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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
勇者の動乱編
223/235

遠い昔の記憶

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



覇王ディアボロスは、遠い昔の記憶を思い返していた。


それは、かつて一人の弟子が訪ねてきた日のことだった。


「これは珍客だな」


「……そう言うなよ。久しぶりに弟子が訪ねてきたんだ。もっと歓迎してくれてもいいだろ?」


訪問者は、牙王ライガ。


かつてディアボロスが自らの手で鍛え、世に送り出した若者だった。


あの日、旅立ったライガは、正義感の強い青年にすぎなかった。


だが、今、目の前に立つ男には、確かな王の風格が備わっている。


魔王国の統一を成し遂げた者だけが持つ、重みだった。


「今更、何をしに来た? 用などあるまい」


「なーに、あんたに評価してもらいたくてね。わざわざやって来たんだ」


「魔王国を統一したことか?」


「いや、そんなことじゃない」


ライガは首を横に振った。


そして、持参した鞄から一本の瓶と、小さなグラスを取り出す。


グラスをディアボロスに渡すと、瓶の中身を静かに注いだ。


淡い琥珀色の液体が、グラスの底から満ちていく。


「この香り……酒か?」


「蒸留酒という。俺たちが復活させたんだ」


「ほう」


ディアボロスはグラスを持ち上げ、香りを確かめた。


それから、少しだけ口に含む。


酒が喉を通り、芳醇な香りが鼻へ抜けていく。


やがて、空になったグラスを見つめ、素直な感想を口にした。


「……美味いな。見事なものだ」


「だろう?」


ライガは誇らしげに笑った。


「統一を記念してな。新しい時代の乾杯に間に合うよう、作ってもらったんだ。失われた文化の復活ってやつさ。こういうことにも価値はあるだろう?」


魔王国を統一する。


それは、敵を倒し、従わせるだけで成し遂げられるものではない。


人々が暮らしを取り戻し、失われた文化を再び手にする。


ライガは、その一つを師に見せに来たのだった。


しかし、笑みを浮かべていた男は、やがて表情を引き締めた。


「……統一を経て、魔王国は変わっていくだろう。いずれは、俺の手を離れていく。それは避けられないし、先のことは誰にもわからない」


ライガは自分のグラスにも酒を注ぎ、口をつけた。


「これから先、魔王国はどう進むべきなんだろうな」


「陳腐な悩みだ」


「意味を教えてくれよ」


ディアボロスは、ライガの顔を見た。


「お前は、お前の時代を作る役目を果たした。次の時代のことなど、次の奴らに任せればいい」


重々しい声が、静かに響く。


「お前がやることは、今できる限り良い土壌を作り、それを渡してやることだけだ」


ライガは一瞬、目を見開いた。


そして、喉の奥で笑い声を漏らした。


「そんな風に言ってくれるのは、あんただけだ。少し気分が軽くなったよ」


そう言って、ライガは再びディアボロスのグラスに酒を注いだ。


「会いに来てよかったよ、師匠。乾杯に付き合ってくれ」


「お前に教えたのは、戦い方だけだ。立派になったものだ」


ディアボロスはグラスを手に取った。


そして、ライガと向かい合う。


かつて師と弟子だった二人は、今、互いを認める者同士として、同じ高さでグラスを掲げた。


静かな音を立てて、二つのグラスが触れ合った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「実は、師匠を訪ねた時、俺はあんたがもう死んでいる可能性も考えていた」


