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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ガロード編
41/50

罪と罰と悪意と

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ここか?」


ガロードは足を止めた。


森の奥。


木々が途切れた、小さな空き地。


その中央に建っているのは――


小さな家だった。


丸太を組み合わせただけの、簡素な造り。


豪奢な城でも、砦でもない。


まるで、どこにでもある森の猟師の家。


だが。


「……」


ガロードは眉をひそめた。


庭が荒れている。


雑草が伸び、土は踏み荒らされていた。


手入れされていないのが一目で分かる。


それでも。


家そのものは、まだ壊れていない。


だが――


玄関の前。


そこだけが、異様だった。


おびただしい血の跡。


乾いた黒い染みが、地面に広がっている。


まるで。


ここで、誰かが何度も倒れたかのように。


「……静かすぎます」


ノエリアが小さく呟く。


風もない。


虫の声もない。


森が息を潜めているような、奇妙な静寂。


その時だった。


ぎぃ……


ゆっくりと。


玄関の扉が開いた。


軋む音だけが、空気を裂く。


「……ディグレイ」


ガロードが低く言う。


扉の奥から、姿を現した。


ディグレイ。


片腕を失い、血に染まった身体。


それでも、その眼だけは鋭く光っていた。


「来たか」


低い声。


だがその視線は――


ガロードではなく。


その後ろを見ていた。


「大丈夫だ」


ディグレイは、誰かを安心させるように言う。


「すぐ終わる」


ガロードの眉がわずかに動く。


そして。


ディグレイは、ゆっくりと視線を向けた。


ガロードではない。


レックス達へ。


「人間め」


低く唸る。


「証拠にもなく来たか」


「ディグレイ?」


レックスが眉をひそめる。


その目には、明らかな違和感が浮かんでいた。


「……誰と話されていますの?」


ノエリアが首を傾げる。


ディグレイは明らかに、誰かを庇うように立っている。


だが。


そこには、誰もいない。


ノエリアは目をこすった。


「……?」


もう一度見る。


やはり、誰もいない。


「また奪いに来たのか」


ディグレイの声が低くなる。


殺気が膨れ上がる。


「もう容赦はしない!」


消えた。


瞬間。


地面が弾ける。


ディグレイの身体が高速で消失した。


速い。


だが。


ガロードの目は、それを追っていた。


狙いは――


「ノエリア!」


一直線。


ディグレイの爪が、ノエリアの喉元へ伸びる。


「違う」


ガロードの身体が跳ねた。


旋回。


蹴り。


ドンッ!!


衝撃。


ガロードの蹴りがディグレイの身体を捕らえる。


「嘘だ」


ディグレイが低く唸る。


それでも。


踏みとどまる。


腕一本。


双剣も無い。


満身創痍。


それでもなお。


その身体は、怪物のように強い。


「もうやめろ!」


ガロードの足が回転する。


風を裂く旋風脚。


「俺は戦いを終わらせに来た!」


ディグレイが後ろへ跳ぶ。


だが。


その眼は狂気に染まっていた。


「”妻”が」


低く、唸る。


「大切にしている庭を」


爪が伸びる。


鋭い獣の爪。


「血で汚すな!」


ディグレイが斬りかかる。


ガロードも腕を振る。


同じく爪。


獣人の爪。


ガキィィン!!


金属のような衝突音。


爪と爪が火花を散らす。


開いたままの扉。


その奥から。


声がした。


―― あなた、怖いわ ――


ガロードの瞳が揺れる。


ディグレイの顔が歪む。


「妻を怯えさせた罰を受けろ!」


殺意が膨れ上がった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ガロードとディグレイの戦いは、膠着していた。


互いの爪が空気を裂く。


踏み込み。


斬撃。


防御。


そのすべてが、ほぼ同時に繰り出される。


ガキィィン!!


