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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ノエリア編
53/139

信用してはいけません

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



石造りの長い廊下に、等間隔で並ぶ魔導灯だけが淡く揺れている。


窓の外では、黒い雲が月を隠し、風が遠くで唸っていた。


その中を、シンとルーナが並んで歩く。


「カルド、相変わらず嫌な奴だな」


吐き捨てるような声だった。


シンは片手をポケットに突っ込みながら、眉を険しくしている。


感情を隠せていない顔だった。


「そうね、いけ好かないわ」


ルーナも肩をすくめる。


だが、単純な悪意だけでは済まないことを、二人とも理解していた。


カルド・ミレス。


当初、蒼天盟約軍は理想だけを掲げた寄せ集めだった。


食料も。武器も。拠点の維持費すら足りなかった。


そこへ現れたのが、カルドだった。


落ち目の貴族派閥を後ろ盾に、金と物資を持ち込んだ。


その代わり、自らを“勇者”の一員として認めさせた。


当然、反発は大きかった。


だが、エリオスが結果を出した。


魔物討伐。


難民保護。


盗賊団壊滅。


人々は蒼天盟約軍を支持し始めた。


そして今では、カルドの派閥に依存せずとも組織は回る。


――だが。


その代わりに増えたものがある。


期待だ。


民衆。


商人。


貴族。


兵士。


誰もが、蒼天盟約軍に“次”を求め始めていた。


シンの脳裏に、一つの単語が浮かぶ。


(……魔王国)


自由交易都市セルディアが独占している膨大な富。


魔鉱石。


魔導技術。


希少素材。


それらを手に入れれば、王国の力は一変する。


そして。


それを可能にする存在がある。


聖剣。


勇者。


かつて、巫女姫フィデリアに選ばれた勇者は、“覇王”を打ち倒したと記録されている。


つまり。


王国が姫巫女を召喚した理由など、考えるまでもなかった。


(――侵攻)


シンの喉奥が、嫌に重くなる。


その時だった。


「シン、また怖い顔してるわよ」


隣からルーナが覗き込んでくる。


赤い瞳には、心配が滲んでいた。


シンは少し視線を逸らす。


「……ルーナ。俺たちは平和を作るための組織だよな」


その声には、迷いが混じっていた。


ルーナはすぐには答えなかった。


ノエリアの言葉。


――あなたたちは、何を“守る”のですか。


あの問いが、まだシンの胸に刺さっている。


聖剣は人を守るための力のはずだった。


勇者は希望の象徴のはずだった。


なのに。


その力が、大きな戦争を呼び込もうとしている。


平和のために戦う。


だが、その戦いが新たな地獄を生む。


その矛盾が、シンの心を軋ませていた。


「カルドのやつは、強引な手段を使って、ノエリアさんを利用するかもしれない」


低い声だった。


拳が自然と握られている。


ノエリアは優しすぎる。


誰かの苦しみを見れば、自分を犠牲にしてでも応えようとする。


だからこそ危うい。


「そうならないように、私たちが彼女を守らないと」


ルーナは迷いなく言った。


その言葉だけは、真っ直ぐだった。


シンは小さく息を吐く。


「ああ。少なくとも、カルドの思い通りにはさせない」


ぐっと拳に力が入る。


もしノエリアを利用しようとするなら。


自分は止める。


たとえ相手が同じ勇者でも。


「それに、エリオスもそんなことを許すわけがない」


そう言った瞬間だった。


シンの声が、ほんの少しだけ弱くなる。


ルーナは気づいた。


シンが“確認”するように、その名前を口にしたことに。


エリオスは理想を語る。


誰よりも正しく。


誰よりも迷いなく。


だからこそ。


もし、その“正義”が暴走した時。


誰が止められるのか。


ルーナは何も言わなかった。


ただ、不安そうにシンの横顔を見つめる。


廊下の先。


闇は、まだ深かった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「――視線を感じる」


レックスは手を止めなかった。


静かな部屋の中。


砥石が棍棒の表面を擦る、ざり……ざり……という音だけが響いている。


彼は小さく息を吐いた。


誰なのかは、分かっている。


(“もう一人のノエリア”だ)


