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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
レックス立志編
7/50

それぞれの思惑

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……すごい」


誰かが小さく呟いた。


気づけば、みんなの視線が僕に集まっていた。


ミレーネさん。


ルシアンさん。


エルディナ様。


侍女さんたちも、驚いた顔で僕の手を見ている。


さっきまで光っていた刻印は、もう落ち着いている。


でも、隠しきれない。


僕は少しだけ困った顔になった。


……そんなに驚くことなのかな。


いや、驚くよね。


普通はこんなの、持ってない。


でも。


僕自身は、この力がそんな大層なものだと思ったことがあまりない。


というか、手に入った理由が、どうにも締まらないというか。


思い出すのは、ガロード兄貴と出会ったばかりの頃だ。


あの頃の兄貴は、正直ひどかった。


手加減が、全然できなかった。


「……あの頃はボロボロだったもんな」


思わず小さく呟く。


訓練だと言われて、僕も普通に受けていた。


先生――オルグラード先生の弟子なら、それくらい当たり前だと思っていたし。


でも。


それを見て、ぶちぎれた人がいた。


僕の母さんだ。


母さんは行動が早い。


本当に早い。


ある日、兄貴にこう言った。


「うちの息子、壊す気?」


ものすごく笑顔だったけど、目が全然笑ってなかった。


兄貴は当然のように言った。


「訓練だ」


……うん。


それがいけなかった。


次の瞬間。


母さんの拳が飛んだ。


結果。


ガロード兄貴は、完膚なきまでにボコボコになった。


あれは本当にすごかった。


兄貴、途中から反撃しようとしてたけど、全部叩き落されてた。


たぶん、兄貴にとっては黒歴史だと思う。


ちなみに母さんは、街の自警団が逃げるレベルで強い。


本当に逃げる。


冗談じゃなくて、実際に逃げた。


……そして。


話はそれで終わらなかった。


母さんの矛先は、次に向かった。


オルグラード先生。


兄貴の師匠で、僕の鍛冶の先生でもある。


「弟子の管理、どうなってるの?」


母さんは静かにそう言った。


先生は黙っていた。


珍しく、すごく困った顔をしていた。


結果。


先生は謝った。


そして、僕にこう言った。


「……お前に回復魔法を与える」


施されたのが、刻印魔法だった。


しかも、治癒。


肉体刻印。


僕の左手の甲に刻まれた魔法紋。


当然だけど。


これは、めちゃくちゃ高い。


普通の騎士なら、一生働いても買えない。


しかも、先生のポケットマネー。


あとで聞いたとき、僕はちょっと青くなった。


「……そんな高いの、僕に?」


って聞いたら。


先生はため息をついた。


「お前の母親をこれ以上怒らせる方が高くつく」


……だそうだ。


それ以来。


兄貴との訓練で怪我しても、ある程度はなんとかなるようになった。


便利と言えば便利。


でも。


あまり人に見せるものじゃない。


だから僕は、普段はグローブで隠して生活していた。


刻印が見えないように。


なるべく、目立たないように。


……なのに。


今日は、思いっきり使ってしまった。


僕はちょっとだけ苦笑する。


まあ。


しょうがないよね。


だって。


「……助かってよかった」


僕の前では、さっき助けた侍女さんが、ちゃんと呼吸している。


それだけで。


この刻印を使った意味は、十分あったと思うんだ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



レックスは、人差し指をそっと唇の前に立てた。


「……内緒で」


言葉にはしない。


だが、その仕草だけで十分だった。


エルディナ、ルシアン、ミレーネは顔を見合わせる。


そして、ほぼ同時に小さく頷いた。


追及はしない。


あの刻印魔法。


明らかに普通の代物ではない。


だが、それ以上にレックスの様子が「触れてほしくない」


と語っていた。


貴族社会には、事情というものがある。


それを無理に暴くほど、三人も無粋ではない。


ただ一人。


事情を知っている人物がいた。


ガロードである。


だが彼は、腕を組んだまま空を見上げていた。


視線は完全に別方向。


沈黙。


触れたくない。


その態度が、逆にすべてを物語っていた。


ミレーネが小さく息をつく。


(……これは、面白い事情がありそうですね)


