白銀の覇王
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
パチ。
パチ。
乾いた拍手が響いた。
森の中。
燃え残る木々の間で。
その音だけが妙に鮮明に響く。
地面に倒れたままのレックスが、目だけを動かす。
ガロードも、ゆっくりと顔を上げた。
その先に立っている男。
ディグレイ。
ゆっくりと拍手を続けている。
パチ。
パチ。
「いやあ……」
口元が歪む。
「美しい」
目を細める。
「実に美しい」
笑っている。
「まさに感動の舞台だ」
ガロードの瞳が鋭くなる。
その言葉は賞賛ではない。
嘲笑だ。
「……黙れ」
低く唸る。
ディグレイは肩をすくめた。
「いやいや、本当にそう思っているさ」
「義理の兄弟の絆」
「奇跡の復活」
「涙の決着」
両手を広げる。
「舞台としては完璧だ」
だが。
その視線が変わる。
ゆっくりと。
ノエリアへ向いた。
空気が変わる。
ディグレイの顔から笑みが消える。
目が歪む。
「……何なんだ」
低い声。
怒りに震える声。
「お前は」
一歩踏み出す。
「何なんだ」
双剣を構える。
その瞳は完全に怒りに染まっていた。
「何故」
声が荒れる。
「何故このような真似をする!」
地面を踏みつける。
「何だ、その理不尽は!!」
怒りが爆発する。
「こんなものがあっていいはずがない!」
ディグレイが睨みつける。
「お前は危険だ」
剣を向ける。
「この悪魔め!!」
その瞬間。
ガロードが前に出た。
ノエリアを庇うように。
一歩。
前へ。
奥歯が軋む。
砕けそうなほど、歯を食いしばる。
「……ノエリアに手ぇ出してみろ」
声は低い。
「今度こそオレが殺す」
その横に立つ影。
もう一人。
アウラだった。
「ノエリア様に」
静かな声。
「手を出させるわけにはまいりません」
両手にフレイルを構える。
だが。
ガロードは理解していた。
――厳しい。
ディグレイは強い。
さっきの戦いで分かった。
この場にいる誰よりも。
ガロードが低く言う。
「アウラさん」
目は前を向いたまま。
「ノエリアとレックスを連れて逃げてくれ」
「時間は稼ぐ」
レックスが顔を上げる。
「兄貴……」
だが。
その時。
ノエリアが言った。
「大丈夫です」
静かな声。
揺るがない声。
「今、予知しました」
目を閉じる。
その瞬間。
森の音が消えた。
風が止まる。
炎の揺らぎが止まる。
世界が一瞬だけ、凍りつく。
そして。
次の瞬間。
ザンッ。
乾いた音。
それだけが響いた。
ディグレイの体が揺れる。
遅れて。
血が噴き出した。
地面に落ちるものがあった。
ディグレイの右腕。
双剣を握ったままの腕。
それが地面に転がる。
ディグレイの瞳が見開かれた。
「……なに?」
信じられない。
そんな顔だった。
誰も動かなかった。
いや。
動けなかった。
空気が変わった。
違う。
世界そのものが変わった。
圧力。
存在。
ただそこにいるだけで。
すべてを支配する力。
呼吸が重くなる。
膝が震える。
レックスの背中に冷たい汗が流れる。
森の奥。
影があった。
ゆっくりと。
こちらへ歩いてくる。
重い足音。
一歩。
また一歩。
白銀の鎧。
夜の闇を裂くような輝き。
巨大な威圧感。
その姿を見た瞬間。
ガロードの目が見開かれた。
アウラが息を呑む。
ディグレイの顔から血の気が引いた。
その男は歩いてくる。
まるで世界が道を開けるように。
魔王。
その頂点。
覇王。
ディアボロス。
白銀の鎧を纏った魔王が。
静かに。
この戦場へ降臨した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
覇王。
その言葉だけで。
空気が凍りついた。
ガロードも。
アウラも。
動けない。
目の前に立つ存在が、あまりにも大きすぎた。
全身を包む白銀の鎧。
二メートルを超える長身。
背には。
身の丈に迫るほどの巨大な大剣。
ただ立っているだけで。
戦場のすべてを支配する。
魔王。
その頂点。
『覇王』ディアボロス。
ディグレイの目が細くなる。
「……覇王」
低く吐き捨てた。
その瞬間。
覇王が動いた。
いや。
動いたようには見えなかった。
気づいた時には。
白銀の巨体が。
すぐ目の前にいた。
そして。
大剣が振り下ろされていた。
ゴンッ!!
