遭遇
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その時だった。
村の扉が、勢いよく開いた。
「村長!」
息を切らした村人が飛び込んでくる。
「覇王の軍と――交戦している奴がいる!」
村の空気が一瞬で変わった。
「何だと?」
村の代表が身を乗り出す。
村人は早口で続けた。
「南の街道だ!」
「全身を硬質の装甲で覆っている!」
「鎧騎士みたいな姿で――」
「棘のような装甲が――」
そこまで聞いた瞬間。
ガロードの椅子が吹き飛んだ。
「どっちだ」
気づけば村人の胸ぐらを掴んでいる。
「どこだ!」
獣のような目だった。
村人は震えながら答える。
「み、南だ!」
「街道を下った先!」
その瞬間。
ガロードの姿が消えた。
扉が叩き開けられる。
「兄貴待って!」
レックスは慌てて飛び出す。
アウラも動いた。
ノエリアをひょいと抱え上げる。
「行きます」
そして走り出す。
ロザリーもなぜか後を追う。
森の街道。
全力疾走。
だが。
「速過ぎる……!」
レックスは歯を食いしばる。
理解はしていた。
獣人の身体能力は、人間とは次元が違う。
ガロードの背中は、もう遠い。
身体強化を使えば追いつける。
だが。
奥の手は、残しておきたい。
その時。
横から風が抜けた。
アウラだった。
ノエリアを横抱きにしたまま、軽やかにレックスの横へ並ぶ。
そして――
追い抜いた。
「え?」
レックスは思わず声を漏らす。
身体強化の魔法も使っていない。
それなのに。
軽々と距離を広げられる。
(この人、本当に人間か……?)
疑いが浮かぶ。
だが。
それを考える余裕もなかった。
最初に現場へ辿り着いたのは――
ガロードだった。
木々の間を抜けた瞬間。
光景が広がる。
街道。
血の匂い。
地面には――
兵士たちが倒れていた。
覇王軍。
巡回兵だろう。
十人ほど。
だが。
そのうち八人が。
すでに絶命していた。
血が街道を染めている。
立っているのは――三人。
鎧騎士。
そして。
覇王兵が二人。
二人の兵士は、完全に追い詰められていた。
一人が剣を構える。
だが。
その手は震えている。
それでも、逃げない。
鎧騎士は。
無言だった。
ゆっくり。
双剣を持ち上げる。
振り下ろす。
その光景が――
ガロードの脳裏に焼きついた。
血。
父。
倒れる背中。
あの日の記憶。
「やめろ!!」
ガロードが地面を蹴った。
空気が裂ける。
背後からの奇襲。
全力の飛び蹴り。
だが。
鎧騎士は。
振り返りもしない。
ただ。
腕を少し動かした。
ガロードの蹴りを。
籠手で受け止める。
金属がぶつかる。
鈍く、重い音。
その瞬間。
ガロードの目が見開かれた。
まるで――
石壁を蹴ったようだった。
衝撃が脚を突き抜ける。
骨が軋む。
だが。
鎧騎士は。
微動だにしない。
一歩も。
動かなかった。
ガロードの渾身の一撃が。
ただの小石でも当たったかのように。
そこに立っている。
鎧騎士が。
ゆっくりと振り向いた。
狼の頭のような兜。
牙のような装甲。
刺々しい鎧。
まるで。
墓から蘇った亡霊。
兜の奥。
闇の中から。
視線が向けられる。
忘れもしない。
この姿。
この殺気。
ガロードの声が、低く漏れる。
「……お前」
拳が震える。
「見つけた」
十年。
探し続けた。
敵。
鎧騎士の双剣が、静かに構えられる。
そして。
兜の奥から。
低い声が響いた。
「――牙王」
それだけだった。
名乗り。
それだけ。
次の瞬間。
鎧騎士が動いた。
視界から消える。
ガロードの瞳が開く。
速い。
次の瞬間。
鋼の斬撃が迫る。
ガロードは反射で腕を交差させる。
衝撃。
地面が爆ぜた。
ガロードの身体が吹き飛ぶ。
街道を滑る。
地面を削る。
止まる。
ガロードが歯を食いしばる。
「……!」
強い。
桁違いだ。
十年前と同じ。
いや。
それ以上。
鎧騎士は。
一歩も追わない。
ただ。
そこに立っていた。
まるで。
絶対に越えられない壁のように。
ガロードはゆっくり立ち上がる。
血が口の端を伝う。
それでも。
目は逸らさない。
そして。
静かに牙を剥いた。
十年越しに。
