勇者たちの刃
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
炎に照らされた丘の上で、カルドは顔を真っ赤にして喚いていた。
「ルーナのやつ、生き残りやがった!」
足元の石を蹴り飛ばす。
確実に死ぬはずだった。
孤立した女勇者が奮戦の末に散る。
その悲劇こそ、人々の涙を誘い、蒼天盟約軍の名声を押し上げるはずだったのだ。
カルドの脳内で用意されていた“英雄譚”は、無惨に破れた。
「何だ、あの虫けらは! 勇者でもない雑魚が!」
子供じみた癇癪だった。
その隣で、マリスは静かに戦場を見下ろしていた。
「……姫巫女ノエリア様の従者、と称賛するとしましょう」
声色は穏やかだが、瞳は冷えている。
炎の向こうで、小鬼の群れを押し返す黒衣の女――アウラ。
さらに、戦鬼を退けた赤毛の少年――レックス。
動きのわからない駒が二つ、盤上に現れた。
――単なる従者で説明できない。
――もし真の姫巫女が選ぶ“別の勇者”ならば。
マリスの目が細くなる。
勇者エリオスこそ、光でなければならない。
自分が賭けた英雄譚は、そこにしか成立しない。
ならば、不確定要素は消すのみだった。
「数手先の盤上は、まだ私に見えている」
カルドが振り向く。
「どうするつもりだ?」
「カルド殿。あなたには、あのメイド服の女を引き受けていただきたい」
「は? 俺が?」
露骨に嫌そうな顔になる。
マリスは肩へ手を置いた。
「重要な役目です。ここで敵の牙を折れば、未来の蒼天盟約軍を救う“救世主”として名が残ると約束しましょう」
カルドの目が輝いた。
「……救世主、か」
単純だった。
「救世主……カルド様か……フフ、悪くない」
マリスは微笑む。
扱いやすい駒ほど、盤上では便利だ。
駒は期待通りの動きをしてはじめて駒と言える。
「軍師殿はどうする」
「私は私の仕事を」
視線はレックスたちへ向いたまま。
「脚本を少々修正し、望む終幕へ導くだけです」
その笑みには、温度がなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方、炎に包まれた戦場の端。
レックスは荒い息を整えながら、ルーナへ向き直った。
「とりあえず、ルーナさんは皆のところへ戻ってください」
「はっ!? なんでよ!」
即答だった。
「向こう、完全に混乱してます。ルーナさんなら立て直せる」
「敵を全部斬れば済む話でしょ!」
レックスは一瞬だけ黙った。
――この人、思った以上に脳筋では。
あるいは、剣を握ると人格が変わる類かもしれない。
「アウラさんが押さえてますけど、あの人はノエリアを守るためなら他は切り捨てます」
「え?」
ルーナが眉をひそめる。
「姫巫女様の従者でしょ? 人のために戦うんじゃないの?」
「アウラさんは……そういう人じゃないです」
守る範囲が、極端に狭いだけだ。
ルーナは言葉を失う。
戦場の叫びが遠く響いた。
レックスは続ける。
「だから、味方を助けられる人が必要なんです」
一拍置く。
「……勇者って、そういう人なんですよね」
その言葉に、ルーナの肩がわずかに揺れた。
「……わ、分かったわよ」
不満げに顔を逸らしながらも、声は小さい。
「じゃ、戻りますよ」
レックスは背を向け、燃える馬車の方へ歩き出した。
その瞬間。
風を裂く音。
反射的に身を沈める。
銀光が、背中のあった位置を薙いだ。
ルーナの人造聖剣だった。
「……え?」
レックスが振り返る。
ルーナもまた、信じられない顔をしていた。
自分の腕を見ている。
まるで、身体が勝手に動いたかのように。
その瞳の奥が、一瞬だけ濁る。
マリスが静かに指を下ろした。
戦場という盤に、次の一手が置かれたのだ。
風を裂いた斬撃を、レックスは身を沈めてかわした。
地面が抉れ、土と火の粉が舞う。
もし半歩遅れていれば、胴ごと断たれていた。
「ち、違うの! 今のは、勝手に……!」
ルーナの声は震えていた。
だが、その身体は声に反して止まらない。
再び剣が持ち上がる。
刀身に緑の光が走り、風刃が放たれた。
レックスは横へ飛び退く。
頬が浅く切れ、血が滲む。
――冗談じゃない。
これは怒って暴れたのではない。
誰かに、動かされている。
脳裏に浮かぶのは、“もう一人のノエリア”の警告だった。
――ルーナを救え。
「あれ、こういう意味か……!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マリスは静かに微笑んでいた。
右手に装着された人造聖剣は、剣の姿をしていない。
黒銀の籠手。
その指先から、目にも見えぬほど細い魔力の糸が伸びていた。
蒼天盟約軍の多くは、それを捕縛用の武具だと思っている。
非力で、決め手に欠ける外れの聖剣。
だが、使い手が違えば価値は変わる。
糸は皮膚に触れ、筋肉へ潜り、神経へ命令を送る。
本人の意思を遮り、肉体だけを操る。
魔物程度なら完全支配。
人間でも、抵抗の薄い一瞬を突けば十分だった。
マリスはこの技を“操り人形の糸”と呼んでいる。
「さあ、どうする。姫巫女の従者」
愉悦を滲ませ、指をわずかに動かした。
ルーナの瞼から光が消えた。
まるで何も見えないかのように。
それでも身体だけが、獣じみた速度で踏み込んでくる。
「ルーナさん!」
ガァン――!
