信用してはいけません
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
石造りの長い廊下に、等間隔で並ぶ魔導灯だけが淡く揺れている。
窓の外では、黒い雲が月を隠し、風が遠くで唸っていた。
その中を、シンとルーナが並んで歩く。
「カルド、相変わらず嫌な奴だな」
吐き捨てるような声だった。
シンは片手をポケットに突っ込みながら、眉を険しくしている。
感情を隠せていない顔だった。
「そうね、いけ好かないわ」
ルーナも肩をすくめる。
だが、単純な悪意だけでは済まないことを、二人とも理解していた。
カルド・ミレス。
当初、蒼天盟約軍は理想だけを掲げた寄せ集めだった。
食料も。武器も。拠点の維持費すら足りなかった。
そこへ現れたのが、カルドだった。
落ち目の貴族派閥を後ろ盾に、金と物資を持ち込んだ。
その代わり、自らを“勇者”の一員として認めさせた。
当然、反発は大きかった。
だが、エリオスが結果を出した。
魔物討伐。
難民保護。
盗賊団壊滅。
人々は蒼天盟約軍を支持し始めた。
そして今では、カルドの派閥に依存せずとも組織は回る。
――だが。
その代わりに増えたものがある。
期待だ。
民衆。
商人。
貴族。
兵士。
誰もが、蒼天盟約軍に“次”を求め始めていた。
シンの脳裏に、一つの単語が浮かぶ。
(……魔王国)
自由交易都市セルディアが独占している膨大な富。
魔鉱石。
魔導技術。
希少素材。
それらを手に入れれば、王国の力は一変する。
そして。
それを可能にする存在がある。
聖剣。
勇者。
かつて、巫女姫フィデリアに選ばれた勇者は、“覇王”を打ち倒したと記録されている。
つまり。
王国が姫巫女を召喚した理由など、考えるまでもなかった。
(――侵攻)
シンの喉奥が、嫌に重くなる。
その時だった。
「シン、また怖い顔してるわよ」
隣からルーナが覗き込んでくる。
赤い瞳には、心配が滲んでいた。
シンは少し視線を逸らす。
「……ルーナ。俺たちは平和を作るための組織だよな」
その声には、迷いが混じっていた。
ルーナはすぐには答えなかった。
ノエリアの言葉。
――あなたたちは、何を“守る”のですか。
あの問いが、まだシンの胸に刺さっている。
聖剣は人を守るための力のはずだった。
勇者は希望の象徴のはずだった。
なのに。
その力が、大きな戦争を呼び込もうとしている。
平和のために戦う。
だが、その戦いが新たな地獄を生む。
その矛盾が、シンの心を軋ませていた。
「カルドのやつは、強引な手段を使って、ノエリアさんを利用するかもしれない」
低い声だった。
拳が自然と握られている。
ノエリアは優しすぎる。
誰かの苦しみを見れば、自分を犠牲にしてでも応えようとする。
だからこそ危うい。
「そうならないように、私たちが彼女を守らないと」
ルーナは迷いなく言った。
その言葉だけは、真っ直ぐだった。
シンは小さく息を吐く。
「ああ。少なくとも、カルドの思い通りにはさせない」
ぐっと拳に力が入る。
もしノエリアを利用しようとするなら。
自分は止める。
たとえ相手が同じ勇者でも。
「それに、エリオスもそんなことを許すわけがない」
そう言った瞬間だった。
シンの声が、ほんの少しだけ弱くなる。
ルーナは気づいた。
シンが“確認”するように、その名前を口にしたことに。
エリオスは理想を語る。
誰よりも正しく。
誰よりも迷いなく。
だからこそ。
もし、その“正義”が暴走した時。
誰が止められるのか。
ルーナは何も言わなかった。
ただ、不安そうにシンの横顔を見つめる。
廊下の先。
闇は、まだ深かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――視線を感じる」
レックスは手を止めなかった。
静かな部屋の中。
砥石が棍棒の表面を擦る、ざり……ざり……という音だけが響いている。
彼は小さく息を吐いた。
誰なのかは、分かっている。
(“もう一人のノエリア”だ)
普段のノエリアは柔らかい。
少し天然で。
危なっかしくて。
放っておけない少女だった。
気づけば周囲を和ませている、不思議な空気を持っている。
だが。
今、背後に立っている存在は違う。
静かすぎる。
整いすぎている。
人の感情ではなく、もっと別の基準で世界を見ているような気配。
ノエリアは無言のまま、レックスの作業を見つめていた。
しかも近い。
