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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
レックス立志編
22/50

また会う日まで

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


レックスにとって、それは夢物語のはずだった。


騎士。


その言葉は、物語の中でしか聞いたことがない。


姫を守る騎士。


民のために剣を振るう騎士。


幼い頃、そんな物語に胸を躍らせたことはある。


だが。


それは、あくまで物語だった。


自分は勇者ではない。


血筋も、名誉もない。


ただの鍛冶見習いの少年。


だからこそ、分かっていた。


―― あれは、自分の人生には関係のない世界だと。


「一度、考えてほしい」


「……それだけです」


そう言ったエルディナは、視線を少し逸らしていた。


普段の彼女は、こんな言い方はしない。


堂々としている。


迷いなど見せない。


だが今は違った。


胸の奥に、言葉にできない不安があった。


もし断られたらどうするのか。


そんなことは考えたくなかった。


だから、逃げるようにその場を離れようとした。


その瞬間。


腕を掴まれた。


「――逃げないでください」


レックスの声だった。


その声は、震えていた。


驚いて振り返る。


赤い瞳が、真っ直ぐこちらを見ている。


いつもより強い視線。


逃げ場を失ったのは、むしろこちらだった。


心臓が跳ねた。


「僕は……」


レックスの言葉は、どこかぎこちない。


それでも必死に紡がれていく。


「僕は、エルディナ様の騎士に相応しいか……まだ、自分に自信がありません」


その言葉を聞いた瞬間。


胸の奥が、少し痛んだ。


やはりそう思っているのか。


当然だ。


彼は貴族ではない。


騎士教育を受けたわけでもない。


それでも――


レックスは膝をついた。


剣を横に置く。


その動作は、ぎこちない。


だが。


騎士の誓いの姿勢だった。


その瞬間。


胸の奥で、何かが強く揺れた。


「だけど」


レックスが顔を上げる。


赤い瞳。


そこにあるのは迷いではなく、覚悟だった。


「今の僕は……」


言葉を選ぶように、ゆっくりと続く。


「エルディナ様の剣が、僕以外になるのは――」


その先の言葉を、エルディナは無意識に待っていた。


呼吸が浅くなる。


胸の鼓動が早い。


「……嫌だと思ってしまいました」


その瞬間。


胸の奥で何かが弾けた。


それは怒りではない。


困惑でもない。


ただ――


どうしようもなく、嬉しかった。


だが同時に、恥ずかしさも押し寄せる。


頬が熱い。


なぜこんな気持ちになるのか。


理解できない。


「だから」


レックスは続ける。


「少しだけ、待ってください」


「次に会うまでに……」


拳を握る。


震えている。


それでも、逃げない。


「エルディナ様に相応しい剣になれるように、僕は自分を磨きます」


沈黙が落ちる。


ほんの数秒。


だが、エルディナにはとても長く感じられた。


心臓の音がうるさい。


顔が熱い。


このまま何も言わなければ、どうなるのか。


そんなことを考える余裕はなかった。


「――嘘は、今さら受け入れられません」


気づけば、言葉が出ていた。


自分でも驚くほど、強い声だった。


「覚悟してください」


剣を抜く。


細身のレイピア。


その刃が、わずかに震えていた。


レックスは動かない。


ただ跪いたまま、受け入れている。


剣の平を右肩へ。


そして左肩へ。


騎士叙任の儀式。


本来なら、父が行うもの。


だが今は違う。


それでも――


この誓いは偽物ではない。


「レックス」


声を整える。


胸の鼓動を抑えながら。


「将来、あなたを――わたしの騎士に任命します」


言った瞬間。


胸の奥に温かいものが広がった。


剣を鞘に戻す。


終わった。


そう思った。


だが。


レックスが立ち上がる。


そして。


手を取られた。


「え……?」


思わず声が漏れる。


レックスはその手を持ち上げ――


口づけた。


「は、えっ……?」


頭が真っ白になる。


手の甲への口づけ。


敬愛の証。


知識としては知っていた。


だが。


実際にされると、理解が追いつかない。


さらに。


レックスは膝をつき直した。


足元へ。


つま先に、そっと口づける。


爪先への口づけ。


それは――


崇拝。


頭が真っ白になる。


頬の熱は、もう隠しようがなかった。


