ノエリアという少女
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
セルディアの外縁、石造りの施設の奥。
レオニスから受け取った推薦状を提示したレックスたちは、いくつもの厳重な門を通され、やがて巨大な鉄格子の前へ案内された。
壁は分厚く、守衛の数も多い。
ここが街の防衛拠点であることは、見ただけで分かった。
「ここから先が、魔王国へ通じる地下交易路です」
案内役の男が言う。
そして、重いレバーを引いた。
低い地鳴りのような音が響く。
鉄格子がゆっくりと持ち上がった。
その奥を見た瞬間――
「……うわ」
レックスの口から思わず声が漏れた。
地下へと続く巨大な空洞。
そこに設置されていたのは、巨大な昇降台だった。
馬車ごと乗り込めるほど広い鉄の床。
床には太い鉄のレールが走っている。
昇降台はまっすぐ落ちるのではない。
斜めに伸びた巨大な軌道に沿って、地下へ滑り降りる構造になっていた。
「地下とは聞いてたけど……すごいね」
レックスは思わず感嘆する。
案内役の男が誇らしげに胸を張った。
「オルグラート様が作らせたものだ」
その名に、レックスは小さく目を見開いた。
「これのおかげで防衛面も万全だ」
ガコン、と重い音が鳴る。
昇降台がゆっくりと動き出した。
軌道を滑るように、地下へと降りていく。
「もし魔王国側から地下通路を使って侵攻されたとしても、エレベーターを上げてしまえばここで遮断できる。
街の防御にもなる仕組みだ」
「へぇ……」
レックスは思わず感心した。
(先生らしいな……)
合理的。
無駄がない。
いかにも、あの人らしい設計だった。
やがて昇降台は地下へ到達する。
扉が開いた。
その先には、整然とした石造りの回廊が続いていた。
壁面は人工的に削られ、支柱が規則正しく並ぶ。
空気を循環させるための穴も設けられている。
足元を照らす灯りもあり、視界は十分だった。
「先生たちが作った部分だよね」
「その通りだ」
案内役が頷く。
「全長は約五キロ」
「ここからは一本道だ」
「しばらく進めば大きな道に出る」
どうやら、見送りはここまでらしい。
レックスたちは回廊を進み始めた。
しばらく歩くと、壁の様子が変わり始めた。
削られた石ではない。
自然の岩肌。
そして――
「……なるほど」
アウラが静かに呟いた。
「五キロものトンネルを掘るなど、ありえないと思っていましたが」
その視線の先。
そこに広がっていたのは、巨大な地下回廊だった。
天井は遥かに高い。
道幅は、馬車が五台並んでも余裕があるほど広い。
壁や天井には、古い装飾が刻まれていた。
「これ……」
レックスは息を呑む。
「遺跡?」
「おそらく古代遺構でしょう」
「魔王国の文明の痕跡かと」
アウラが淡々と分析する。
天井の岩肌には、淡く光る植物が群生していた。
青白い光。
まるで星空のように、地下を照らしている。
「とっても明るい」
ノエリアが目を輝かせる。
「綺麗……」
岩壁を覆う苔のような植物が、柔らかな光を放っていた。
空気も澱んでいない。
どこかから流れる風が、地下空間を自然に循環させている。
「けっこうすげぇな」
ガロードが腕を組み、周囲を見回した。
レックスは思い出したように尋ねる。
「そういえば兄貴、セルディアに来たときってここ通ってきたの?」
ガロードは鼻で笑った。
「んなわけねぇだろ」
「え?」
「樹王のテリトリー突っ切ってきた」
「……一人で?」
「ああ」
あまりにもあっさりした答えに、レックスは言葉を失った。
(いや、それ普通に死ぬルートじゃない!?)
