欲しいもの
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シグマとの死闘から、一週間ほどが過ぎていた。
レックスはまだ、ベッドの上だった。
白い天井を見上げながら、小さく息を吐く。
エルディナに助けられたあと、また気を失ったらしい。
気がついた時には、すでにこの部屋に運ばれていた。
回復刻印魔法。
それは万能ではない。
生命力を活性化するだけの力だ。
失われた血は戻らないし、折れた骨も時間をかけて治る。
それでも。
レックスが生きているのは奇跡に近かった。
シグマ。
帝国の女騎士。
戦闘種族。
もし、あの女が剣を使わず雷撃だけで攻めてきていたら。
もし、戦った場所が礼拝堂という閉鎖空間でなかったら。
―― 僕は、絶対に勝てなかったと思う。
レックスはそう思っていた。
百回戦っても、百回負ける相手。
それほどの怪物だった。
それでも生き残り、五体満足で残っている。
それだけで十分すぎる奇跡だ。
ただし。
ベッドから立ち上がれるまで、あと一週間はかかるらしい。
「しかし、理不尽なこともあるよね」
レックスは苦笑した。
ガロードは五日で立てるようになった。
しかも翌日から、もう訓練を始めている。
獣人の生命力だと聞いたが。
「普段から鍛えているからな」
と、本人は笑っていた。
それだけでは説明がつかない頑丈さだ。
「兄貴、どういう体してるんだろ……」
レックスは小さく呟いた。
ベッドの横に、黒い棍棒が立てかけられている。
シグマの雷撃を受けても、傷一つない。
あの死闘の間、ずっと握っていた相棒。
「こいつにも、随分助けられたな」
レックスは目を細めた。
「手が元に戻ったら、ちゃんと磨かないとな」
思えば。
色々ありすぎた。
つい二週間前まで、レックスはただの鍛冶屋見習いだった。
鉄すら満足に打てない少年。
それが今では。
帝国の戦闘種族と戦った。
まるで――
物語の主人公になったような気分だった。
「騎士、か」
昔、そんな夢を見たことがある。
お姫様を守る騎士。
そして。
その姫と恋に落ちる物語。
レックスは苦笑する。
「……まさか、本当にお姫様を助けることになるなんて」
エルディナ。
彼女は本当に姫のようだった。
いや。
もう、ただの『よう』ではない。
ミレーネから聞いた話では。
エルディナ・ヴァルディアは正式に子爵令嬢となった。
ほとんど小国のお姫様だ。
それも――
熱狂的な支持で。
その人気は、父アルベリオすら上回ると言われているらしい。
ミレーネは肩をすくめながら言っていた。
「仕方ないですよ」
「あれは絵になります」
戦場に立つ姫騎士。
凛とした姿。
誰よりも前に立つ覚悟。
「戦場にいた人間からすれば、あれは勇気そのものですよ」
そう言っていた。
レックスにも想像できた。
きっと。
とても綺麗な光景だったのだろう。
「そりゃ、人気も出るよね」
レックスは静かに呟いた。
もともと遠い人だった。
貴族の令嬢。
それだけでも十分遠い。
それが今では。
さらに遠い存在になった気がした。
「……まあ」
小さく息を吐く。
「当然、だよね」
胸が、少しだけ痛んだ。
本来なら。
セルディアの使者と共に帰る予定だった。
だが、レックスとガロードは重傷。
帰還は延期された。
その後、セルディアから新たな召集命令が届き。
使者は先に帰還してしまった。
つまり。
身体が治れば。
レックスもセルディアへ帰る。
ヴァルディアを離れる。
「……もうすぐ、帰るんだな」
レックスは天井を見つめた。
この町で起きた出来事は。
まるで夢のようだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後の柔らかな光が、応接室の窓から差し込んでいた。
白いティーカップから、かすかに湯気が立つ。
しかし、その香りを楽しんでいるのは一人だけだった。
「ふぅ……」
エルディナは、また小さくため息をついた。
向かいに座るミレーネは、静かに紅茶を口に運ぶ。
その様子は実に優雅だった。
対照的に、エルディナの前には大量の封筒が積み上がっている。
肘の高さを軽く越える山が、二つ。
すべて――
縁談だった。
ヴァルディア家が子爵家となったことで、状況は一変した。