だが彼女も、何も言わない。


空気は、そこで静かに流れた。


そして。


「出立を急ぎましょう」


口を開いたのはエルディナだった。


空はまだ薄暗い。


森の奥には夜の気配が残っている。


だが、それでも彼女は決断した。


「ここに留まるのは危険です」


誰も異論はなかった。


今回の襲撃。


野盗にしては統率が取れすぎている。


しかも、あの豹仮面の存在。


偶然とは思えない。


つまり――。


第二波が来る可能性がある。


「現状の戦力では、長く持ちません」


ルシアンが冷静に言った。


事実だった。


護衛兵はほぼ壊滅している。


死者四名。


重傷者四名。


軽傷者三名。


戦える者は、もはや限られていた。


「……急ごう」


ガロードも短く言う。


全員が動き始めた。


まず、ルシアンが倒れた護衛兵たちの元へ向かう。


静かに膝をついた。


「すまない」


短い祈り。


それから、遺品を回収する。


剣。


指輪。


家族に返すべきもの。


すべて布に包み、丁寧にまとめた。


遺体は、その場に簡易の墓を作る。


深くは掘れない。


だが、野に晒すよりはましだ。


「必ず、報告します」


土をかぶせながら、ルシアンは呟いた。


一方。


野盗たちの遺体は、そのままだった。


数が多すぎる。


三十。


処理している時間はない。


「首領の首だけ持ち帰ります」


ミレーネが言った。


グンの首。


これがあれば、討伐の証明になる。


そして。


背後関係を調べる手がかりにもなる。


それ以外の遺体は――。


放置。


森は静かだ。


だが、すぐに獣や鳥が集まるだろう。


冷たい判断だった。


しかし、それが現実だった。


やがて準備が整う。


馬車が動き出す。


まだ太陽は昇りきっていない。


森の霧の中を、一行は進む。


ヴァルディア男爵領へ。


安全な場所へ。


だが――誰もが理解していた。


今夜の襲撃は。


終わりではない。


ただの、始まりにすぎないことを。


森の奥。


誰かが見ている気配が、まだ消えていなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ヴァルディア男爵領、主館の執務室。