二人は。
再び対峙した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
語る言葉はない。
視線が交差した瞬間、ガロードは地を蹴った。
獣人の脚力が爆発する。
土が弾け、身体が弾丸のように前へ飛ぶ。
――速さなら負けねぇ。
全身を覆う鎧。
棘のように突き出した装甲。
重いはずだ。
遅いはずだ。
可動域も狭い。
ならば。
速さで翻弄する。
ガロードは姿勢を低く落とした。
四足獣のような体勢で地を滑る。
右。
左。
急停止。
跳躍。
縦横無尽。
人間には到底真似できない軌道で、僭王の周囲を駆ける。
だが。
僭王は――
動かない。
ただ、そこに立っている。
双剣を下げたまま。
まるで、近づいてくる獲物を待つ捕食者のように。
「……」
ガロードの目が細まる。
挑発か。
それとも余裕か。
どちらでもいい。
――背中だ。
ガロードは地面を蹴り、僭王の背後へ滑り込む。
身体を大きく捻る。
腰を回す。
全体重を乗せた回し蹴り。
空気を裂きながら、脚が装甲へ叩き込まれる――
その瞬間。
轟音。
「――ッ!」
まるで巨大な岩を蹴ったようだった。
装甲が一瞬、淡く光る。
鈍い衝撃が脚を突き抜けた。
骨まで震える。
だが。
僭王の身体は――
微動だにしない。
一歩も。
動かなかった。
ガロードの瞳が見開かれる。
「……は?」
その瞬間。
僭王が動いた。
消えた。
いや。
視界から消えた。
直後。
背後に気配。
ガロードの瞳が大きく開く。
振り向くより早く――
双剣が振るわれた。
左右。
交差する二閃。
まるで二つの獣が同時に牙を剥くような軌道。
「っ!」
ガロードは反射で身体を捻る。
首を引く。
脚を引く。
紙一重。
刃が鼻先を掠める。
そのまま地面へ手をつき、身体を跳ね上げた。
側転。
もう一度、側転。
軽業師のように回転しながら距離を取る。
土煙が舞う。
ガロードは地面へ着地し、構え直した。
「……おいおい」
口の端が歪む。
「反則だろ」
重装甲の騎士。
それが。
今、ガロードと同じ速度で動いた。
いや。
違う。
ほんの一瞬。
僭王の方が速かった。
僭王は無言のまま立っている。
双剣を下げたまま。
呼吸すら乱れていない。
まるで今の攻防など、何の意味もないと言わんばかりに。
「これが……」
ガロードは肩を回した。
拳を握る。
「これが魔王を名乗る奴の力かよ」
笑う。
だがその笑みは、
獣の牙のように鋭かった。
闘志は消えていない。
むしろ燃え上がっている。
――まだだ。
まだ終わってねぇ。
ガロードは再び地面を蹴る。
今度は正面。
一直線。
拳を握る。
拳圧が空気を震わせる。
全力の右拳。
装甲の胸部へ叩き込む。
衝撃。
だが。
まただ。
装甲が淡く光る。
圧力が。
消える。
「……!」
まるで。
力そのものが、
どこかへ吸い込まれたようだった。
拳は確かに当たっている。
だが。
手応えがない。
僭王は。
ゆっくり。
双剣を持ち上げた。
次の瞬間。
振るわれる。
ガロードは腕を交差させて受ける。
衝撃。
地面が爆ぜる。
ガロードの身体が弾き飛ばされた。
数メートル。
いや。
十メートル近く。
地面を削りながら転がる。
土煙が上がる。
ガロードは膝をついた。
「……くそ」
息が荒い。
腕が痺れている。
あの鎧。
異常だ。
攻撃が通らない。
衝撃が。
まるで消えている。
僭王は歩き出す。
ゆっくり。
一歩。
また一歩。
重い鎧のはずなのに。
足取りは軽い。
異様なほど。
軽い。
まるで――
鎧の重さなど存在しないかのように。
ガロードの瞳が細まる。
「……そういう仕組みか」
鎧。
剣。
そのすべてが。
普通じゃない。
だが。
それでも。
ガロードは笑った。
血の混じった息を吐く。
牙を剥く。
「いいじゃねぇか」
ゆっくり立ち上がる。
脚が震える。
腕が重い。
だが。
目だけは死んでいない。
「やっと見つけたんだ」
拳を握る。
「ここで逃げるわけねぇだろ」
僭王は何も言わない。
ただ。
双剣を構える。
その姿はまるで。
絶対に越えられない壁。
だが。
ガロードは。
もう一度。
