人造勇者
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王国において、“勇者”とは特別な存在だった。
姫巫女による降神。
異界より神格を、その身へ一時的に降ろす儀式。
それによって勇者は、人の限界を超える。
常人では到達できない反応速度。
肉体強度。
魔力出力。
まるで神話の英雄そのもの。
一部の神官たちは、それをこう解釈した。
――人の内に眠る力が覚醒した。
あるいは。
――人の身に、神の力が降臨した。
そして。
そんな奇跡を目の当たりにした人間が、その力を欲するのは、ある意味で当然の流れだった。
王国は研究した。
神を再現する方法を。
勇者を量産する方法を。
その果てに生まれたのが、“人造勇者”計画。
脳。
心臓。
神経。
人体へ直接、刻印魔術を埋め込む禁忌技術。
身体能力を極限まで引き上げ、人を勇者へ近づける。
だが当然、その代償は重い。
適合できず死んだ者は数え切れない。
だから成功例は極少数。
シンは、その数少ない成功例の一人だった。
「……シ、ン……」
地面へ倒れたルーナが、苦しげに呻く。
震える指先が、助けを求めるように宙を彷徨った。
その声に、シンの瞳がさらに揺れる。
「待ってろ、ルーナ!」
炎の剣を構えたまま叫ぶ。
「すぐ終わらせる!」
だが、その言葉にレックスは眉をひそめた。
違う。
優先順位が逆だ。
ルーナを助けたいなら、本来は治療や離脱を優先すべきだった。
なのにシンは、戦うことを止めない。
「……っ」
レックスは小さく息を呑む。
ようやく違和感の正体に気づき始めていた。
シンの腕。
人造聖剣から伸びる、鎖のような管。
それが皮膚へ食い込むように絡みついている。
脈動。
赤い液体。
まるで、生き物の血管だった。
管を通して送り込まれているのは、”神血”と名付けられた禁断の魔法薬。
人造勇者の出力を強制的に引き上げる強制投薬。
それは理性を削り、怒りと闘争本能を増幅させる。
だからシンは止まれない。
止まれば、壊れそうだから。
「っ、ぁ……!」
シンの呼吸は荒い。
肩が上下し、瞳孔は開ききっている。
怒りだけではない。
負の感情の全てが暴走していた。
それでも少年は剣を握る。
守るために。
もう二度と失わないために。
その願いだけで立っていた。
シンが双刃を掲げる。
「劫火よ!!」
瞬間。
双刀身の紋様が赤熱した。
刻印文字が燃えるように浮かび上がり、炎が刃へ絡みつく。
蛇のように。
意思を持つ生物のように。
赤い炎が蠢く。
熱量だけで周囲の空気が歪んだ。
地面の草が自然発火し、焦げていく。
レックスの背筋を冷たい汗が伝う。
「……まずい」
本能が警鐘を鳴らしていた。
あれはまともに受けていい攻撃じゃない。
シンが踏み込む。
爆発のような加速。
炎に焼かれた草原へ、熱風が吹き抜けた。
赤黒い火の粉が舞う中で、レックスは浅く息を吐く。
掌が痛む。
受け続けた衝撃で、棍棒を握る指先の感覚が薄れていた。
だが――まだ折れてはいない。
「沈めぇ!!」
シンが踏み込む。
地面が砕けた。
双刃の人造聖剣が、炎の尾を引きながら迫る。
速い。
重い。
しかも躊躇がない。
レックスは半身になり、紙一重で刃をかわした。
熱が頬を裂く。
直後、追撃。
下から跳ね上がる斬撃を棍棒で受け流す。
火花ではなく、炎が爆ぜた。
(――強い)
ただ力任せではない。
怒りに飲まれているのに、技術が死んでいない。
踏み込みも、連撃の繋ぎも鋭い。
守りたいものがある者の剣。
それが今、レックスへ向いていた。
「俺は……もう、失いたくないんだ!」
叫びと同時に、炎が膨れ上がる。