爪と爪が激突し、金属のような音が森に響いた。


だが。


決定打にはならない。


ディグレイは、決して一歩も踏み込んでこない。


常に。


玄関の扉を背に。


一定の距離を保っている。


まるで。


何かを守るように。


「大丈夫だ」


ディグレイが低く言う。


爪を構えたまま。


視線は、ガロードではない。


扉の奥。


そこへ向いている。


「俺が必ず守る!」


その声は、戦う敵へ向けたものではなかった。


「……誰もいないのです」


ノエリアが小さく言う。


震える声だった。


彼女の瞳は、何度も家の中を見ている。


だが。


何もない。


誰もいない。


ただの、暗い室内。


それだけだった。


―― あなた、助けて ――


ディグレイには見える。


「俺が!」


ディグレイの眼が燃える。


「必ず君を守るから!」


ガロードの歯が軋む。


「くっ……!」


押される。


力ではない。


技でもない。


目の前の男。


ディグレイの姿。


それは――


戦場で恐れられた魔王ではなかった。


ただの。


一人の男だった。


怯える妻を安心させようとしている。


普通の。


夫。


「っ!」


その思いが。


その覚悟が。


何よりも重い攻撃になって、ガロードへ叩きつけられる。


「兄貴!」


レックスが踏み込んだ。


棍棒が閃く。


ディグレイの爪と、真正面からぶつかった。


ギィィィン!!


火花が散る。


次の瞬間。


ドンッ!!


衝撃。


レックスの身体が宙に浮いた。


そのまま地面を転がり、木へ叩きつけられる。


「ぐっ……!」


肺の空気が吐き出される。


それでもレックスは顔を上げた。


ディグレイは一歩も動いていない。


ただ。


そこに立っているだけ。


「なんて……重さだ」


レックスの手が震える。


まだ、分からない。


この重さの正体が。


手負いの獣。


それだけではない。


愛する者を守る獣の強さ。


それが、どれほど恐ろしいものか。


ディグレイが動く。


レックスへ。


追い打ち。


「妻を怯えさせる元凶め」


爪が振り上げられる。


「引き裂いてやる!」


ガロードが飛び込んだ。


その瞬間。


ガロードは、ようやく理解した。


ディグレイが守っているもの。


それが。


何なのか。


扉の奥。


暗闇の中。


何もないはずの空間に。


視線が集まっている。


そこに。


“いる”。


そう信じている。


否。


信じることでしか、立っていられない。


その現実から、目を逸らすために。


「ディグレイ!」


ガロードが叫ぶ。


「お前の妻は――」


息が詰まる。


喉が焼けるように痛む。


それでも。


言わなければならない。


ここで。


終わらせるために。


「死んでいるんだぞ!」


その瞬間。


空気が変わった。


風が止まる。


森の音が、完全に消える。


ディグレイの動きが、止まった。


振り上げた爪が。


空中で、止まる。


ゆっくりと。


本当にゆっくりと。


ディグレイの首が動いた。


ガロードへ。


視線が、向く。


その目に宿っていた狂気が。


ほんの一瞬だけ。


揺らいだ。


理解ではない。


否定でもない。


ただ。


ひびが入る。


何かが、崩れかける。


その予兆だけが。


確かに、そこにあった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「お前の妻は――死んでいるんだぞ!」


