向かうべき場所へ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しゅった。
小さく手を上げている。
まるで授業で質問する生徒のようだ。
「じゃあ」
ノエリアは首を少し傾げながら聞いた。
「樹王様は、どんな方なのですか?」
ロザリーは少しだけ呆れた顔をした。
「さっきも言っただろ」
「守るためにしか戦わない魔王だ」
そう言ってから、少し考えるように目を細める。
「……まあ」
「魔王って言うのも、ちょっと違うかもしれねえけどな」
ロザリーは続ける。
「樹王はな」
「魔王国で一番古い存在って言われてる」
「長生きの種族が多い魔王国でも」
「アイツがいつからいるのか」
「誰も知らねえ」
レックスは思わず聞き返す。
「誰も……?」
ロザリーは頷いた。
「そうだ」
「魔王国の歴史の記録より前からいるって話もある」
「神話みたいな存在だな」
地下通路の壁には、発光する苔が淡い光を放っていた。
その光がロザリーの金色の瞳に映る。
ロザリーは顎で前方を指した。
「樹王は巨大な森を領域にしてる」
「あの森を荒らすやつには」
「容赦しない」
その声は断言だった。
「でも」
ロザリーは続ける。
「荒らさなきゃ寛容だ」
「狩りもいい」
「採取もいい」
「間伐も許される」
「森を壊さなければな」
ノエリアが「まあ」と小さく声を上げる。
「優しい方なんですね」
ロザリーは肩をすくめた。
「優しいっていうか」
「自然そのものって感じだな」
「怒りに触れなきゃ」
「寛容」
「でも」
そこで声が少し低くなる。
「怒らせたら終わりだ」
地下通路の空気が、わずかに冷えたように感じられた。
レックスは静かに聞いていた。
ロザリーは続ける。
「人間側の破壊者も」
「過去何度か樹王を討伐しに来てる」
「でも」
ロザリーの金色の瞳が鋭く光る。
「一度も負けてない」
レックスの目が少し見開いた。
「え?」
「負けて……ない?」
ロザリーは頷く。
「そうだ」
「一度もな」
レックスは思わずガロードを見る。
ガロードは腕を組んだまま言った。
「……嘘じゃねえ」
「俺が知ってる話と同じだ」
レックスは少し息を飲んだ。
破壊者。
つまり勇者。
その存在に、一度も負けたことがない魔王。
ノエリアがぽつりと言う。
「何歳くらいなんでしょう」
「かなりのご高齢ですね」
ロザリーは鼻で笑った。
「歳なんて概念あるのかも怪しいぞ」
そう言ってから、少しだけ遠くを見るような目になる。
「魔王国で」
「樹王に喧嘩売るやつは、ほぼいない」
「勢力は覇王の方が上だけどな」
「実際の力なら」
ロザリーは迷わず言った。
「たぶん」
「一番強い」
地下通路に静けさが落ちる。
誰も、すぐには言葉を出さなかった。
遠くで水滴が落ちる音だけが、小さく響いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地下通路の空気が、わずかに冷えた。
ガロードが一歩前に出る。
石床に靴底が擦れる音だけが、小さく響いた。
「――“牙王”のことで」
その声が低く沈む。
「知っていることを」
金色の瞳が鋭く細められた。
「全部教えろ」
ロザリーは一瞬、きょとんとした顔をした。
「牙王だって?」
次の瞬間。
「は?」
信じられないものを見る顔になる。
「何言ってんだお前」
「……あいつなら」
ロザリーは肩をすくめた。
「少し前に死んだだろ」
レックスは思わず目を見開いた。
「……え?」
ガロードの耳がぴくりと動く。
「どういう意味だ」
声が低い。
ロザリーは怪訝そうに眉を寄せた。
「どういうも何も」
「牙王は粛正されたんだよ」
「覇王にな」
レックスは息を呑んだ。
「粛正……?」
ロザリーは当然の話のように続ける。
「牙王は覇王に反乱を起こした」
「魔王国の支配が気に入らなかったんだろ」
「それで」
「覇王と戦った」
ロザリーは指で空中に線を引いた。
「そりゃもう」
「大騒ぎだったらしいぞ」
「魔王同士の戦いだからな」
地下通路の壁に生えた発光苔が、淡く揺れる。
その光がロザリーの金色の瞳を照らしていた。
そして最後に、あっさりと言う。
「死闘の末」
「牙王は覇王に討たれた」
地下通路が静まり返る。
ガロードは黙ったままだ。
腕を組んだまま、まるで石像のように動かない。
レックスも言葉を失っていた。
すると。
「では」
ぽつりと声がした。
