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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ノエリア編
62/131

シンの迷い

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



馬車は夜道を軋みながら進んでいた。


乾いた車輪の音が、一定の間隔で響く。


その音だけが、重苦しい沈黙を刻んでいる。


吊るされた小さな灯火が揺れ、狭い車内を頼りなく照らしていた。


薄明かりの先。


簡素な寝台には、ルーナが横たわっている。


呼吸は穏やかだった。


胸も規則正しく上下している。


傷も、すでに回復魔法で塞がれていた。


命に別状はない。


それだけを見れば、“守れた”はずだった。


「……俺は」


掠れた声が、シンの喉から零れる。


守った。


そう言い切れれば、どれほど楽だっただろう。


だが違う。


ルーナが生きている理由は、自分の剣ではない。


脳裏に焼きついて離れない。


レックス。


本気で敵なら、ルーナを殺せた。


シンを倒すこともできた。


あの間合い。


あの技量。


本当に殺す気なら、自分は今ここにいない。


それでも、レックスは斬らなかった。


敵の命を救った。


敵の仲間まで守った。


「なんでだよ……」


握った拳が震える。


「なんで、あいつがそんなことできるんだ……!」


怒りではない。


認めたくない現実への戸惑いだった。


その瞬間。


脳裏に、古い記憶が蘇る。


焼けた家。


崩れた壁。


鼻を刺す血の臭い。


騎士だった父は、反乱者を討った。


だが首謀者だけは逃した。


その報復は、家族へ向けられた。


母と妹は呪いを受けた。


皮膚は裂け、牙が生え、目は濁る。


人の言葉を失い、獣のように父へ襲いかかった。


父は敵を斬り。


母と刺し違えて死んだ。


幼いシンの前に残されたのは、妹だけだった。


震える手でナイフを握った。


泣きながら振り下ろした先にあった、柔らかな肉の感触。


そして。


最期の一瞬だけ戻った、人の顔。


「……お兄ちゃん、たすけて……」


「……どうして、わたしを……」


妹の声は、今も耳から離れない。


だから決めた。


敵は残すな。


迷えば、大切なものが死ぬ。


だから先に斬る。


だから迷わない。


だから間違えない。


そう信じてきた。


「……シン」


かすかな声が、記憶を裂いた。


シンが顔を上げる。


寝台の上で、ルーナがゆっくり目を開けていた。


「よかった……生きてた」


弱々しい笑みだった。


「それはこっちの台詞だろ」


シンは顔を歪める。


「無茶すんなよ」


強がった声は、情けないほど震えていた。


ルーナは小さく笑い、それから首を傾げる。


「ねえ……私、“も”助けてもらったの?」


その一言で。


シンの心臓が、止まったような錯覚に陥る。


“も”。


気づいている。


自分以外の誰かが救ったことに。


「赤い髪の子……レックス、だよね」


「私、あの子に危ないところ助けてもらったから」


「ちゃんとお礼、言わなきゃ」


無邪気な言葉だった。


だからこそ、深く刺さる。


レックスは敵ではなかった。


敵になったのは、自分の方だ。


シンは、倒れたレックスを置いてきた。


助けてもらった相手を。


恩人を。


見捨てた。


「なんでだよ……なんで、俺はいつも……!」


膝が震える。


守るためだと信じた選択が。


誰かを踏みにじっていた。


勇者として人を守る。


その言葉に縋り。


敵と味方の線を引き。


考えることをやめていた。


シンは堪えきれず、ルーナを強く抱きしめた。


「ちょ、ちょっと……苦し……」


「……ごめん」


「でも、今だけ……」


腕は離れない。


震えているのが、自分でも分かった。


ルーナは何も責めなかった。


ただ静かに、シンの背へ手を回す。


まるで泣くことを許すように。


子どもをあやすように。


灯火が揺れる。


シンの瞳には、迷いと痛みが滲んでいた。


だが、その奥で。


今までとは違う問いが、確かに芽生えている。


正しい敵を斬ることより。


正しくない自分を、どう選び直すのか。


それこそが、今のシンへ突きつけられた戦いだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



蒼天盟約軍の本営には、重たい静寂が満ちていた。


砦の石造りの会議室。


厚い壁には王国全土の地図と戦況図が並び、卓上の魔導灯だけが青白い火を揺らしている。


その光の下に、人造勇者たちが集められていた。


勇者エリオス。


姫巫女セラフィナ。


