平和の証明
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
馬車の車輪が、石畳をゆっくりと軋ませて止まる。
砦の正門前。
高く積まれた石壁は、戦のためのものというより、秩序を誇示する象徴のように見えた。
門の上には旗が翻る。
蒼天盟約軍の紋章。
澄んだ空の色を、そのまま切り取ったような青。
「……着いたみたいだ」
レックスが小さく呟く。
御者の合図とともに、馬車の扉が開いた。
先に降りたのはレックスだった。
軽く地面に足をつけ、周囲を見渡す。
兵の数。
配置。
視線。
一瞬で把握する。
隙がない。
だが、圧迫感もない。
整いすぎている。
「ノエリア、気をつけて」
手を差し出す。
その手に、迷いはない。
ノエリアは一瞬だけその手を見る。
そして、静かに手を重ねる。
細い指先。
温度はあるのに、どこか遠い。
ゆっくりと馬車から降りる。
赤いマントが、わずかに風を受けて揺れた。
その姿に、周囲の兵が一斉に視線を向ける。
ざわめきはない。
ただ、無言の敬意がそこにあった。
最後にアウラが降り立つ。
自然な動きで、二人の後ろに位置取る。
守るための距離。
砦の空気は、どこまでも整っていた。
兵の配置。
視線の向き。
足並み。
すべてが寸分の狂いもなく揃っている。
その中心に立つ男は、さらに異質だった。
銀の髪は乱れ一つなく整えられ、光を受けて淡く輝く。
蒼と金、異なる色を宿した瞳は、静かに世界を測るように細められていた。
細身の体躯に纏うのは、白と蒼を基調とした鎧。
装飾は王族のそれに近いが、無駄は一切ない。
背に翻るマントの裏地は、夜空のように深く、どこか現実感を欠いていた。
整っている。
あまりにも。
人としての温度が、削ぎ落とされているかのように。
「ようこそ、“姫巫女”」
「王国の勇者エリオスです」
「お出でを心より歓迎いたします」
柔らかな声音だった。
だが、その響きには揺らぎがない。
感情ではなく、意図して作られた“適切さ”がそこにあった。
ノエリアは一礼する。
「ノエリアです」
「お目にかかれて光栄です」
言葉は丁寧。
だが、その声音はどこか遠い。
エリオスはわずかに頷く。
それだけで、周囲の空気が引き締まる。
「長旅、お疲れでしょう」
「ですが安心してください」
「ここはすでに秩序の内側です」
穏やかな言葉。
レックスは無意識に眉をひそめた。
歓迎されている。
敵意はない。
むしろ、礼を尽くされている。
それなのに。
「……」
胸の奥に、小さな棘が残る。
エリオスの視線が、ゆっくりとノエリアへ向けられる。
「ノエリア」
「君が来てくれたことは、この世界にとって大きな意味を持ちます」
名前を呼ぶ。
敬意ではない。
“確認”するような響き。
「君の存在は、世界を正すためにある」
静かに言い切る。
その言葉に、疑問はない。
当然の事実として、語られている。
「私たちはすでに証明しつつあります」
エリオスは振り返る。
整列した兵たち。
蒼天盟約軍の面々。
誰もが彼を見ている。
信頼と、期待と――絶対的な肯定。
「力によって守れるものがある」
「選ばれた者が導くことで、無駄な犠牲は減る」
「それは、すでに結果として現れている」
言葉は穏やかだった。
「だが、まだ足りない」
「この世界は秩序を取り戻すためには、まだ足りないのです」
「だからこそ、君の力が必要です」
再びノエリアへ向き直る。
「混沌の時代を終わらせ、秩序を取り戻さないといけない」
その一言に、すべてが込められていた。
正しさ。
秩序。
レックスは息を飲む。
―― 正しい。
言っていることは、何一つ間違っていない。
だが。
「……」
視線がノエリアへ向く。
ノエリアは、何も言わない。
ただ、静かにエリオスを見ている。
その瞳は、拒絶でも肯定でもない。
ただノエリアの視線はエリオス個人には向いていない。
“別の何か存在”に向いていた。
エリオスは気にした様子もなく、微笑む。
完璧な笑みだった。
「ノエリア」
「私たちと共に、世界を歩んでもらいたい」
「この混沌な世界から秩序と正義を取り戻すため」
その言葉が、静かに響く。
逃げ場のない、確信として。
レックスは拳を握る。
理由は分からない。
だが、はっきりと感じていた。
―― 何かが、受け入れられない。
目の前にあるのは、理想のはずだ。
誰もが望む、正しい世界の形。
それなのに。
どこか、決定的に。
「……」
言葉にはならない違和感が、胸の奥で静かに疼いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レックスたちは、エリオスに案内され砦内の会議室へと入った。
厚い石壁に囲まれた室内は簡素だった。
長机と椅子。
壁に掛けられた地図と報告板。
飾りはない。
だが無駄もない。
「まずは歓迎といきたいところですが、ここは最前線でしてね」
エリオスの声は穏やかだった。
「色々なものが不足した状況で、余裕はありません」
「いえ、問題ありません」
アウラが一歩前に出る。
「ノエリア様は、セラフィナ殿の提案により、貴方方の行動を見に来ただけです。
「歓待は不要です」
「そうですか」
エリオスはわずかに頷いた。
その仕草一つで、場の空気が整う。
「セラフィナから報告は受けています」
視線がノエリアへ向く。
「ちょうど良い機会とは言えませんが、魔物が出没している地域があります」
机の上の地図を指し示す。
「そこへ、勇者シン率いる部隊を救援に派遣します」
「そこに同行していただきたい」
静かな提案。
だが、それは断る余地のない“配置”にも見えた。
「ノエリア様には、我々の結果を見て、評価してもらいたい」
ノエリアは、無言で頷く。
肯定でも、承認でもない。
ただ、拒まないだけの動き。
「……やはり、怒っておられるのですね」
エリオスが小さく呟く。
「貴方の聖剣を承諾もなく我々の都合で使ったことは謝罪します」
一拍置く。
「ですが、必要だった」
迷いはない。
「私たちには、この力が必要だったのです」
ノエリアは、わずかに距離を取る。
その仕草は小さい。
だが、明確な線引きだった。
「……本当は」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「誰のために、必要だったのですか?」
静かな問い。
エリオスは迷わない。
「人々平和のためです」
即答。
「か弱き人々の正義のためです」
その瞳に、曇りはない。
だからこそ。
何も揺らがない。
「……そうですか」
それ以上、ノエリアは問わない。
エリオスもまた、追わない。
まるで最初から、この応答で十分だと知っていたかのように。
「シン」
エリオスが呼ぶ。
「ノエリア様を頼む」
「はい」
シンは即座に敬礼した。
その動きは無駄がない。
訓練された兵のそれだ。
「ノエリア様」
一歩前に出る。
「言葉だけじゃない」
「俺たちのやってきたことを見てほしい」
真っ直ぐな目。
そこには、疑いはない。
「結果で証明します」
レックスは、その横顔を見る。
―― 嘘じゃない。
それは分かる。
だが、ノエリアが拒んでいることも、レックスにはわかる。
しかし、その理由は、今のレックスにはわからなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




