冥王軍VS覇王軍(2)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
覇王ディアボロスは、臆することなく敵との衝突点に立っていた。
迫る剛天明王軍の先陣。
その最前列から、三人の兵士が同時に斬りかかった。
一閃。
鋼が激突する甲高い音が響いた。
次の瞬間、三人が手にしていた武器が、まとめて宙を舞った。
「馬鹿な……どこから攻撃を……!」
兵士たちは答えを見つけられなかった。
目の前にいる敵将は、最初に立っていた場所から一歩も動いていない。剣を振るったわけでもなければ、手にした武器を直接届かせたわけでもない。
それなのに、三人の武器だけが弾き飛ばされていた。
風を切る轟音が、遅れて戦場を駆け抜ける。
兵士たちの身体が、まとめて吹き飛ばされた。
ただ一本。
ディアボロスの手にある天裂鞭だけが、暴力そのもののように戦場を蹂躙していた。
鞭とは思えない重量と破壊力。
常識外れの攻撃範囲。
そして、まるで自分の腕を伸ばしたかのように自在に操る技量。
そのすべてが、目の前の魔王を規格外の存在へと押し上げていた。
「これが……覇王ディアボロス」
剛天明王軍の兵士たちは、畏怖と戦慄を覚えた。
相手は、ただの魔王ではない。
魔王国の三大勢力の一角を担う覇王。その名にふさわしい力が、眼前で振るわれている。
だが、剛天明王軍も精鋭である。
動揺に呑まれることなく、すぐさま立て直しが図られた。
「無意味に戦うな! 盾持ちを中心に、兵は外殻を固めよ!」
号令とともに、重装歩兵が前へ出る。
左手に構えるのは、円形の大盾。
兵士たちは互いの間隔を詰め、密集陣形を形成した。幾重にも重なる盾が、ファランクスの陣形となって覇王の前に立ちはだかる。
しかも、盾はただの防具ではなかった。
表面には幾重もの魔法陣が展開され、結界が幾重にも重ねられている。
さながら城壁。
並の攻撃では、突破することすら困難な防御陣形だった。
しかし、ディアボロスは意に介さない。
ただ、天裂鞭を振るった。
轟音。
鋼の節が盾の表面を叩き、陣形全体を激しく揺さぶる。
「効かん!」
盾を構えた兵士が叫んだ。
確かに、最初の一撃は防ぎきった。
だが、それで終わりではない。
「飛び道具で覇王を討て!」
盾の後方から、無数の矢が放たれた。
雨のように降り注ぐ矢が、空を覆い尽くす。前方は盾の陣形、上空は矢の雨。逃げ場を奪う、精鋭ならではの連携だった。
それでも、ディアボロスは動かない。
右腕が一度、横薙ぎに振られた。
天裂鞭が唸り、飛来する矢を片端から打ち落としていく。
一本たりとも、覇王には届かない。
「続けて射よ! 撃ち尽くすまで――」
命令が最後まで届くことはなかった。
轟音が鳴り響く。
天裂鞭の連撃が盾の表面を直撃し、魔法結界に亀裂を走らせた。
さらに一撃。
盾が歪み、受け止めた兵士たちの足元が陥没する。
「強すぎる……!」
ただ打撃を与えるための武器。
それが覇王の手にかかれば、対城兵器にも等しい破壊力を発揮する。
一撃の威力だけではない。
攻撃の間隔が短すぎるのだ。
防御を立て直す暇も、魔力を補充する時間も、崩れた姿勢を修正する余裕もない。
「全員、後退!」
敵兵の判断は正しかった。
しかし、覇王ディアボロスは退却すら許さない。
天裂鞭が再びしなり、立ちはだかる防御陣形の中央を打ち抜いた。
轟音とともに、結界が完全に砕け散る。
盾の列が崩れ、兵士たちの身体が後方へと吹き飛ばされた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「強いな」
ロウガは、前線で戦う覇王の姿を見つめ、率直に評した。
魔王という存在は、言うまでもなく別格だ。
常人とは隔絶した力を持ち、その一挙手一投足が戦場の趨勢を左右する。
その魔王たちの中でも、覇王ディアボロスはさらに別格だった。
「敵に同情してもよいくらいだ」
天裂鞭が唸るたび、剛天明王軍の兵士たちが吹き飛ばされる。
堅牢な盾も、幾重にも張られた魔法障壁も、覇王の前では絶対の防御たり得なかった。
あれに向かっていく。
兵士にとっては、自ら処刑宣告書に署名するようなものだろう。
それでも、剛天明王の精鋭たちは退かなかった。
恐怖に呑まれることなく、崩れかけた陣形を立て直す。
前列が押し込まれれば後列が支え、盾の綻びを見つければ別の兵士が即座に埋める。
その動きに、迷いはなかった。
称賛を通り越して、恐るべきは彼らの精神力だ。
目の前にいるのは、暴力の権化と呼んでも差し支えない存在である。
その圧倒的な力を目の当たりにしてなお、彼らの心は折れていない。
兵士たちを支えている者がいる。
彼らが命を懸けるに足ると信じる、確かな何かが。
(……剛天明王)
ロウガは、その名を胸中で繰り返した。
直接会ったことはない。
それでも、魔王国でその名を知らぬ者はいなかった。
剛天明王。
古くから魔王国に名を刻み、数々の戦いを生き抜いてきた強者。
その名を知る魔王たちは、多くを語らない。
ただ一言。
――強い。
それだけで、十分だった。
「その噂も、どうやら事実らしいな」
ロウガは、まだ見ぬ敵の強さを肌で感じていた。
これほどの精鋭たちが、命を差し出す覚悟を抱く。