重い衝撃音。
ディグレイの左手の剣が。
根元から折れていた。
まるで木の枝のように。
あまりにも簡単に。
砕け散った破片が。
地面に転がる。
ディグレイの瞳がわずかに揺れる。
「……チッ」
舌打ち。
一瞬で理解したのだ。
勝てない。
勝負にならない。
覇王は何も言わない。
ただ。
そこに立っている。
それだけで。
ディグレイの全神経が警鐘を鳴らしていた。
ディグレイは懐から魔石を取り出す。
叩き割る。
砕けた魔石から光が広がる。
魔法陣。
転移術。
「次は必ず――」
言葉の途中で。
ディグレイの姿は消えた。
逃げた。
ただ。
それだけだった。
戦場に残ったのは。
ガロード。
アウラ。
ノエリア。
そして。
覇王。
森が静まり返る。
ガロードが唾を飲み込む。
ディグレイを。
あの男を。
まるで格下のように退けた。
身動きが出来ない。
本能が言っている。
動くな。
敵意を見せるな。
その横を。
一人の少女が通り過ぎた。
ノエリアだった。
覇王の前で立ち止まる。
そして。
ぺこりと頭を下げた。
「覇王様ですね」
静かな声。
「はじめまして」
優しく微笑む。
「姫巫女ノエリアです」
ガロードの目が飛び出た。
「うそだろー!!」
アウラは顔面蒼白になる。
「のえりあさまー!!」
覇王は無言だった。
しばらく沈黙が続く。
やがて。
ゆっくりと刃を収めた。
そして。
――少し待て。
そう言うように。
片手を軽く上げる。
ノエリアを制した。
そのまま歩き出す。
ガロードとアウラの横を通り過ぎる。
二人は動けない。
ただ。
その背を見送るしかなかった。
覇王は跪く。
地面に倒れている少年の横で。
レックス。
覇王は小瓶を取り出した。
栓を抜く。
そして。
躊躇なく。
レックスの口へ突っ込んだ。
「ぶっ……!」
強引に流し込む。
薬液が喉を通る。
しばらくして。
レックスの瞼が震えた。
「……ん」
うっすらと目を開く。
ぼやけた視界。
最初に見えたのは。
白銀の鎧。
巨大な男。
覇王。
その覇王が。
ゆっくりと兜に手をかける。
カチャリ。
仮面が外れる。
続いて兜が外される。
そして。
その下から現れた顔を見た瞬間。
レックスの目が見開かれた。
「えっ!?」
後ろでガロードが叫ぶ。
「嘘だろ!?」
覇王が深くため息をつく。
呆れた顔だった。
腕を組む。
そして。
いつもの声で言った。
「この馬鹿弟子共め」
低く。
しかしどこか懐かしい声。
「手間をかけさせよって」
その顔。
その声。
見間違えるはずがない。
レックスの鍛冶としての師。
ガロードの格闘の師匠。
セルディア自治領主。
オルグラードだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あらためまして」
ノエリアが軽く裾を持ち上げ、丁寧に頭を下げた。
「ノエリアと申します」
「王国では姫巫女と呼ばれる者です」
その仕草は、どこまでも自然だった。
まるで。
目の前にいるのが魔王ではなく。
ただの貴族であるかのように。
白銀の鎧の巨躯の男は、わずかに顎を引く。
「ディアボロスが本名だが」
低く、落ち着いた声。
「オルグラードと呼んでくれ、ノエリア殿」
ノエリアが小さく微笑む。
「では、わたしもノエリアと呼んでください」
「ふむ」
オルグラードは短く頷いた。
それだけ。
それだけのやり取りだった。
だが。
レックスとガロードには――
