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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ガロード編
39/53

最も残酷なもの

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



オルグラードは、しばらく黙っていた。


その沈黙は、重かった。


過去を語るというより。


傷を、掘り起こす時間だった。


やがて。


ゆっくりと口を開く。


「麗王レイラは今際に」


低い声が落ちる。


「ガロードを妹のルシェナに託したそうだ」


空気が、わずかに震える。


「ダルグレイとルシェナを脱出させる際」


覇王は続ける。


「麗王レイラは最期まで戦い、殿となり犠牲になったと聞いている」


静かな言葉。


だが、その重みは消えない。


血に染まる大地。


守るべき命。


振るわれる刃。


その光景が、言葉の奥から滲み出る。


「ダルグレイとルシェナ夫婦には子がない」


オルグラードの声が続く。


「だが、大罪人となった牙王ロウガの忘れ形見」


黄金の瞳が、まっすぐ向けられる。


「彼らは、わしに願い入れた」


静かな声だった。


「『人狼族』を解散することを条件に」


「ガロードを救う慈悲を嘆願した」


空気が張り詰める。


一人の命のために、種族を捨てる。


それも古の魔王の血を終わりにする。


それは、誇りを断ち切る決断だった。


「わしは牙王ロウガを討つことで、一罰百戒とした」


覇王は淡々と言う。


「ガロードに罪を問う気は毛頭なかった」


迷いのない声。


それが事実だった。


「そして」


「彼らはガロードを、自分たちの子として育てた」


夜の灯り。


不器用な父の背中。


叱る声。


守る手。


母の笑顔。


食卓の温もり。


それらはすべて、偽りではなかった。


「あれが……嘘なわけねぇだろ」


小さく、声が漏れた。


押し殺した感情が、にじむ。


「だが」


オルグラードの声が、低く沈む。


空気が変わる。


「人間の侵入をきっかけに」


「魔王に背いた一部の人狼族は」


「人間を強く憎むようになった」


歪みの始まりだった。


「それが」


覇王は静かに告げる。


「ディグレイの悲劇を生んだ」


黄金の瞳が、ガロードを射抜く。


問いかけるように。


逃げるか。


それとも、受け止めるか。


ガロードは息を吐いた。


「……続けてくれ」


短く、答えた。


オルグラードは、わずかに頷く。


「麗王レイラ襲撃時」


「ディグレイも、当然レイラに逃がされた」


胸の奥がざわつく。


「一人、逃げ延びた先は」


「魔王国ではなく、王国側だった」


敵地。


それでも。


「山中で、ひっそりと生き延びた」


「そこで、人間の女性に助けられたそうだ」


静かな事実。


それだけで十分だった。


傷ついた少年。


手を差し伸べる誰か。


「二人は、共に暮らし始めた」


多くは語られない。


だが。


そこには確かに、日々があった。


笑いがあった。


ぬくもりがあった。


――失われる前の、穏やかな時間が。


「だが」


その一言で、すべてが崩れる。


「それを知った人狼族が」


空気が凍る。


「主人を殺された報復として」


「事情も知らぬ人間の女を殺してしまった」


誰も動けない。


「ディグレイが離れている隙を狙ってな」


世界は壊れる。


レックスの拳が、静かに震えた。


止められなかった連鎖。


理解したくない理屈。


それでも、否定できない現実。


「ディグレイが堕ちたのは」


覇王の声が落ちる。


「その時だ」


沈黙。


重い、沈黙。


「怒り狂ったディグレイは」


「人狼族の生き残りを襲った」


当然だった。


それ以外に道はなかった。


「ダルグレイも一流の戦士」


オルグラードは言う。


「だが」


 


