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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
ガロード編
23/52

新たなる出会いと旅立ちの予感

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



荷馬車の車輪が、乾いた街道を軋ませながら進んでいく。


初夏の風が、幌の隙間から吹き込んだ。


干し草の匂いがふわりと広がる。


荷台の藁の上に、三人は並んで座っていた。


蒼い髪を風に揺らしながら、姫巫女ノエリアはふと首をかしげる。


「魔王様に会いに行かねばならないのですが……どこへ行けばお会いできますか?」


あまりにも自然な口調だった。


まるで、旅先で道を尋ねるような響き。


レックスは思わず瞬きをする。


「え……ま、魔王、ですか?」


「はい。魔王です」


ノエリアはにこりと微笑んだ。


「きっと、お話をしなければならないのです」


澄んだ緑色の瞳。


そこには恐れも、警戒もない。


ただ、純粋な疑問だけが浮かんでいた。


ガロードが頭を掻く。


「……おいおい」


呆れたように息を吐く。


「そんな近所の領主に会いに行くみてぇに言うなよ」


琥珀色の瞳が遠くの地平を見る。


「魔王国――ジュピターはな」


短く息を吐いた。


「王国より、ちょい広い。力もだいたい同じぐらいだ」


レックスが静かに頷く。


兄貴の説明は大雑把だが、核心を外さない。


「分断国家……なんですよね」


レックスが補足する。


「中央政府の力が弱いって聞いてます」


「ああ」


ガロードは腕を組んだ。


「族長だの、有力者だのが好き勝手やってる」


「ニア・ヒューマンも、ビーストマンもごちゃ混ぜだ」


「今いる“魔王”は二人」


そこで指を二本立てた。


「『覇王』と『樹王』だ」


ノエリアは目をぱちぱちとさせた。


「お二人もいらっしゃるのですか?」


「対立はしてねぇらしい」


ガロードは肩をすくめる。


「だが勢力は偏ってる」


「覇王が五割。樹王が三割。残りは小勢力」


ノエリアは小さく頷いた。


「覇王様の発言力が強い……ということですね」


「まあな」


ガロードは短く答える。


「けど俺も詳しくは知らねぇ」


顎でレックスを指す。


「師匠なら、もっと知ってるだろ」


「先生なら、ジュピターとも取引がありますし」


レックスが言う。


「鉱石の商いで、セルディアとも関わっています」


魔王国は鉄や銀が豊富だ。


セルディアの鍛冶師たちにとって、重要な交易相手でもある。


敵対しているだけの関係ではない。


ノエリアは胸元で手を組んだ。


少し困ったように微笑む。


「ですが……」


小さく首をかしげる。


「私、なぜ魔王様にお会いしなければならないのか、自分でもよく分からないのです」


レックスが目を丸くした。


「わからない……んですか?」


「はい」


ノエリアは穏やかに頷く。


「ただ、“会わねばならない”と感じるのです」


「きっと平和のためなのですよ」


幼い声。


だが、その言葉には不思議な重みがあった。


「綺麗ごとだな」


ガロードが鼻を鳴らす。


「平和、ねぇ」


腕を組み直す。


「魔王国相手に、簡単に言うなよ」


ノエリアは静かにガロードを見る。


まっすぐな瞳。


「ですが」


柔らかな声だった。


「争いが続けば、誰かが泣くのです」


ガロードの言葉が止まる。


一瞬だけ。


ほんの一瞬だけ、視線が揺れた。


そして、そっぽを向く。


「……とにかくだ」


少し乱暴に言う。


「魔王に会うなら、まずセルディアだ」


「師匠に聞け」


「先生に、ですか」


レックスが言う。


「ああ」


ガロードは頷いた。


「師匠なら、覇王でも樹王でも」


「会い方ぐらいは知ってるかもしれねぇ」


セルディア自由都市。


自治領主であり、鍛冶屋協会代表。


エルダードワーフのオルグラート。


彼ならば、魔王にすら繋がっていても不思議ではない。


「約一か月ぶりですね、兄貴」


レックスが笑う。


「ああ」


ガロードは頭を掻いた。


「ちったぁ強くなって帰るつもりだったがな」


苦笑する。


だが。


隣に座る小さな姫巫女の存在は、確実に“何か”を連れてきていた。


魔王に会う――。


それは、王国と魔王国。


均衡を保つ二つの大地の中心に触れるということだ。


荷馬車は、夕陽に染まる街道を進み続ける。


セルディアへ。


答えを持つであろう、師のもとへ。