軍師マリス。


勇者シン。


勇者ルーナ。


そして、副団長アルセイドとバルグロス。


「皆、よく集まってくれた」


上座に腰掛けたエリオスが穏やかに口を開く。


優しい声音だった。


だが、その場の誰もが理解していた。


この男は、既に“従わせる側”の声をしている。


蒼と金、異なる色の瞳が順番に一人ずつを見渡した。


「招集はかけたはずだが、カルド君は来ないのか」


「返答はありません」


マリスが書類を閉じながら淡々と答える。


「彼のことです。王都で遊興にでも耽っているのでしょう」


「そうですか」


エリオスは興味なさげに頷いた。


欠員すら問題にしていない。


最初から、必要最低限しか見ていない態度だった。


「それよりも、エリオス様」


一歩前へ出たのはアルセイドだった。


銀白の長髪を肩へ流し、黒い外套を纏った青年。


細身の体躯でありながら、蛇のような圧迫感を漂わせている。


「悲願であった聖剣解放、お祝い申し上げます」


「ああ、ありがとう」


エリオスは微笑む。


だが、その笑みに達成感はない。


「しかし、まだ足りない」


その一言で、室内の空気がさらに張りつめた。


シンは無意識に拳を握る。


胸の奥で、嫌な予感が膨らんでいた。


「皆。次の目的を告げよう」


エリオスの視線を受け、マリスが前へ進み出る。


「王国保管庫の古記録を確認しました」


「伝説の姫巫女フィデリアに関する文献です」


地図の山岳地帯へ印が置かれる。


「“巡礼地点”と呼ばれる聖域にて儀式を行えば、勇者と聖剣は次の位階へ至る」


ざわめきが広がった。


ルーナが戸惑ったように眉を寄せる。


「まだ……強くなる必要があるんですか?」


「必要だ」


即答だった。


エリオスは迷わない。


「その力を得た後、私は王国の腐敗を正す」


シンが思わず声を上げた。


「待ってくれ!それって、王国と戦うってことですか!?」


「戦争ではない、シン」


マリスが薄く笑う。


「これは正しく革命と呼ぶ行為だ」


その言葉に、シンの背筋が冷えた。


アルセイドは静かに問い返す。


「つまり、エリオス様が王を超える存在となる、と」


「そうだ」


エリオスは立ち上がった。


白銀の鎧が魔導灯を反射し、まるで神像のように輝く。


「我々が救えなかった者たちを救うため、今の王国を掌握する」


誰かの息を呑む音がした。


「やがて魔王国も帝國も平定する」


空気の圧迫感するような緊張が室内を支配する。


「過去、誰も成しえなかった大陸統一を、勇者の名において私が果たす」


静かな宣言だった。


それなのに、誰よりも暴力的だった。


平和のために戦を起こす。


救済のために力で従わせる。


シンの脳裏に、ノエリアの言葉が蘇る。


――聖剣という力に頼らなければ、平和も勝ち取れないのですか。


以前なら、迷わず肯定していた。


だが今は違う。


その正しさを、信じ切れなかった。


隣ではルーナも不安げに視線を伏せている。


セラフィナは無言だった。


表情は消えているのに、指先だけが小さく震えていた。


そんな中、アルセイドだけが静かに膝をつく。


「私は従います」


「選ばれし者が、世界を導くべきだ」


それを合図に、巨体が椅子から立ち上がった。


バルグロスだった。


巨大な肩当てを備えた重装甲。


金属と獣皮を組み合わせた鎧の隙間から、岩のような筋肉が覗いている。


異様に太い両腕。


低い重心。


獲物を狙う猛獣のような眼光。


灰色混じりの荒れた金髪を揺らし、男は牙を見せるように笑った。


「俺も従うぜ」


短い言葉だった。


だがそこに迷いはない。


力ある者に従い、さらに強さを求める。


それだけだった。


ルーナは苦しげに頷く。


シンは視線を落とした。


胸の奥では警鐘が鳴り続けている。


それでも、ここで背を向ける決断はできなかった。


「……わかりました」


自分でも驚くほど小さな声だった。


その返答を聞き、エリオスは満足そうに笑う。


「最後に皆へ言っておこう」


「私が間違っていると思ったなら、いつでも正しに来るといい」


そして、静かに続けた。


「忠告するが――私を倒せると思った時にのみ決断して欲しい」


「私は君たちの敵になりたいわけではない」


誰も答えなかった。


沈黙だけが会議室に残る。


だが、その場にいた誰よりも。


シン自身が理解していた。


もう、自分は以前と同じようにはエリオスを見られない。


正義を信じて剣を握っていたはずなのに。


今は、勇者であるはずの背中が、今は遠く感じた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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