シンの背後で、倒れたルーナが苦しげに呻いた。
「……シ、ン……」
「待ってろ!すぐ終わらせる!」
シンの瞳には、もうレックスを敵しか映っていない。
レックスは奥歯を噛み締めた。
(ルーナさんを助けたいなら、本当は戦ってる場合じゃない)
だが、今のシンに言葉は届かない。
怒り。
焦燥。
恐怖。
それら全部が混ざり、少年を突き動かしている。
シンの聖剣から伸びた鎖状の管が脈打った。
薬液のような赤い光が流れる。
肉体強化。
強引に限界を超えさせる、人造勇者の機構。
「劫火よ!!」
刃が唸る。
次の瞬間、炎の奔流が一直線に走った。
レックスは咄嗟に横へ飛ぶ。
轟音。
背後の荷車が爆散した。
炎が夜を赤く染める。
(まともに受けたら終わる)
レックスは呼吸を整えた。
恐怖を押し潰す。
焦れば負ける。
ここで必要なのは勝利じゃない。
(止める)
(シン君を)
その瞬間だった。
世界が、ゆっくりになる。
火の粉が止まったように見えた。
シンの足運び。
肩の傾き。
剣筋。
すべてが鮮明に見える。
極限の集中。
レックス自身は、それをただ“集中できた状態”だと思っている。
だが、その一秒は常人とは違っていた。
シンが吠える。
「終われぇぇッ!!」
炎の双刃が振り下ろされる。
レックスは半歩だけ前へ出た。
そして。
止まる。
ほんの一瞬。
踏み込むはずの力を消す。
結果、シンの間合いが僅かに狂った。
「なっ――!?」
刃が空を裂く。
届かない。
その誤差は、爪先一つ分。
だが致命的だった。
流れた体勢。
そこへ。
レックスの棍棒が跳ね上がる。
狙ったのは身体ではない。
聖剣の柄。
甲高い音が夜へ響いた。
「くっ……!」
人造聖剣が、シンの手から弾き飛ばされる。
炎が消えた。
レックスは間髪入れず叫ぶ。
「落ち着いて、シン君!」
「ルーナさんは操られていた! 僕は助けただけだ!」
だが。
シンの呼吸は荒いままだった。
視界が狭い。
怒りが冷めない。
「黙れ……!」
拳を握り、なお前へ出ようとする。
「卑怯者がぁ!!」
その時。
「……や、めて……」
小さな声が、風へ溶けた。
シンの動きが止まる。
倒れていたルーナが、震える腕を伸ばしていた。
「ルーナ!」
シンは弾かれたように駆け寄る。
膝をつき、彼女を抱き起こした。
「しっかりしろ!大丈夫だから!」
ルーナは苦しげに唇を動かす。
だが言葉にならない。
ただ荒い呼吸だけが漏れた。
レックスは静かに棍棒を下ろした。
熱風の向こう。
まだ小鬼たちの咆哮が続いている。
戦場は終わっていない。
それでも。
(……ひとまず、止まった)
そう思った瞬間だった。
背後の闇で。
誰かが笑った気がした。
冷たい悪意だけを残して。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ずぶり。
鈍く、嫌な感触だった。
レックスは背中へ押し込まれた冷たい異物を理解するより先に、肺の空気を吐き出していた。
「――ぁ、ぐ……!」
喉から潰れた咳が漏れる。
熱い。
なのに、刺さった場所だけが妙に冷たい。
膝が崩れた。
辛うじて倒れまいと踏みとどまるが、視界が揺れる。
背後に立っていたのは、一人の男だった。
夜風に白髪を揺らし、返り血すら意に介さない端正な軍服姿。
軍師マリス。
その手には、深々と突き刺さった短剣が握られていた。
「間に合ったようだ」
穏やかな声だった。
まるで遅れて駆け付けた味方のように。
「大丈夫ですか、シン殿」
「……え?」
シンの顔から怒気が消える。
状況が繋がらない。
倒れたルーナ。
血を流すレックス。
そして、自分を気遣うように現れた軍師。
答えは最初から誘導されていた。