「自分たちの仲間が犯した罪と」


「妻の姉の息子である躊躇い」


「自分たちの子供としたガロードの前で兄を殺す行為」


「何より主君であった牙王の鎧を纏ったディグレイを前に」


「剣を振るうことはできなかった」


ガロードの瞳が揺れる。


「……鎧」


思い出す。


あの姿。


あの怒り。


「あれは」


オルグラードが静かに言う。


「わしが牙王ロウガに贈った武具だ」


空気が止まる。


「本来は、国を守るための力だった」


だが。


「受け継がれたのは」


低く。


重く。


「守る意思ではなかった」


「憎しみだった」


森の空気が、沈む。


誰もが理解していた。


誰も、完全な悪ではない。


それでも。


すべては壊れた。


オルグラードは、ゆっくりと目を閉じる。


「……これが」


静かな声。


「ディグレイという男の、真実の一端だ」


誰も、言葉を発しなかった。


ただ。


取り返しのつかない過去だけが。


そこに、残っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



そして今。


その連鎖の先に立っているのが――ガロードだった。


胸の奥が焼ける。


息が荒い。


視界が滲む。


涙が頬を伝う。


止める理由はなかった。


止める資格も、感じられなかった。


ガロードは知ってしまった。


奪われたのは事実だ。


だが。


奪い返そうとしていたものもまた――同じものだった。


憎しみ。


怒り。


終わらない連鎖。


ディグレイと同じ場所に立っていた。


同じ道を辿ろうとしていた。


違うと思っていた。


だが、違わなかった。


それが何よりも、苦しかった。


「……師匠」


顔を上げる。


白銀の鎧。


覇王の姿。


逃げ場はない。


その奥にある眼が、すべてを見透かしていた。


「戦いの先を見ろって……言ってたな」


声が震える。


それでも続ける。


「勝つためじゃねえ」


「倒すためでもねえ」


息を吸う。


肺が痛む。


「そのあとに、何が残るかって意味だったんだな」


沈黙が落ちる。


風が、焦げた森を揺らす。


その中で。


覇王が口を開いた。


「ガロード」


低い声。


重い声。


「我が友にして義兄弟である、牙王ロウガの息子よ」


それは評価ではない。


慰めでもない。


ただの事実だった。


だからこそ。


逃げ場がなかった。


「ディグレイは」


わずかな間。


「『覇王』として、わしが討つ」


空気が凍る。


それは宣告だった。


終わりの確定。


覆せない決定。


「ロウガの忘れ形見ではあるが」


ほんの一瞬。


覇王の瞳に影が差す。


「奴は、罪を重ねすぎた」


そして。


「終わらせる」


それだけで、すべてが閉じるはずだった。


だが。


「駄目だ!!」


叫びが森を裂いた。


ガロードの声だった。


荒い呼吸。


震える身体。


それでも、前を見ていた。


「それじゃ意味がねえ!」


拳を握る。


血が滲むほどに。


「覇王に裁かせて終わりなんて」


言葉を叩きつける。


「そんなの、ただのやり直しだ!」


沈黙。


覇王の視線が突き刺さる。


逃げ場はない。


だが、退かなかった。


「俺がやる」


吐き出す。


腹の底から。


「俺が、この連鎖を止める」


小さな言葉だった。


だが。


揺るがなかった。


空気が張り詰める。


覇王が、わずかに目を細める。


試す目。


量る目。


「わしの義兄弟であった牙王ロウガは」


低い声が落ちる。


「義を何より重んじた男だ」


静かな言葉。


だが重い。


「だが、守れなかった」


その事実が、空気を沈ませる。


「お前はどうだ」


問い。


逃げられない問い。


「同じ道を選ばぬと、言い切れるか」


言葉が詰まる。


未来は分からない。


保証もない。


それでも。


ガロードは叫んだ。


「そんなの!」


声が震える。


それでも。


止まらない。


「やってみなきゃ分かるかよ!!」


静寂。


森が息を止めた。


未熟な言葉。


不確かな言葉。


それでも。


前を向いた言葉だった。


その時。


一歩、影が動く。


レックスだった。


無言で隣に立つ。


そして。


ガロードの肩に手を置く。


強くはない。


だが、確かな重み。


それだけで十分だった。


一人じゃない。


それが伝わる。


覇王は、しばらく沈黙していた。


やがて。


ほんのわずかに。


口元が緩む。


「……そうか」


短く。


それだけ。


だが。


否定はなかった。


道も塞がれなかった。


風が吹く。


焼けた森を抜けていく。


灰が舞う。


