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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ガロード編
31/51

魔王

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



時間の流れが、やけにゆっくりに感じた。


視界の端で、双剣が交差する。


銀の軌跡。


死の十字。


避けられない。


身体が理解していた。


間に合わない。


十字に切り裂かれる。


その後に来るのは追撃。


双剣はさらに振るわれる。


まるで獲物の肉を食いちぎる、猛獣の牙のように。


――ここまでか。


ガロードは思う。


こんな所で終わるのか、と。


ほんの一瞬。


そんな考えが頭をよぎった。


次の瞬間。


――キィン。


澄んだ金属音が響いた。


剣と剣ではない。


もっと鈍い、重い衝突音。


僭王の双剣が、止まっている。


「……は?」


ガロードの目が見開かれる。


――金属音だと?


視界の端に、一本の武器があった。


黒い鉄塊。


棍棒。


その先端が、僭王の双剣を受け止めている。


「……兄貴」


その声が、どこか遠くで聞こえた。


棍棒を構えた少年。


レックスだった。


その姿を確認した瞬間、ガロードの緊張が途切れる。


身体から力が抜けた。


視界が暗くなる。


意識が落ちていく。


――ああ。


来てくれたのか。


ガロードは、そのまま意識を手放した。


「兄貴、ギリギリセーフだな」


軽口の一つでも叩きたかった。


だが。


正直、そんな余裕はない。


レックスは必死に震えを抑えていた。


目の前にいる存在。


僭王。


その気配だけで、背筋が冷たくなる。


重い沈黙。


風が吹く。


木々がざわめく。


だが。


その中心だけ、空気が止まっているようだった。


ガロードは強い。


レックスよりも強い。


単純な立ち合いの稽古では。


十本勝負。


三本がレックス。


七本がガロード。


この結果は長い間、変わっていない。


つまり。


ガロードは、自分より上だ。


そのガロードを。


この僭王は、圧倒した。


考えるまでもない。


自分が敵う相手ではない。


さっきの防御。


あれは奇跡に近い。


ほんの一瞬。


集中の極致に入れた。


そして。


男爵家で戦ったシグマ。


稲妻のような彼女の攻撃速度に比べれば、僭王の太刀筋がわずかに遅かった。


何度か、それを経験した僅かな幸運。


それだけだ。


たったそれだけの理由で、防げただけ。


次は。


無理だ。


確実に。


死ぬ。


だから。


今やるべきことは、一つ。


「逃げること」


それだけだ。


レックスは叫んだ。


「アウラさん!」


その声と同時。


空気を裂く音。


フレイルの鎖が一直線に飛ぶ。


鋼の鎖がガロードの身体へ絡みつく。


次の瞬間。


引き抜かれた。


まるで荷物のように。


宙を滑るようにして、ガロードの身体が後方へ引き寄せられる。


土が削れる。


鎖が軋む。


だが。


アウラの腕力は止まらない。


「捕まえた!」


少し離れた場所で、少女の声が響く。


ガロードの身体はそのまま森の奥へと引き込まれていく。


僭王は、動かない。


ただ静かに、こちらを見ている。


兜の奥。


視線が突き刺さる。


言葉はない。


だが。


その沈黙は、何より雄弁だった。


――逃がすと思うか。


そんな意思が、空気に満ちている。


レックスの背中を冷たい汗が伝う。


喉が乾く。


それでも。


棍棒を握り直す。


指が白くなるほど強く。


この相手は。


話が通じる存在ではない。


言葉も。


交渉も。


意味はない。


あるのは。


殺すか。


殺されるか。


それだけだ。


僭王が、ゆっくりと双剣を持ち上げた。


その動きは静かだ。


だが。


地面の砂が、ふわりと舞う。


見えない圧力。


それだけで分かる。


次に動いた瞬間。


距離など意味を失う。


レックスは息を吐いた。


震える膝を叩く。


足を踏み出す。


「……来い」


声は小さい。


だが。


逃げるつもりはない。


ここから先は――


命がけの撤退戦だ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



レックスと僭王。


二人は、なぜかその場で睨み合っていた。


風が吹く。


草が揺れる。


誰も動かない。


――何故だ。


レックスは冷静に考える。


僭王の実力なら。


今すぐにでも、自分を斬り伏せられる。


それなのに。


動かない。


理由は、おそらく一つ。


レックスの手にある武器。


棍棒。


黒く鈍い鉄塊。


異様なほど頑丈なそれを、僭王は警戒している。


――思考の時間をくれてるのか。


ありがたい。


レックスは状況を整理する。


撤退する。


それが最優先。


なら、どうやる。


背を向けて逃げる。


論外だ。


相手はガロードを圧倒した怪物だ。


脚力も反応も、こちらより上。


背中を見せた瞬間に終わる。


味方の援護。


……それも無理だ。


アウラは今、ノエリアを抱え。


さらにガロードまで回収しているはずだ。


二人分の重さ。


まともな戦闘など出来るはずがない。


つまり。


やるべきことは一つ。


自分が。


殿になる。


僭王を崩す。


ほんの一瞬でいい。


その隙で逃げる。


選択肢は、それしかない。


出来るか?


