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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ガロード編
42/50

終わらせよう

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



もう、言葉は見つからなかった。


何を言えばいいのか。


どうすれば止められるのか。


説得。


救済。


そんなものは――


最初から、不可能だったのかもしれない。


ガロードの膝が崩れた。


地面に落ちる。


力が抜ける。


土の冷たさが、掌から伝わる。


現実だけが、重くのしかかる。


その光景を見ても、ディグレイは気にする様子もなかった。


ただ。


優しい声で。


隣にいる誰かへ語りかけていた。


―― あなた、もう終わらせて ――


「ああ」


ディグレイは穏やかに頷く。


「ああ、安心してくれ」


爪をゆっくりと下ろす。


「もう終わらせるよ」


―― ええ。おいしい食事を作って待っているわ ――


小さく微笑む妻。


ディグレイの顔が、柔らかく緩む。


「ああ」


優しい声だった。


「楽しみにしている」


そして。


小さく頷く。


「待っていてくれ」


その瞬間だった。


ディグレイの身体が――


解けた。


皮膚の輪郭が崩れる。


影が溢れる。


地面に落ちた影が蠢き、膨れ上がる。


空気が歪む。


森の木々が、ざわめいた。


ガロードの瞳が揺れる。


分かる。


それが何なのか。


ガロードにも出来る。


だからこそ。


ディグレイにも出来ないはずがない。


影が広がる。


肉体を侵食する。


腕。


脚。


胴体。


すべてが黒い影に飲み込まれていく。


影は形を作る。


獣の形。


巨大な爪。


牙。


そして。


人の姿を侵食し尽くした影は、ひとつの姿へ変わった。


黒い獣。


魔王。


その姿を見た瞬間。


ガロードの胸の奥に。


あの恐怖が蘇った。


終わりなのか。


ここで。


すべて。


終わるのか。


膝に力が入らない。


呼吸が浅くなる。


身体が、拒絶している。


だが。


「ガロード」


乾いた音が響いた。


パァン!