高い窓から差し込む朝の光が、机の上の書類を淡く照らしていた。


アルベリオ・ヴァルディアは、静かに書類へ目を通している。


外から見れば、いつもと変わらぬ朝だ。


整った髭。


穏やかな表情。


文官然とした落ち着き。


だが。


「……ほう」


その眉が、わずかに動いた。


報告書の一行。


そこに書かれていた言葉が、彼の心を乱していた。


――エルディナ一行、野盗の襲撃を受く。


アルベリオはペンを置く。


「美しくない事件だ」


静かな声だった。


怒りでも、動揺でもない。


だが、不愉快さは隠していない。


「姉上は無事だそうですが、兵に損害が出ています」


報告を続けたのは、執務室の反対側に立つ少年だった。


レオナルト・ヴァルディア。


アルベリオの息子であり、エルディナの弟。


まだ十四歳。


だが、その立ち姿には妙な威圧感がある。


軍服の襟を正し、冷静な顔で父を見ていた。


「お前の第一声はそれか、レオナルト」


アルベリオは軽く視線を上げる。


レオナルトは一瞬だけ沈黙した。


だが、すぐに答える。


「父上の言いたいことは理解しています」


声は丁寧だった。


しかし、どこか硬い。


「ですが今、領内は揺れています。


護衛兵が倒れたとなれば、治安の問題になります」


理屈としては、正しい。


だが。


アルベリオは静かに言う。


「無論、姉の身を案じての言葉も、含まれているのだろうね」


レオナルトの眉がわずかに動く。


「……当然です」


短く答える。


「それは身内としてか、それとも――」


アルベリオは言葉を止めた。


その先を、口には出さない。


――男爵領のための道具としてか。


レオナルトは少しだけ肩をすくめる。


「両方ですよ、父上」


迷いのない答えだった。


「姉上は有能です。


剣も使える。


ルシアンとミレーネを付けています」


つまり、死ぬとは思っていない。


そう言っているのだ。


執務室に、短い沈黙が落ちる。


アルベリオは小さく息を吐いた。


「……君は、ずいぶんと合理的になった」


「領地を守るには必要です」


即答だった。


レオナルトの腰には、訓練用ではない本物の大剣が下げられていた。


アルベリオは、ゆっくりと椅子に背を預ける。


そして話題を変えた。


「『公爵閣下』の到着はどうなっている」


レオナルトの表情が引き締まる。


「予定通りです。


二日後にご到着されると」


アルドリック・ヴァルハイト侯爵。


王都から派遣される、爵位継承と昇爵の見届け人。


しかも今回は、本人が来る。


これは単なる儀礼ではない。


政治だ。


「叔父上は、すでに動いているかもしれません」


レオナルトが言った。


叔父。


グレイヴァス・ヴァルディア。


男爵領の実権を握る武門派の男。


アルベリオは、静かに目を閉じる。


確かに。


今の男爵領にとって重要なのは、エルディナの無事よりも。


公爵の来訪。


爵位継承。


そして、昇爵問題。


すべてが絡み合っている。


「……すべてはヴァルディアのため、か」


アルベリオは小さく呟いた。


レオナルトは何も答えない。


ただ、父を見ている。


アルベリオは窓の外を見る。


遠くに見える城壁。


その向こうの森。


あの森を、今エルディナが越えてくるはずだ。


――グレイヴァス。


お前は、何を選ぶ。


アルベリオは心の中で問いかけた。


そして。


その答えは、もう動き始めているのだろう。


ヴァルディア男爵領の静かな朝は、嵐の前の静寂に過ぎなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ヴァルディア男爵領、軍務棟の執務室。