金属音が火の海に響いた。
レックスの棍棒と、人造聖剣が正面からぶつかる。
火花が散る。
ルーナの剣は、王国最高峰の武装だ。
普通の鉄塊なら、触れた瞬間に断たれている。
だが、レックスの棍棒には傷一つ入らない。
マリスの目が細まった。
――人造聖剣が斬れない物質……?
興味は湧く。
だが今は、排除が先だ。
糸の本数を増やし、さらに圧力をかける。
ルーナの斬撃速度が上がった。
「っ……!」
レックスは防戦に回る。
相手はルーナ本人の身体能力を持つ。
まともにやり合えば不利だった。
だが、数合打ち合って理解する。
剣筋そのものは荒い。
身体は一流でも、操っている側の技量は高くない。
なら、狙うべきは一つ。
武器を奪う。
レックスの呼吸が静かになる。
世界が、わずかに遅く見えた。
振り下ろし。
返しの薙ぎ。
踏み込みの癖。
すべてが、コマ送りのように流れていく。
「――ここだ!」
棍棒を滑り込ませ、刃の根元を跳ね上げる。
甲高い音と共に、人造聖剣が宙を舞った。
地面へ突き刺さる。
ルーナの身体から力が抜けた。
「きゃ……」
崩れ落ちる。
その瞬間だった。
「ルーナ!!」
怒号と共に、一つの影が炎の向こうから駆け込んできた。
剣を抜き放ったシンだった。
目の前には、倒れるルーナ。
その傍らには、武器を構えたレックス。
事情など、説明する時間はない。
「お前……ルーナに何をした!」
殺気が弾ける。
レックスの顔が引きつった。
最悪のタイミングだった。
丘の上で、マリスは満足げに口角を上げる。
「実に良いタイミングで駆けつけた、さすがは勇者シン」
戦場はなお燃えている。
その中で、新たな分断が始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
炎を纏った刃が、夜気を裂いた。
「よせ!シン君、誤解だ!」
レックスの声を掻き消すように、鋼と鋼が激突する。
ガァン――ッ!!
受け止めた瞬間、火花ではなく爆ぜた炎が周囲へ散った。
熱風が吹き抜ける。
焦げた草の臭いが鼻を刺した。
「ふざけるな!!」
シンの怒声が響く。
赤黒く輝く人造聖剣。
その刀身には刻印文字が浮かび上がり、脈打つように明滅していた。
すでに出力限界近くまで魔力を引き上げている。
それがレックスにも分かった。
「お前が……ルーナを!!」
「違う!操られて――」
「黙れッ!!」
説明など届かない。
シンの剣が横薙ぎに走る。
レックスは棍棒で受け流し、その勢いのまま半歩後退した。
直後。
地面が爆ぜる。
シンの踏み込みだった。
「っ――!?」
速い。
人間の加速ではない。
炎を纏った身体が、一瞬で間合いを詰めてくる。
二撃。
三撃。
四撃。
止まらない。
上段から振り下ろされた刃を弾けば、次は足元を薙ぐ斬撃。
それを避ければ、回転と同時に裏から逆袈裟。
途切れない。
まるで怒りそのものが剣になったような連撃だった。
さらにシンの人造聖剣が変形する。
刀身が中央から分離し、双刃へ変わった。
炎の軌跡が二重に走る。
「やめるんだ、シン!」
レックスは叫びながら後退する。
だが返ってくるのは殺気だけだった。
「お前みたいな奴が……!」
シンの瞳は血走っていた。
その視界には、倒れているルーナしか映っていない。
守れなかった。
傷つけられた。
その事実だけが、少年の怒りを暴走させている。
レックスは歯を食いしばる。
下手に反撃できない。
ここでシンを傷つければ、誤解は決定的になる。
だが、防戦一方では限界が来る。
「くっ……!」
重い。
棍棒越しに伝わる衝撃が、腕の骨を軋ませる。
一撃ごとに体勢が崩される。
しかも速い。
反応が遅れれば、その瞬間に斬られる。
「なんでだよ!!」
シンの叫びは、怒りというより悲鳴に近かった。
「なんで、守れないんだよ!!」
炎が吹き荒れる。
感情に呼応するように、人造聖剣の輝きが増していく。
レックスは理解する。
これは技術だけではない。
勇者という存在そのものが、人を超えた力を引き出している。
「……これが」
棍棒で刃を逸らしながら、レックスは息を呑む。
「勇者の力だとでも……!」
人が、人である限界を越えるために。
誰かを守るために。
あるいは、誰かを殺すために。
王国が造り出した力。
その理不尽さが、今は牙を剥いていた。
シンの双刃が十字に閃く。
レックスは身を捻ってかわす。
頬が浅く裂けた。
熱い血が流れる。
だが次の瞬間。
レックスの視界が、急激に研ぎ澄まされた。
風が遅くなる。
炎の揺らぎが見える。
落ちる火の粉の軌道すら、はっきりと認識できた。
極限集中。
レックス自身も理解しきれていない、異常な知覚。
「――そこだ」
シンの連撃の中に、一瞬だけ生まれる重心の空白。
レックスは滑り込むように踏み込み、棍棒の腹で双刃の軌道を逸らした。
「っ!?」
初めてシンの表情が揺れる。
その隙に、レックスは距離を取った。
息が荒い。
だが、シンは止まらない。
炎の剣を構え直し、再び踏み込もうとする。
その姿はもう、“勇者”ではなかった。
怒りに呑まれた、一人の少年だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




