戦慄の戦闘
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
砦の会議室へ飛び込んできた伝令兵は、額に汗を浮かべたまま叫んだ。
「魔王国との国境付近より、魔物の大群が出現したとの報告です」
室内の空気が張り詰める。
だが、その中心に立つエリオスだけは微動だにしなかった。
「そうですか」
静かな声だった。
まるで、予想していた知らせを確認しただけのように。
「どうなさいますか?」
セラフィナが問いかける。
「もちろん、出撃する」
即答。
そこに迷いはない。
勇者として、人々を守る。
その一点だけを真っ直ぐに見据えた声だった。
――それが、一日前。
そして現在。
レックスたちは、蒼天盟約軍の後続部隊と共に荒野を進んでいた。
蹄の音が大地を鳴らす。
砂煙を引きながら続く長い隊列。
レックスは御者台に腰掛け、手綱を握っていた。
乗客用スペースには、ノエリアとアウラが静かに座っている。
だが、レックスの頭からは昨夜の言葉が離れなかった。
――蒼天盟約軍は、信用してはいけません。
最初は、いつもの不思議な言い回しだと思っていた。
ノエリアらしい曖昧な警告。
けれど今回は違う。
あの時の声は、冗談でも天然でもなかった。
妙に現実味があった。
現在地は前線まで半日ほど。
だが途中で、エリオスは後続部隊へ休息を命じ、自らは精鋭部隊だけを率いて先行していった。
その背中を見送りながら、レックスは呟く。
(今回は、勇者本人まで出撃するんだな……)
「今回は、規模が大きい」
隣を進む兵士が答える。
兵たちの視線は、遠ざかる勇者へ向けられていた。
聖剣。
勇者。
その存在自体が、兵士たちに安心を与えている。
だがレックスの胸には、別の重さが沈んでいた。
「ねえ、あなた」
聞き覚えのある声。
横を見ると、馬を寄せてきたルーナがいた。
赤い髪が風に揺れている。
だが、その表情には少しだけ落ち着きがなかった。
「昨日は……ごめんなさい」
「え?」
意外な謝罪だった。
「やっぱり、わざと覗き見してたんですね」
「覗きじゃないわよ!警護!」
即座に否定する。
顔まで赤い。
「姫巫女様が夜中に急に出ていったのよ!?心配するでしょ!」
「それで物陰から?」
「……安全確認よ」
説得力は薄かった。
レックスは思わず笑いそうになる。
(正直、この人を見てると、ノエリアの警告を疑いたくなるな)
「まあ、許しますよ」
「だから覗きじゃないってば!」
さらに頬を赤くする。
だが次の瞬間、ルーナは少し真面目な顔になった。
「あなたって……ほんとは姫巫女様の勇者なの?」
「はい?」
意味が分からず聞き返す。
「どこをどう見たらそうなるの」
「だって、姫巫女ノエリア様が特別に気にする相手なんて普通そうでしょ」
レックスは苦笑した。
「ノエリアと僕は、そういう関係じゃないよ」
「じゃあ何よ」
「……今は僕が知りたいくらいだよ」
本音だった。
今のノエリアは何を考えているのか、決定的な部分だけが見えない。
ルーナは少し目を細めた。
「恋愛感情とか、ないの?」
「大切な人ではあるけど、恋愛っていう要素はない……かな」
「なによ、それ」
むっとした顔になる。
その反応が少し面白くて、レックスは軽く言い返した。
「ルーナさんこそ、シン君といい感じなんじゃないですか?」
「なっ……!?」
耳まで真っ赤になる。
「そ、そんなわけないでしょ!」
否定が早すぎた。
その瞬間だった。
――カン、カン、カンッ!!
甲高い警鐘が鳴り響く。
続いて笛の音。
兵士たちの怒号が荒野を裂いた。
「敵襲!側面より魔物接近!」
「なっ……そんな馬鹿な!」
ルーナの顔つきが変わる。
少女の表情が消えた。
代わりに現れたのは、戦場を駆ける戦士の目。
草原が波打つ。
その中から、黒い影が次々と飛び出してきた。
濁った咆哮。
小鬼の群れ。
だが数が異常だった。
一個中隊規模を超えている。
対する後方部隊の戦力は、ルーナたちを含めても十数名程度。
レックスの背筋に冷たいものが走った。
(前線へ主力を誘導して、手薄な後方を狙った……?)
