違う世界
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その時、アウレリアが大きく後退した。
スカーレットとの距離が、一気に開く。
傍目には、攻め続けるスカーレットを攻略できず、たまらず退いたように見えただろう。
だが、レオニスの目には違って映っていた。
アウレリアは、何かを仕掛けるつもりだ。
追い詰められた者の動きではない。次の一手を選ぶために、自ら間合いを作ったのだ。
「……すごいな……鳥肌立ったよ、スカーレット」
アウレリアは額から流れる汗を拭い、にっと笑った。
その顔には、苦戦している者の悔しさよりも、目の前の相手に対する率直な感嘆が浮かんでいた。
「……スカーレットも、違う世界が少しは見えた?」
「違う世界?」
スカーレットは怪訝そうに眉を寄せた。
何を言われているのか、理解できない。
今の自分は全力で戦っている。騎士として必要な力を振るい、相手を圧倒しているはずだった。
それなのに、目の前の少女は、まるで自分が何かを見落としているとでも言いたげだった。
「使命とか、そんなのを忘れる世界」
「何を言って……」
「やっぱりスカーレットさんは、重たいものを一人で持ちすぎてるよ」
アウレリアは聖剣を右手だけで構えた。
その姿勢には、余計な力みがない。
「あたしからしたら、息苦しくて生きにくい世界で頑張ってるよ」
スカーレットは目を見開いた。
息苦しい。
生きにくい。
その言葉が、胸の奥に引っかかった。
彼女にとって、人を救うことは呼吸をするのと同じだった。
誰かが困っているなら、手を差し伸べる。
誰かが傷つくなら、その身を盾にする。
ヴァーミリオンの騎士として、人々を守る。
それは使命であり、宿命だった。
そのために生きることを、疑ったことなどない。
自分が世界を救わなければならない。
その思いは、いつしか鎖のように彼女を縛っていた。
「でも、それが当たり前になったら、誰がスカーレットを救ってくれるの?」
「……っ」
答えられなかった。
そんなことを考える必要がないからだ。
救う側が救われることなど、ヴァーミリオンの騎士には必要ない。
「……ヴァーミリオンの騎士が、そんなことを考える必要はありません!」
スカーレットは言い切った。
自分に言い聞かせるように。
しかし、アウレリアは首を横に振る。
「あたしにとっては、肩書なんて、誰かがつけた単なる飾りよ」
「か、飾り!?」
思わず声が裏返った。
ヴァーミリオンの騎士は、ただの呼び名ではない。
人々を守るために存在し、その役割を果たすために力を振るう者だ。
その名を、飾りだと言い切る。
スカーレットには、理解できなかった。
「あたしが手を貸してもいいと思ったのは、ヴァーミリオンの何とかじゃなくて、スカーレット、あなた自身!」
その言葉が響いた瞬間。
優位に立っていたはずのスカーレットが、わずかに後ずさった。
自分自身。
肩書でも、使命でもない。
ただのスカーレット。
そんな自分に、手を貸すというのか。
アウレリアは、まっすぐにスカーレットを見つめていた。
「スカーレットの背には翼がある!それを使わないなんて、もったいない!」
その声に迷いはなかった。
「あたしが、スカーレットの可能性はそれだけじゃないと教えてあげる!」
アウレリアの視線が、スカーレットを射抜いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「か、飾りって……アウレリアがそれを言うのか?」
アウレリアの言葉を聞いたレオニスは、思わず顔を引きつらせた。
王国の勇者。
姫巫女フィデリアに選ばれ、聖剣を与えられた者。
その立場にいる本人が、肩書など単なる飾りだと言い切ったのだ。
自分を選んだ仕組みも、与えられた役割も、それだけで自分の在り方が決まるわけではない。
アウレリアの言葉は、そう告げているに等しかった。
「わかっていたつもりですが、いざ本人の口から聞かされると、何だか……」
イシュリアンも、戸惑いを隠せずにいた。
勇者と呼ばれることより、自分自身の意志を通すことを大切にする。
言葉にすれば単純だ。
だが、与えられた役割を疑い、そこから自分の答えを見つけることは、誰にでもできるわけではない。
「それも、一つの考えだということさ」
グラーディスは、二人とは対照的に落ち着いた声で言った。
「アウレリアは、スカーレットのすべてを否定したのではない。一石を投じただけだ」
スカーレットの主張は、間違っていない。
人々を守りたい。
苦しむ者がいるなら、手を差し伸べたい。
その願いは尊いものだ。
自分の身を顧みず、誰かのために力を振るうことは、決して簡単ではない。
だが、それだけでいいのか。
アウレリアが問いかけているのは、そこだった。
スカーレットは自分の意志で人々を守ろうとしているのか。
それとも、平和を維持するための装置として、与えられた役割を果たし続けているだけなのか。
宿命だから。
運命だから。
誰かが望んだから。
そうした理由を疑うことなく受け入れ、自分が何を望んでいるのかさえ考えない。
アウレリアには、それがひどく苦しそうに見えたのだろう。
しかし、スカーレット自身は気づいていない。
彼女の知る世界には、その生き方しかなかったのだから。
ならば、別の世界があることを知ればいい。
背に翼があるのなら、今いる場所に留まり続ける必要はない。
翼を広げ、まだ見ぬ場所へ飛び立てばいい。
そこには、今まで知らなかった何かがあるかもしれない。
「まあ、それが必ずしも良い結果につながるとは限りませんが」
レオニスは、小さく溜息をついた。
新しい場所へ進んだ先に何が待っているのか。それは誰にもわからない。
自由を得たからといって、幸せになれる保証はない。
自分で選んだ道が、正しいとも限らない。
未来は不確かだ。
だからこそ、アウレリアの考え方は危うくもある。
けれど――。
レオニスは、彼女ならどう答えるのかを考えた。
おそらく、難しい理屈など並べない。
困難があるからといって、飛ぶことを諦める理由にはならない。失敗したなら、休んで、また飛べばいい。
きっと、そんなふうに言うのだろう。
「そんじゃ、ゆっくり翼を休めて、また飛べばいいよ。飛べる限り、何度でもやればいい」
思い浮かんだ言葉に、レオニスは苦笑した。
いかにもアウレリアらしい。
未来の保証がないことを、彼女は知らないわけではない。
それでも、行動しなければ何もわからない。
自分で選び、進み、時には立ち止まりながら、何度でもやり直す。
アウレリアは、そうして自分の道を切り開いてきたのだ。
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