それは救済
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜の戦場は、ようやく静けさを取り戻しかけていた。
だが、その静寂は平穏ではない。
焼け落ちた荷車の残骸が赤く燻り、風が吹くたび灰が舞う。
焦げた血の臭いが、湿った夜気に混じって漂っていた。
ノエリアの前には、淡い光を帯びた障壁。
その背後では、避難した非戦闘員たちが不安げに身を寄せ合っている。
その中へ、黒衣の少女が戻ってきた。
「ノエリア様」
「敵の掃討は完了しました」
アウラだった。
彼女の外套には魔物の返り血が散っている。
だが呼吸一つ乱れていない。
障壁の一部が開き、アウラが内側へ入る。
ノエリアは小さく頷いた。
いつも通り穏やかな表情。
けれど、その瞳だけが硬い。
「アウラ、お願いがあります」
「はい、何なりと」
ノエリアは短く告げた。
その瞬間、アウラの眉がわずかに寄る。
「承認できかねます、再考を願います」
即答だった。
珍しく、感情が滲んでいる。
「お願いします」
「危険です」
「それでも、です」
静かな声だった。
だが、決して折れない響きがある。
視線がぶつかった。
姫巫女としてではない。
一人の少女としての意思だった。
アウラはしばらく黙り込み、やがて深く息を吐く。
「……本当に、困った方ですね」
声音だけが少し柔らかい。
「くれぐれも、ご自身をご自愛ください」
一礼し、アウラは再び戦場へ消えた。
残されたノエリアは、そっと目を伏せる。
守られるためではない。
守らせないための孤独だった。
その時。
轟風。
周囲を囲んでいた炎が、一瞬で吹き飛ばされた。
「お待たせしました」
現れた男は、白銀の鎧を纏っていた。
夜闇の中でも輝きを失わぬ装い。
蒼と金、異なる色の瞳が真っ直ぐノエリアを見据える。
勇者エリオス。
「姫巫女。ご無事ですか」
穏やかな口調だった。
その姿を見た瞬間、背後の避難民たちから歓声が上がる。
勇者が来た。
それだけで、人は救われた気になれる。
「見ていただけましたか、今の状況を」
ノエリアは無言でエリオスを見上げた。
端から見れば、勇者と姫巫女。
世界を救うために並ぶべき二人。
「私たちには、貴方が必要だということを」
だがノエリアは静かに首を振る。
「“選定者”ではない貴方が、“選定の力”を使い続ければ……貴方も、周囲の人々も不幸になります」
「私には見えているのですよ」
「死より残酷な未来が」
エリオスは微笑んだ。
それは人を安心させる笑みではない。
自らの正しさを、一片も疑わぬ者の笑みだった。
「覚悟の上です」
私はすべてを背負い、世界を救う勇者となる。
そう言外に語る声音。
ノエリアは静かに問い返した。
「……何のために?」
エリオスが初めて沈黙する。
「何のために、世界を救いたいのですか」
答えは返らない。
理想はある。
使命感もある。
だが、その根にある“願い”だけが空白だった。
ノエリアは、それを悟ってしまった。
「本当は」
エリオスが手を差し伸べる。
「君の意思で、私たちに協力してほしかった」
その背後から、銀髪の少女が現れた。
セラフィナ。
瞳に迷いと罪悪感を滲ませながら、震える声で告げる。
「ごめんなさい……でも、私たちの世界に協力して」
聖剣と姫巫女。
必要な触媒が揃えば、儀式は成立する。
セラフィナが一瞬だけノエリアを見る。
その視線の中に含まれた感情は”嫉妬”。
「聖句――封印解放」
セラフィナの歌声が夜へ溶けた。
本来、真なる姫巫女のみが行う儀式。
だが人造姫巫女である彼女も、模倣だけはできる。
光の紋様がノエリアの足元へ広がった。
身体から力が抜けていく。
瞳の焦点が揺れる。
意志を奪われ、祈りの器へ変えられていく。
「……っ」
声にならない抵抗。
焦点を失いかけた瞳から、涙が零れ落ちた。
そして。
セラフィナの歌声に呼応するように、ノエリアもまた歌い始める。
エリオスの聖剣が眩く輝いた。
白光が一気に膨張する。
兵たちが息を呑む。
「これが……真の勇者の力」
その時だった。
シンとマリスが駆けつける。
「やあ、来たのですね」
エリオスは口元だけで笑った。
「見ていてください」
「これが皆の望んだ、正義の結晶です」
「待て、エリオス!」
シンの制止は届かない。
エリオスはすでに剣先を遠方へ向けていた。
その先。
倒れ伏したままのレックス。
「聖剣解放」
振り下ろされた刃から、光が奔流となって迸る。
夜を昼へ変える一撃。
地面を抉り。
炎を飲み込み。
草木一つ残さぬ白き津波。
それは救済の名を冠しながら。
誰かを裁くための光だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