偶然ではない。
魔物が、そんな戦術的行動を取るはずがない。
「隊列を組め!馬車を守れ!」
兵士たちが叫ぶ。
だが突然の襲撃に陣形は乱れ、恐怖だけが先に広がっていく。
レックスは棍棒を握り締めた。
「ルーナ!非戦闘員の避難を!」
「言われなくても分かってる!」
ルーナは剣を抜き放つ。
そして一直線に魔物の群れへ飛び込んでいった。
正義を掲げる軍。
人々を守るための戦い。
そのはずだった。
なのに。
馬車の中では、ノエリアだけが静かに目を閉じている。
まるで。
こうなることを、最初から知っていたかのように。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
森の奥から溢れ出した小鬼たちは、まるで黒い濁流だった。
細長い手足。
異様に膨れた腹。
地面を擦るような猫背の姿勢で、涎を垂らしながら突進してくる。
黄色く濁った瞳には知性がない。
あるのは飢えだけ。
魔王国に暮らす亜人種とは違う。
言葉も文化も持たず、人を喰らうためだけに存在しているような怪物だった。
甲高い咆哮が荒野へ響く。
ルーナは馬上から周囲を見回し、鋭く叫んだ。
「哨戒部隊はどうなってるのよ!」
後方部隊に敵が現れるなど、本来ありえない。
蒼天盟約軍は索敵を最重要としている。
特に今回は、大規模殲滅作戦だ。
全周囲に偵察を飛ばしていたはずだった。
なのに。
この数。
この接近距離。
発見が遅すぎる。
兵士の一人が顔を青くしながら答える。
「今回の偵察スケジュールを組んだのは……カルド卿です」
「……あいつ」
ルーナが露骨に顔をしかめた。
今回の作戦は、勇者エリオスを中心とした短期殲滅戦。
最大戦力を前線へ集中させる構成になっている。
その代償として、この後方部隊は補給担当や治療班が大半だった。
まともに戦える者が少ない。
「勇者エリオス様へ連絡を急げ!」
兵たちが慌ただしく走る。
だが、その間にも小鬼たちは迫っていた。
ルーナは剣を抜く。
銀色の刀身が陽光を反射した。
王国製――“人造聖剣”。
神鋼に迫る強度を誇る“人造オリハルコン”製の魔導兵装だった。
「いくわよ!」
踏み込み。
一閃。
最前列の小鬼の首が宙を舞った。
続けざまに二体、三体。
だが数が多すぎる。
それでも兵たちの恐怖が崩壊しないのは、彼女が“勇者”だからだった。
ルーナは剣を構え直す。
「見せてあげるわ。勇者の力を!」
次の瞬間。
剣の柄から鎖のような金属が伸び、彼女の腕へ絡みついた。
まるで武器と肉体が接続されるような異様な光景。
刀身へ魔力文字が浮かび上がる。
「烈風刃!」
轟音。
真空の刃が一直線に走った。
複数の小鬼がまとめて両断され、血飛沫が宙へ散る。
レックスは目を見開いた。
(何だ、あれ……)
風系の刻印魔法。
だが威力が異常だった。
中級術式の出力ではない。
兵士たちから歓声が上がる。
「風圧砲!」
今度は圧縮された暴風の塊。
小鬼たちをまとめて吹き飛ばし、地面を転がしていく。
だが。
レックスは違和感を覚えた。
(強すぎる……いや、魔力消費が激し過ぎるんじゃないか?)
その予感は当たる。
ルーナの剣の輝きが急速に弱まった。
魔力切れ。
直後、剣の柄尻から細い金属棒が排出される。
ルーナは腰のポーチから新しい棒を取り出し、素早く差し込んだ。
捻る。
再び刀身が輝きを取り戻した。
「まだまだぁ!」
レックスは思わず息を呑む。
(あれで魔力を回復できるのか)
普通なら刻印武器は壊れる。
急激な魔力供給に耐えられないからだ。
だが人造聖剣は別、それに当てはまらない。
“魔蓄積核”。
携帯型の交換用魔力電池。
人類が聖剣へ近づこうとして生み出した技術結晶だった。
供給源さえ尽きなければ、魔法を連続行使できる。
ルーナはさらに前へ出る。
「来なさい!」
敵意を自分へ向ける。
後方の非戦闘員を守るための動き。
実戦経験に裏打ちされた判断だった。
しかし。
小鬼たちは止まらない。
いや――違う。
ルーナを避けた。
左右へ散開し、補給馬車へ向かう。
治療班へ。
逃げ惑う兵站要員へ。
「え……?」
ルーナの表情が凍る。
本能だけの魔物なら、敵意へ引き寄せられるはずだった。
なのに違う。
まるで最初から狙いが決まっているような動き。
荷車が横転した。
薬品箱が砕け散る。
転がった松明が布へ燃え移り、火が上がる。
悲鳴。
怒号。
混乱。
その光景を見た瞬間。
レックスの背筋に、氷のような悪寒が走った。
――これは偶然じゃないのか。
誰かが。
“この罠”を作っている。
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