それだけの力と信頼を、剛天明王は持っているのだ。
一方、前線のディアボロスもまた、戦況を冷静に見極めていた。
「なかなか崩れんな」
戦いそのものは、覇王が優位に進めている。
天裂鞭の連撃によって、敵の防御は確実に削られていた。
このまま攻め続ければ、いずれ防壁は崩壊する。
だが、優位は勝利ではない。
ディアボロスは、その事実を正しく理解していた。
目指すべきは、敵軍の殲滅ではない。
剛天明王を屈服させ、戦争そのものに決着をつけることだ。
そして、残された時間は限られている。
防御を崩すだけでは足りない。
関門をこじ開け、その先にいる剛天明王へと到達しなければならなかった。
あと一押し。
ディアボロスがそう確信した、その瞬間だった。
「ぬっ!?」
紅い光が、彼の横をすり抜けた。
反応が遅れたわけではない。
それでも、回避しきれなかった。
次の瞬間、鋼の強度を誇るディアボロスの腕から、鮮血が噴き出した。
紅い光は弧を描いて飛翔する。
そして、戦場の向こうから伸びた手へと吸い込まれるように戻り、その姿を紅色の短槍へと変えた。
「必殺の我が槍の一撃を掻い潜る存在は久しいな」
女の声が、戦場に響き渡った。
それを合図とするように、剛天明王の軍勢が左右へと割れていく。
兵士たちは道を開け、その奥から現れる者を迎えた。
「儂の肉体に傷を付けるか。大したものだな」
ディアボロスは、流れる血を気にする様子もなく、正面を見据えた。
開かれた道の向こうから、一人の女が歩いてくる。
長い紫の髪が風に揺れ、黒と暗紫を基調とした戦闘装束が、歩みに合わせて静かに翻った。
その手には、紅い穂先を持つ短槍が握られている。
鋭い赤の瞳が、覇王を捉えた。
剛天明王。
覇王ディアボロスの前に、ついに彼女が姿を現した。
それが、剛天明王と覇王の決戦の幕開けだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
剛天明王と覇王ディアボロスが対峙した瞬間、戦場の空気が一変した。
まるで、津波が押し寄せる直前の海のようだった。
先ほどまで響いていた剣戟も、兵士たちの怒号も、次第に遠ざかっていく。
二人を中心に広がる静寂が、戦場全体を包み込んでいた。
(……凄まじいな)
牙王ロウガは、思わず息を呑んだ。
魔王である彼でさえ、二人が放つ圧力を無視できない。
強大な魔力と、幾多の戦場を生き抜いてきた者だけが持つ威圧感。
それらがぶつかり合い、周囲の戦士たちの動きを自然と止めていた。
もはや、誰もが理解している。
この戦いの決着は、魔王同士の一騎打ちに委ねられるのだと。
「覇王ディアボロスだな」
「剛天明王だな」
二人は互いの名を口にした。
確認するまでもない。
それでも言葉を交わしたのは、これから相対する者が誰なのか、互いに認め合うためだった。
「あえて無意味な言葉を言おう」
剛天明王が、手にした紅い槍をディアボロスへと向ける。
「無意味な戦闘を停止し、降伏するがよい」
「確かに無意味な言葉だ」
ディアボロスは即座に応じた。
この状況で、どちらかが退くことなどあり得ない。
そもそも、二人が目指していたのは、この瞬間だった。
互いの軍勢を率い、相手を屈服させる。
そのために、ここまで戦いを進めてきたのだ。
「牙王ロウガ!」
突然、剛天明王が戦場に響き渡る声で呼んだ。
「この戦いの見届け人となれ!」
「!?」
ロウガは目を見開いた。
敵側の魔王である自分を、最終決戦の立会人に指名する。
大胆な申し出だった。
「貴様なら、どのような立場であろうと、公正な判定ができるであろう」
(大胆、かつ悪辣だな)
ロウガは内心で呟いた。
戦術だけを考えるなら、ディアボロスと二人で剛天明王を討つという選択肢もある。
汚名は残るだろう。
だが、勝利を手にするだけなら、それが最も確実な方法だった。
しかし、剛天明王はその可能性を、たった一言で封じにかかった。
今、この場には両軍の兵士たちがいる。
この申し出を拒めば、後に遺恨が残るのは避けられない。
力こそが物を言う魔王国において、正々堂々とした一騎打ちを避けた。
その事実だけが、いつまでも語り継がれることになる。
「受けろ、ロウガ」
「ディアボロス!?」
思わず声を上げたロウガに、覇王は視線を向ける。
「そして、お前の目を通し、勝敗を見極めろ」
その声に迷いはなかった。
ディアボロスは、改めて剛天明王を見据えた。
「その勝負を受ける。儂の敗北は、覇王軍の敗北とする」
「潔いな。私の敗北は、我が軍の敗北とする」
剛天明王もまた、即座に応じた。
二人の魔王が、それぞれの武器を構える。
ここに、両軍の将による約定が交わされた。
こうなれば、ロウガが異論を挟む余地はない。
(……ならば、見せてもらうぞ)
ロウガは静かに息を吐き、覚悟を決めた。
これから始まるのは、単なる強者同士の戦いではない。
魔王国の未来を左右する決戦だ。
そして、その勝敗を見届ける責任は、自分に託された。
「覇王ディアボロス、剛天明王。牙王ロウガ、この戦いを見届ける!」
その宣言が、静まり返った戦場に響き渡った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




