かに、ルーナを見つめ返していた。
部屋を出る。
閉じた扉の向こう側から、物音ひとつ聞こえなかった。
廊下を歩きながら、ルーナは唇を噛む。
自分の知る姉の笑顔は、あんなものではない。
もっと柔らかかった。
もっと温かかった。
誰かの不安を消すように笑う人だった。
けれど今のセラフィナは違う。
誰かのためではなく、“役割”のために笑っている。
そして、ルーナにとって決定的だったのは――。
セラフィナが選んだ勇者の名前。
(エリオス……!?)
あの瞬間の衝撃を、今でも忘れられない。
エリオスは覚えていなかった。
だが、ルーナは覚えていた。
昔、一度だけ会った少年。
誰よりも真っ直ぐで。
誰よりも、誰かを救いたがっていた少年を。
だからこそ、理解できなかった。
なぜセラフィナは、彼を選んだのか。
見届けなければならない。
彼らがどこへ向かうのか。
姉の顔をしたあの女が、何を望んでいるのか。
そのために、ルーナは人造勇者へ志願した。
当然、周囲は反対した。
適応実験は危険だった。
失敗すれば命を落とす。
だがルーナは引かなかった。
もし何か起きた時。
セラフィナを止められる位置に、自分が立たなければならないと思ったからだ。
結果として、適応には成功した。
そして、その中で出会った。
シンという少年に。
不器用で。
真面目で。
傷だらけなのに、誰かを守ろうとする少年。
エリオスを、本気で尊敬してしまった少年。
「……馬鹿なこと、考えちゃったな」
思わず苦笑が漏れる。
最初は違った。
シンを利用するつもりだった。
もしエリオスが道を踏み外した時。
その隣にいる彼なら、最後の切り札になるかもしれない。
そんな打算だった。
なのに。
気づけば、自分は願っていた。
シンには壊れてほしくない、と。
「ルーナさん」
突然かけられた声に、ルーナは顔を上げた。
「……ノエリア様……」
廊下の先に、ノエリアが立っていた。
淡い灯りの中で、その青い髪だけが静かに浮かんで見える。
そして彼女の手には、一本の剣があった。
シンの人造聖剣。
「彼の忘れ物です。届けてください」
半ば押しつけるように、ノエリアは剣をルーナへ渡した。
「こんなもの、私のところへ置いていかないでください」
声音は冷たい。
怒っているわけではない。
だが、突き放すような距離があった。
ノエリアはそのまま踵を返す。
ルーナは反射的に呼び止めていた。
「ノエリア様!」
足が止まる。
「シンに戦わせることって……正しいのでしょうか!」
声が震えた。
問いかけながら、分かっていた。
これは答えを求める質問じゃない。
自分で決めきれない弱さを、誰かに預けたいだけだ。
ノエリアは振り返る。
その瞳は静かだった。
「私が正しいと言えば」
「ルーナさんは、悔いなく信じ切れるのですか?」
「……っ」
ルーナは言葉を失う。
優しい答えではなかった。
導いてもくれない。
だが、それでよかった。
「……自分で決めろってことですか」
ノエリアは答えない。
肯定もしない。
否定もしない。
ただ静かに、ルーナを見つめるだけだった。
だからこそ、ルーナは少しだけ救われた気がした。
もしここで、“正しい答え”を与えられていたら。
きっと自分は、その答えに甘えていたから。
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