アウラもわずかに眉を動かす。
ノエリアだけは、きょろきょろと周囲を見回していた。
「すごい……すごいですね」
壁を触り、天井を見上げる。
完全に観光気分だった。
出口までは、あと二キロほど。
そのときだった。
ぴくり。
ガロードの頭の上の狼耳が、わずかに動いた。
「……ん?」
レックスが振り向くより早く。
「お耳、動きました」
ノエリアが言う。
その瞬間。
アウラがすっとノエリアの前へ出た。
腰の剣に手を添える。
空気が一変した。
ガロードがゆっくり振り向く。
その目は、すでに戦士のものだった。
「レックス」
低く言う。
「戦いの時間だぜ」
牙を見せるように、笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地下遺跡の通路に、低く響く足音が近づいてくる。
発光苔が放つ青白い光の中で、影がゆらりと揺れた。
八つ。
静かに姿を現したのは、黒いローブの集団だった。
全員がフードを深く被り、顔は見えない。
通路を満たす沈黙。
その中の一人が、くくっと喉を鳴らした。
「……へぇ」
視線がゆっくりとガロードへ向く。
「あの町から、こっちに戻ってきたってことは――ずいぶん儲けたんだろうな」
フードの奥から嘲笑が漏れた。
「人間の奴隷を仕入れたか」
「ずいぶん羽振りがいいじゃねぇか」
「アホか、お前ら」
ガロードが心底呆れた声で言う。
「セルディアでそんなことやってるわけねーだろーが」
吐き捨てるように言った。
レックスも内心で頷いた。
(そりゃそうだよ……)
もしそんなことをしたら。
(先生が黙ってるわけない)
オルグラードは、理屈ではなく結果で叩き潰す人間だ。
そんな連中がセルディアで生きていられるはずがない。
だが、黒ローブたちは興味を失ったように肩をすくめた。
そして――
一人が、小さく呟く。
「……銀髪の狼耳」
空気が変わった。
「あいつ――人狼賊だ」
ぴたり、と全員の視線がガロードへ集まる。
「滅んだと聞いたが」
「生き残りがいたか」
その瞬間。
ガロードの目つきが変わった。
氷のように冷たい視線。
殺気が静かに広がる。
――ガァン!!
突然、地下遺跡に派手な金属音が響いた。
黒ローブの二人が同時に吹き飛ぶ。
地面を転がり、壁に叩きつけられた。
「……え?」
レックスが思わず声を漏らす。
視線の先。
アウラが腕を振り抜いていた。
手には鎖付きの鉄球。
まだ回転の余韻が残っている。
「アウラさん?」
アウラは静かに構えを取り直す。
その視線は氷のように冷たい。
―― 戦闘中に喋るな。
そう言っているかのようだった。
姫巫女を害する存在は。
存在そのものを許さない。
「て、てめぇ!」
黒ローブが叫ぶ。
だが、その瞬間。
ガロードが消えた。
―― ドンッ!!
空気を裂く衝撃音。
次の瞬間、黒ローブの一人が宙を舞った。
ガロードの横蹴り。
腰を捻り、体重を乗せた一撃。
速い。
そして重い。
「ぐあっ!!」
黒ローブは地面に叩きつけられ、転がった。
「くそっ……!」
残った黒ローブたちが明らかに顔色を変える。
不利。
そう判断したのだろう。
一人が懐から袋を取り出した。
それを地面にばらまく。
カラカラ、と乾いた音。
骨。
次の瞬間――
青白い魔法陣が地面に広がる。
骨が集まり、形を作る。
腕。
脚。
頭蓋骨。
そして立ち上がった。
骸骨兵士。
「……チッ」
ガロードが舌打ちする。
「死霊使いか」
骨の兵士たちが、ぎしりと音を立てて動き出す。
肉はない。
ただの骨。
だが魔力で結びついた魔法兵器だ。
普通の斬撃では壊れにくい。
倒すには骨を砕くしかない。
その数――八体。
骸骨兵士が武器を構えた。
黒ローブが高らかに笑う。
「どうだ」
「命が惜しければ降伏しろ」
勝利を確信した声。
だが。
「えい」
あまりにも軽い声だった。
ノエリアだった。
