再戦
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
僭王との戦いから、三日ほどが経っていた。
レックスたちは、ロザリーの村を一旦拠点にし、傷の回復を待っていた。
焚き火の煙が、ゆっくりと夜空に昇る。
ガロードは横になっている。
身体中に包帯が巻かれ、動くたびにかすかな痛みが走る。
「いてぇ……」
小さく漏らす声が、夜の静けさに溶ける。
アウラの処置は的確だった。
そして何より、獣人族特有の生命力が、命を救っていた。
「無理に動かないでください」
アウラの声は丁寧で冷静だが、そこには確かな圧がある。
「わかってるって……」
ガロードは眉をしかめながら答えた。
少し離れた場所。
ノエリアは静かに座り、蒼い髪が風に揺れていた。
緑の瞳は、どこか遠くを見つめている。
「……残念です」
ぽつりと呟く。
「覇王様と、お話できませんでした」
その声は心底残念そうだった。
アウラは小さく息をつく。
「また機会があるでしょう」
「そう……なのですか?」
「ええ。きっと」
ノエリアは、少しだけ安心したように頷いた。
そのやり取りを外で聞きながら、レックスは一人、武器の手入れをしていた。
研ぎ石の上で、棍棒を滑らせる。
ぎり、ぎり、と音が響く。
金属ではない。
だが確かに、棍棒の形が少しずつ変わってきていた。
最初はただの太い枝だったそれが、使うたびに変化する。
片側が鋭くなり、まるで片刃の剣――のような形に近づいていた。
「……不思議です」
ノエリアが覗き込む。
「レックス様の武器の棒は、変わっていくのですね」
「え?」
レックスは少し驚く。
「そう……なんですかね」
自分では意識していなかった。
ただ、使うたびに、削るたびに、少しずつ形が変わるように感じていた。
手を止め、レックスはふと思い出す。
最近ずっと考えていたこと。
「ノエリア様」
「はい?」
「少し聞いてもいいですか」
ノエリアは首をかしげる。
「勇者って……」
レックスは言葉を選ぶ。
「どんな人なんですか?」
あの覇王。
その存在だけでも恐ろしい。
だが、覇王を倒したという存在。
”勇者”。
その正体が、ずっと気になっていた。
ノエリアはゆっくりと顔を上げた。
真剣な目で、言葉を選ぶように話す。
「……勇者?」
首を小さく傾げる。
「『勇者』って……」
不思議そうな表情で続ける。
「人の名前なのですか?」
レックスの手が止まった。
「私の知っているのは、王国の人達が行う儀式の名前です」
「”勇者の儀”という名前です」
ノエリアの瞳は、緑の深さを増した。
真剣で、どこか神聖な光を帯びている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ノエリアが掌を合わせた。
「王国には『勇者の儀』というものがあります。それのことなのでしょうか?」
「勇者の……儀?」
レックスは首を傾げる。聞いたことのない言葉だった。
ノエリアは静かに頷いた。
「『星胎降臨の秘祀』の品を、『神炎鍛成の儀』にて引き渡す相手のことなのです」
言葉の意味が理解に追いつかず、レックスは沈黙した。
難しい。単純に難しい。
ほとんどの単語が分からない。
「えっと……」
「『星胎降臨の秘祀』というのは、姫巫女が天より素材を呼び寄せる儀式なのです」
「素材?」
「はい。とても大切なものなのですよ」
ノエリアは穏やかに微笑む。
「そしてその素材を、『神炎鍛成の儀』にて選定の神具として形を作り、引き渡すのです」
「誰に?」
レックスの問いに、ノエリアは答えた。
「『選定者』です」
首をかしげるレックス。
「……それが勇者?」
ノエリアはゆっくり首を横に振った。
「いいえ」
「その方は『選定者』と呼ばれます」
少しだけ照れたように微笑むノエリア。
「わたしは『裁定者』と呼ばれるのです」
レックスは言葉を失った。
勇者ではない。
”選定者”。
”裁定者”。
聞きなれない単語が胸に重くのしかかる。
