幕間 死王たち
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暗い空間に、静かな音楽が響いていた。
死王ノクスは、その音色を聞きながら一人でチェスを指している。
黒の駒を動かす。
続いて白の駒を動かす。
まるで盤上に存在する二人の王を、たった一人で操っているようだった。
しかし、勝負は一方的ではない。
白と黒。
双方の駒は拮抗し、互いに相手の王を追い詰めようとしていた。
そこへ、ピアノの音が重なる。
『音楽とは、酔狂だね』
ノクスは、盤上から目を離さずに言った。
『始めてみると、中々良いものだよ。ノクス』
『ボクには理解できないことだよ、カオス』
ノクスは、ピアノを奏でる人物をそう呼んだ。
そこにいるのは、漆黒のフードで顔を覆い、同じ色のローブで全身を隠した存在だった。
死王カオス。
その姿は、闇の中に溶け込むように輪郭すら曖昧だった。
『君がやっている遊戯も面白かったが、もう卒業したよ』
『そうかい』
ノクスは興味なさそうに肩をすくめる。
カオスは、その反応を気にすることなく鍵盤を叩いた。
『序奏。提示部で主題を示し、展開部で変化させる。そして再現部で主題を一体化させる』
旋律が、静かに形を変えていく。
『結尾部。曲の終わりを締めくくる旋律は、とても心地の良いものだ』
『ボクには縁のない話だね』
ノクスは白の駒を一つ動かした。
『そして、我々の段階は、まさに結尾部の後奏だ』
カオスの指が鍵盤の上を滑る。
『それは長くはならない』
ノクスの指が止まった。
仮面の奥から、低い声が響く。
『……回りくどい説明は不要だよ。さっさと言ってくれないかな?』
『永い。永劫とも言える日々を耐え、ようやく宿願を果たすべき時が来たのだ』
最後の旋律が、暗闇に溶けていく。
『ここまで言えば、もうよかろう?』
『いや、回りくどいね』
ノクスは即答した。
『はっきり言いなよ。もう遊戯は、次の一手で詰みの状態だと』
黒のビショップが、白のキングの前に置かれる。
『不用意な一手だ』
カオスの声が響く。
『白のナイトの動き次第では、せっかく緻密に組み上げたロジックが壊れてしまう』
『ならば――』
ノクスは笑った。
『白のナイトを排除してしまえば良い』
細長い手が盤上へ伸びる。
そして。
白のナイトを掴むと、盤の外へ放り投げた。
駒は床を跳ね、乾いた音を立てる。
『これで、勝ちは揺るぎない』
『ルールを守ってこその遊戯ではないのかね?』
『勝ちにこだわっていると評価してほしいものだ』
ノクスは床へ落ちた白のナイトを見下ろした。
その黒い仮面には、変わらぬ笑みが浮かんでいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『わざわざ不正をせずとも、確実に勝てる条件が揃うまで待てばいい』
静かな声が、暗い部屋に響いた。
死王カオスの言葉に、死王ノクスは黒い仮面の奥で笑った。
『正攻法だね』
盤上には、白と黒の駒が並んでいる。
ノクスは逃げ続ける白のキングを見下ろした。
『しかし、何故かボクたちは勝てない』
細い指が、盤上の駒を指し示す。
『理由の答えは、これだ』
ノクスは白のポーンを摘まんだ。
そして――黒のキングを取った。
『このように、敵の方がルールを守らない。王手すら宣言せず、こちらのキングを殺しにくる輩のせいだ』
『……勇者……』
カオスの声に、僅かな苛立ちが混じった。
その一言だけで、二人の間に長い因縁があることを感じさせる。
『……しかし、この奇妙な縁も今回で最後になる』
『……ほう』
ノクスは愉快そうに首を傾けた。
『自信がおありのようで』
『もちろんだとも』
カオスの声には、迷いがなかった。
『今回ですべては終わる』
それは予告ではなかった。
静かな死の宣告だった。
ノクスはしばらく沈黙し、やがて盤上の黒いキングを指先で弄ぶ。
『そこまで自信があるなら、初手はレヴェナントに譲ってやってはくれないか』
黒い駒が、指先でくるりと回る。
『彼はボクや、君とも違う。奴を好敵手だと考えているようだからね』
次の瞬間。
黒のキングが、粉々に砕け散った。
『先に壊してしまっては、ボクが怒られる』
ノクスは笑った。
『彼とは長年の友誼を結んでいるんだからね』
『事を成就しようとしているのに、わざわざ障害を望むとは。理解できませんね』
『そうかい?』
道化師のような声音が弾む。
『障害があるほど燃える。そういう考え方は、ボクは好きだよ。共感できる』
カオスは答えなかった。
ただ、黒いフードの奥からノクスを見つめる。
『釘を刺しますが、私たちの目的は勇者を倒すことではない』
声が低くなる。
『最優先なことは、たった一つ』
『もちろん、承知しているとも』
二人は同時に立ち上がった。
そして、同時に膝をつく。
『すべては――冥王様のために』
二つの声が重なった。
『さて』
ノクスが立ち上がる。
『そろそろ始めて、いいんだよね?』
『もちろん』
カオスも立ち上がった。
『最終楽章だ』
カオスの手に、指揮棒が握られる。
そして――。
死王カオスは、最終決戦の指揮棒を振った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