父アルベリオは正式に子爵となり、領地は拡張。
王国から与えられた直轄地も増えた。
それに伴い、家の格も、権力も上がった。
同時に、ヴァルディア家を巡る政治の整理も進んだ。
叔父グレイヴァスは、自派閥の暴走と息子アルヴィンの罪を謝罪。
すべての権限を放棄し、裁きを待つ姿勢を取った。
しかし彼は軍事の要である。
アルベリオ派からも擁護の声は多かった。
結果として、アルヴィンの罪がすべてを背負う形になった。
帝国との私的な通謀。
そして取り巻きたちの協力。
その罪を一罰百戒として処断。
グレイヴァスとその派閥は処罰を受けたが、完全排除はされなかった。
現職での功績による償い――
という沙汰で落ち着いた。
そしてもう一つの変化。
弟レオナルトだった。
彼は片腕を失った。
武人の道は断念し、父の後を継ぐ外交の道へ進むことになった。
領主となったアルベリオは外遊が難しい。
だからこそ、次の外交役は必要だった。
それがレオナルトになる可能性は高い。
「……そして私は」
エルディナは、手紙の山を見た。
そして、またため息。
「これです」
ミレーネが淡々と言った。
「全部、縁談ですね」
「分かっています!」
思わず声が強くなる。
エルディナは、どちらかと言えば貴族社会では異端だった。
剣を振るう。
馬を乗り回す。
セルディアへ留学する。
典型的な深窓の令嬢とは正反対。
縁談など、たまに来る程度だった。
だが――。
あの戦闘。
そして子爵令嬢という立場。
評価は一気に変わった。
今まで敬遠していた貴族たちが、一斉に手のひらを返したのだ。
侍女たちは、添えられた肖像画を覗き込んでいた。
「この異様に太った不健全な方は……」
「アルベリオ様より年上では……」
「この方、二人目の妻を探しているそうです」
「こちらは……まだ幼児ですね……」
「却下です」
エルディナは即答した。
ミレーネは肩をすくめる。
「まあ、そうなるでしょうね」
エルディナは机に頬をつけた。
「レックスと懇意にしているって言ったのに……」
ぼそりと呟く。
「全然だめじゃない」
レックスを連れて帰った。
否定もしていない。
普通なら――
そういう関係だと理解されるはずだった。
「いやいや」
ミレーネが笑う。
「レックス君、今やヴァルディアで有名人ですよ」
「な、何で!?」
エルディナは顔を上げた。
―― どうしてそこでレックスの名前が出るのよ。
ミレーネは指を一本立てた。
「セルディア領主、オルグラート卿の弟子」
二本目。
「夜会でアルドリック・ヴァルハイト侯爵の命を救った功績」
三本目。
「侯爵の孫、ギルベルト・ヴァルハイトを剣で打ち負かした実績」
四本目。
「帝国の戦闘種族を単独で撃破」
ミレーネは肩をすくめた。
「注目されない方が不思議でしょう」
「う……」
エルディナは言葉を失う。
「しかも彼は王国人です」
ミレーネは続ける。
「純粋な戦力ならガロード君が上でしょうけど、彼は魔王国の獣人」
「王国の士官は難しい」
つまり。
レックスは――
貴族社会にとって扱いやすい才能だった。
ミレーネは何気なく言った。
「ちなみに私の家では、レックス君を養子に――」
空気が凍った。
エルディナの目が据わる。
「……ミレーネ?」
「い、いえ」
「もし養子になれば家名持ちの貴族ですし、エルディナ様とも釣り合――」
「駄目です!」
エルディナは机を叩いた。
「絶対に駄目です!」
ミレーネは苦笑する。
「似たことを考える家は増えますよ」
紅茶を一口。
「奪われる前に、手を打つべきかと」
内心でミレーネは思う。
―― まあ、今は全部遮断してますけどね。
レックスへの接触は徹底的に防いでいる。
だが問題はそれだけではない。
―― 私も親族から言われてるんですよね。
レックスと縁を繋げ、と。
エルディナは固まった。
しばらく沈黙。
そして。
小さく拳を握る。
「……よし」
逃げてばかりではいられない。
クラリッサが微笑んだ。
「頑張ってください」
ミレイユも続く。
「エルディナ様なら絶対大丈夫です」
エルディナは空を見た。
心の中で呟く。
――レックス……
――どうすればいいのよ
――これ以上、何をすればいいのよ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