「……その『選定者』って、何なんですか?」
レックスの声は、静かだが確かに問いかける力を持っていた。
ノエリアは少し困ったように唇を噛む。
「ごめんなさい」
小さく、申し訳なさそうに言う。
「それは……禁則事項なのです」
「禁則……」
言葉が詰まる。
ノエリアは嘘をついているようには見えなかった。
本当に、言えないだけなのだと伝わってくる。
レックスは棍棒を見下ろした。
研ぎかけの刃。
木の棒が、どこか剣に近づきつつある形。
ガロードの戦いを見たあの日以来、レックスの中で何かが変わり始めていた。
それでも、世界のことは何も分からない。
”勇者”とは何なのか。
”選定者”とは何なのか。
”姫巫女”とは何なのか。
レックスはただ思う。
(……僕は)
(この世界のことを、何も知らない)
胸の奥に、わずかな不安が生まれていた。
夜の空気は冷たく、焚き火の光が揺れる。
その揺らめきに、未知の世界の奥深さが静かに映し出されていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、その後のノエリアとの会話は、あまり続かなかった。
理由は単純だった。
禁則事項。
その言葉が、何度も出てきたからだ。
レックスが聞こうとすると、ノエリアは困ったように笑う。
そして申し訳なさそうに言った。
「それは……禁則事項なのです」
それ以上、聞くことはできなかった。
レックスが知りたかったことは、結局、何一つ分からないままだった。
―― 三日後。
「よし、もう動ける」
ガロードが立ち上がった。
包帯だらけの体だが、動きは軽い。
さすが獣人族というべきか。
「レックス」
「え?」
「体、動かすぞ」
にやりと牙を見せる。
「訓練だ」
二人は拠点から少し離れた平地に来ていた。
乾いた風が、髪や衣服を揺らす。
レックスは棍棒を肩に担ぎ、ガロードを見る。
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫じゃなかったら来てねぇ」
ガロードは腕を回しながら言った。
「次は」
その声が低くなる。
「僭王を倒す」
空気がわずかに張り詰める。
レックスは黙る。
そして聞いた。
「……勝てると思う?」
ガロードは少し考えた。
そして、あっさり言う。
「正直に言う。今は無理だ」
レックスは少し驚く。
「でもな」
ガロードは続けた。
「あいつには、違和感がある」
「違和感?」
「速さだ」
ガロードは拳を握る。
「あの体格」
「そしてあの鎧」
「普通なら、あんな動きはできねぇ」
レックスも思い出す。
巨大な体。重そうな武具。
それなのに、あまりにも速かった。
「俺が思うに」
ガロードは目を細める。
「あいつのあの武具は」
少しだけ間を置く。
「重さを操ってる」
レックスは息を飲んだ。
こういう時、ガロードの洞察力には尊敬せざるを得ない。
理屈を学んでいないのに、戦いの本質を嗅ぎ取る。
まるで獣のように。
「それを言うなら」
レックスも言った。
「僕は、あの固さが気になった」
「固さ?」
「うん」
レックスは棍棒を握り直す。
「僕の棍棒なら、普通は鎧でも傷くらいはつく」
「でもあれは……ほとんど効いてない感じだった」
ガロードは首を振る。
「いや、違う」
「ただ固いんじゃねぇ」
レックスを見る。
「当たったところだけ、見えない壁ができる」
「壁?」
「ああ」
「それに力を吸われる感じだ」
レックスは考える。
重さを操る。衝撃を吸収する。
「でも」
「そんなのだったら、無敵に近いよ」
ガロードは鼻で笑った。
「いや」
「牙王は、覇王に負けた」
その言葉で、レックスの頭にあの光景がよぎる。
――覇王。
あの圧倒的な存在。
あの攻撃。
あれと同じことを、今の自分たちが出来るとは、どうしても思えなかった。
「……じゃあ」
レックスは問う。
「どうやって勝つんだよ」
ガロードは笑った。
牙を見せて。
「簡単だ」
そして、拳がレックスの棍棒にぶつかる。
