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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
勇者の動乱編
232/235

冥王からの指令

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



『存外、ボクらも間抜けなことをした』


死王ノクスは、わずかな明かりしかない暗い部屋で、チェスの駒を並べ直していた。


黒と白の駒が、盤上に整然と並んでいく。


『まさか、替え玉を使うとはね』


聖剣の魔力反応を探知した時、誤認はなかった。


間違いなく、聖剣を持つ勇者がそこにいた。


だからこそ、ノクスは死王レヴェナントと共に奇襲を仕掛けたのだ。


飽和攻撃による包囲撃滅。


逃げ道を塞ぎ、数で押し潰す。相手が包囲を突破したところをレヴェナントが仕留める。


勝利を確信できる、合理的な手順だった。


実際、包囲は見事にはまった。


勇者は追い詰められ、包囲を破るために動いた。あとはレヴェナントが止めを刺すだけだった。


『だが、肝心の奴はいなかった』


ノクスの指先が、盤上の駒をひとつ摘まみ上げる。


確かに、そこにあったのは聖剣だ。


しかし、あれは自分たちが追っていた勇者の持つものとは別物だった。


聖剣が二本。


そして、勇者も二人。


『くっ、くっ……そう来たか、って感じだよ』


仮面の奥から、暗い笑い声が漏れる。


ノクスは最後の駒を置き、盤上を見下ろした。


すべての駒が、あるべき位置に収まっている。


美しいほどに整った配置だった。


次の瞬間。


ガシャーンッ!


ノクスは盤を拳で殴りつけた。


チェスの駒も盤も、粉々に砕け散る。


『確かに、あいつはあそこにいたはずだ!』


細い指が震えていた。


怒りに打ち震える拳を、ノクスはゆっくりと握り締める。


『今、どこにいる!』


この街で、自分たちの探知をすり抜けて動けるはずがない。


少なくとも、ノクスはそう考えていた。


それなのに、見つからない。


確かに存在したはずの勇者が、まるで最初からいなかったかのように姿を消している。


ノクスは部屋の奥へ目を向けた。


そこには、ピアノの前に腰掛け、沈黙を保つ死王カオスがいた。


『確かに、ノクスの言う通りです。そして、取り逃がしたのは私の失態……』


カオスは静かに口を開いた。


『冥王様を不愉快にする虫の分際で、この私に……』


声音は丁寧だった。


だが、その奥に潜むものは、ノクスにも理解できない。


『許せぬ。すべて許せぬ』


唐突に、カオスが天井を見上げた。


そのまま、ゆっくりと顔を下ろす。


『……しかし、冥王様のお言葉は絶対。今は、まだ、直接手を出せん……』


その言葉を聞いた瞬間、ノクスの足が動いた。


半歩。


ほんのわずかに、後ずさっていた。


(……このボクが?)


ノクスは、自らの足を疑った。


限りなく不死に近い存在である自分が、恐怖を感じている。


しかも、それは敗北への恐れではなかった。


死への恐怖だった。


ノクスはカオスのことを、ほとんど知らない。


冥王様が造り上げた、最後の死王。


与えられている知識は、それだけだった。


(……冥王様から、どれほどの力を与えられているんだ、こいつは)


同じ死王であるはずの存在。


それなのに、ノクスは目の前のカオスに戦慄を覚えずにはいられなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



『冥王様からの指令が下りました』


不意に、死王カオスが口を開いた。


ピアノの前に立つ漆黒のローブ。その姿には、先ほどまでの静けさと変わらぬ落ち着きがあった。


「……ボクには届いていないけど?」


死王ノクスは疑わしげに両腕を組んだ。


『私に直接届きました』


「へえ。それはまた、随分と特別扱いだね」


軽い口調とは裏腹に、仮面の奥の視線は鋭い。


(……こいつ、冥王様の最大の腹心という立場を利用して、ボクたちを私物化するつもりじゃないだろうな)


ノクスに冥王への背信など、微塵もなかった。


冥王は絶対の存在。疑うことすら許されない、神にも等しい主である。


だからこそ、警戒すべきはその名を利用する者だった。


(仮にカオスが、冥王様を利用するつもりであれば……)


そこまで考えたところで、カオスが静かに告げた。


『貴方達にとっては、願ってもない勅命です』


カオスは椅子から立ち上がる。


『冥王様が完全に復活される前に、邪魔者は確実に消せ、と』


「それは今までも承知していることだよ」


ノクスの声から、僅かに笑みが消えた。


「ボクたちは、常に冥王様のために活動している。今さら君に言われるまでもないんだけどね」


そこには、隠しきれない怒りがあった。


冥王の腹心として仕えてきた自分が、新参者に指図される筋合いはない。


その反応に呼応するかのように、部屋の隅の影が揺らいだ。


黒い鎧を纏った死王レヴェナントが、音もなく姿を現す。


死王カオス。


死王ノクス。


死王レヴェナント。


三体の死王が、互いに睨み合うような構図となった。


『すべては、冥王様の御心のままに』


カオスは、恭しくそう告げた。


そして、片手を掲げる。


「――っ!?」


次の瞬間、ノクスの身体が硬直した。


見えない鎖に縛られたかのように、指一本動かせない。


隣のレヴェナントも同じだった。


「な、何をする!? いや、ボクたちに何をした!?」


ノクスの声が裏返る。


カオスは答えない。


ただ、静かに二人を見据えていた。


『冥王様の勅命を伝える』


「ギャァァッ――!」


ノクスの全身を、凄まじい激痛が駆け抜けた。


肉体を引き裂かれるような苦痛。


意識すら砕かれそうな衝撃。


限りなく不死に近い存在であるノクスでさえ、悲鳴を上げずにはいられなかった。


しかし、カオスは微動だにしない。


『更なる力を授ける。邪魔者たちを確実に消せ。それが冥王様のお言葉だ』


「こ、これは……!」


やがて、激痛が徐々に和らいでいく。


ノクスは荒い呼吸を繰り返しながら、自らの内側に生じた変化を感じ取っていた。


今までとは違う。


まるで、一度死に、別の存在へと生まれ変わったかのような感覚だった。


「……これは、素晴らしい」


仮面の奥から、低い笑いが漏れる。


ノクスが隣を見ると、レヴェナントもまた、同じ変化を受け入れているようだった。


『私は、これから冥王様の完全覚醒の準備に入る。お前たちは、何人にも邪魔をさせるな』


「……承知した」


今度の返答に、反発の色はなかった。


三体の死王は、揃ってその場に膝をつく。


『すべては、冥王様のために』



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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