なぜ彼がこんな作法を知っているのか。


分からない。


だが。


それよりも――


この少年が、本気で誓っていることだけは分かった。


レックスが顔を上げる。


頬は真っ赤だった。


「……はい」


小さく息を吐く。


「将来、エルディナ様の騎士になることを――ここに誓います」


胸が締め付けられる。


言葉が出ない。


数秒、沈黙してしまう。


そして。


やっと声が出た。


「……はい」


頷く。


「約束ですよ、レックス」


その声は、思ったよりも小さかった。


だが。


その約束は、確かなものだった。


少年の告白を受けた少女。


本来なら、誰も知らないはずの光景。


しかし。


少し離れた柱の影。


そこには三人の姿があった。


腕を組んで静かに見守るミレーネ。


感動のあまり目を潤ませているクラリッサ。


そして、口元を押さえて顔を赤くしているミレイユ。


三人は、声を出さない。


ただ。


同じことを思っていた。


――これは。


完全に。


告白ではないのか、と。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



朝の城下町は、まだ静かだった。


石畳には夜の冷気が残り、空気は澄んでいる。


城門の外には、セルディアへ向かう荷馬車が一台だけ停まっていた。


荷台には旅荷物。


そして、その横で腕を組んで待っている少年が一人。


「レックスの野郎、遅いなぁ」


ガロードは大きく欠伸をした。


どこにいるかは、だいたい想像がつく。


城のどこかで別れの挨拶をしているのだろう。


急かすつもりはない。


だが、さすがに暇だった。


その時だった。


「ガロード様」


振り向くと、侍女服の少女が立っていた。


それを合図にしたように、周囲から次々と侍女たちが集まってくる。


「ガロード様、レックス様を守ってくださいね」


「ぜったいですよ」


「これ、私達で集めたお金です」


小袋が差し出された。


「これでレックス様を守ってください」


他の侍女たちも、同じように頭を下げる。


ガロードは少し驚いた顔をしたが、すぐに苦笑した。


「そんなに言われなくても大丈夫だ」


差し出された袋をそっと押し返す。


「レックスは弟分だ」


「俺が守るに決まってんだろ」


侍女たちは安心したように顔を見合わせた。


その様子を遠くから見ていた男がいる。


「ガロード君には残ってもらいたかったんだがね」


声をかけてきたのはルシアンだった。


鎧姿のまま腕を組み、城門の影に立っている。


「帝国との情勢は悪い」


「腕の立つ者はいくらでも欲しい」


ガロードは肩をすくめた。


「悪いな」


「俺にはやることがある」


琥珀色の瞳がわずかに細くなる。


「それに、あの戦いでわかった」


「まだ足りねぇ」


デルタとの戦い。


思い出すだけで、拳が自然と握られる。


「師匠にもう一度鍛え直してもらう」


ルシアンは少しだけ笑った。


「……そうでしょうね」


そして静かに言った。


「いずれ戦争になる」


「その時は、また力を貸してください」


「起きないほうがいいことだぞ、それ」


短い返事だった。


代わりに、別の声が割り込む。


「本当に帰るのですか?」


ミレーネだった。


腕を組み、少し呆れた顔をしている。


「残ってもよかったでしょう」


その言葉の裏にある意図は、ガロードにも分かっていた。


「レックスが残る可能性があった?」


そう言うと、ミレーネは咳払いをした。


「……否定はしません」


ガロードは笑う。


「心配すんな」


「?」


「レックスはまた来る」


その言葉に、ミレーネの目が見開かれた。


「本当ですか」


周囲の侍女たちも一斉に振り向く。


「ああ」


「あいつが言ってた」


すると侍女たちが歓声を上げた。


「本当ですか!」


「よかった……!」


「またレックス様に会えるんですね!」


手を取り合って喜び始める。


ミレーネは小さく息を吐いた。


「……これで将来のヴァルディアは安泰ですね」


ガロードは肩をすくめる。


―― レックス、お前。


―― 勝手に未来決められてるぞ。


その時だった。


「兄貴、お待たせ」


振り向くと、赤褐色の髪の少年が立っていた。


「遅いぞ!」


「ごめん、ごめん」


レックスは苦笑して頭を掻く。


だが次の瞬間、侍女たちが一斉に群がった。


「レックス様!」


「また来てくださいね!」


「お体に気をつけて!」


「レックス様ぁ!」


「おーい!」


ガロードが大声を出す。


「出発時間あるんだからな!」


「わかってるよ、兄貴」


レックスは笑って答えた。


そして、ふと視線を上げる。


