冥王との出会い
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「こっちです!」
子供は元気よく声を上げながら、勇者一行の前を走っていく。
その背中を追いながら、レオニスは改めて考えていた。
――冥王。
現在の魔王国において、最大勢力を誇る存在。
これまで聞かされてきた情報だけなら、巨大な軍勢を従え、強大な力によって周囲を支配している魔王を想像する。
(……と、聞いていたんだけど)
レオニスは、前を走る子供へ視線を向けた。
その子供が運んでいるのは、冥王への届け物。
つまり、この子供は冥王から何らかのお使いを頼まれている。
それは、これまで聞いてきた冥王の印象とは、あまりにもかけ離れていた。
権力。
支配。
強者と弱者。
そのどれとも結びつかない。
「こっちですよ!」
子供がさらに先へ進む。
その先に、ひとつの建物が見えてきた。
(まさか……あそこに向かっているのか?)
レオニスの胸に、嫌な予感とも期待ともつかない感覚が走った。
だが。
「ここです!」
子供が足を止め、建物を指差した。
「教会?」
アウレリアが、思わず声を漏らす。
そこにあったのは、教会だった。
しかし、豪華な装飾が施された大聖堂ではない。
街の中に普通に建っている、小さな教会。
壁の一部には剥がれた跡があり、その周囲は新しい材木や石を使って補修されている。
誰かが少しずつ手を入れながら、大切に使い続けている。
そんな建物だった。
「……ここが?」
グラーディスが、珍しく言葉を失う。
イシュリアンも、静かに教会を見つめていた。
レイラでさえ、わずかに眉を動かす。
魔王国における魔王とは、王。
あるいは豪族。
強者が弱者を守り、その代わりに弱者が強者へ奉仕する。
それが、極端な封建社会ともいえる魔王国の在り方だった。
ならば。
その頂点に立つ冥王の居場所が、なぜこのような教会なのか。
誰も、すぐには答えを出せなかった。
そんな中。
フィデリアだけが、じっと教会を見つめていた。
「フィデリア、どうしたの?」
アウレリアが尋ねる。
「……いえ」
フィデリアは小さく首を振った。
「少し、魔力が強い場所だと思っただけです」
「魔力が?」
「はい」
それ以上は語らない。
アウレリアも深く追及せず、教会へ視線を戻した。
「なら、行こうか」
そう言って、アウレリアが先頭に立つ。
教会の表門。
古びた木製の扉へ手を伸ばす。
そして――。
「たのもー!」
勢いよく、扉を開いた。
その瞬間。
(……本当に、冥王がいるのか?)
レオニスの疑問は、頂点に達していた。
原初の勇者レオンハルトが戦った冥王。
何度でも蘇ると語った存在。
その名を冠する者が、今、この教会の中にいるという。
だが。
目の前にあるのは、あまりにも普通の街。
そして、あまりにも普通の教会だった。
(……それとも)
レオニスは、静かに息を呑む。
(今の冥王は、あの冥王とは別人なのか?)
開かれた扉の向こう。
その先にいる存在へ向けて。
勇者一行は、ついに足を踏み入れようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
教会の中も、外から見た印象と変わらなかった。
質素だった。
派手な装飾もない。
高価そうな調度品もない。
ただ、長く使われてきた場所らしい温かみがあった。
「どちら様でしょうか?」
奥から、一人の修道女が姿を現した。
年若い女性だった。
小柄で細身。
長い髪を背中へ流し、黒を基調とした修道服の上から、青い軽装鎧を身につけている。
清楚な顔立ちに、青い瞳。
その表情は穏やかで、真面目だった。
腰には巨大な両手持ちの剣を携えている。
それだけを見れば、聖騎士と呼ぶほうが相応しい。
だが――。
彼女の手に握られていたのは、剣ではなかった。
バケツと雑巾だった。
「えっと……冥王……様っていう人?」
アウレリアが、確認するように修道女を見る。
修道女は、手にした雑巾を止めた。
「冥王?」
そして、小さく溜息をついた。
「私は冥王という名前ではなく、スカーレットと申します」
「冥王様!」
その瞬間だった。
先ほどの子供が、スカーレットのもとへ駆け寄ってくる。
「はい、冥王様!父さんが、包帯だから使ってって!」
「まあ」
スカーレットは受け取った荷物を確認し、穏やかに微笑んだ。
「ありがとう。ダンカンさんに、お礼を言っておいてください」
「うん!じゃあね、冥王様!」
子供は元気よく答える。
そして、そのままアウレリアたちの横を駆け抜けていった。
「…………」
「…………」
勇者一行の視線が、スカーレットへ集まる。
「あの……?」
アウレリアが困ったように首を傾げた。
「えーと……あれ?」
何をどう尋ねればいいのか分からない。
そんな様子を見て、スカーレットは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すいません。混乱させましたね」
「あの、どういうこと?」
「何故か、この街の皆さんが、私のことを『冥王』とおっしゃるのですよ」
スカーレットは困ったように眉を下げた。
「私も何度か違うと説明しているのですが……どうにも、分かっていただけなくて」
「……そうなんだ」
アウレリアも、困ったような顔になる。
「街の人たちが言うのを止めてくれないので、私も半ば受け入れていた状況なんです」
「なるほど……」
あまりにも普通の返答だった。
目の前にいるのは、魔王国最大勢力の頂点に立つ者には見えない。
むしろ、街の人々から頼られながら教会の掃除をしている、ただの修道女だった。
「では、この街で冥王と呼ばれているのは、スカーレットさん以外にいるのでしょうか?」
イシュリアンが尋ねる。
「いえ。そんなことはないような……。少なくとも、私は知りません」
スカーレットは丁寧に答えた。
そこに威圧感はない。
支配者らしい傲慢もない。
ただ、困惑している一人の女性がいるだけだった。
勇者一行が出会った冥王。
それは――。
魔王という言葉から想像される姿とは、あまりにもかけ離れていた。
普通の修道女。
それが、彼らの前にいる「冥王」だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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