普段のノエリアは柔らかい。


少し天然で。


危なっかしくて。


放っておけない少女だった。


気づけば周囲を和ませている、不思議な空気を持っている。


だが。


今、背後に立っている存在は違う。


静かすぎる。


整いすぎている。


人の感情ではなく、もっと別の基準で世界を見ているような気配。


ノエリアは無言のまま、レックスの作業を見つめていた。


しかも近い。


妙に近い。


「えっと……」


耐えきれず、助けを求めるように視線を向ける。


部屋の隅。


そこではアウラが優雅に紅茶を飲んでいた。


そして満面の笑みで親指を立てる。


完全に役に立たない。


むしろ送り出そうとしている。


レックスは悟っていた。


アウラのノエリアへの忠誠は、もはや信仰に近い。


ノエリアが公序良俗に違反しない限り、止める気はない。


「どうかしました?」


先に口を開いたのはノエリアだった。


「いや、それはこっちの台詞なんだけど」


「少し付き合ってください」


即答だった。


「アウラ」


「少しレックスと外に出てきます」


「はい、いってらっしゃいませ」


「ちょっと待って!?」


抗議は誰にも届かない。


そのまま腕を引かれ、レックスは部屋の外へ連れ出された。


砦の外壁通路。


夜風が石壁を撫でる。


冷えた空気が流れ、遠くでは篝火が小さく揺れていた。


巡回兵の足音。


荒野を照らす白い月光。


戦場の最前線とは思えないほど、静かな夜だった。


ノエリアは城壁にもたれ、レックスを見上げる。


「レックスは、私が苦手なのですね」


「どうして?」


真っ直ぐな問いだった。


レックスは困ったように頬を掻く。


「苦手っていうか……君のこと、よく分からないから」


正直な答え。


ノエリアは少しだけ首を傾げた。


「変ですね」


「わたし“も”ノエリアなのに」


その瞳は揺れない。


レックスは静かに息を飲む。


「……やっぱり、君は別なんだね」


否定は返ってこなかった。


風だけが二人の間を抜けていく。


「質問していい?」


「答えられることでしたら」


レックスは一度、夜空を見上げる。


そして問いかけた。


「君の言う“選定”が終わったら、どうなる?」


沈黙。


返答はない。


ただ、風だけが通り過ぎる。


「そっか」


予想通りだった。


なら。


もう一つ。


「君が目覚めたのは、聖剣とか選定の力が原因なの?」


ノエリアは静かに答える。


「『裁定者』と『選定者』は共にあります」


「そこは答えてくれるんだ……」


余計に分からなくなる。


レックスは眉を寄せた。


「勇者エリオスたちは、その意味を知ってるの?」


「……知らないでしょう」


その声だけ、ほんの少し沈んだ。


レックスは腕を組む。


エリオスたちは結果を出している。


人を救っている。


理想も、本物に見える。


それでも。


(判定する側だけがルールを知っている)


(当事者には知らされていない)


(……それとも、あっちも知った上で進めてるのか)


考え込んでいた時だった。


ふと顔を上げる。


ノエリアが頬を膨らませていた。


「え、僕なにかした?」


「期待した反応と違います」


「何が!?」


「こういう場面では、私のどこが好きか語るべきです」


「いや状況が状況だよ!?」


次の瞬間。


ノエリアが両手を伸ばし、レックスの首の後ろへ回した。


ぐい、と引き寄せられる。


「ちょ、近い近い近い!」


「レックスは黙っていてください」


「今、レックスを“吸っている”のですから」


「吸うって何!? 僕は猫かなにかなの!?」


ノエリアはそのまま、レックスの首筋へ顔を埋める。


吐息が触れる距離。


柔らかな髪が肩に触れた。


甘い香り。


温もり。


レックスの顔が一気に熱くなる。


(違う、違うから!? これは違うんだエルディナ!?)


レックスの脳裏に、ものすごく怒っているエルディナの顔が浮かぶ。


その瞬間。


人の気配を感じた。


慌てて横を見る。


物陰から覗いていたのは、シンとルーナだった。


シンは露骨に横を向いている。


ルーナは両手で顔を覆いながら、指の隙間からしっかり見ていた。


(……何してるんだ、あの二人)


(止める気があるなら介入してきてよ!)


レックスは小声で囁く。


「君、いったい何がしたいんだ……!」


ノエリアは耳元へ唇を寄せた。


「私がここへ来た理由は――」


夜風より静かな声。


「予知したからです」


レックスの呼吸が止まる。


「レックスに、とても危険なことが起こります」


「蒼天盟約軍は、信用してはいけません」


「だから、気を付けて」


背筋が冷えた。


「な……どういう意味――」


問い返すより早く、ノエリアは身体を離す。


そして、ふわりと微笑んだ。


いつもの優しい笑顔。


だが。


その笑みを浮かべているのは、“もう一人の方”だった。


月明かりの下。


その違和感だけが、妙に冷たく残った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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