声を塞いだ見えない糸。
レックスの動きを止めた一瞬の拘束。
誰にも見えない操作。
盤上の駒だけを、正しく動かすように。
レックスは片膝をつき、ついに地面へ倒れ込んだ。
傷口から血が広がる。
薄れていく意識の中で、ノエリアの声だけが妙に鮮明だった。
(蒼天盟約軍を信用してはいけません)
(……そういう、ことか)
最も危険なのは、剣を振るう者ではない。
人を動かす者だ。
マリスは血の付いた短剣を一度だけ払った。
「さて――苦しませるのも可哀そうだ、止めを刺しましょう」
静かな一言。
その瞬間、止まりかけていた敵意が、再び塗り替えられる。
「ルーナ殿を害した敵は、ここで始末しておくべきでしょう」
マリスがレックスへ歩み寄る。
地面に伏した少年は、もうまともに動けない。
呼吸も浅い。
それでも、棍棒だけは手放していなかった。
「待て!」
鋭い声が飛ぶ。
シンだった。
マリスがゆっくり振り返る。
「……どうしました?」
感情のない目。
静かすぎる声。
シンは言葉に詰まった。
「今のは……」
「卑怯、とでも?」
マリスが微笑む。
否定も肯定もしない笑みだった。
シンの喉が鳴る。
冷静に思い返せば、レックスはルーナを殺そうとしていなかった。
傷つけるどころか、止めようとしていた。
なのに、自分は怒りに任せて剣を振るった。
そして今。
背後から刺された相手を、見ているだけだった。
「シン殿」
マリスは諭すように言う。
「敵を侮ってはなりません」
「情けをかけた結果、ルーナ殿を失ってもよいのですか?」
その言葉が、迷いへ突き刺さる。
ルーナを守りたい。
仲間を失いたくない。
だが、そのためなら。
どこまで許されるのか。
「エリオス殿は“光”です」
マリスは静かに続ける。
「ならば、汚れ仕事は誰かが担わねばならない」
「私は、その役目を果たしているだけですよ」
シンの背筋に、冷たいものが走った。
違う。
この男は、誰かのために汚れているわけじゃない。
自分が正しいと信じている。
だから他人を駒にできる。
その時だった。
「GRRRRRAAAAAAA!!」
咆哮。
大地が震えた。
遠くの森が揺れる。
空へ鳥たちが飛び立ち、夜気が震動した。
「……魔獣か!?」
シンが反射的に身構える。
マリスだけが、静かに目を細めた。
(想定外か)
だが、盤面を閉じるには好都合だった。
「撤退しましょう、シン殿」
「なっ、迎撃しないのか!?」
「ルーナ殿は負傷しています」
「ここで損耗を増やす意味はありません」
合理的。
正しい判断。
なのに、シンの胸には妙な重さが残った。
視線が、血に濡れたレックスへ落ちる。
「……こいつは」
「この出血量です」
マリスは淡々と答えた。
「放置していても、いずれ死ぬでしょう」
「あるいは魔獣の餌になる」
「そんな……!」
シンの声が揺れる。
「姫巫女の従者なんじゃないのか!?」
マリスは一歩だけ近づき、静かに囁いた。
「先ほどまで、その方を排除しようとしていたのは――あなたですよ、シン」
言葉が胸を貫いた。
反論できない。
否定すれば、自分の行動を否定することになる。
認めれば、取り返しがつかない。
シンは拳を握ったまま俯き、ルーナを抱え上げた。
「シン、離脱しますよ」
兵たちの足音が遠ざかっていく。
残されたのは、血に染まった草原。
そして。
一人、倒れ伏すレックスだけだった。
炎の消えかけた戦場で。
勇者たちは、“敵”として去っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
後書き補足説明
「勇者たちの刃」でルーナが好戦的なのは、人造聖剣からの力が影響しています。