窓の外では、春の風が庭の木々を揺らしていた。
陽の光が白い石造りの床に差し込む。
その光の中で、レックスはゆっくりと足を下ろした。
床に触れる足の裏。
久しぶりの感触だった。
「……うん」
小さく息を吐く。
まだ足は震える。
だが立てる。
「やっと起きれるようになったな」
ガロードが腕を組み、壁にもたれながら言った。
レックスは苦笑する。
「本当に助かった。
いろんな意味で」
心からそう思う。
……いや、本当に。
本当に。
この一週間、レックスにとって戦闘より過酷な時間が存在した。
エルディナの侍女たちによる看病である。
体を拭かれ。
服を着替えさせられ。
食事を食べさせられ。
そして――
下の世話まで。
最初は必死に断った。
「ぼ、僕は大丈夫です! 自分でできます!」
だが侍女たちは微笑んだ。
「ではエルディナ様にお願いしましょうか?」
レックスは泣く泣く受け入れた。
思い出すだけで顔が熱くなる。
……もう二度とあんな目には遭いたくない。
心の底からそう思った。
「立てるにはなったけど、完全に動けるのは時間がかかるかな」
ゆっくり体重をかける。
足はまだ頼りない。
「もうしばらくすりゃ歩けるだろ」
ガロードが言う。
「だとしたら……あと一週間くらいかな」
レックスは頷いた。
「そしたら、ヴァルディアの人達にお礼をしないと」
本気でそう思っていた。
これだけ世話になったのだ。
当然のことだ。
だが。
ガロードの表情が変わる。
「……は?」
まるで理解できないと言わんばかりの顔だった。
「え、何か僕変なこと言った?」
レックスは首をかしげる。
ガロードは大きくため息をついた。
……こいつ、マジで分かってねえのか。
「馬鹿だなレックス」
腕を組み直す。
「ここの連中はな。
お前に何かしたいでいっぱいで、返してほしいなんて思ってねえんだよ」
「そうなの?」
「そうだぞ」
ガロードは呆れた顔で言う。
「レックスは思い当たるだろ」
「何かしたっけ?」
本気で考えている顔だった。
レックスの記憶の中では、シグマとの戦い瀕死の重傷、そして寝たきりそれしかない。
「お前はな」
ガロードが言う。
「このヴァルディア男爵――いや、子爵領を救った英雄扱いなんだよ」
「……英雄?」
レックスの顔が固まる。
「そんな馬鹿なことないだろ?」
本気で慌てている。
ガロードは額を押さえた。
正直、俺の方も大変だった。
裏庭で訓練していると、必ず誰かが来る。
そして聞かれる。
―― レックス様はどんな方ですか?
最初は適当に答えていた。
だが次から次へと人が来る。
家族構成。
セルディアでの立場。
好きな食べ物。
趣味。
興味のあること。
そして。
女性の好み。
何人目だったか覚えていない。
もう途中から諦めた。
「じょ、女性の好み?」
レックスが目を丸くする。
「ああ」
ガロードは平然と答える。
「エルディナ様みたいなのが好みじゃねえかなって言っといた」
「なっ!?」
レックスの声が止まる。
―― エルディナ・ヴァルディア。
子爵令嬢。
美しく、気品があり。
優しくて。
……いや違う。
そうじゃなくて。
そんな人が好みだなんて。
子爵領の人間に言ったのか。
兄貴は。
「いや」
ガロードが言う。
「エルディナ様、レックスと懇意にしてるって言ってただろ」
「え」
「レックス、いつの間にそんな親密になったんだ?」
さらに続ける。
「夜会で腕組んで歩いてただろ」
レックスは頭を抱えた。
ガロードは。
エルディナの社交辞令を。
一ミリも疑わず信じていた。
「い、いったい誰に言ったの?」
レックスは詰め寄る。
ガロードは首をかしげる。
「え?」
そして。
あっさり答えた。
「だいたいの人間に言ったぞ」
「……」
レックスの顔が真っ青になる。
「ひ、他人事だと思って……」
部屋の外。
廊下では。
侍女たちがひそひそと話していた。
「やっぱり……」
「エルディナ様と……」
「将来は……」
噂は。
すでに領内を駆け巡っていた。
レックスだけを置き去りにして。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さらに一週間が経過した。
レックスの体は、完全に回復していた。
庭を走ることもできる。
棍棒を振るうこともできる。
胸の奥に残っていた鈍い痛みも、もうほとんどない。