そしてこの出会いが――


後に大きな運命の歯車を回すことになる。


まだ誰も、知らなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



街道はゆるやかな丘陵を抜け、低い森へと差しかかっていた。


陽は高い。


風は穏やか。


だが――。


「……兄貴」


レックスは、棍棒を握る手にじわりと汗を滲ませた。


隣で手綱を預かるガロードも、琥珀色の瞳を細める。


「ああ」


短く答える。


「何か、来るぞ」


草が鳴る音が、不自然に途切れた。


風が止まる。


空気が、張り詰めた。


次の瞬間。


風が裂けた。


「――きゃ?」


蒼い髪がふわりと浮く。


荷台の中央に座っていたノエリアの姿が、消えた。


「ノエリア様!?」


レックスが振り返る。


街道脇。


そこに、ひとりの女が静かに着地していた。


その腕には、姫巫女が横抱きにされている。


艶やかな黒髪。


均整の取れた長身。


クラシックなメイド服。


だが、そのスカートの下から覗くのは――


鈍い光を放つ、鎖。


山賊でも、野盗でもない。


場違いなほど洗練された存在感。


女――アウラは、何も言わない。


ただ静かにノエリアを地面に立たせる。


そして一歩前へ出た。


次の瞬間。


スカートの内側から、鎖鉄球付きのフレイルが二振り。


音もなく滑り出る。


「っ――!」


レックスが棍棒を構える。


だが。


鉄球はすでに振り下ろされていた。


唸る風。


咄嗟に棍棒を振り上げる。


激突。


金属が弾け、火花が散った。


(速い……!)


重さも、軌道も、正確すぎる。


だが。


それは囮だった。


もう一本の鎖が、蛇のように足元を這う。


「しまっ――」


絡む。


締まる。


脚。


腕。


胴。


鎖が一瞬で全身を縛り上げた。


引き倒される。


背中から地面へ。


「ぐっ……!」


肺から空気が抜けた。


鎖は急所を避けている。


だが逃げ場は完全に塞がれている。


(……締め方が、戦場のそれだ)


ただの拘束ではない。


戦闘技術。


レックスは悟った。


この女は――


危険だ。


だがアウラは、レックスに視線すら向けない。


すでに目標は、ガロード。


「……なるほどな」


銀髪の少年が低く唸る。


「ただ者じゃねぇ」


地面を蹴る。


距離を詰める。


鎖の間合いに入る前に、懐へ。


そう判断した。


だが。


視界から、女が消えた。


「なっ――!?」


背後。


気配。


次の瞬間。


両腕が、ガロードの腰に回る。


がっちりと、胴をクラッチ。


強烈な密着。


「――っ!」


反射で肘を振るう。


だが遅い。


女はそのまま背を反らせた。


容赦のない反り投げ。


重力を超える角度。


ガロードの身体が宙を舞う。


受け身の暇もない。


頭から地面へ。


鈍い衝撃音。


土煙が上がる。


静寂。


「……兄貴?」


返事はない。


銀髪の少年は、白目をむき、ぴくりとも動かない。


レックスの背筋に冷たいものが走った。


(……一撃で?)


あの兄貴が。


王国兵士数人を相手にしても勝つ男が。


一撃で。


(……勝てない)


結論は早かった。


女はフレイルを静かに巻き取る。


黒い瞳が、こちらを見る。


理知的で。


冷たい。


圧が、ある。


そのとき。


「だめですよ、アウラ。戦っては」


ぽわぽわとした声が、空気を和らげた。


ノエリアが、少し困ったように微笑んでいる。


両手を胸の前で合わせていた。


「この方たちは、悪い方ではありませんのです」


アウラは一瞬だけ目を閉じた。


それから、深く一礼する。


「失礼いたしました、姫巫女様」


声は落ち着いている。


だが、わずかに温度がある。


「危険を感じましたので、排除を優先いたしました。私の不徳です」


「排除って……!」


レックスが叫ぶ。


鎖に縛られたまま。


アウラは視線だけで制する。


「あなた方」


淡々と告げる。


「姫巫女様の至近に位置しながら、殺気への反応が半拍遅い」


静かな叱責。


「護衛としては失格ですね」


姉のような声音だった。


「次はありません」


その圧に、レックスは言葉を失う。


だが。


ノエリアはにこりと笑った。


「アウラ。ほどいてあげてくださいな」


少し首をかしげる。


「痛そうなのです」


「……承知いたしました」


鎖がほどける。


レックスは咳き込みながら、意識を失った兄貴分を見る。


(この人が……侍女?)


