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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ガロード編
35/50

対決

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



拘束していた魔力が解けた。


ガロードの体が、ゆっくりと地面へ降りる。


膝が土に触れた。


だが。


立ち上がろうとはしない。


俯いたままだった。


「兄貴……?」


レックスは思わず呼んだ。


返事はない。


ガロードは動かない。


肩だけが、わずかに上下している。


呼吸だけがある。


「兄貴……?」


もう一度呼ぶ。


それでも。


反応はなかった。


空気が変わる。


森が静まる。


鳥が鳴くのをやめた。


風が止まる。


まるで世界が、次の瞬間を待っているようだった。


レックスの背筋を、冷たいものが走る。


「そうだ……」


背後で声がした。


震えている。


歓喜に震える声。


「それだ」


ディグレイだった。


「やはり牙王の血」


一歩、近づく。


その目は。


完全に狂気に染まっていた。


「否」


「正当なる魔王の血だ」


肩が震える。


抑えきれない笑いが漏れる。


「はは……」


「はははは……!」


両腕を広げる。


「これだ」


「これこそが」


声が高くなる。


「魔王国を変革させる切り札」


「願いを叶える力の形!」


その時だった。


ガロードが。


ゆっくりと顔を上げた。


レックスの心臓が跳ねる。


違う。


何かが。


決定的に違う。


ガロードの影が揺れた。


だが。


揺れているのは影ではない。


地面に落ちた影の方が、本体より先に動いた。


人の形だった影が。


ゆっくりと歪む。


細長く伸びる。


背が低くなる。


四つの足になる。


レックスの呼吸が止まる。


「……っ」


影は。


巨大な狼の形へ変わっていた。


次の瞬間。


ガロードの姿が揺らぐ。


肉が膨らむわけではない。


骨が砕けるわけでもない。


ただ。


今まで“人の姿”として保たれていたものが。


静かに沈んでいく。


まるで。


夜が世界を覆うように。


そして。


その奥に眠っていたものが。


月が闇から姿を現すように。


ゆっくりと。


現れた。


地面が、わずかに沈んだ。


四つの脚が、大地を踏みしめる。


黒い影のような巨体。


十メートル近い体躯。


闇に溶ける銀色の毛並み。


そして。


血のように紅い眼。


そこに。


人の理性はなかった。


グルルルル……


喉の奥で鳴る低音。


それは。


人の声ではない。


完全な。


狼の声だった。


巨大な獣が。


ゆっくりと頭を上げる。


銀の狼。


銀狼が息を吸い込む。


森が静まり返る。


次の瞬間。


咆哮。


「GRRRAAAAAAAAAAAAA!!」


大気が震えた。


咆哮が森を裂く。


木々の葉が激しく鳴る。


地面の砂が跳ね上がる。


レックスは思わず一歩後退した。


膝が震える。


本能が叫んでいた。


逃げろ、と。


それでも。


足は動かなかった。


「素晴らしい」


ディグレイの声が響く。


笑っている。


狂ったように。


「素晴らしいぞ!」


両腕を広げる。


まるで神を迎える信徒のように。


「これこそ、人狼族」


「古の時代、最初に魔王と呼ばれた種族」


「“魔王”と呼ぶにふさわしい姿だ!」


笑い声が森に木霊する。


「はははははははは!!」


レックスの視線は。


ただ一つの存在を見ていた。


銀の狼。


さっきまで。


隣で笑っていた男。


粗野で。


ぶっきらぼうで。


それでも。


誰より仲間思いだった兄貴分。


その姿が。


今。


完全な獣になっている。


「嘘だろ……」


心臓が凍りつく。


レックスの唇が震える。


「兄貴……」


銀狼の紅い目が。


ゆっくりと。


こちらを向いた。


その瞳には。


何もなかった。


理性も。


記憶も。


仲間も。


ただ。


狩る者の本能だけ。


レックスの背中に冷たい汗が流れる。


理解してしまった。


今、この瞬間。


兄貴は——


本物の獣になった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



銀狼の紅い眼が、ゆっくりと動いた。


何かを捕らえるように。


獲物を見定めるように。


その視線が――レックスを捉える。


背筋が凍る。


「……っ」


次の瞬間。


空気が裂けた。


銀狼の前脚が振るわれる。


巨大な爪。


風を切り裂く鋭利な刃。


それがレックスへ向けて振り下ろされた。


反射だった。


考えるより先に、体が動く。


棍棒を掲げる。


――ガンッ!!