頬に衝撃が走る。


鋭い痛み。


ガロードの視界が揺れた。


目の前にいたのは――


アウラだった。


「しっかりしなさい」


冷たい声。


だが、その瞳は真っ直ぐだった。


逃げることを許さない視線。


「オルグラード様との誓いを思い出しなさい」


その言葉が。


ガロードの胸に突き刺さる。


脳裏に、あの声が蘇る。


覇王の声。


重く。


静かな声。


―― 『悪意』に染められているやもしれん ――


―― その時は ――


―― お前が止めてやれ ――


アウラが言う。


静かに。


しかし強く。


「そして」


「自分の誓いを守りなさい」


ガロードの瞳が、ゆっくりと開いた。


ああ。


そうだ。


あの時。


俺は――


頷いたんだ。


恐れていた。


分かっていた。


こうなることを。


それでも。


逃げないと、決めた。


ガロードは立ち上がる。


ゆっくりと。


しかし確実に。


膝が震える。


それでも。


一歩、前へ出る。


言葉が見つからないなら。


説得できないなら。


やることは一つしかない。


言葉以外で。


止める。


その方法は、知っている。


ディグレイ。


あんたが――


俺に教えてくれた。


守るために戦うことを。


終わらせるために、牙を使うことを。


ガロードはディグレイを見上げた。


黒い獣。


魔王。


その姿を。


まっすぐに見据える。


恐怖は消えない。


だが。


足は止まらない。


「終わらせよう」


静かな声。


「本当はこんな形で終わらせたくなかった」


だが、揺るぎはない。


「ディグレイ」


次の瞬間。


ガロードの身体もまた――


影に包まれた。


人の輪郭が崩れる。


骨が軋む。


影が膨れ上がる。


意識が沈む。


それでも。


手放さない。


自分を。


誓いを。


獣の爪。


獣の牙。


そして。


人の姿を捨てた二つの獣が。


森の中で。


真正面から、睨み合った。


風が止まる。


世界が、息を呑む。


次の瞬間。


二つの影が。


同時に、地面を蹴った。


決着の戦いが。


始まった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



二匹の獣がぶつかり合っていた。


爪。


牙。


肉。


骨。


すべてがぶつかり合う。


鈍い音と共に血が飛び散る。


黒い毛皮が裂ける。


肉が抉れる。


だが二匹は止まらない。


一歩も退かない。


「……」


レックスの喉が詰まる。


こんな戦い。


見たことがない。


剣でも。


魔法でもない。


ただ互いを引き裂くための戦い。


「見ていられない……」


思わず顔を背ける。


その時だった。


「いけません」


凛とした声。


同時に。


暖かなものが手を包んだ。


「……!」


レックスが振り向く。


そこにいたのは――


ノエリアだった。


彼女の手が、レックスの手を握っている。


「ノエリア様……」


彼女の表情はいつもと違った。


穏やかな姫巫女の顔ではない。


覚悟を決めた者の顔だった。


「レックス様は」


静かに言う。


「見届けなければなりません」


その声は揺れない。


強い意志が込められていた。


「これは」


ノエリアの視線が、二匹の獣へ向く。


「終わらせなければならない戦いなのです」


レックスは息を呑む。


そして。


ゆっくりと顔を上げた。


「……兄貴」


視線の先。


黒い獣。


ガロード。


その身体は、すでに何度も裂かれていた。


血が滴る。


動きも鈍くなっている。


徐々に。


劣勢になっているのが分かる。


それでも。


ガロードは下がらない。


一歩も。


決して。


下がらない。


自分たちの前に立ち。


壁のように。


守るように。


立ち塞がっていた。


胸の奥が熱くなる。


怖い。


それでも。


目を逸らせない。


「……ちゃんと、見てる」


レックスは小さく呟いた。


「兄貴の戦いを……最後まで」


―― もう終わる


ディグレイは思う。


―― 妻が心配する


―― 帰らなければ


目の前の獣。


劣勢なのは明らかだった。


動きが遅い。


傷も多い。


それでも。


逃げない。


退かない。


踏みとどまる。


その姿に。


既視感があった。


何か。


遠い記憶と重なる。


幼い日の記憶。


弱い身体。


走れない足。


恐怖。


―― あなた、怖いわ……


母の声。


震える声。


傷ついた身体。


―― あなた、怖い……


それでも。


母は退かなかった。


小さな自分を背に隠し。


立ち塞がっていた。


―― あなた……


その背中。


守る者の背中。


「……母上……!」


ディグレイの視界が揺れる。


声が。


聞こえなくなる。


代わりに。


見えた。


母レイラの姿。


あの日。


嬉しそうに笑っていた顔。


腕の中には。


小さな赤子。


―― ディグレイ、見なさい


―― 貴方の弟よ


誇らしげな笑顔。


そして。


その視線が移る。


アウラの腕の中。


そこにあるもの。


妻。


……だったもの。


空洞のような現実。


温もりのない真実。


その瞬間。


咆哮が響いた。


ガロードだった。


黒い獣が地面を蹴る。


一直線。


迷いのない突進。


その動きには。


もう迷いがなかった。


ディグレイの視界が揺れる。


そして。


ドンッ!!


衝撃。


頭突き。


獣の額が、ディグレイの顔面に叩き込まれる。


世界が回る。


膝が崩れる。


地面が近づく。


黒い影が、軋む。


崩れ落ちながら。


ディグレイは、呟いた。


「俺は……」


声が震える。


「お前を……」


視線の先。


妻の亡骸。


確かにそこにある。


逃げられない現実。


「弔ってもやれていなかったんだ」


目を閉じる。


長い、長い時間だった。


だが。


ほんの一瞬のようでもあった。


そして。


小さく言った。


「……すまない」


その言葉は。


誰に向けたものだったのか。


ディグレイ自身にも、分からなかった。


黒い獣の身体が。


静かに、崩れていく。


ディグレイは。


自分が負けていたことを。


悟った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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