ライガは、正面に座るディアボロスを見つめた。


その姿は、かつて送り出された時と何一つ変わっていない。


年を重ねたライガとは対照的に、師の姿には時の流れを感じさせるものがなかった。


「俺は、必要な時に目覚め、そうでなければ眠る存在だ。不滅ではないが、そうやって力を制御することで、全盛時の姿を保っている」


「なるほどな。今回は、俺が来たから目を覚ましているというわけか」


「ああ」


ライガは納得したように頷いた。


「なら、本来の目的は何なんだ?」


ディアボロスの表情が、わずかに引き締まった。


「シャルバート・ウル・ヴァースが俺に命じたのは、監視だ。彼女の仇敵が蘇ったなら、迷わず討てとな」


「そんな奴がいるのか?」


「まだ会ったことはない。だが、彼女が言うことだ。間違いはない」


「誰なんだ、それは?」


「冥王……」


その名を口にした時、ディアボロスの声から、普段の豪胆さとは異なる重みが滲んだ。


「魔王国が誕生する前から、悪い意味で神を名乗っていた輩だ」


ライガは黙って師の言葉を聞いた。


魔王国の統一を果たした今も、世界には自分の知らない脅威が存在している。


だが、ディアボロスは臆していなかった。


「案ずるな。どんな相手であれ、お前たちの世界を好きにはさせん。その前に、俺が奴を討つ」


「師匠が約束するなら、千金以上の信頼があるがな……」


ライガは、力強く笑った。


「その時は、当然俺も力を貸すぞ」


言葉だけではない。


その眼差しは、自分も頼りにしろと告げていた。


「ああ。その時がくればな」


「任せろ」


ライガは胸を張った。


ディアボロスは、そんな弟子の姿を見て、わずかに口元を緩めた。


「頼もしいな。では、そんなお前に、これからの魔王国に必要なものをやろう」


そう言って立ち上がると、部屋の棚へ向かう。


戻ってきたディアボロスの手には、一本の瓶があった。


「試してみろ」


師はライガのグラスに、淡い琥珀色の液体を注いだ。


「……酒か? しかし、この香りは」


ライガはグラスを口元へ運び、一口含んだ。


次の瞬間、目を見開く。


「まさか、蒸留酒か? しかも、俺が持ってきたものより遥かに洗練されている。美味い……何故だ?」


「酒は、仕込んでから寝かせることで、深みを増すものもある」


ディアボロスは自分のグラスにも酒を注いだ。


「お前が魔王国という名の器に酒を注げば、後の時代では味が変わる」


「……なるほど。いいことを聞いたよ」


ライガは、師の言わんとする意味を理解した。


今、自分が作り上げたものが、完成形とは限らない。


時代が変わり、人々が工夫を重ねれば、今よりも優れたものが生まれるかもしれない。


「だから持っていけ。今あるものが到達点ではないと知るためにな」


「いいのか? 貴重なものだろ?」


「ただし、これを超えるものを用意しておけ。冥王を倒した時の祝杯にするためにな」


「そりゃ、やりがいのある大仕事だな」


ライガは笑い、瓶を受け取った。


「実は他にもある。試すか?」


「そりゃ、断る理由はないだろう」


ディアボロスは新たな酒を取り出した。


師と弟子は、再びグラスを掲げる。


それは、まだ見ぬ未来へ向けた乾杯だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ディアボロスは、静かに目を開いた。


眼前には、ロウガがいる。


銀の髪に混じる蒼。強い意志を宿した琥珀色の瞳。その姿を見つめながら、覇王は胸の内で呟いた。


(ライガが作り上げた土壌から、再びこうした者が現れたか)


かつて、ライガは魔王国を統一した。


力によって争いを制し、その後に残されたものを守り、育てようとした男。


彼が魔王国に注いだものは、統一という結果だけではない。


酒もそうだった。


一度は失われた文化を掘り起こし、再び人々の手に取り戻した。


時を経て味わいを深める酒のように、彼が残したものもまた、時代を越えて変化しながら受け継がれていく。


ライガの時代が終わっても、その酒は消えなかった。


そして今、目の前にはロウガがいる。


(今の魔王国は、冥王という存在に侵されている。だが……土壌のすべてが腐り果てたわけではない)


戦乱は人を変える。


力を求める者もいれば、力に屈する者もいる。


かつての理想が失われ、残されたものさえ踏みにじられることもある。


それでも、すべてが失われたわけではない。


ライガが残したもの。その濃いエキスの一部が、こうしてロウガの中に生きている。


ならば、次へ渡せばいい。


未来がどのような形になるのか、ディアボロスにも分からない。


ロウガが何を選び、魔王国がどこへ向かうのか。それを今、決めつけることはできない。


それでも、託す価値はある。


「……さて、本心か……」


ディアボロスは低く呟いた。


ロウガに何を語るべきか。どこまで明かすべきか。


その答えを考えようとした、その時だった。


「失礼します、覇王様!」


陣幕の外から、慌ただしい声が響いた。


「かまわん。話せ」


「はっ!」


伝令兵が駆け込んでくる。息を整える間も惜しむように、彼は報告した。


「冥王軍を名乗る軍勢が現れました!これまでに確認された中で、最大規模の軍勢です!」


伝令兵は一度、生唾を飲み込んだ。


「敵将は――剛天明王!」


その名を聞いた瞬間、ロウガの表情が険しくなった。


「ついに、来たか……」


剛天明王。


冥王の派閥に下る以前は、魔王国最大の勢力を誇った存在だ。樹王を除けば、覇王が台頭するより前、魔王国最強と謳われた魔王でもある。


ディアボロスが冥王を目指して進む以上、いつかは必ず立ちはだかる相手だった。


「奴が自ら前線に出てきたということは……」


ディアボロスは腰を上げた。


「冥王軍がまとめて動かせる戦力も、これで最後ということだな」


覇王と冥王。その間に立ち塞がる、最後の大きな障害。


逆に言えば、剛天明王を倒せば、その先に残るものは冥王だけとなる。


戦争は、いよいよ終わりに近づいていた。


ディアボロスはロウガへと向き直る。


「ロウガ。話は戦いが終わってからにしよう」


ロウガは短く頷いた。


今は、目の前の敵に集中すべき時だ。


だが、ディアボロスの胸中には、もう一つの思いがあった。


剛天明王もまた、魔王国の歴史から生まれた存在。ライガという土壌から派生した者の一人でもある。


だからこそ、その行く末を見届ける責任がある。


敵として立ちはだかるのならば、全力で打ち倒す。


それもまた、魔王国を背負う者の務めだった。


覇王は歩き出す。


冥王との決着へ向けて、戦争の最終局面が動き始めていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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