奇妙な光景に見えていた。
魔王国の頂点に立つ存在。
『覇王』ディアボロス。
そして。
王国の象徴。
『姫巫女』ノエリア。
本来ならば。
同じ場所に立つことすらあり得ない二人だ。
それが今。
燃え残る森の中で。
普通に会話している。
焦げた木の匂いが漂う。
夜風が、焼け残った枝を揺らしていた。
レックスは地面に座り込んだまま、ぼんやりと息を吐く。
身体が重い。
ついさっきまで。
死にかけていたのだ。
無理もない。
あの時。
ノエリアは言っていた。
――魔王様に会わせてください。
確かに。
そう言っていた。
だが。
今になって考えると。
妙だった。
もしオルグラードがセルディアにいるなら。
わざわざこんな遠回りをする必要はない。
レックスは空を見上げる。
夜空の向こう。
煙がまだ薄く漂っている。
森は半分焼けた。
自分はほぼ死にかけた。
ガロードは暴走しかけた。
レックスは小さく息を吐く。
(……何か)
(すごく遠回りしてないか)
疲労がどっと押し寄せる。
その時。
「オルグラード様」
ノエリアが静かに口を開いた。
「わたしは」
言葉を選ぶように少し間を置く。
「なぜ魔王に会わなければいけなかったのでしょう」
空気が変わる。
レックス。
ガロード。
アウラ。
三人に緊張が走った。
ここから。
世界の秘密が語られる。
そんな予感があった。
だが。
オルグラードの返事は。
あまりにも予想外だった。
「さて」
覇王は腕を組む。
そして。
あっさりと言った。
「わしには心当たりがない」
沈黙。
夜風が森を抜ける。
「……は?」
レックスの口から、間抜けな声が漏れた。
「いや先生、知らないって一番困るやつですよそれ」
思わず身を乗り出す。
「そんなバカなことあるか、師匠」
ガロードも食ってかかる。
「馬鹿弟子共」
オルグラードが睨む。
二人はぴたりと黙った。
覇王は肩をすくめる。
「本当に知らんのだ」
「そんな嘘を巫女姫であるノエリアに言う必要なかろう」
確かに。
覇王が嘘をつく理由はない。
オルグラードはノエリアに向き直った。
その眼差しが、少し鋭くなる。
「ノエリア」
低い声。
「それは誰に言われた言葉だ」
ノエリアは少し首を傾げる。
「えっと……」
思い出すように視線を上に向けた。
「声が聞こえたのです」
静かな声。
「ちょうど」
「王都から脱出する時に」
記憶を辿るように、目を閉じる。
「誰の声だったのか分からないです」
「でも」
「“魔王に会いなさい”って」
その瞬間。
森の空気が冷えた。
オルグラードの瞳が、わずかに細くなる。
「……そうか」
短く呟いた。
白銀の鎧が、きしりと音を立てる。
覇王はゆっくりと空を見上げた。
雲の隙間から。
月が覗いている。
「なるほどな」
低く言う。
レックスが顔を上げる。
ガロードも息を呑む。
オルグラードは二人を見下ろす。
そして。
ノエリアをじっと見た。
まるで。
遠い昔に知っていた人物を思い出すかのように。
「ノエリアよ」
少し沈黙が続く。
やがて。
鎧の奥から低い声が落ちた。
「大げさな言い方をすれば」
静かに。
重く。
「……この世界は危機に直面しておる」
誰も声を出せなかった。
森の奥で。
夜風が静かに木々を揺らす。
そして。
物語は。
新たな扉を開こうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