地面を蹴った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
血が腕を伝い、地面へと滴り落ちる。
浅い傷。
だが問題はそこではない。
ガロードの瞳が鋭く細まる。
「……避けたよな、今の」
自分の身体能力は誰よりも理解している。
獣人として生まれた天性の筋力。
それを何年も鍛え上げた肉体。
瞬発力。
速度。
反射。
人間ではまず追いつけない。
そのはずだった。
だが――
今、目の前の存在は。
それを上回った。
僭王。
全身を刺々しい装甲で覆った鎧騎士。
その動きは、重装の常識を嘲笑うかのようだった。
あれが本体の技量なのか。
それとも鎧に何か仕掛けがあるのか。
ガロードには分からない。
そして。
その謎を解く時間など、今はない。
次の瞬間。
ガロードの姿が消えた。
地面が爆ぜる。
先ほどよりもさらに速い。
獣人の脚力を限界まで解放した、トップスピード。
視界の外へ回り込む。
横。
背後。
死角。
残像すら残さない速度で駆け抜ける。
ガロードの指先から、鋭い爪が伸びる。
獣人の爪。
鍛え上げられたそれは、鋼と同等の硬度を持つ。
斬る。
裂く。
貫く。
ガロードは腕を振り抜いた。
抜き手。
超高速で放たれた手刀が、鎧の隙間を狙い撃つ。
――取った。
そう思った。
しかし。
ギィン――
硬い音が響く。
ガロードの爪は僭王の装甲に突き刺さる――
はずだった。
だが。
傷一つつかない。
「……っ!」
止まらない。
ガロードはそのまま連撃へ移行する。
回し蹴り。
膝蹴り。
肘打ち。
体術を連続で叩き込む。
速度を落とさず、死角を変え続けながら攻撃を浴びせる。
だが。
僭王は動かない。
避けない。
ただ双剣を動かすだけ。
ガロードの拳を弾き。
脚を逸らし。
肘を止める。
まるで。
最初からすべて見えているかのように。
攻撃が――
通らない。
「……マジかよ」
ガロードは心の中で呟く。
こんなことがあるのか。
これほどの速度で攻めている。
だが。
相手は。
避ける必要すら感じていない。
ただ防ぐだけ。
それだけで、すべてが止められている。
圧倒的な技量差。
「……こんなに差があるのか」
その瞬間だった。
ほんの僅か。
ガロードの動きが鈍る。
疲労ではない。
焦りでもない。
ただ。
その差を理解した、一瞬の思考。
その隙を。
僭王は逃さなかった。
初めて。
その身体が動く。
双剣が持ち上がる。
天へと掲げられる二本の刃。
ガロードの背筋に冷たいものが走る。
――やばい。
本能が叫んだ。
ガロードは即座に後退しようとする。
だが。
その瞬間。
僭王の姿が消える。
「な――」
気配が背後に現れる。
振り向くより早く。
双剣が振り下ろされる。
そして。
二本の刃が。
静かに交差した。
キン――
鋼の音が、森に響く。
ガロードの身体が宙へと弾き飛ばされた。
数メートル。
いや、それ以上。
街道を越え、地面を転がる。
土が舞い上がる。
木の幹へ叩きつけられ、ようやく止まった。
ガロードは地面へ片膝をついた。
「……が、はっ」
血が口からこぼれる。
胸。
肩。
脇腹。
交差した斬撃の跡が、服を裂いていた。
致命傷ではない。
だが。
深い。
もし反応が遅れていれば。
身体は、真っ二つだった。
ガロードは息を整えながら、ゆっくり顔を上げる。
視界の先。
僭王は。
元の場所に立っていた。
何事もなかったかのように。
双剣を下げたまま。
沈黙。
まるで、そこに立つだけで。
すべてを拒絶する壁のようだった。
ガロードは口元の血を拭う。
そして。
笑った。
荒い呼吸のまま。
獣の牙を剥き出しにして。
「……いいじゃねぇか」
拳を握る。
骨が鳴る。
「それでこそだ」
十年。
探し続けた敵。
簡単に倒せる相手だったら。
それこそ。
つまらない。
ガロードはゆっくり立ち上がる。
足が震えている。
腕が重い。
だが。
目だけは。
燃えていた。
「もう一回だ」
低く呟く。
僭王は答えない。
ただ。
双剣を構えた。
二人の間に。
再び。
殺気が満ちていく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




