明かされる真実
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「安心せい」
重い沈黙を破ったのは、覇王オルグラードだった。
「『アペプ』は消えた」
その声は、迷いのない断言だった。
「もう戻ることはありえない。それは事実だ」
黄金の瞳が、静かに一同を見据える。
「もう世界は、『アペプ』を怖れることはない」
その言葉には、不思議な重みがあった。
ただの希望ではない。
実際にそれと戦い、終わらせた者だけが持つ重さだった。
「あの戦いは、フィデリアが終止符を打った」
静かな森の空気の中で、その名だけが強く響く。
だが。
安堵の空気は、長くは続かなかった。
「では」
アウラが静かに口を開く。
「オルグラード様が警戒されているのは、『蛇』ではないと?」
「うむ」
覇王は頷いた。
「また別種のものだ」
その言葉に、空気がわずかに張り詰める。
「『蛇』を『天災』と例えるなら――」
オルグラードは少しだけ目を細めた。
「奴らは『悪意』とでも表現すれば良い存在だ」
悪意。
天災は理由なく壊す。
だが、悪意は目的を持って壊す。
そんな響きがあった。
「気を付けると良い」
覇王の視線が、ノエリアへ向く。
「ノエリアならば、無関係ではないだろうからな」
ノエリアは、静かに頷いた。
その瞳には、わずかな緊張が浮かんでいた。
だが。
ガロードには、その会話の半分も頭に入っていなかった。
別のことで、頭がいっぱいだったからだ。
覇王の視線が、ゆっくりとガロードへ向く。
その瞬間。
逃げ場がなくなったような気がした。
そして。
ガロードは、口を開いた。
「……教えてくれ、師匠……」
驚くほど、声が低かった。
「ディグレイが言ったことは――事実なのか」
胸の奥が、ざわついていた。
聞かなければならない。
だが。
聞いてしまえば、もう戻れない。
そんな予感がしていた。
「俺の父さんのこと」
拳が、知らないうちに握られていた。
「母さんのこと」
喉が乾く。
それでも続ける。
「ディグレイが、本当に俺の兄なのか」
そして。
一番聞きたくないこと。
「父ダルグレイと母ルシェナが……」
言葉が、少しだけ詰まった。
それでも、吐き出した。
「……本当に俺を騙して育てていたのか」
静寂が落ちた。
風が森を抜ける音だけが聞こえる。
誰も口を開かない。
レックスも。
ノエリアも。
アウラでさえ。
ただ、ガロードを見ていた。
そして。
オルグラードが、ゆっくりと答えた。
「ガロード」
その声は、やけに静かだった。
「お前が牙王ロウガと麗王レイラの子であることは事実だ」
心臓が、一度強く跳ねた。
「ディグレイがお前の兄であることも――事実だ」
その言葉は、重かった。
石のように。
胸の奥へ沈んでいく。
オルグラードは、ガロードをじっと見ていた。
試すような目だった。
強さではない。
覚悟を量るような目。
逃げるなら、ここで逃げろ。
そう言っているような目だった。
「ディグレイが、お前に何を語ったか」
覇王は低く言う。
「話してみろ」
その言葉は、命令ではなかった。
だが。
ガロードは、逃げるわけにはいかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ガロードの話を聞き終えたあと。
覇王オルグラードは、深く息を吐いた。
そのため息は、重かった。
まるで何十年も胸の奥に溜め込んでいたものを、ようやく吐き出したかのようだった。
「……そうか」
低い声が、森の静寂に落ちる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「ディグレイが言っていることは」
黄金の瞳が、まっすぐガロードを見据える。
「半分は真実で、半分は奴の思い込みだ」
空気が、わずかに揺れた。
胸の奥がざわつく。
オルグラードは続ける。
「ならば――」
少しだけ視線を遠くへ向けた。
森の向こう。
遠い過去を見るように。
「人伝えではなく、わし自身の言葉で語ろう」
その声には、かすかな懐かしさが混ざっていた。
「牙王ロウガとの物語をな」
その名が落ちた瞬間。
空気が変わった。
レックスも。
ノエリアも。
アウラも。
誰も言葉を挟まない。
これは、過去を知る者だけが語れる物語だった。
「『アペプ』との戦いの後」
オルグラードは静かに語り始めた。