城壁の上。


朝の光の中で、風に金色の髪が揺れていた。


遠くからでも、青い瞳がまっすぐこちらを見ているのが分かる。


レックスは小さく頭を下げた。


それだけだった。


だが、十分だった。


「さて」


ガロードが荷馬車に飛び乗る。


「帰るか」


セルディアに。


「うん」


レックスも荷台に乗った。


東の空から、朝日が昇る。


光が城壁を照らし、ヴァルディアの町を黄金色に染めていく。


やがて馬車はゆっくり動き出した。


石畳の音が遠ざかる。


城門が小さくなっていく。


少年たちは振り返らなかった。


だが確かに、この地に何かを残していった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



人狼の少年ガロードだ。


しばらく無言が続く。


やがてガロードが口を開いた。


「なぁ、レックス」


なぜかジト目だった。


「言いたくねぇんだけどよ」


聞きにくそうな顔をしている。


「何、兄貴?」


レックスは首をかしげた。


するとガロードは、あっさり聞いた。


「エルディナ様とチュチュして、どうだった?」


「なっ!?」


レックスが盛大に吹き出した。


顔が一瞬で赤くなる。


「そ、そんなこと……してないよ!」


慌てて否定する。


だがガロードは、じっとレックスの顔を見ていた。


「お前の口の端に……」


そこまで言いかけた瞬間。


レックスは慌てて腕で口元を拭った。


「……いや、嘘だ」


ガロードは顔をそらした。


肩が震えている。


声を殺して笑っていた。


「兄貴!」


レックスが抗議する。


「そんなに未練あるならよ」


ガロードは藁に寝転がりながら言った。


「残ってもよかったんだぜ」


その言葉に、レックスは少しだけ黙った。


そして遠くの街の方を見る。


「大丈夫だよ」


小さく笑う。


「また、ちゃんと会いに行くから」


ガロードは横目で見た。


「そっか」


短く言う。


「そうなりゃいいな」


「うん」


レックスはうなずいた。


その時だった。


「……う、ん」


荷台の藁が、もぞもぞと動いた。


二人は同時に振り向く。


「な、なんだ!?」


ガロードが身構える。


「えっ、何!?」


レックスも目を見開いた。


藁が大きく盛り上がる。


そして――


「ぶはぁっ!」


誰かが勢いよく飛び出した。


藁の山の中から現れたのは、一人の少女だった。


蒼い髪。


緑色の瞳。


年齢は十四歳ほど。


小柄で、華奢な体つき。


赤いベレー帽を被り、長い赤いクロークに身を包んでいる。


その下には黒いハイネックの衣装。


胸元には金と黒の丸いペンダントが揺れていた。


神秘的な雰囲気の少女だった。


だが今は、藁まみれで咳き込んでいる。


「お、女の子?」


レックスが驚く。


「だ、誰だこいつは?」


ガロードが眉をひそめる。


思わず二人は御者台を見る。


商人は困った顔で首を振った。


どうやら知らないらしい。


少女は周囲をきょろきょろ見回した。


そして小さく首をかしげる。


「えーと……」


ぽわっとした声だった。


「ここは何処でしょうか?」


レックスとガロードは顔を見合わせた。


完全に理解が追いついていない。


だが少女は、何かに気づいたようだった。


ぽん、と手を叩く。


「ああ」


「こういう時は、まずご挨拶でしたね」


少し困ったように笑う。


「アウラに言われたことを忘れていました」


少女は藁の上で姿勢を正した。


そして丁寧に三つ指をつく。


「私はノエリアと申します」


穏やかな微笑み。


「王国では“姫巫女”と呼ばれたりもします」


深く頭を下げた。


そのまま動かない。


レックスは慌てて頭を下げた。


「あ、僕はレックスって言います!」


つられてガロードも名乗る。


「……ガロードだ」


ただし視線は鋭い。


少女を観察していた。


やがてノエリアが顔を上げる。


にっこりと微笑んだ。


「レックス様と、ガロード様ですね」


初対面のはずなのに、迷いがない。


そして次の言葉を言った。


「私は魔王国の魔王様に会いに行きたいのですが」


穏やかな声。


まるで世間話のように続ける。


「どうすればよいか、ご存じでしょうか?」


荷馬車の上で。


レックスとガロードは、姫巫女ノエリアと出会った。


それが――


この先の運命を大きく動かす出会いになることを。


まだ誰も知らなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



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