スカーレットの通常
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
教会の外にある空き地で、アウレリアとグラーディスが向かい合っていた。
二人はそれぞれ武器を構えている。アウレリアの手には聖剣。対するグラーディスは聖盾を携え、静かに相手の動きを窺っていた。
「あいかわらずのイメージトレーニングですね」
少し離れた場所から、レオニスが声をかけた。
聖剣と聖盾。その力はあまりにも大きい。実際に全力を発揮すれば、訓練のために周囲を破壊しかねない。
だからこそ、二人は互いのイメージを共有し、仮想の戦闘を組み立てていた。武器を手に構えながら、想定した攻撃と防御を重ねていく。実戦で力を十全に扱うための訓練だった。
「今回はグラディが、アウレリアと決闘したいと言ったので、私は遠慮しました」
隣に立つイシュリアンが、淡々と告げた。
その視線がレオニスへと向く。
「レオニスも、基礎魔力の訓練に集中してください」
「……はい」
レオニスは素直に頷いた。
現在、勇者一行は死王たちの襲撃を待つ状態にあった。
敵の拠点も、目的も、まだ明らかになっていない。こちらから攻め込むにしても、手がかりがなければ動きようがなかった。
「それも、長期戦にはならないでしょう」
そこへ、再び合流したレイラが口を開いた。
理由は明白だった。冥王と覇王の軍勢による戦争が、最終局面を迎えつつある。
覇王が勝利すれば、冥王の勢力は実質的に瓦解するはずだった。
(そうなれば良いけど)
レオニスの胸には、拭いきれない懸念が残っていた。
かつて見た、原初の勇者レオンハルトの記憶。そこにいた冥王は、人間を食事とする存在だった。人々を支配し、領土を広げるといった俗な目的で動いているようには見えなかった。
そして現在、冥王として扱われているスカーレットもまた、レオニスの知る限り、そのような存在には見えない。
彼女は今も教会を訪れる人々に治癒を施していた。
「冥王様、転んで怪我しちゃった!」
「僕も!」
擦り傷を作った子供たちが、スカーレットのもとへ駆け寄る。
「まあ、大変ですね。じっとしていてください」
スカーレットは穏やかに微笑み、二人の傷へ手をかざした。
淡い光が生まれ、傷口が癒えていく。
「だ、駄目ですよ、スカーレットさん!」
その光景を見たレオニスが、慌てて声を上げた。
「どうしたのですか?」
「治癒魔法は、そんな小さな子供の擦り傷に使うものではありません」
「? そうなのですか?戦場では、わずかな怪我でも死に繋がりますが」
「そういう理由ではありません」
レオニスは言葉を選びながら説明した。
治癒魔法は、対象者が本来持つ治癒能力を活性化させ、促進する魔法だ。確かに小さな傷でも治せるが、そのぶん身体には負荷がかかる。
自然に治る程度の怪我ならば、無理に魔法を使わず、自然治癒に任せたほうがいい場合もある。
身体が本来持つ働きを損なわないためにも、治癒魔法は適切に使い分ける必要があった。
「確かに、あまり良くないことですね」
魔法に万能を求めないイシュリアンも、レオニスの説明に同意した。
「そういうものなのですか」
スカーレットは首を傾げた。
納得できないというより、そもそも理解の前提が異なっている。そんな表情だった。
彼女にとって、治せる傷を治さないという判断は、すぐには受け入れがたいものなのだろう。
機械人形であることが関係しているのか。それとも、長く戦いと救済に身を置いてきたためなのか。
理由は分からない。
ただ、スカーレットの人間に対する認識には、確かなズレがあった。
善意から行動している。傷ついた者を救いたいとも願っている。
それなのに、人間の身体が持つ仕組みや、何もしないことにも意味があるという感覚は、彼女の中でうまく結びついていない。
レオニスは困ったように微笑むしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
スカーレットに対する違和感は、治癒魔法の一件だけでは終わらなかった。
レオニスたちが街を調べるうちに、もう一つ、目を引く事実が明らかになった。
この街では、義手や義足に関する技術が異常なほど発達していたのだ。
それらは、スカーレットの身体を構成する機械人形の技術にも通じるものだった。
魔力の保有量によって性能には差がある。それでも、十分な魔力を備えた義肢は、日常生活に支障を感じさせないほど精巧に動く。
単に失われた機能を補うだけではない。
装着した者が、以前と変わらぬ暮らしを送れるように作られていた。
「これほどの技術が、ここまで普及しているなんて……」
イシュリアンも、驚きを隠せなかった。
王国であれば、一部の富裕層しか手にできないような技術だ。それがこの街では、一般の住民にも分け隔てなく提供されている。
しかも、驚くべきことはそれだけではなかった。
義肢の調整や修理、その後のメンテナンス。その多くを、スカーレットが一人で担っていたのである。
「私は、眠ることも休むことも必要ありませんので」
スカーレットは、当たり前のように答えた。
「……なるほど。アウレリアが指摘した問題を、スカーレットさん自身は認識できていなかったわけですね」
レオニスは呆れたように息をついた。
働き者という言葉で片づけられる範疇を超えている。
そもそも、スカーレットには休息が必要ない。だからこそ、彼女は自分がどれほどの仕事を引き受けているのか、人間の尺度で考えることが難しいのだろう。
そして、これほど多くの恩恵を受けていれば、住民が彼女に感謝し、何かあれば力になろうとするのも自然なことだった。
だが、別の問題も生じる。
街の暮らしは、スカーレットの働きによって支えられている。義肢の提供から修理、日々の治療に至るまで、彼女が担う役割はあまりにも大きい。
裏を返せば、彼女を失った瞬間、この街の仕組みは簡単に崩れてしまう。
住民が彼女を慕っていることと、街が彼女一人に依存していること。それは、似ているようでまったく違う問題だった。
「……そんなことが、ありえるのか?」
レオニスには、この街の異質さを見過ごすことができなかった。
スカーレットの善意は疑いようがない。だが、街全体が一人の存在に支えられている状況は、あまりにも危うい。
彼は、以前から抱いていた疑問を確かめることにした。
「スカーレットさんは、いつ頃からこの街で暮らしているんですか?」
「そうですね……。十年ほど前でしょうか」
スカーレットは、記憶を探るように少し考えた。
「この教会で目を覚ましたのが、ちょうどその頃です」
「……十年、ですか」
レオニスの表情が変わる。
「その時から、住民の方々はスカーレットさんを冥王と呼んでいたのですか?」
「……そう言われると、そうですね」
スカーレットは、特に疑問を抱いていない様子だった。
しかし、レオニスは考え込んだ。
彼女の話が正しいのなら、この街はスカーレットが目覚める以前から存在していたことになる。彼女が街を築いたわけではない。
そして、目覚めた時には、すでに住民たちは彼女を冥王と呼んでいた。
「……別人なのか」
推論としては、それが最も自然だった。
冥王と呼ばれる存在は、スカーレットが目覚める以前から、この街にいた。
十年前を境に、何らかの理由でスカーレットがその立場に置かれたのではないか。
だが、そこまで考えても、答えは出なかった。
「……しかし、何のために……」
レオニスには、誰が、何を目的としてこの状況を作り上げたのか、見当もつかなかった。
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