セルディアへ帰ることも可能だった。
レックスは中庭で軽く棍棒を振るう。
空気を切る音。
重さも、感触も問題ない。
「よし」
拳をぐっと握った。
そのあと。
レックスは城館の廊下に立っていた。
目の前には侍女。
「あの……エルディナ様に取り次いでもらえないでしょうか」
侍女は一礼する。
「確認してまいります」
「少々お待ちください」
静かな足音で去っていった。
レックスはその場に残される。
「はぁ……」
思わずため息が漏れた。
もし断られたら。
それで終わりだ。
全部。
噂の件も。
エルディナとの関係も。
全部きっぱり諦める。
そう決めていた。
時間がやけに長く感じる。
廊下の窓から差し込む光が、ゆっくり動く。
やがて。
侍女が戻ってきた。
「お会いになるそうです」
「は、はい」
自分から言い出したくせに。
声が震えた。
侍女に案内され、廊下を歩く。
いつもより長く感じる。
一歩。
また一歩。
足がぎこちない。
右手と右足が同時に出そうになる。
やがて扉の前に到着した。
エルディナの私室。
侍女が扉を叩く。
「エルディナ様」
「レックス様をお連れしました」
「通してください」
扉が開く。
レックスは一度深く息を吸う。
「し、失礼します」
部屋の中に入った。
そこにいたのはエルディナだった。
初めて会った時と同じ。
姫騎士のような装い。
装飾の少ない軍服。
腰にはレイピア。
金色の髪が肩で揺れている。
凛とした姿だった。
レックスはすぐに頭を下げる。
「あの、エルディナ様」
「今日は会っていただいてありがとうございます」
顔を上げられない。
視線が床に落ちる。
「は、はい」
エルディナの声も、どこかぎこちない。
レックスは決意する。
そして――
一気に頭を下げた。
床に額がつくほど深く。
「すいません!」
そのまま土下座になった。
「僕の好みがエルディナ様だなんて噂が出て、すごい不愉快な思いをさせてしまって、本当にすいませんでした!」
突然の行動に、エルディナが固まる。
完全に予想外だった。
しばらく沈黙。
それから、ぽつりと言った。
「そう……嘘なんだ」
どこか残念そうな声。
レックスは慌てる。
「い、いや!」
「エルディナ様が好みというのは、嘘じゃなくて!」
今度はエルディナが固まった。
「へっ!?」
思わず声が出る。
レックスは続けてしまう。
止められない。
「最初に見た時に……」
「なんて綺麗な人なんだろうって、思って……」
「つい見惚れてしまって……すごくドキドキしたのは、本当です」
言い終えた瞬間。
部屋の空気が変わった。
エルディナの耳まで赤くなる。
こんな風に真正面から褒められたことはない。
「で、でも」
レックスは続ける。
「外見だけで判断するなんて失礼だと思って」
「まだ出会って一ヶ月も経っていないのに」
言葉が小さくなる。
エルディナは聞いた。
「……そう」
少し間を置く。
「今はどう思っているの?」
心臓の鼓動が早い。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
レックスが顔を上げようとする。
「あ、まだ顔を上げちゃダメです!」
慌てて止めた。
「ど、どう思っている?」
レックスは再び土下座の姿勢に戻る。
エルディナは必死に呼吸を整える。
「わ、わたしのことを、どう思っているかです!」
それは。
とても重要な質問だった。
レックスは黙る。
すぐには言葉が出ない。
エルディナにとっては。
永遠のように長い時間だった。
やがて。
小さく言う。
「……僕は」
「エルディナのことを」
「ちゃんと知りたいです」
少し間を置いて続ける。
「エルディナと、ちゃんと向かい合うために」
言った瞬間。
自分でも驚いた。
何を言っているんだ、と頭が真っ白になる。
エルディナは静かに言った。
「……そうですか」
その表情は柔らかい。
貴族の令嬢ではなく。
ただの少女の顔だった。
「頭を上げてください」
「レックス」
許可が出る。
レックスは恐る恐る顔を上げた。
視線が合う。
エルディナは微笑んでいた。
「わたしも」
ゆっくり言う。
「レックスのことを、ちゃんと知りたいです」
その笑顔は。
少年の心を揺らすには、十分すぎるほどだった。
二人の距離は。
ほんの少しだけ。
近づいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
石畳の訓練場に、乾いた風が流れていた。
その中央で、二人の少年少女が向かい合う。
赤褐色の髪の少年。
淡い金糸色の髪の少女。
互いの手には、刃を潰した訓練用の剣。
妙な光景だった。
けれど、どこか自然でもある。
「やっぱりレックスと語り合うなら、これしかないでしょ」
エルディナはそう言って、軽く剣を振った。
銀の軌跡が空気を裂く。
「ちょっとは手加減してね、英雄さん」
からかうような声音。
レックスは困ったように笑う。
「僕は英雄ではありませんよ」
受け取った剣を、軽く握り直す。
この場を提案したのはエルディナだった。
お茶を飲みながら話すより。
剣を交えながらの方が、きっと自分たちらしい。
そう言われてしまえば、断る理由はない。
……正直。
普通に向かい合って会話する方が、よほど緊張する。
カン、と軽い音が鳴る。
二人の剣が触れた。
それが合図だった。
ゆるやかな打ち合いが始まる。
真剣勝負ではない。
けれど遊びでもない。
剣を合わせ、離し、また触れる。
その合間に言葉を交わす。
それがこの奇妙な会話だった。
刃が触れる。
その瞬間。
世界が、少しだけ遅くなる。
レックスの視界の中で、時間が伸びる。
剣の軌道。
体重移動。
呼吸。
すべてが鮮明になる。
エルディナの剣が舞う。
流れるような動きだった。
足運びは軽く、姿勢は美しい。
淡い金糸色の髪が、ふわりと揺れる。
青い瞳がこちらを見ていた。
口元が、わずかに笑っている。
その一瞬が、妙に長く感じられる。
「ねえ、レックス」
剣を合わせたまま、エルディナが言う。
「なぜ剣の稽古をしているの?」
ずっと気になっていた疑問。
レックスは軽く受け流し、答える。
「僕の棍棒が」
踏み込み。
軽く打ち返す。
「いつか剣の形になった時」
剣を滑らせる。
「自分で使えるように、です」
エルディナの剣が、わずかに止まる。
「……へえ」
背負っている黒い棍棒。
レックスが毎日磨いている、不思議な武器。
「自分で使うつもりだったのね」
「はい」
レックスは少し照れたように笑う。
「僕が磨いているものですから」
剣を軽く振る。
「やっぱり、ちゃんと使ってみたいんです」
まだ遠い未来の話だ。
いつ剣の形になるのかもわからない。
それでも。
武器が完成する時。
自分も、それに相応しい力を持っていたい。
武器も。
自分も。
同じ時間をかけて完成する。
それが、レックスの夢だった。
エルディナは目を細める。
剣を軽く打ち合わせた。
「意外」
「そうですか?」
「レックスなら」
剣が触れる。
「人に使ってもらって満足すると思っていた」
レックスの剣が止まる。
少しだけ。
ほんの少しだけ、強い声で言う。
「そんなことはありません」
一歩踏み込む。
「僕にだって」
剣が触れる。
「自分で使いたいから磨く夢くらいあります」
エルディナは一瞬、目を丸くした。
そして、小さく笑う。
「そう」
また剣が交わる。
軽い音。
風が抜ける。
レックスがふと口を開く。
「エルディナは」
剣を受け流す。
「欲しいものとか、夢とかないんですか?」
エルディナの動きが止まる。
剣先が、わずかに下がる。
「わたしは――」
言葉を選ぶ間。
静かな呼吸。
「わたしだけの剣が欲しい」
レックスは瞬きをする。
「剣ですか?」
意外だった。
「ええ」
エルディナはまっすぐ見つめる。
「それを持っているだけで」
一歩踏み出す。
「勇気が出て」
青い瞳が揺れる。
「堂々としていられる剣」
レックスは、その意味に気づく。
それは武器ではない。
二人の剣が離れた。
風が吹く。
エルディナはまっすぐ立っていた。
逃げない姿勢で。
「レックス」
名前を呼ぶ。
その声は静かだった。
けれど強かった。
「わたしの」
少しだけ息を吸う。
青い瞳が、まっすぐ向けられる。
「――わたしだけの騎士になりなさい」
風が庭を通り抜けた。
木々が揺れる。
世界の色が、ほんの少し変わった気がした。
その感覚が。
静かに、確かに。
レックスという少年の心を満たしていく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