重厚な扉が乱暴に開かれた。


連絡兵が息を切らしながら報告を終えた瞬間だった。


「この男爵領で、賊の好きにさせただと!」


怒号が室内を震わせる。


机を叩いた拳の音が、乾いた音を立てた。


グレイヴァス・ヴァルディア。


ヴァルディア男爵領の軍事を預かる男である。


肩幅の広い軍服姿。


武骨な顔に怒気が浮かぶ。


「そんな輩を野放しにしておく気か、貴様!」


連絡兵は思わず小さな悲鳴をあげた。


「も、申し訳ありません!」


慌てて敬礼し、逃げるように部屋を出ていく。


扉が閉まり、室内に沈黙が戻った。


「災難ですな、父上」


「この大事な時に」


軽い声が響く。


窓際の椅子に座っていた青年が、肩をすくめた。


アルヴィン・ヴァルディア。


グレイヴァスの息子である。


整えられた貴族服。


指には宝石の指輪。


その細い目は、どこか嘲るように笑っていた。


グレイヴァスがゆっくりと振り向く。


鋭い視線。


「……何が言いたい」


低い声だった。


一瞬だけ、アルヴィンの肩がわずかに揺れる。


だがすぐに、いつもの笑みを浮かべた。


「簡単なことですよ」


椅子から立ち上がり、父の机に近づく。


「今は父上にとっても重要な時期でしょう」


「爵位継承」


「そして昇爵」


アルヴィンは指で机を軽く叩いた。


「こんな些事に感情を荒げる必要はない」


グレイヴァスの眉が動く。


「エルディナは無事なのでしょう?」


「ならば問題はないではありませんか」


その言葉に、グレイヴァスの目が鋭くなる。


「些事だと?」


低く唸る。


「この領内で賊が暴れた」


「それが些事だと抜かすか」


「兵が死んだのだぞ」


アルヴィンは軽く笑った。


「兵など、また集めればいい」


「だが爵位は一つしかない」


静かな声だった。


しかし、その言葉には明確な意図があった。


グレイヴァスは息子を睨む。


「何が言いたい」


アルヴィンはゆっくりと微笑む。


「いずれ父上は、この男爵領――」


「いや」


「子爵領に君臨するのですよ」


室内の空気が重くなる。


グレイヴァスは腕を組んだ。


「決まっているわけではない」


「兄上もいる」


「そしてエルディナもだ」


アルヴィンは鼻で笑う。


「エルディナですか?」


「女ではないですか」


「この領地を継ぐ器ではない」


グレイヴァスは何も言わない。


ただ、息子を見ていた。


アルヴィンはさらに続ける。


「なに」


「父上は勝てばいい」


「それだけの話ですよ」


軽く礼をして、扉へ向かう。


そして振り返らずに言った。


「公爵閣下も来られる」


「勝つ者に、皆が従う」


「ギルベルト殿も、父上の昇爵を望んでおられる」


扉が閉まる。


室内は再び静かになった。


グレイヴァスは深く息を吐く。


「あいつめ……」


小さく呟いた。


剣の腕でレオナルトに敗れてから。


アルヴィンの性格は、さらに歪んだ。


最近では中央の怪しい連中とも繋がっているという。


気に入らない。


だが。


息子であることも事実だった。


グレイヴァスは窓の外を見る。


遠くの森。


あの向こうに、エルディナがいる。


聡明な娘だ。


もし。


もしあれが男子であったなら。


「……余計なことを考えるな」


自分に言い聞かせる。


武人は悩まない。


敵を斬るだけだ。


グレイヴァスの手は、無意識に剣の柄に触れていた。


それでも。


胸の奥に、わずかな重さが残った。


ヴァルディア男爵領の争いは、すでに静かに動き始めていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「あと一時間ほどで、男爵領が目視できる距離になります」


ミレーネの声が、馬車の外から聞こえてくる。


私はカーテンを少しだけ開けた。


朝の光が、森の向こうから差し込んでいる。


ヴァルディア領。


……久しぶりの帰郷だ。


「そうね。


この距離なら、襲撃の可能性も低いわ」


そう答えながら、私は息を吐いた。


その様子を見て、ミレーネが小さく笑う。


「気が重そうですね」


その声色は、護衛騎士ではない。


完全に、親友のそれだった。


「久しぶりの帰郷よ」


私は肩をすくめる。


「嬉しくないわけではないわ」


本当に。


嬉しくないわけではない。


ただ――。


「何を話したらいいのか、わからないだけ」


ぽつりと呟く。


父。


叔父。


弟。


従兄弟。


男爵領は今、穏やかではない。


私が戻れば、必ず何かが動く。


そう思うと、自然と気が重くなる。


ミレーネは少しだけ考え、そして楽しそうに言った。


「良いではありませんか」


「何が?」


思わず聞き返す。


すると彼女は、くすりと笑った。


「少なくとも、良い掘り出し物と出会えたではありませんか」


「掘り出し物?」


何を言っているのだろう。


首を傾げる私に、ミレーネは当然のように言った。


「わかりませんか」


「レックス君ですよ」


「はぁ!?」


思わず声が裏返った。


なんでそこで、レックスが出てくるの。


ミレーネは腕を組み、真剣な顔で語り出す。


「いや、彼は実に良い」


「まだどこにも染まっていない純朴さ」


「それでいて、あの素直さ」


うんうんと頷きながら続ける。


「わたしはいたく気に入りましたね」


……何その評価。


私は呆れながら彼女を見る。


だがミレーネは止まらない。


「セルディアの特使も、継承の儀までは滞在するでしょう」


「つまりレックス君も、それまではヴァルディアにいる可能性が高い」


そして、ぐっと拳を握った。


「わたしは彼を、ぜひとも口説き落とし」


「ヴァルディアの騎士にしたいのです」


熱い。


妙に熱い。


「なんでそうなるのよ……」


思わず額を押さえる。


ミレーネはきっぱり言った。


「推せます」


「推しなの!?」


意味がわからない。


しかし彼女はさらに続ける。


「あの偶然では済まされない動き」


「戦闘時の反応」


「実に良い」


そして身を乗り出してくる。


「そうは思いませんか!」


「……まぁ」


私は少し視線を逸らした。


「悪い子ではないと思うけど」


あの時。


命を助けてもらった時。


……少しだけ。


ほんの少しだけ。


かっこいいとは思った。


ミレーネは満足そうに頷いた。


「はい。ですので」


「グレイヴァス閣下に推薦する際は、ぜひ口添えを」


「はいはい」


適当に返事をする。


すると――。


「いえ、エルディナ様」


後ろから声がした。


振り向くと、レックスに助けられた侍女がいた。


「僭越ながら、わたくしもそう思います」


さらにもう一人の侍女も頷く。


「そうですよ」


「彼、可愛いですよ」


可愛い?その評価なの?侍女は続けた。


「レオナルト様、可愛げないですし」


「目つき怖いですし」


別の侍女が言う。


「アルヴィン様は……」


「性格最悪ですし」


私は顔を覆った。


「勘弁してよ……」


帰郷前だというのに。


頭が痛くなりそうだった。


けれど。


馬車の外では、朝の光が広がっている。


森の向こう。


あの丘を越えれば――。


ヴァルディア男爵領だ。


胸の奥で、小さく息を吸う。


帰ってきた。


嵐の中心に。


そんな予感が、静かに胸に広がっていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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