山賊でも。


暗殺者でもない。


メイド服を纏った、圧倒的な戦士。


そして――


姫巫女を至上とする、影の護衛。


街道の風が、再び吹き始める。


戦いは。


ほんの一瞬で終わっていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



土煙が、ようやく落ち着いた。


だが、街道の空気に残る緊張はまだ消えない。


アウラは鎖を巻き取ると、フレイルを静かにスカートの内へ戻した。


動作は優雅。


だがその黒い瞳は、まだ鋭い。


レックスとガロードを、静かに測るように見ている。


対する二人も、油断などできるはずがなかった。


男爵領での死闘を越え、少しは強くなったと思っていた。


だが――。


現実はどうだ。


メイド服姿の女に、文字通り叩き伏せられた。


ガロードは後頭部を押さえながら舌打ちする。


「……クソ。なんだあの投げは」


「受け身も取らせない速さだった」


レックスも、内心では冷や汗が止まらない。


(強い……)


先生とも違う。


兄貴とも違う。


まるで戦場そのものを体に染み込ませたような強さだ。


そんな空気を、ふわりとほどいたのは――やはりノエリアだった。


「アウラ。もう大丈夫なのですよ」


ぽわぽわとした声。


その一言で、アウラの肩の力がわずかに抜ける。


「……姫巫女様がそう仰るのであれば」


彼女は一歩下がり、戦闘態勢を解いた。


そして。


背筋を伸ばす。


優雅に一礼した。


「改めまして。私はアウラ」


「姫巫女様付きの侍女兼、護衛でございます」


その姿は、先ほどの戦士とは別人のようだった。


「追っ手を撒くため、姫巫女様とは別行動を取っておりました」


淡々と説明が続く。


「ですが荷馬車に乗せられている姫巫女様を確認し、拉致と判断いたしました」


「拉致って……!」


ガロードが思わず声を上げる。


アウラは一切動じない。


「相手は複数。先制攻撃こそ最大の防御と考えました」


静かな声。


「それだけのことです」


レックスとガロードは、顔を見合わせた。


(危険人物だ)


(間違いねぇ)


心の中で、同時にメモを刻む。


ノエリアは、のほほんと首を傾げた。


「アウラは心配性なのです」


「姫巫女様の安全は、私の存在理由ですので」


アウラの声だけ、少しだけ柔らかい。


そこでレックスは、ずっと引っかかっていた疑問を口にした。


「あの……失礼ですが」


少し言いづらそうに続ける。


「本当に、姫巫女様……なんですか?」


空気が、ぴりりと張る。


アウラの瞳が細くなる。


「当然です」


声に、わずかな熱が宿った。


「この方は王国より正式に認められた姫巫女」


「神殿印、王印、双方の承認を得ております」


懐から革袋を取り出す。


中から数枚の羊皮紙を広げた。


精緻な紋章。


赤い封蝋。


びっしりと並ぶ文字。


「こちらが証明書類です。ご確認ください」


レックスは慎重に受け取った。


じっと見る。


……読めない。


正確には読める。


だが意味がわからない。


専門用語と儀礼文言ばかりだ。


ガロードも横から覗き込む。


そして三秒で視線を逸らした。


「……おいレックス」


「わかるか?」


「……いえ」


二人は無言で頷き合う。


(さっぱりだ)

(俺ら向きじゃねぇ)


ノエリアは、申し訳なさそうに笑った。


「難しいですよね」


「私も最初はよく分からなかったのです」


「姫巫女様は理解なさっております」


すぐにアウラの訂正が入る。


レックスは小さく咳払いした。


「ええと……」


話題を戻す。


「それで、ノエリア様は魔王に会うためセルディアへ」


「はい」


ノエリアは頷く。


「セルディアにいらっしゃるオルグラート様にお会いすれば」


少し空を見上げた。


「道が開ける気がするのです」


アウラの眉が、わずかに動く。


「魔王に会う……危険です」


静かな声だった。


「王国も魔王国も、均衡の上に立っている状況」


「軽々しく踏み込むべきではありません」


「ですが」


ノエリアはまっすぐ見上げた。


柔らかい瞳。


だが揺るがない。


「必要なのです」


沈黙が落ちる。


数秒。


やがてアウラは小さく息を吐いた。


「……承知いたしました」


「姫巫女様が望まれるのであれば」


深く一礼する。


「私は従います」


その声音には、絶対の忠義があった。


ガロードが小声で呟く。


「……甘くねぇか?」


レックスは小さく首を振る。


(違う)


(あの人は――)


姫巫女を中心に世界を見ている。


だから強い。


そして、少し危うい。


だが行き先は決まっていた。


自由交易都市セルディア。


エルダードワーフ、オルグラートの待つ街。


「先生に任せれば……きっと何とかなる」


「師匠なら、な」


二人は顔を見合わせた。


こうして――。


姫巫女ノエリア。


その侍女アウラ。


新たな二人を加えた荷馬車は、再び軋みを上げて進み出す。


目指すはセルディア。


夕暮れの街道を。


四人を乗せた馬車が、ゆっくりと走っていった。


そのとき。


ノエリアがふと空を見上げた。


「……今、予知しました」


三人が同時に振り向く。


ノエリアは、やわらかく微笑んだ。


「この旅は、とても賑やかになります」


その言葉の意味を。


まだ誰も知らなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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