レックスは小さく息を吐く。


「まず、やってみないと何ともならない」


覚悟を決めた。


防御など考えない。


ただ。


攻める。


レックスは踏み込んだ。


自分の間合い。


そして。


僭王の間合いへ。


瞬間。


双剣が動く。


銀の軌跡。


速い。


だが今のレックスは極限の集中状態。


一秒が極端に長く感じる。


――見える。


キィン!!


金属音が弾ける。


棍棒が双剣にぶつかる。


だが。


受け止めない。


力比べなどしたら終わる。


レックスは衝撃を受け流す。


身体を回す。


足を滑らせる。


刃の軌道をずらす。


ひたすら回避。


回避。


回避。


そして。


僅かな隙に、棍棒を叩き込む。


重い一撃。


だが。


僭王は微動だにしない。


装甲に弾かれる。


構わない。


目的は破壊じゃない。


時間だ。


レックスはさらに踏み込む。


双剣が振るわれる。


身体を沈める。


刃が頭上を掠める。


棍棒を振る。


防がれる。


衝撃が腕を突き抜ける。


身体が崩れる。


それでも。


体幹で支える。


無理矢理立て直す。


もう一撃。


振り抜く。


その瞬間。


僭王の背後に、影が現れた。


白い骨。


骸骨兵士。


四体。


土を蹴り、同時に斬りかかる。


レックスの目が見開かれる。


――ロザリー。


だが。


支援に感謝する暇はなかった。


僭王が動く。


ただ一歩。


踏み出す。


双剣が閃く。


一閃。


二閃。


三閃。


四閃。


一瞬だった。


骸骨兵士の身体が、ばらばらに崩れ落ちる。


骨が地面に散らばる。


あまりにも。


あっさりと。


無言のまま。


ただ暴力だけが、そこにあった。


沈黙。


骨の転がる音だけが響く。


レックスの喉が、わずかに鳴った。


四体。


ロザリーの骸骨兵士は、それなりに強い。


並の兵士なら三人がかりでも苦戦する。


それが。


一瞬。


ただの一瞬で。


消えた。


僭王は、何も言わない。


ゆっくりと双剣を下ろす。


その動作は静かだ。


だが。


地面に散った骨が、僅かに震えている。


剣圧。


空気そのものが揺れている。


レックスの背中を冷たい汗が流れる。


それでも。


棍棒を握る手は離さない。


「……まだだ」


小さく呟く。


時間は稼げた。


ほんの少し。


ほんの数秒。


だが、それでいい。


仲間が逃げる時間。


それさえ稼げれば。


レックスは再び踏み込んだ。


命を削るような一歩を。


この怪物の前へ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



何かの物語で聞いたことがある。


魔王と戦うときは――


逃げられない、と。


レックスの視線の先。


そこに立つ存在。


僭王。


『魔王』を名乗る存在。


冗談のような話だ。


そんなもの、物語の中だけの話だと思っていた。


だが今。


目の前にいる。


現実として。


――変なことを考えるな。


レックスは歯を食いしばる。


指の感覚が消えかけていた。


足が、後ろへ下がりそうになる。


踏みとどまる。


足の裏の感触。


崖の縁。


文字通り。


ここは、崖っぷちだった。


一歩でも退けば。


終わる。


――将来、あなたを――わたしの騎士に任命します。


不意に。


声が聞こえた気がした。


エルディナの声。


柔らかく、どこか誇らしげな声音。


レックスの瞳が揺れる。


思い出す。


あの少女の顔。


差し出された手。


「約束ですよ、レックス」


あの時の言葉。


まだ。


何も成し遂げていない。


――もう一度会いたい。


それだけでいい。


どんな理由でもいい。


生きたいと思える糧が。


今の自分には必要なんだ。


レックスは棍棒の柄を握り直した。


汗で滑りそうな掌。


それでも。


力を込める。


僭王は、そんなレックスを見下ろしていた。


格下。


明らかな弱者。


その認識は変わらない。


だが。


その瞬間だった。


空気が裂けた。


ヒュォォォォン――!!


凄まじい風切り音。


レックスの耳を打つ。


何が起きたのか分からない。


だが。


僭王は反応した。


一瞬でレックスから視線を外す。


双剣の構えが、わずかに低くなる。


次の瞬間。


ガァンッ!!


鋼鉄が激突するような衝撃音。


火花が散る。


僭王の双剣が何かを弾き飛ばした。


レックスには見えない。


何が飛んできたのか。


だが。


僭王には見えていた。


地面に突き刺さったそれ。


それは矢だった。


だが。


普通の矢ではない。


太い。


あまりにも太い。


矢というより――


短槍。


ショートスピアに等しいほどの太さを持つ巨大な赤い魔力を帯びた矢。


矢が突き刺さった場所から、地面に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。


レックスの喉が鳴る。


こんなもの。


弓で撃てるはずがない。


僭王が、初めて声を発した。


低く、短く。


「……覇王」


レックスの目が見開かれる。


覇王。


もう一人の魔王。


その名だけは、聞いたことがある。


次の瞬間。


ヒュン!!


