命令します
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……死王カオス……」
レオニスは、その名を呟いた。
相手の正体も、能力も分からない。だが、目の前に立つ存在が危険であることだけは、嫌というほど伝わってきた。
レオニスはフィデリアを庇うように一歩前へ出た。
戦士でもなければ、魔術師でもない。王国の文官である彼に、死王を相手に戦う力などない。
それでも、何もしないまま彼女を差し出すわけにはいかなかった。
死王ノクスとは異なる、もう一人の死王。
その漆黒のフードの奥から、カオスの声が響いた。
「……どうして、ここに現れたのですか」
レオニスは、震えを押し殺して尋ねた。
『私の音楽に雑音は不要。不協和音を生むだけです』
カオスは、静かに答えた。
まるで、演奏の邪魔をする者をたしなめるかのような口調だった。
『安心して耳を傾け、委ねるためには、雑音を自ら消すと決めているのです』
その言葉とともに、カオスは芝居がかった仕草で二人を指し示した。
『そして、完全に消えたことを確認しなければ、安心することなどできません』
レオニスの背筋に、冷たいものが走った。
脅しではない。
相手を恐怖させるために、わざと残酷な言葉を選んでいるわけでもない。
カオスは、本当にそうするつもりなのだ。
(……こいつは、いろいろな意味で危険すぎる)
レオニスは、懐に手を入れた。
指先が触れたのは、イシュリアンから渡された護符だった。
教会にいる仲間たちと、ここはそう遠く離れていない。護符を通じて連絡できれば、救援に駆けつけてもらうことも可能なはずだ。
アウレリアも、グラーディスもいる。
彼女たちなら、この状況を打開できるかもしれない。
レオニスは護符に意識を集中させた。
やがて、イシュリアンの声が届く。
(……申し訳ありません。すぐにはそちらへ向かえそうにありません)
(な、何故ですか?)
予想外の返答に、レオニスは思わず問い返した。
しかし、返ってきた声には余裕がなかった。
(ですから、フィデリア様を連れて、なるべく遠くへ逃げてください……!)
そこで、声が途切れた。
直後だった。
轟音が街を震わせた。
遠く、教会のある方角から響いた音だった。空気を揺さぶる衝撃に、レオニスは思わずそちらへ顔を向ける。
(あちらも、危機に陥っている……?)
アウレリアたちがいる。グラーディスもいる。スカーレットもいるはずだ。
それでも、イシュリアンは救援に来られないと言った。
ならば、教会側にも相応の脅威が現れたと考えるべきだろう。
レオニスは唇を引き結んだ。
(しかし……逃げろと言われても)
視線を戻す。
漆黒のローブをまとった死王カオスは、微動だにせず、二人を見据えていた。
レオニスには、相手の実力を測る術がない。
だが、その存在感と、死王という名が示すものを考えれば、魔王級の力を持っていても不思議ではなかった。
自分に何ができるのか。
答えは、考えるまでもなく明らかだった。
戦えば、勝ち目はない。
逃げ切れる保証もない。
それでも、フィデリアを守らなければならない。
『命令します』
カオスの声が、静かに響いた。
『排除されなさい!』
その指先に、漆黒の闇が生まれた。
次の瞬間、闇は二人へ向かって放たれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……ん?」
最初に異変を察知したのは、アウレリアだった。
空気が変わった。
そう感じた瞬間、彼女は迷わず聖剣を抜き放つ。
「……グラディ!リアン!」
叫んだ直後だった。
教会の扉が轟音とともに砕け散った。
吹き飛んだ扉の向こうから、漆黒の塊が飛び込んでくる。その巨体が狙ったのは、修道女スカーレットだった。
「節操がないな!」
グラーディスが聖盾を構え、二人の間に割り込む。
重い衝撃が響いた。
盾で敵の突進を受け止めた、その一瞬。
「聖剣極刑!」
アウレリアの聖剣が閃いた。
刃は黒い甲冑を両断し、死王レヴェナントの身体を上下に切り分ける。
「……アウレリア!」
グラーディスの叫びが響いた。
彼女の背後。破壊された教会の扉から、もう一体のレヴェナントが迫っていたのだ。
「聖杖解放――天断閃!」
イシュリアンが聖杖を掲げる。
放たれた光弾が黒い甲冑を抉り、巨体を吹き飛ばした。
だが、安堵する暇はなかった。
その背後から、さらに別のレヴェナントが姿を現した。
「……ちっ」
レイラが舌打ちする。
彼女の操る鎖が敵の身体に巻きつき、勢いよく引き寄せた。そのまま壁へ叩きつけ、動きを封じる。
「……レイラ!」
アウレリアが声を上げた、その瞬間。
頭上で、ガラスの砕ける音が響いた。
教会の天窓を突き破り、数体の黒い影が降下してくる。
「不浄なるモノめ!」
スカーレットが大剣を振るった。
落下してきたレヴェナントたちが、次々と両断される。
「なによ、こいつら!」
アウレリアも聖剣を振り抜き、一体を粉砕した。
しかし、敵は止まらなかった。
破壊された扉の向こうから、また一体。
天窓から、さらに数体。
倒したはずの敵が消えた場所を埋めるように、新たな黒い甲冑が押し寄せてくる。
どれだけ斬り伏せても、敵の数は減らない。
「……物量で押し潰すつもりか!」
グラーディスが敵の狙いを見抜いた。
戦術そのものは単純だ。
ただし、単純だからこそ厄介だった。
一体ずつ倒すことができても、その間に新たな敵が現れる。迎撃に手を取られれば、仲間を守る余裕も失われていく。
教会の中は、瞬く間に乱戦と化した。
そして、その様子を外から眺める者がいた。
黒い仮面に笑みを刻んだ、細身の道化師。
死王ノクスだった。
『さて、さて。これは良い余興だ』
ノクスの隣では、漆黒の甲冑が次々と形を成していく。
新たに現れたレヴェナントたちは、まるで軍隊のように隊列を整え、教会へ向かって進み始めた。
その足取りに、迷いも躊躇もない。
『死王レヴェナントの無限攻撃に、どこまで持ちこたえられるかな?』
ノクスは愉快そうに肩を揺らした。
『勇者よ!』
高らかな笑い声が、戦場の空気を震わせる。
教会へ押し寄せる黒い軍勢は、なおも増え続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