ゴンッ。
乾いた音が響いた。
「何度でも戦う」
ガロードの声は揺るがない。
「負けそうなら逃げる」
「逃げる?」
「ああ」
「そしてまた戦う」
「戦って」
「学んで」
「強くなる」
ガロードはニヤリと笑う。
「最後に立ってるやつが、勝者だ」
静かな平地に、二人の呼吸と決意だけが残った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから数日。
似たような時間が続いていた。
朝は訓練。
昼は情報整理。
夜は見張り。
決して穏やかではないが、戦場の緊張とは違う。
どこか張り詰めた日常だった。
レックスとガロードは、毎日のように体を動かしていた。
最初は二人だけの訓練だったが、途中から一人加わるようになる。
アウラだった。
「最初に言っておきます」
アウラは腕を組んで言った。
「私はノエリア様の侍女です」
「剣士でも、戦士でもありません」
きっぱりとした口調だった。
「訓練などお断りします」
だが、その数分後。
「アウラ、お願いなのです」
ノエリアがそう言うと。
アウラは数秒ほど沈黙し。
そして静かに息を吐いた。
「……ノエリア様がお望みなら」
こうして、アウラの戦闘指導が始まった。
結果から言えば。
それは、想像以上のものだった。
レックスの棍棒は何度も弾かれ。
ガロードの拳も軽くいなされる。
鎖鉄球が風を裂く。
鋭い音。
次の瞬間、レックスの棍棒が横へ流される。
体勢が崩れる。
「遅いですね」
アウラは涼しい顔で言った。
「攻撃の前に、体が動いています」
「それでは読まれます」
ガロードが拳を打ち込む。
速い。
だが、アウラは一歩引くだけだった。
鎖が揺れる。
鉄球が弧を描き。
ガロードの拳を、横から払った。
「力任せも感心しません」
声は静かだ。
だが、容赦はない。
どこで身につけたのか分からない。
だが。
アウラの戦闘技術は、本物だった。
レックスたちは良い刺激を受けていた。
一方で。
「僭王」の捜索は、ロザリーたちが行っていた。
森を。
谷を。
廃村を。
僭王の痕跡を追い続けている。
ノエリアは、時折近くの村を訪れていた。
「水が少し濁っていますね」
そう言って。
泉に手をかざす。
すると水面が、淡く光った。
ゆっくりと。
静かに。
水が澄んでいく。
それを見て、村人たちは頭を下げた。
「姫巫女様……ありがとうございます」
ノエリアは慌てて手を振る。
「いえいえ、大したことではないのですよ」
「それと、私は”姫巫女”ではないです」
そんな時間が続いていた。
そして。
報告が来たのは――三日後だった。
「見つけた」
ロザリーの声は短かった。
「場所は?」
ガロードが聞く。
「前と同じ辺り」
レックスの背筋に、冷たいものが走る。
あの戦いの恐怖が、まだ体に染みついている気がした。
あの戦いの場所。
あの圧倒的な力。
「行くぞ」
ガロードが立ち上がった。
レックスも棍棒を握る。
一行はすぐに出発した。
森を抜け。
岩場を越え。
そして、かつて戦った場所の近くへ辿り着く。
アウラが振り返った。
「いいですか」
その目は真剣だった。
「くれぐれも」
「ノエリア様を危険に晒さないように」
レックスとガロードを見る。
「戦うのはあなたたちです」
「私とノエリア様は距離を取ります」
「何かあればすぐ退きます」
「分かった」
ガロードは短く答えた。
森の空気が静まる。
風が止み。
鳥の声も消えていた。
やがて。
森の向こうに。
巨大な影。
ゆっくりと。牙が、光る。
「……いたな」
ガロードが低く呟く。
僭王。
僭王もまた、こちらを見ていた。
赤い目が光る。
再戦。
だが。
レックスたちは。
このときまだ知らなかった。
――この遭遇戦を。
後に。
深く後悔することになるということを。
森の奥で、風がわずかに動いた。
それは、嵐の前触れのように静かだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