ノエリアだった。
小さく首を傾げている。
「牙王さんには」
少し残念そうな顔になる。
「会えないのですか?」
ロザリーは呆れた顔になった。
「死んだ奴に会えるわけないだろ」
あまりにも当然の答えだった。
レックスは頭をかく。
……まただ。
また奇妙な状況になっている。
兄貴の目的は――
牙王を捜すこと。
だが。
その牙王は。
「……死んでる?」
レックスは眉をひそめた。
「……あれ」
胸の奥に、違和感が生まれる。
何かが、おかしい。
レックスはゆっくりロザリーを見る。
「ねえ」
「ロザリー」
ロザリーは面倒くさそうに振り向く。
「あ?」
「牙王が死んだのって」
レックスは慎重に聞いた。
「いつの話?」
ロザリーは即答した。
「だから言っただろ」
「少し前だ」
レックスは続けて聞く。
「……この一か月?」
ロザリーは目を丸くした。
「は?」
そして首を振る。
「違う違う」
「そんな最近じゃねえ」
軽く言う。
「ほんの」
「二十年も経たない位だ」
レックスは思わず天井を見上げた。
苔の光がぼんやりと広がっている。
……ああ。
そういうことか。
横を見ると、ガロードも同じ顔をしていた。
長命種。
ロザリーは闇エルフ。
人間とは時間感覚が違う。
二十年は――
彼女にとって。
「少し前」
なのだ。
沈黙が落ちる。
そのとき。
ロザリーが、ふと何かに気づいた顔をした。
「ああ」
納得したように頷く。
「なるほどな」
「お前ら」
少しだけ笑う。
「ひょっとして」
「牙王を僭称してる奴のこと言ってるのか?」
ガロードの目が鋭く光った。
地下通路の空気が、再び張り詰める。
遠くで水滴が落ちる音が、小さく響いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地下通路の空気は、わずかに湿っていた。
発光苔の淡い光が、石壁をぼんやりと照らしている。
その光の中で、ロザリーは肩をすくめた。
「だからさ」
「最近、魔王国で妙な奴が出てきたんだよ」
金色の瞳が、ちらりとガロードを見る。
「覇王に反抗してる奴がいる」
レックスは腕を組んだ。
「それが……」
「牙王?」
ロザリーは頷く。
「そう名乗ってるらしい」
話はこうだ。
その存在は、突然現れた。
覇王の支配下にある豪族の一人を襲撃し、打ち倒した。
護衛の魔族たちも、まとめて叩き伏せたという。
そして。
その場で言ったのだ。
自分は――
「牙王だ」
と。
それだけだった。
地下通路に、少し沈黙が落ちる。
レックスが眉をひそめた。
「……それだけ?」
ロザリーはあっさり言う。
「噂を聞いたくらいだ」
「覇王の派閥の奴らが村に来た時にな」
「情報集めしてた」
レックスは息を吐いた。
なるほど。
つまり――
確定情報は、ほとんどない。
ガロードが口を開いた。
「そいつの居場所は」
低い声だった。
ロザリーは即答する。
「知るわけないだろ」
肩をすくめる。
「覇王の派閥の奴らだって探してるんだぞ」
「辺境村まで来るくらいだ」
その時だった。
「なるほど」
アウラが静かに口を開いた。
「状況が見えてきました」
全員の視線が集まる。
アウラは淡々と話し始めた。
「その僭称牙王――」
一度言葉を選ぶ。
「仮に『僭王』と呼ぶとしましょう」
レックスは心の中で頷いた。
確かにその方が分かりやすい。
アウラは続ける。
「その僭王は」
「おそらく覇王に対し、ゲリラ戦を仕掛けているのでしょう」
ロザリーが少し目を細めた。
「ゲリラ?」
アウラは頷く。
「魔王国の支配構造を考えれば自然です」
魔王国の支配。
それは――
力。
ただそれだけだ。
「覇王は徳で支配しているわけではありません」
「自らの圧倒的な力を背景にしている」
静かな声で言う。
「魔王国の実質半分を支配する存在に対し」
「正面から戦うのは愚策」
「ならば」
「力を削る」
「支配を揺るがす」
「そのための戦い方は一つ」
アウラの瞳が鋭くなる。
「局地戦」
「奇襲」
「破壊」
「つまり――ゲリラ戦です」
レックスは思わず感心した。
なるほど。
言われてみれば、筋が通る。
アウラはさらに続ける。
「覇王の支配は力によるもの」
「ならば」
「覇王に力なしと示されれば」
「その支配体制は崩れる」
淡々と言う。
「豪族も」
「軍も」
「簡単に離反するでしょう」
確かに。
魔王国は
力に従う国だ。
力がなければ王ではいられない。
