魔王国への道筋
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
石畳の街路に、夕陽が赤く沈んでいた。
鉱石の匂い。
炉の熱気。
遠くから鉄を打つ音が響く。
自由交易都市セルディア。
鍛冶と商いで栄える街に、レックスたちは戻ってきた。
行き交う商人。
運ばれる鉱石。
怒鳴る職人。
すべてが、いつもの光景だった。
「……やっぱ落ち着くな」
ガロードが肩を回した。
「兄貴は屋台の匂いがするだけでしょう」
レックスが呆れる。
「うるせぇ」
軽口を叩きながら、四人は領主の館へ向かった。
灰白色の石造りの建物。
街の中央に静かに佇む館。
その姿を見て、ノエリアは小さく息をのむ。
「ここに、オルグラート様がいらっしゃるのですね」
蒼い髪が夕日に染まる。
「はい」
「先生ならきっと……」
レックスが言いかけた時だった。
重厚な扉が開く。
現れたのは、年配の執事だった。
「申し訳ございません。
オルグラート様は現在、ご不在でございます」
「……え?」
レックスの声が裏返る。
「どこへ行かれたんですか?」
執事は静かに答えた。
「魔王国でございます」
沈黙。
ガロードの目が丸くなる。
「……は?」
「しばらく旅をするとのことで、ジュピターへ向かわれました」
なんという偶然か。
そして、なんという間の悪さか。
頼るべき最大の人物が、まさに向かおうとしている場所へ行っている。
レックスは額を押さえた。
(どうする……)
館を出ると、ガロードが唸った。
「詰んでねぇか?」
「……少し困りましたね」
ノエリアは言う。
だが、その顔に焦りはない。
むしろ穏やかだった。
「魔王国にいらっしゃるのですね。
では追いかければよいのでしょうか?」
「簡単に言うなって」
ガロードが頭を抱える。
アウラは眉を寄せた。
「準備も情報もないまま魔王国へ入るのは危険です」
正論だった。
レックスは深く息を吐く。
「……祖父なら何とかなるかもしれません」
「じいさん?」
「レオニスです」
「先生とも昔からの知り合いです」
頼れる大人は、もう一人いる。
そうしてレックスは、自宅の扉を叩いた。
木の扉が勢いよく開く。
「レックス!!」
次の瞬間。
耳を引っ張られた。
「い、痛い痛い痛い!」
「二週間で帰るって言ってたのに、二か月近く音信不通ってどういうこと!?」
母の怒声が響く。
「どれだけ心配したと思ってるの!」
ガロードが頬を掻いた。
「……あ」
「そういや手紙出してねぇ」
「兄貴……」
母はさらに怒ろうとして
――ふと、後ろの二人に気付いた。
蒼い髪の少女。
黒髪の長身メイド。
一瞬、妙な沈黙が流れる。
そして母は真顔で言った。
「……レックス? そういうお店に行くのはお母さん感心しないわ」
「違うから!?」
レックスは真っ赤になる。
「お母さん、孫はまだ早いと思うの」
「いや、そっちは……!」
必死に否定する。
ノエリアは微笑み、丁寧に一礼した。
「突然お邪魔いたします」
「私、ノエリアと申します」
アウラも優雅に続く。
「侍女のアウラでございます」
空気が落ち着いたその時。
奥から低い声が響いた。
「……騒がしいのう」
杖をつきながら現れた老人。
レックスの祖父、レオニスだった。
鋭い視線が、ノエリアへ向く。
その瞬間。
老人の表情が固まった。
蒼い髪。
静かな緑の瞳。
時間が止まる。
老人の手から杖が離れ、床を転がる。
「……フィデリア様…?」
呟きが漏れた。
レックスが振り返る。
(フィデリア……?)