妙に近い。
「えっと……」
耐えきれず、助けを求めるように視線を向ける。
部屋の隅。
そこではアウラが優雅に紅茶を飲んでいた。
そして満面の笑みで親指を立てる。
完全に役に立たない。
むしろ送り出そうとしている。
レックスは悟っていた。
アウラのノエリアへの忠誠は、もはや信仰に近い。
ノエリアが公序良俗に違反しない限り、止める気はない。
「どうかしました?」
先に口を開いたのはノエリアだった。
「いや、それはこっちの台詞なんだけど」
「少し付き合ってください」
即答だった。
「アウラ」
「少しレックスと外に出てきます」
「はい、いってらっしゃいませ」
「ちょっと待って!?」
抗議は誰にも届かない。
そのまま腕を引かれ、レックスは部屋の外へ連れ出された。
砦の外壁通路。
夜風が石壁を撫でる。
冷えた空気が流れ、遠くでは篝火が小さく揺れていた。
巡回兵の足音。
荒野を照らす白い月光。
戦場の最前線とは思えないほど、静かな夜だった。
ノエリアは城壁にもたれ、レックスを見上げる。
「レックスは、私が苦手なのですね」
「どうして?」
真っ直ぐな問いだった。
レックスは困ったように頬を掻く。
「苦手っていうか……君のこと、よく分からないから」
正直な答え。
ノエリアは少しだけ首を傾げた。
「変ですね」
「わたし“も”ノエリアなのに」
その瞳は揺れない。
レックスは静かに息を飲む。
「……やっぱり、君は別なんだね」
否定は返ってこなかった。
風だけが二人の間を抜けていく。
「質問していい?」
「答えられることでしたら」
レックスは一度、夜空を見上げる。
そして問いかけた。
「君の言う“選定”が終わったら、どうなる?」
沈黙。
返答はない。
ただ、風だけが通り過ぎる。
「そっか」
予想通りだった。
なら。
もう一つ。
「君が目覚めたのは、聖剣とか選定の力が原因なの?」
ノエリアは静かに答える。
「『裁定者』と『選定者』は共にあります」
「そこは答えてくれるんだ……」
余計に分からなくなる。
レックスは眉を寄せた。
「勇者エリオスたちは、その意味を知ってるの?」
「……知らないでしょう」
その声だけ、ほんの少し沈んだ。
レックスは腕を組む。
エリオスたちは結果を出している。
人を救っている。
理想も、本物に見える。
それでも。
(判定する側だけがルールを知っている)
(当事者には知らされていない)
(……それとも、あっちも知った上で進めてるのか)
考え込んでいた時だった。
ふと顔を上げる。
ノエリアが頬を膨らませていた。
「え、僕なにかした?」
「期待した反応と違います」
「何が!?」
「こういう場面では、私のどこが好きか語るべきです」
「いや状況が状況だよ!?」
次の瞬間。
ノエリアが両手を伸ばし、レックスの首の後ろへ回した。
ぐい、と引き寄せられる。
「ちょ、近い近い近い!」
「レックスは黙っていてください」
「今、レックスを“吸っている”のですから」
「吸うって何!? 僕は猫かなにかなの!?」
ノエリアはそのまま、レックスの首筋へ顔を埋める。
吐息が触れる距離。
柔らかな髪が肩に触れた。
甘い香り。
温もり。
レックスの顔が一気に熱くなる。
(違う、違うから!? これは違うんだエルディナ!?)
レックスの脳裏に、ものすごく怒っているエルディナの顔が浮かぶ。
その瞬間。
人の気配を感じた。
慌てて横を見る。
物陰から覗いていたのは、シンとルーナだった。
シンは露骨に横を向いている。
ルーナは両手で顔を覆いながら、指の隙間からしっかり見ていた。
(……何してるんだ、あの二人)
(止める気があるなら介入してきてよ!)
レックスは小声で囁く。
「君、いったい何がしたいんだ……!」
ノエリアは耳元へ唇を寄せた。
「私がここへ来た理由は――」
夜風より静かな声。
「予知したからです」
レックスの呼吸が止まる。
「レックスに、とても危険なことが起こります」
「蒼天盟約軍は、信用してはいけません」
「だから、気を付けて」
背筋が冷えた。
「な……どういう意味――」
問い返すより早く、ノエリアは身体を離す。
そして、ふわりと微笑んだ。
いつもの優しい笑顔。
だが。
その笑みを浮かべているのは、“もう一人の方”だった。
月明かりの下。
その違和感だけが、妙に冷たく残った。
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