アウラはロザリーを見る。
「そして覇王側も」
「その危険性を理解している」
ロザリーが頷いた。
「……ああ」
アウラは静かに結論を出す。
「村にまで情報収集に来る」
「つまり」
「覇王は僭王を侮っていない」
少し間を置き。
穏やかな声で言った。
「覇王は」
「魔王国というものを、よく理解している魔王なのでしょう」
発光苔の光がアウラの横顔を照らす。
「腕力だけに頼る存在ではない」
「侮れません」
静かに言った。
「かなり聡い御仁だと思います」
地下通路の奥で、風が小さく鳴った。
ガロードは黙ったまま、拳を握りしめていた。
その拳の骨が、わずかに白く浮き出ていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地下回廊は、相変わらず湿った空気に満ちていた。
天井から垂れる石筍から、ぽたり、ぽたりと水滴が落ちる。
足音が響くたびに、暗闇がゆっくりと揺れるように感じられる。
魔王国へと続く、古い地下の道。
誰が作ったのかも分からない石の回廊を、一行は黙々と進んでいた。
そんな中で、アウラが静かに口を開いた。
「ノエリア様のお望みをかなえるのであれば――」
一度言葉を区切り、皆の視線を受ける。
「『僭王』を捜すことが、最善であると提案します」
ノエリアが少し首を傾げた。
「『覇王』様や『樹王』様ではないのですか?」
アウラは足を止め、振り返った。
「消去と効率を考えての結論です」
淡々とした声で、説明を始める。
「まず『樹王』ですが――」
少しだけ言葉を探すように間を置く。
「私個人の感想になりますが、『樹王』という存在は自然そのものです」
「自然……?」
「はい。森そのものと言ってもよい」
アウラは続けた。
「言うなれば、生きている自然災害です。
会話をするというより、山や嵐と対話するようなものになるでしょう」
レックスが思わず眉をひそめる。
「それ、会話できるの?」
「姫巫女であるノエリア様ならば可能かもしれません」
アウラは軽く一礼する。
「ですが、第一目標とする必要はないと判断しました」
ノエリアは静かに頷いた。
「では、『覇王』様は?」
その問いに、アウラの視線がロザリーへ向いた。
「情報を総合すると――」
「『覇王』は本拠地にいない可能性が高い」
ロザリーが少し驚いた顔をする。
「お前、なかなか鋭いな」
アウラは説明を続ける。
「ロザリー殿は、『覇王』の本拠地をご存じでしょう」
「まあな」
「ですが、現在の状況で本物の『覇王』がそこにいる可能性は極めて低い」
「いたとしても――」
一拍置く。
「それは影武者でしょう」
ノエリアが目を丸くする。
「どうしてですか?」
「理由は単純です」
アウラは迷いなく答えた。
「『僭王』の実力は、おそらくかなりのもの」
地下回廊の空気が、少し張り詰める。
「覇王の支配体制は『力』で成立しています」
「その覇王の権威を揺るがす存在が現れた」
「ならば覇王はどう動くか」
ガロードが小さく呟く。
「……自分で狩りに行く」
「その通りです」
アウラは頷いた。
「覇王の立場を考えれば、討伐を他人に任せるよりも、自ら動く可能性が高い」
「つまり――」
彼女は結論を告げた。
「『僭王』を捜すことが、結果として『覇王』に会う可能性を最も高める」
レックスは思わず感心した。
最初に会った頃の印象は、少し違っていた。
腕は立つが、考えるより先に拳が出るタイプ。
そう思っていた。
だが、今は違う。
筋が通っている。
しかも、迷いがない。
その時、ガロードがぽつりと言った。
「牙王を名乗る奴がいるなら……」
ゆっくり顔を上げる。
「そいつに会う」
短い言葉だったが、迷いはなかった。
ノエリアが明るく頷く。
「では――」
両手を軽く合わせる。
「『牙王』さんに会いにいきましょう」
その瞬間。
地面に転がっていたロザリーが、低く呻いた。
「納得してもらえたなら……」
腕がありえない方向に曲がっている。
「関節を元に戻してくれ」
レックスが肩をすくめた。
「あ」
「忘れてた」
地下回廊に、鈍い音が響いた。
次の瞬間。
「ぎゃあああああああ!!」
悲鳴が回廊いっぱいに響き渡る。
発光苔が、その振動でわずかに揺れた。
こうして。
一行の目的地は決まった。
――牙王を名乗る者のもとへ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