両手を胸の前で合わせる。
次の瞬間。
淡い光が広がった。
優しい光。
暖かな光。
だが――
骸骨兵士が、一瞬止まる。
そして。
さらり。
音もなく。
灰になった。
骨が崩れ、光の粒となり消えていく。
地下遺跡に沈黙が落ちた。
黒ローブが固まる。
「……は?」
ガロードもさすがに目を丸くした。
レックスはぽかんと口を開ける。
(……僕の出番なかったな)
心の中で思う。
目の前では。
ノエリアがきょとんとしていた。
「……あれ?」
「終わりました?」
レックスは思った。
この人。
とんでもない人なのでは?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
膝。
迷いのない動きで、的確に関節を外していく。
骨が外れる鈍い音。
続く悲鳴。
だがアウラの表情は変わらない。
「逃走防止です」
「ご安心ください」
「命に別状はありません」
そう言われても安心できる気はしない。
レックスは心の中でそう思った。
こうして八人の黒ローブたちは、哀れにも地面を這う存在となっていた。
その横で。
「さすがノエリア様」
「お見事でございます」
アウラが静かに跪き、頭を下げる。
「え、えっと……ありがとうございます?」
当の本人は困ったように首を傾げていた。
「ごめんなさい、やっちゃいました」
ぽわ、とした笑顔。
レックスは思わず天井を見上げる。
規格外だ。
間違いなく。
理由は三つある。
一つ。
あの浄化能力。
骸骨兵士を一瞬で灰に変えるなど、普通の魔法ではあり得ない。
レックスが扱う刻印魔法の理屈でも、説明がつかなかった。
二つ。
魔力量。
あれほどの魔法を使ったにもかかわらず、ノエリアはまったく疲れていない。
呼吸一つ乱れていない。
そして三つ。
なにより。
「えい」
その一言だけだった。
詠唱も、溜めもない。
ただそれだけ。
それであの威力。
「……兄貴」
レックスが小声で呼ぶ。
「なんだ」
隣でガロードが腕を組んでいた。
「何なんだろうね、あれ」
ガロードはしばらく黙っていた。
そして。
「……わからん」
短く答えた。
だがその視線は、ノエリアをじっと観察していた。
ぽわぽわした印象の少女。
しかし、その内側には常識では測れない何かがある。
これが。
王国の勇者を導く存在。
『姫巫女』その力の一端なのだろう。
そんなことを考えていると。
「くそ……」
地面に転がった黒ローブの一人が悪態をついた。
「”牙王”のおかげで……覇王の支配力が弱まったから……稼げると思ったのによ……」
その言葉に。
ガロードの耳が、ぴくりと動いた。
そして。
ノエリアがぱっと顔を輝かせる。
「牙王はどこにいる」
低い声。
ガロードだった。
先ほどまでの軽い調子は消えている。
琥珀色の瞳が鋭く光っていた。
そして。
「魔王様は、どちらにいらっしゃるのですか?」
ノエリアも身を乗り出す。
アウラが一歩前に出た。
しゃがみ込み、黒ローブのフードを乱暴に掴む。
ばさり。
布が引き剥がされた。
「さっさと言いなさい」
アウラの声は冷たい。
「言わないなら――それ相応の手段をとりますよ?」
一瞬。
レックスは思った。
(これ……)
(完全に僕たちが悪人側に見えるんじゃ……)
(……完全に尋問シーンなんだけど……)
だが、もう遅い。
フードの奥から現れたのは――
まだ少女と呼べる年齢の顔だった。
レックスたちとそう変わらないように見える。
褐色の肌。
尖った耳。
そして。
頭には、左右に一つずつ。
二重に巻いた黒い角。
瞳はどこか獣のように光っていた。
明らかに人間ではない。
亜人。
その少女は。
明らかに怯えていた。
身体を小さく震わせながら。
地下の青白い光の中で。
必死にこちらを睨み返していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