凄まじい衝撃。


受け流すとか、防ぐとか。


そんな技術の話ではない。


ただ、偶然そこに武器があっただけ。


それでも。


それだけで。


レックスの体は宙を舞った。


視界が回る。


空と地面が何度も入れ替わる。


「ぐ――っ!」


次の瞬間。


背中から地面に叩きつけられた。


衝撃で空気が肺から全部抜ける。


息が出来ない。


体が勝手に転がる。


砂を巻き上げながら、何度も地面を転げ回った。


止まった。


だが。


動けない。


受け身なんて取れていない。


全身が軋む。


骨が砕けたんじゃないかと思うほど痛い。


体がバラバラになったような感覚。


それでも。


意識はあった。


(……生きてる)


つまり。


即死は免れた。


レックスは、震える腕で体を起こそうとする。


視界の先。


銀狼が立っていた。


山のような巨体。


紅い眼。


その瞳が、こちらを見ている。


「……兄貴」


喉からかすれた声が出た。


「兄貴……!」


声は届かない。


銀狼の瞳に、何の変化もない。


そこには。


知性も。


記憶も。


仲間を見る目もない。


ただ。


狩る者の目だけがある。


レックスの胸が締め付けられた。


兄貴が。


魔王になった。


「……目を覚ませよ」


声が震える。


「レックス組手だって言いなよ」


冗談でもいい。


怒鳴ってくれ。


いつものように。


「腰が甘ぇぞ」と笑ってくれ。


でも。


返事はない。


本当に。


涙が出た。


絶望じゃない。


恐怖でもない。


無力さだった。


(何も出来ないのか)


(このまま終わるのか)


銀狼が口を開く。


その喉の奥に。


光が集まった。


赤い光。


熱が膨れ上がる。


「……っ!」


咆哮。


「GRRRAAAAAAA!!」


光が放たれた。


空気が焼ける炎。


巨大な奔流。


地面を焼き、木々を薙ぎ払い、森を飲み込む。


爆炎が周囲を包み込んだ。


地獄だった。


炎の海。


燃え上がる森。


煙と火の匂い。


その光景を見て。


高笑いが響く。


「はははははははは!!」


ディグレイ。


狂ったように笑っている。


「素晴らしい!」


「これだ!」


「これこそが魔王の力!!」


レックスの胸の奥で。


何かが燃えた。


ふつふつと。


静かに。


怒りが湧く。


(ふざけるな)


こんな奴の。


こんな理不尽のために。


兄貴が化け物になって。


自分がここで終わる?