どこかで聞いた名だった。
ノエリアは首を傾げる。
「……フィデリア? 私はノエリアと申します」
覚えのない名前のようだった。
レオニスは目を閉じる。
そしてゆっくり首を振る。
「……いや、すまなかった」
「そんなはずはない」
低く呟く。
「彼女はもう、いない」
だが。
老人の視線はノエリアから離れない。
「……だが、その御姿……」
深く息を吸う。
「まさか本当に……」
小さく、しかし確信を持って言った。
「『姫巫女』様が、この地に現れたということなのか」
レックスが目を見開く。
「じいちゃん、知ってるのか?」
レオニスはゆっくり頷いた。
「昔、姫巫女フィデリア様にお会いしたことがある」
そして静かに言った。
「あの方は――」
「この世界の人々が、最大の礼を尽くさねばならぬ恩人じゃ」
レオニスは深く頭を下げた。
ノエリアに向かって。
セルディアの夜風が、家の中へ流れ込む。
思わぬ場所で、道が開いた。
物語は ―― さらに深い場所へ踏み込んでいく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暖炉の火が、ぱちりと爆ぜた。
木の香りが満ちる室内。
橙色の光が壁をゆらゆらと照らしている。
祖父レオニスは椅子に深く腰掛け、ゆっくりと口を開いた。
「わしはな……先代の姫巫女――フィデリア様にお仕えしていたことがある」
レックスの目が丸くなる。
「……え?」
意外すぎる言葉だった。
「もっとも、傍付きではない」
レオニスは静かに続ける。
「王国所属の文官の一人として、“巫女姫様一行”を後方から支えただけじゃ」
補給路の確保。
領主との交渉。
旅の記録整理。
剣を振るう役ではない。
だが、その仕事がなければ旅は成立しない。
「その旅の中で……」
レオニスの声が少し低くなる。
「魔王国にも訪れた」
部屋の空気が重くなった。
レックスは思わず祖父を見つめる。
(じいちゃんが……魔王国に?)
暖炉の火が揺れ、白髪に赤い影を落とした。
ノエリアが静かに姿勢を正す。
「レオニス様」
「魔王国へ至る道を、教えていただけますか」
「……三つある」
老人は指を一本立てた。
「一つ目」
「王国と魔王領の衝突点を抜ける道」
その声は重い。
「常に緊張が張り詰めておる」
「魔物と騎士団が互いに睨み合う場所じゃ」
ガロードが鼻で笑う。
「真正面か」
「馬鹿の行く道だな」
レオニスは二本目の指を立てる。
「二つ目」
「”樹王”の領域を抜ける道」
暖炉の火が静かに揺れる。
「あそこは信徒たちが神域として守っておる」
「異邦人が入れば……」
言葉を切る。
「生きては出られぬじゃろう」
アウラの眉がわずかに動いた。
「宗教的排他……厄介ですね」
そして三本目の指。
「三つ目」
老人の声が少しだけ柔らぐ。
「セルディアが管理する地下交易路じゃ」
レックスが身を乗り出した。
「地下……?」
「オルグラート殿が築いた正式交易路じゃ」
「鉱石と金属を魔王国へ運ぶためのトンネル」
ガロードが口笛を吹く。
「師匠、そんなもん作ってたのか」
「紹介があれば通行は可能じゃ」
レオニスは静かに言う。
「わしが手配できる」
ノエリアが深く頭を下げた。
「お願いいたします」
「それが必要なのです」
老人はゆっくり頷いた。
「姫巫女様が向かわれるのであれば……それが最も安全じゃろう」
そして、視線を細める。
「魔王に会うのであれば――覇王しかあるまい」
暖炉の火が揺れた。
部屋の温度が、少しだけ下がったように感じられた。
レックスが思い出したように尋ねる。
「じいちゃん」
「先生は何をしに魔王国へ?」
レオニスは少し考え、ゆっくり答えた。
「魔王国で起きた問題の対応じゃ」
「問題?」
「“魔王”を名乗る者が現れた」
火が爆ぜる。
「“牙王“ ――そう名乗っておるらしい」
その瞬間だった。
ガロードの肩がびくりと震えた。
「……“牙王“、だと?」
琥珀色の瞳が鋭くなる。
空気が変わった。
レオニスが目を細める。
「知っておるのか?」
「……いや」
短い否定。
だが声は硬い。
ガロードの拳が膝の上で固く握られていた。
レックスは横目でそれを見た。
(何かある)
だがレオニスは追及しなかった。
話を戻す。
「今、魔王国に君臨する魔王は覇王と樹王」
「二人は特に争っていないため、比較的平穏じゃ」
「だが、新たな“魔王”を名乗る者が現れたとなれば何かしらの悪い火種になる可能性はある」
ノエリアは小さく拳を握る。
「だから、会わねばならないのですね」
暖炉の火が揺れる。
レオニスはふと柔らかな目を向けた。
「ノエリア様」
「はい」
老人は静かに尋ねた。
「王国は……“勇者“を、降臨させたのでしょうか」
静寂。
皆の視線が蒼髪の少女へ集まる。
ノエリアはゆっくり首を横に振った。
「いいえ」
ただ一言。
だがその言葉は重かった。
勇者はまだ現れていない。
均衡は崩れ始めている。
名乗る魔王。
だが。
レックスは不思議に思った。
勇者不在を聞いた祖父の表情が
――どこか安堵しているように見えたからだ。
セルディアの夜は、深く、静かに沈んでいった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