再び風が裂ける。


第二射。


僭王の双剣が閃く。


ガァン!!


巨大な矢が弾き飛ばされる。


地面へ突き刺さる。


土が爆ぜる。


岩が砕け散る。


さらに。


第三射。


第四射。


矢は大地を抉り。


岩を砕き。


木々をへし折る。


まるで。


遠くの山から、巨人が槍を投げているかのようだった。


そのすべてを。


僭王は双剣で迎撃していた。


だが。


その間に。


距離が開く。


僭王は後退していた。


双剣で矢を弾きながら。


静かに。


確実に。


森の奥へ。


その姿が、木々の影に溶けていく。


僭王の兜が、わずかにレックスを向く。


いや。


違う。


レックスの背後。


誰かを見ていた。


しばしの沈黙。


そして。


僭王は何も言わず、森の奥へ消えた。


気配が消える。


殺気が消える。


世界が、ようやく呼吸を取り戻す。


レックスの膝が、がくりと折れた。


その場に崩れ落ちる。


息が荒い。


心臓が暴れている。


視界の端。


巨大な矢が、大地に突き刺さっていた。


一本。


二本。


三本。


まるで大地を縫い止める杭のように。


レックスはそれを見上げる。


遠く。


森の向こう。


どこかの高台。


そこにいるはずだ。


この矢を放った存在が。


魔王。


覇王。


その姿は見えない。


だが。


確かに、そこにいる。


レックスは小さく息を吐いた。


「……助かった、のか」


誰に聞くでもなく呟く。


答える者はいない。


ただ。


地面に突き刺さった巨大な矢だけが。


先ほどまで、この場所で起きていた


魔王同士の力の一端を。


静かに物語っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



死ななかったのか。


生き残れたのか。


その実感が、かなり遅れてやってきた。


緊張がほどけた瞬間。


レックスの脚から力が抜けた。


どさり、とその場に座り込む。


腰が抜けた。


そう言い換えてもいい。


呼吸が荒い。


胸が上下する。


汗が、額から頬へと流れ落ちる。


服はすでにぐっしょり濡れていた。


時間にすれば、どれくらいだったのだろう。


ほんの数分かもしれない。


だが。


レックスにとっては、途方もなく長い時間だった。


――あれが魔王。


頭の中で、その言葉が反響する。


帝国の戦闘種族も強かった。


あの男爵家で戦ったシグマも、レックスには勝てないと思った強敵だった。


だが。


「僭王」は違う。


比較にならない。


レックスが評価するような立場ではない。


それでも。


肌で分かる。


あれは、数段上の存在だった。


その僭王が。


即座に撤退を選択した。


理由は一つ。


地面に突き刺さる矢。


いや。


矢と呼ぶにはあまりにも太い。


槍のようなそれ。


大地を抉り。


岩を砕くほどの威力。


それを放った存在。


――覇王。


その名が脳裏をよぎる。


そして。


その覇王を。


倒したとされる存在。


破壊者。


勇者。


魔王を倒す者。


王国が、その存在をそう呼ぶ。


どれほどの強さなのだろうか。


レックスは、強さを求めているわけではない。


剣の頂点を目指すつもりもない。


それでも。


今日、分かったことがある。


この世界の天井は。


遥か。


遥か上にある。


人の届く場所ではない。


そんな気さえした。


「大丈夫か」


声がした。


振り向く。


森の影から現れたのはロザリーだった。


追いついて、隠れて。


骸骨兵士を操りながら支援していた少女。


ロザリーは周囲を警戒しながら近づく。


そして。


地面を見た。


巨大な矢。


深く突き刺さったままのそれ。


ロザリーの目が細くなる。


「……これ」


レックスが、苦笑する。


「覇王に助けられたらしい」


ロザリーは眉をひそめた。


「覇王……」


小さく呟く。


そして。


「覇王ディアボロスか?」


その名前が、静かな森に落ちる。


レックスはゆっくりと息を吐いた。


「あの僭王がさ」


ぽつりと言う。


「矢を見た瞬間、名前を口にしたんだ」


ロザリーの表情が、わずかに変わる。


警戒。


憎悪。


そして。


ほんの少しの恐れ。


「ロザリーはさ」


レックスが続ける。


「覇王が憎いらしいけど」


少しだけ顔を上げる。


地面に突き刺さった矢を見る。


あれを。


遠くから放った存在。


姿すら見えないのに。


あの僭王を退かせた存在。


「力で文句言うのは、やめた方がいいよ」


静かに言う。


ロザリーは何も答えない。


ただ。


矢を見ている。


しばらくして。


小さく息を吐いた。


「……分かっている」


その声は。


いつもより、わずかに弱かった。


レックスは地面を見つめる。


助けられたのか。


それとも。


取るに足らない存在として見逃されたのか。


分からない。


どちらでもいい。


ただ。


ガロードは生きている。


あの戦いで。


全員が生き残った。


それでいい。


レックスは、そう考えることにした。


森の奥。


風が吹く。


巨大な矢は、微動だにしない。


まるで。


この地に刻まれた


魔王の爪痕のようだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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