ふざけるな。


「こんな奴に……」


拳を握る。


「殺されてたまるか!!」


炎が迫る。


逃げられない。


体も動かない。


だったら。


いっそ。


レックスは叫んだ。


「こいガロード!!」


声が森に響く。


「僕はまだ負けていない!」


胸の奥から、全部吐き出す。


「勝負はまだついていない!!」


ほとんど自棄だった。


それでも。


叫ばずにはいられなかった。


銀狼の紅い眼が。


ゆっくりと動く。


地面に倒れたままのレックスへ。


その視線が。


一瞬、止まった。


炎が揺れる。


森が燃える。


絶望の中で。


レックスは、銀の獣を睨み返した。


逃げない。


倒れていても。


立てなくても。


それでも。


戦う。


相手が誰でも。


どんな姿でも。


それが。


ガロードに教えられた戦い方だった。


そして。


絶望としか言いようのない戦いが。


今、始まろうとしていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



どす。


どす。


大地が揺れる。


銀狼が、ゆっくりと歩いてくる。


一歩ごとに地面が沈む。


森の木々が震える。


焦げた葉が舞い上がる。


炎の匂い。


土の匂い。


そして、獣の匂い。


レックスは地面に倒れたまま動けない。


腕も足も重い。


まるで体の中に鉛が流れているようだった。


本当なら。


恐怖で押し潰されてもおかしくない。


あの巨体。


あの力。


あの紅い眼。


それでも。


胸の奥に、恐怖を押し流す何かがあった。


銀狼が止まる。


目の前。


振り上げられる前足。


巨大な爪。


そこにあるすべてを引き裂ける刃。


それが。


無情にも振り下ろされる。


(終わりか)


そう思った。


その瞬間。


頭の奥に声が響いた。


誰かの言葉。


懐かしい声。


大事な教え。


『思いをこめた刃は、何より重い!』


レックスの腕が動いた。


震える腕。


折れそうなほど弱い腕。


それでも。


棍棒を突き出す。


剣でもない。


槍でもない。


それでも。


今この瞬間。


それは魔王に届く黒く輝く刃となった。


「――っ!」


突き出す。


ズブリ。


棍棒が銀狼の前足に食い込んだ。


毛を裂き。


肉に沈む。


温かい血が流れる。


だが。


その巨体には。


決定的なダメージにはならない。


銀狼の動きは止まらない。


それでも。


レックスは見上げた。


涙で滲む視界。


紅い眼がそこにある。


「……兄貴……」


ガロードは昔、組手で必ず言っていた。


――先に一撃入れた方の勝ちだ。


声が震える。


喉が焼ける。


それでも。


言葉を続ける。


「……僕の攻撃が先に当たった……」


銀狼の耳が。


ピクリと動いた。


「……僕の……」


息を吸う。


胸が痛い。


肺が焼ける。


それでも。


言葉を絞り出す。


「僕の、一本だ……」


踏み潰せるはずの攻撃。


ただの棍棒。


ただの少年。


それなのに。


銀狼の前足が。


一瞬。


止まった。


紅い眼が揺れる。


そこに。


光るものがあった。


涙。


ほんの一滴。


だが。


それだけでは。


本能は止まらない。


巨大な爪が、再び動こうとする。


その瞬間。


空気が変わった。


凛とした空気。


澄んだ冷たい風のような気配。


その声が響く。


「この勝負は」


静かな声。


澄みきった声。


「レックス様の勝ちです」


レックスが目を見開く。


まるで最初からそこにいたように。


一人の少女が立っていた。


赤きマントを纏う姫巫女。


ノエリア。


銀狼の巨体の横に。


恐れる様子もなく。


静かに。


ただ立っている。


「駄目ですよ」


優しい声。


叱るような。


それでいて。


どこまでも穏やかな声。


「ガロード様は」


一歩近づく。


炎の中を歩くように。


それでも。


少女は迷わない。


「レックス様のお兄ちゃんでしょ」


そっと。


手が添えられる。


銀狼の巨体に。


その瞬間。


光が溢れた。


白い光。


柔らかい光。


それでいて。


夜明けのように強い光。


誰も目を開けていられないほどの光。


森が白く染まる。


炎が静まる。


風が止まる。


世界が静かになる。


やがて。


光が消える。


焦げた森に。


静寂が戻る。


地面に落ちた影が揺れた。


巨大な狼の影が。


ゆっくりと縮む。


四つ足が。


二つになる。


長い影が。


人の形へ。


戻っていく。


そして。


そこに立っていたのは。


一人の少年だった。


荒い呼吸。


ボロボロの体。


それでも。


見慣れた顔。


「ああ……」


掠れた声。


「また、強くなったじゃねえか」


涙を流しながら。


人狼の少年が笑う。


悔しそうに。


それでいて。


「ああ、この勝負」


どこか嬉しそうに。


「オレの負けだよ、レックス」


レックスの視界が滲む。


兄貴が。


戻ってきた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



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