その中で。


一つの選択が、生まれた。


終わりではない。


始まりでもない。


だが。


確かに――未来へ繋がる一歩だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「吠えたな」


オルグラードの声は低く、静かだった。


「言葉にしたからには、責任は果たせ」


その言葉と同時に。


何かが、空を切って飛んできた。


反射的に手を伸ばす。


掴んだ。


掌に収まったのは――透明な球。


拳ほどの大きさ。


中に、淡い光が揺れている。


「奴の転移魔法も底をついているだろう」


覇王は腕を組んだまま言う。


「逃げ続けることは出来ん」


球の中の光点が、ゆっくりと動く。


生きているように。


そこに、確かに“存在”しているように。


「あの鎧はわしが作ったものだ」


平然とした声。


「追跡できる」


顎で球を示す。


「その光点が、奴のいる場所だ」


理解した。


これは――終わらせるための道標だ。


「馬鹿弟子共」


鼻で笑う。


「お前らが失敗したら、わしがディグレイに裁きを下す」


淡々と。


だが絶対の重みで。


「機会を与えるのは一度だけだ」


その言葉に。


ガロードは、自然と笑っていた。


恐怖ではない。


覚悟でもない。


ただ、腹の底から湧き上がるもの。


「おう!」


拳を握る。


力が戻る。


前を見る。


走り出そうとした、その瞬間。


「待て」


声が背中を止めた。


振り返る。


黄金の瞳。


逃げ場のない眼差し。


「さっき話した『悪意』には気を付けろ」


空気が、わずかに沈む。


「『牙王は義を何より重んじる男だった』」


静かに言葉が続く。


「レイラを殺された憎しみで動くのは理解出来た」


だが――


「当時のロウガは、それを抜きにして不自然だった」


その一言で、空気が変わる。


「悪鬼羅刹と評してもよい」


低い声。


重い言葉。


「まるで――別人だった」


胸がざわつく。


嫌な予感。


繋がってしまう。


ディグレイ。


あの目。


あの憎しみ。


「あれも……同じかよ」


小さく漏れる。


覇王は、否定しない。


ただ。


静かに続ける。


「ディグレイは」


一瞬、視線を落とす。


「わしらが警戒している『悪意』に染められているやもしれん」


確信ではない。


だが、可能性では済まない重さ。


「その時は」


再び、視線が突き刺さる。


「お前が止めてやれ」


短い。


だが。


それだけで十分だった。


ガロードは頷いた。


言葉はいらない。


もう迷わない。


そして――走り出す。


夜を裂くように。


背後から足音。


「待てよ兄貴!」


レックスの声。


すぐ隣に並ぶ。


さらに後ろから。


「わたくしも行きます!」


ノエリアの声が響く。


三つの影が、夜の中を駆ける。


球の中の光が、強く輝く。


そこにいる。


逃げ場はない。


終わりが、そこにある。


――必ず、止める。


その背を。


静かに見送る影があった。


「どうした」


オルグラードが言う。


「お嬢さんは行かないのかね」


振り返る。


アウラが立っていた。


動かない。


ただ、覇王を見据えている。


「……貴方は」


静かな声。


だが鋭い。


「自身がディグレイを討った後」


一歩も引かない視線。


「ガロードに討たれても構わないという覚悟をしていましたね」


沈黙。


風が吹く。


だが、覇王はすぐに肩をすくめた。


「さて」


「どうだろうな」


曖昧な返答。


だが。


否定ではなかった。


アウラはそれ以上問わない。


ゆっくりと頭を下げる。


それで十分だった。


「失礼します」


踵を返す。


走る。


追うべき背中がある。


守るべき未来がある。


残されたのは、覇王一人。


夜風が、鎧を撫でる。


しばらくの沈黙。


やがて。


ぽつりと呟く。


「この世で最も残酷なものを見届けることになるか」


静かな声。


だが、どこか遠い。


「復讐という鏡に映る、兄弟の牙」


かつての記憶。


重なる影。


ロウガ。


あの日の選択。


「繰り返すか」


低く。


「断ち切るか」


その答えは。


もう、自分の手にはない。


「ロウガ、レイラ」


空を見上げる。


月が雲間から覗く。


「お主らの息子たちの行く末を――見届けてやれ」


夜は、静かだった。


だが。


確かに。


何かが、動き出していた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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