「わしと牙王ロウガは、魔王国の復興に尽力した」
当時の魔王国は分裂し、壊れていた。
世界を揺るがす災厄の後。
国も。
秩序も。
誇りも。
すべてが揺らいでいた。
「わしはオルグラードと名乗り」
覇王は肩をすくめる。
「自由交易都市セルディアを建設した」
その名は、この大陸で知らぬ者はいない。
王国。
帝國。
魔王国。
三国の商人が集う都市。
戦後の世界を繋ぐ都市だった。
「王国と帝國とも交渉を重ね、関係を整えた」
「その裏で」
「牙王ロウガは、魔王国の秩序を立て直していた」
壊れた国。
乱れた領土。
争い合う魔族たち。
力ある者が奪い。
弱い者が従う。
そんな混沌を。
「牙王ロウガはまとめ上げた」
短い言葉だった。
だが、その重みは大きい。
魔族をまとめる。
それは、並の力ではできない。
「そして大規模な混乱が次第に少なくなっていった」
オルグラードの声が、少し柔らかくなった。
「魔王国の秩序が、ある程度回復した頃だ」
ほんの少しだけ、笑う。
「牙王ロウガは結婚した」
「麗王レイラという魔王級の女傑だ」
その名が響く。
ガロードの胸の奥が、強く脈打った。
聞いたことのない名。
だが。
なぜか、遠くない。
そんな感覚があった。
「程なくして」
オルグラードは続ける。
「二人の間にディグレイという男子が生まれた」
森の空気が揺れる。
ガロードの兄。
その存在が、初めて形を持つ。
「わしはそれを祝った」
覇王は懐かしそうに言った。
「あれは実に良い日だった」
「魔王国の未来を守る象徴として」
「牙王ロウガに武具を贈った」
黄金の瞳が細くなる。
遠い記憶を辿るように。
「あの頃のわしは」
少し苦笑した。
「このままオルグラードとして生き」
「覇王を捨てても良いと、本気で考えていた」
レックスが思わず息を呑む。
覇王を捨てる。
地位も、栄誉も、功績も、今までの自分を捨てるに等しい。
「牙王ロウガが魔王国を統治する」
「魔族は力を尊ぶ。だが奴は、力だけではなく誇りで瓦解しかけた国を修復した」
「何より、奴は古き魔王の血を継ぐ者」
「伝統と資質を兼ね備えた男だった」
「その世界に覇王などという存在が必要であるはずがない」
それで良いと思っていた。
だが。
オルグラードの声が、低く沈む。
「……矢先に」
森の空気が重くなる。
レックスは、無意識に息を呑んでいた。
「事件が起きた」
誰も動かない。
「麗王レイラの領域が」
ゆっくりと。
言葉を選ぶように。
「王国からの侵入者に侵された」
ガロードの拳が、自然と握られていた。
「当時の麗王レイラは」
オルグラードは続ける。
「ガロードを生んだ直後だった」
心臓が強く打つ。
「産後で弱っていた」
その言葉は静かだった。
だが。
鋭く胸に刺さる。
「その頃、地方で反乱が起きていてな」
「牙王ロウガも先頭に立ち、遠征に出ていた」
「そして、わしも魔王国を離れていた」
知らせが届くのが遅れた。
それだけのことだった。
「麗王レイラは――」
オルグラードの瞳が鋭くなる。
「王国の人間に殺された」
森が、静まり返る。
風の音さえ消えた気がした。
「牙王ロウガの怒りを買い」
低い声が続く。
「侵入者は、生まれたことを後悔するほど八つ裂きにされた」
それは当然だった。
家族を奪われたのだ。
怒らぬ者などいない。
だが。
問題は、その先だった。
「その怒りは止まらなかった」
覇王は静かに言う。
「復讐の炎は、王国全体に向いた」
空気が凍る。
国家への復讐。
それは戦争を意味する。
いや。
戦争などという言葉では済まない。
「それを止めなければならなかった」
「『アペプ』との戦いで散っていった同胞たち」
「フィデリアが守ろうとした世界」
「その意味を無にするわけにはいかなかった」
オルグラードはゆっくりと目を閉じた。
そして。
静かに言った。
「わしは」
黄金の瞳が開く。
その奥には、深い影があった。
「義兄弟と対峙することを選んだ」
「止められると信じていたんじゃ」
森の闇が、さらに深くなった気がした。
だが。
覇王の言葉は、そこで終わらなかった。
小さく、息を吐く。
そして。
低く呟いた。
「――だが」
黄金の瞳が、ほんのわずかに揺れる。
「わしは……遅すぎた」
森の奥で、風が鳴いた。
過去の重みが。
静かに、その場へ落ちていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




