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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ノエリア編
55/131

“平和”のため

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



考えるより先に、身体が動いていた。


ゴッ――!!


鈍く重い衝突音。


一体の小鬼の頭蓋が、棍棒の一撃で陥没する。


レックスはそのまま踏み込み、避難民の前へ滑り込んだ。


「下がって!」


悲鳴を上げていた兵站員たちが、慌てて後退する。


同時に、小鬼が三方向から飛びかかってきた。


だが。


レックスの紅い瞳は、すでにその先を見ていた。


(見える)


周囲の音が遠のく。


風が遅くなる。


小鬼の腕の軌道。


踏み込み。


次に動く個体。


全部が、異様なほど鮮明に見えた。


極限まで集中した時だけ訪れる感覚。


小鬼の歩幅の距離がわかる。


小鬼がどの順番でこちらの間合いに入るのか読める。


小鬼の呼吸音すら聞こえるような気がする。


(順番を間違えるな)


最小動作。


最短距離。


次の攻撃へ繋げるためだけの一撃。


棍棒が唸る。


小鬼の膝を砕き。


顎を打ち抜き。


振り向きざまに側頭部を潰す。


まるで吸い寄せられるように急所だけが破壊されていった。


「ルーナさん!」


三体目の爪を紙一重でかわしながら叫ぶ。


「こっちは僕が抑える!君は数を減らして!」


ルーナが目を見開いた。


頼りなさそうな少年。


そんな印象だった。


だが今、最前線で敵の流れを制御している。


次にどこから襲われるか分かっているかのような動きだった。


「……言われなくても!」


ルーナの剣が再び輝く。


「烈風刃!」


風刃が群れを薙ぎ払う。


肉片と血飛沫が宙を舞った。


だが。


まだ終わらない。


揺れる草原の奥。


さらに新しい影が現れる。


レックスの顔から余裕が消えた。


(数が多すぎる)


自然発生じゃない。


偶然でもない。


これは明らかに“誘導”されている。


エリオス率いる主力を前線へ向かわせ。


手薄になった後方だけを襲撃する。


まるで。


最初から蒼天盟約軍を分断するために組まれていたような動き。


脳裏に、昨夜の声が蘇る。


――蒼天盟約軍は、信用してはいけません。


ノエリアの警告。


だが、レックスには理解できない。


ルーナもいる。


シンもいる。


少なくとも、全員が裏切っているようには見えなかった。


(まさか……ルーナさんたちまで犠牲にするつもりなのか?)


その時だった。


レックスの瞳が、小鬼の後方を捉える。


「……っ!?」


弓。


粗末だが、確かに武器を持っていた。


しかも。


矢の先端へ、別の小鬼が松明で火をつけている。


レックスの背筋が凍った。


「ルーナさん!火矢だ!」


直後。


無数の火矢が空を裂いた。


炎の雨。


一直線ではない。


避難民。


荷車。


補給物資。


燃えやすい場所を狙って放たれていた。


「味方ごと焼く気!?」


ルーナが叫ぶ。


風魔法で火矢を散らす。


だが数が多すぎる。


小鬼。


火矢。


避難民。


全部を同時に守るには、処理が追いつかない。


その瞬間。


横転していた荷車へ火矢が突き刺さった。


爆炎。


積まれていた油樽が破裂する。


轟音とともに火柱が噴き上がった。


「しまっ――!」


レックスが叫ぶ。


だが遅い。


炎が壁のように広がる。


熱風。


黒煙。


戦場が真っ二つに断ち切られた。


炎の向こう側にはルーナ。


こちら側にはレックスと避難民。


完全な分断。


そして。


その瞬間を待っていたかのように。


小鬼たちが一斉に嗤った。


ギャギャギャ――ッ!!