ガロードの叫びが森に響いた。


その瞬間。


ディグレイの動きが止まった。


爪を振り上げたまま。


完全に。


時間が止まったかのように。


静止した。


レックスも。


ノエリアも。


息を呑む。


だが――


ディグレイは、ゆっくりと口を開いた。


「……そんなことは」


低い声。


掠れた声。


それでも。


はっきりとした声。


「知っているさ」


ガロードの瞳が揺れる。


「妻が一度殺され、オレは復讐を誓ったのだから!」


ディグレイの顔が歪む。


怒りでも。


狂気でもない。


ただ。


必死な顔だった。


「だから奴らと手を組んだ」


低く言う。


「取引をしたんだ」


ガロードの背中に、冷たいものが走る。


「奴らは魔王も、勇者も邪魔らしい」


ディグレイの視線が、遠くを見る。


「代わりにオレに消してくれとな」


そして。


ゆっくりと笑った。


壊れたような笑み。


「代わりに――」


声が震える。


「妻を蘇らせてくれた!」


ガロードの瞳が見開かれる。


「魔王国の奴らに蹂躙された妻を!」


ディグレイが叫ぶ。


「オレは取り戻しているんだ!」


その瞬間。


ガロードの脳裏に。


一つの言葉が響いた。


オルグラードの声。


低く。


重く。


確信に満ちた声。


―― 『悪意』だ ――


背筋が凍る。


あり得ない。


そんなことが。


人が蘇るなど。


この世界の理から外れている。


だが。


もし。


もしそれを。


誰かが動かしたとしたら。


動くはずのない歯車。


それが。


無理やり回されたとしたら。


小さな歯車が動く。


それが隣の歯車を回す。


さらに大きな歯車が回る。


そして。


あり得ない歯車が回る。


人が蘇るという。


世界の理を外れた歯車が。


怪物を作り上げた。


ガロードの視線が、ゆっくりと家へ向く。


感じる。


気配がある。


確かに。


そこに“何か”がいる。


だが。


それは。


生きている者の気配ではない。


温もりがない。


息がない。


ただ。


形だけが、そこにある。


その時だった。


ぎぃ……


家の中から。


ゆっくりと。


扉の奥から。


人影が現れた。


レックスが息を呑む。


ノエリアの指先が震える。


空気が。


重くなる。


暗い室内から。


一歩。


また一歩。


光の中へ。


足音は、しない。


草も鳴らない。


風も、揺れない。


ただ。


そこに“現れていく”。


そして。


姿を現した。


「あなた……?」


小さな声。


震える声。


だが。


どこか。


空虚だった。


ディグレイの身体が揺れた。


「ほら」


彼は振り返る。


涙を浮かべながら。


「大丈夫だと言っただろう」


優しく。


壊れそうなほど優しく。


その声だけが。


この場にある唯一の温度だった。


「君は――ここにいる」


ディグレイの妻は。


確かに。


そこに立っていた。


だが。


その瞳は。


何も映していなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ディグレイは微笑んでいた。


誇らしげに。


まるで、世界で一番大切なものを守り抜いた男のように。


その隣には――


妻がいた。


優しい微笑みを浮かべている。


傷ついた自分を救ってくれた女性。


魔王国の獣人である自分に、偏見一つ向けなかった人。


粗末な家。


質素な生活。


それでも。


一緒に笑い、一緒に食事をし、一緒に未来を語った。


素朴だが、とても愛らしい微笑み。


一緒に暮らし、愛を誓い合った。


かけがえのない女性。


ディグレイには――


そう見えていた。


だが。


ガロード。


レックス。


ノエリア。


三人には。


まったく別のものが見えていた。


「……アウラ」


ガロードが低く呟く。


家の扉から出てきたのは、アウラだった。


本来なら。


背後からディグレイを奇襲する予定だった。


だが。


彼女は、動かなかった。


言葉を失うに値する光景だった。


アウラの腕の中にあるもの。


それは――


白骨化した遺体だった。


人の形を保っているが、肉はほとんど残っていない。


乾いた骨。


崩れかけた衣服。


その服には。


いくつもの裂け目があった。


恐らく。


何度も刺されたのだろう。


乾いた布地に。


どす黒い染みが、広がっていた。


ノエリアが小さく息を呑む。


声にならない声。


レックスの奥歯が軋む。


拳が震える。


それでも。


誰も言葉を発せなかった。


目の前の現実が。


あまりにも、重すぎた。


アウラはゆっくりと目を閉じる。


そして。


静かに首を横に振った。


奇跡などない。


人が蘇ることなど。


この世界には存在しない。


その事実だけが。


冷たく、そこにあった。


ガロードの視線が、ディグレイへ向く。


彼の隣には。


確かに“誰か”が立っている。


そう振る舞っている。


そう話しかけている。


そう、触れている。


だが。


そこには、何もない。


空間だけがある。


風すら揺れていない。


気配も。


重さも。


存在の痕跡すら。


一切、感じられない。


見えていない。


触れられていない。


それでも。


そこに“いる”と。


信じさせられている。


ディグレイは、そっと手を伸ばした。


空中へ。


優しく。


壊れ物に触れるように。


「……寒くないか?」


柔らかな声。


慈しむような声。


その手は。


何も掴んでいない。


それでも。


彼の指先は、確かに何かを撫でているかのように動いた。


その光景が。


何よりも、残酷だった。


ガロードの胸が締め付けられる。


違う。


これは、愛ではない。


これは――


利用されている。


壊されている。


人の心が。


無理やり。


歪められている。


その時。


再び。


ガロードの脳裏に声が響いた。


オルグラードの声。


重く。


低く。


確信に満ちた声。


―― 『悪意』だ ――


それは、姿を持たない。


形を持たない。


だからこそ。


誰にも見えない。


ガロードにも。


レックスにも。


ノエリアにも。


アウラにも。


見えない。


感じることしかできない。


だが。


確かに、そこにある。


ディグレイの隣に。


彼のすぐ傍に。


寄り添うように。


囁くように。


縋りつくように。


存在している。


愛を餌に。


悲しみを糧に。


後悔を杭にして。


人の心へと、食い込むもの。


底知れない悪意が。


確かに。


そこにあった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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