濁った哄笑。


獣のものではない。


明確な悪意を持った笑い声だった。


夜風が吹き抜ける。


血の匂いと、焦げた臭いを運びながら。


レックスは炎の向こうを睨みつけた。


――誰かが、この戦場を操っている。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



丘の上から見下ろす戦場は、まるで燃える蟻塚だった。


乾いた夜風が草原を揺らし、火の粉を運ぶ。


赤い炎。


黒い煙。


悲鳴。


その混沌を見下ろしながら、カルド・ミレスは愉快そうに喉を鳴らした。


「くく……実に愉快な眺めだ」


細い指先で望遠鏡を弄ぶ。


視界の先では、蒼天盟約軍の後方部隊が崩れ始めていた。


横転した荷車。


逃げ惑う兵站要員。


火矢を浴び、燃え上がる天幕。


その中心で、赤い髪の少女だけが、なお剣を振るい続けている。


ルーナだった。


「まだ倒れんか」


「しぶとい女だ」


カルドは肩を揺らして笑う。


人造聖剣の光が、夜闇を裂く。


風刃が小鬼を吹き飛ばし、真空斬撃が群れを両断する。


だが、それでも数が減らない。


魔物たちは、まるで誰かの意志で動いているかのように、絶え間なく押し寄せていた。


「“魔蓄積核”にも限界はある」


カルドが呟く。


「勇者だろうが、魔力が尽きれば終わりだ」


隣に立つ男は、何も笑わなかった。


蒼天盟約軍軍師――マリス。


痩せた長身を外套に包み、静かな目で戦場を観察している。


「騒ぐな、カルド」


低い声だった。


「耳障りだ」


カルドの笑みがわずかに引きつる。


だが反論はしない。


この男には、妙な迫力があった。


剣士でもない。


魔法使いでもない。


それでも、敵を倒すことに関してだけは、誰より冷たい。


「今回の件は、勇者エリオス様へ報告する必要はない」


マリスが淡々と言う。


「……くく、理想家には刺激が強すぎるか?」


「必要ないと言っただけだ」


視線は戦場から動かない。


「民は危機を求める」


「危機?」


「英雄を輝かせる舞台だ」


マリスの声には感情がなかった。


「脅威が大きいほど、人は勇者に縋る」


「涙を流し、金を払い、兵を差し出す」


「蒼天盟約軍は、さらに大きくなる」


カルドは愉快そうに笑う。


「そのためにルーナを餌にしたわけか」


「彼女は最適解だ」


即答だった。


「若い」


「強い」


「美しい」


「死ねば、“殉教の勇者”として最大の価値を生む」


丘の上を風が吹き抜ける。


あまりにも冷たい言葉だった。


そこには悪意すらない。


ただ効率だけがある。


戦争とは何か。


マリスにとって、その答えは単純だった。


敵を倒すこと。


そのために必要なら、味方も消費する。


敵より多く味方が残れば勝利。


それだけだ。


「気に入ったぞ、軍師殿」


カルドが笑う。


「俺は前から気に食わなかったんだ」


「勇者だの理想だの、綺麗事ばかり抜かしおって」


マリスは答えない。


代わりに、わずかに視線を細めた。


「……あれは何だ」


カルドが望遠鏡を覗いたまま眉をひそめる。


炎の向こう。


一人の少年が、小鬼の群れを押し留めていた。


黒い棍棒。


細い身体。


だが、その動きだけが異様だった。


「勇者でもない雑魚が、妙に粘るな」


レックスだった。


小鬼の爪を紙一重でかわし、反撃の一撃だけで頭蓋を砕く。


最小限。


だが確実。


まるで敵の動きを先に知っているような戦い方だった。


「殺しておくか?」


カルドが楽しそうに言う。


しかしマリスは首を横に振った。


「盤上の駒は、動きを見てから価値を決める」


冷え切った声だった。


その瞬間。


丘の下で爆炎が上がる。


火矢が荷車へ直撃したのだ。


轟音。


炎の壁。


分断される戦場。


ルーナと、避難民側のレックス。


完全に切り離された。


カルドが口角を吊り上げる。


「始まったな」


マリスは静かに戦場を見下ろす。


丘の下では、誰かを守るために命を懸ける者たちがいる。


丘の上では、その命を数字として数える者たちがいる。


どちらも、“平和”のためだった。


同じ言葉を掲げながら。


その意味だけが、決定的に違っていた。


そして――。


戦場の本当の地獄は、まだ始まってすらいなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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