冥王の街
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街が見えてきた。
緩やかな丘を越えた先。
そこには、周囲の町よりも一回り大きな街並みが広がっていた。
「……ここが、アウレリアの行きたかった場所の近くですね」
先頭を進んでいたレイラが、街の方角を指し示す。
「あれかぁ。結構大きな街みたいだね」
アウレリアが目を細めた。
街を囲む外壁。
その向こうに見える、いくつもの建物。
遠目からでも、かなり多くの人が暮らしていることが分かる。
そして。
「あっちにあるのは海だね」
アウレリアが、街の向こう側へ視線を向けた。
「久しぶりに見たよ」
「……海か」
グラーディスが足を止めるようにして、水平線を見つめる。
「……あれが、海ですか」
イシュリアンも同じだった。
王国は比較的内陸に位置している。
海は決して珍しいものではない。
だが、王国で暮らす二人にとって、これほど広大な海を間近に見る機会は多くなかった。
潮風が運んでくる、独特の匂い。
その先に広がる、どこまでも続く青。
二人はしばらく、その光景に目を奪われていた。
そんな中。
レオニスだけは、街を見つめたまま動かなかった。
(……冥王がいるかもしれない街)
胸の奥に、わずかな緊張が走る。
レオンハルトの記憶。
そこで見た冥王。
人の命を、まるで当然のように奪っていった異形。
そして。
最後に残した言葉。
(再び蘇る、と……)
あれは、本当に現在の冥王なのだろうか。
それとも。
同じ名を持つだけの、まったく別の存在なのか。
答えは、まだない。
街の外側を見ても、変わったところは何もない。
兵士の姿もある。
人々の姿も見える。
遠目では、平穏な街にしか見えなかった。
「……とりあえず、あの街に立ち寄るので良いよね?」
アウレリアの声が聞こえた。
振り返ると、彼女は仲間たちを見回している。
「異論はないな」
グラーディスが答える。
「そうですね。物品の補充も必要でしょう」
イシュリアンも頷いた。
「じゃあ、決まり!」
アウレリアが軽く笑う。
その隣では、フィデリアだけがまだ海を見ていた。
「海、気になるの?」
アウレリアが声をかける。
「……そうですね。はじめて見るもので」
フィデリアは、水平線から目を離さない。
「後で一緒に近くに行ってみる?」
「……そうですね。後で行きましょう」
「了!」
アウレリアが嬉しそうに答えた。
その穏やかな会話を聞きながらも。
レオニスの胸にある疑念だけは、消えなかった。
(……セレグナスの例もある)
レオンハルトの記憶で見た。
人間だった者が、冥王へと変わる瞬間を。
(すでに、この街の誰かの中にいるのか?)
それとも。
ただの考えすぎなのか。
街は何も知らないように、静かに彼らを迎えようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「到着!」
アウレリアの声が響いた。
一行は、ついに街の中へと足を踏み入れた。
しかし――。
「……普通だな」
グラーディスが、思わず呟いた。
街は、いたって普通だった。
いや。
これまで魔王国内で立ち寄った街と比べても、むしろ発展している。
道は綺麗に整備されている。
市場と居住区も整理され、道端にゴミが散らばっているようなこともない。
左手には市場。
右手には住宅街。
街路には獣人や亜人たちが行き交い、誰もが武器を抜くことなく、それぞれの日常を過ごしていた。
子供たちは元気に走り回っている。
店先からは商人たちの呼び声が聞こえる。
荷馬車が、ゆっくりと街路を進んでいく。
屋台には色とりどりの商品が並び、食べ物の香りまで漂っていた。
「特に普通に入れたな」
グラーディスが、少し拍子抜けしたように言う。
「ええ。特に通行税もありませんでした。今まで通った関所の方が高いくらいです」
イシュリアンも周囲を見回す。
事前に聞いていた情報。
ここは、冥王の支配領域。
そのため、一行は当然のように警戒していた。
だが。
何も起きない。
検問もない。
兵士が取り囲んでくることもない。
魔法による監視すら感じられない。
「私も初めて来ましたが……」
レイラまでが、街並みを見渡した。
「ここまで発展した街は、魔王国内でもなかなかありませんね」
冥王の配下。
そう聞いていた。
外では覇王と戦っているはずなのに、街の中には戦争の気配すらない。
軍隊が行き交うこともない。
怯えて暮らしている人々も、少なくとも目に入らない。
そこにあるのは。
当たり前のような、平穏な日常だった。
(……これが、冥王の街……なのか?)
レオニスは、困惑していた。
もっと異様な光景を想像していた。
もっと分かりやすい恐怖があると思っていた。
だが、目の前にあるのは普通の街だ。
「いい果物だね」
アウレリアが、露店の商品を覗き込んでいる。
「そうだろ、お嬢ちゃん」
店番をしていた初老の獣人が、嬉しそうに笑った。
「こっちのも甘いぞ」
「本当? じゃあ――」
「アウレリア。買い食いはほどほどにしてください」
「まだ買ってないでしょ!」
そんなやり取りまで聞こえてくる。
あまりにも、いつも通りだった。
「特に、こちらを探知している魔法などもありません」
イシュリアンが改めて確認する。
「……そうですか」
レオニスは短く答えた。
何もない。
警戒していた自分が、むしろ浮いているようにさえ感じる。
その時だった。
――ドン!
「わっ!」
小さな身体がグラーディスにぶつかった。
両手に荷物を抱えた子供が、勢いのまま尻餅をつきそうになる。
「ご、ごめんなさい!?」
「いや、大丈夫だ。怪我はないか?」
グラーディスが、すぐに身体を支える。
子供は何度か瞬きをすると、慌てて荷物を抱え直した。
「はい。怪我なんてないです」
「急いでいたのですか?」
イシュリアンが尋ねる。
「うん!」
子供は元気よく頷いた。
「冥王様にお届け物があったので、急いでたから」
「…………」
一瞬。
空気が止まった。
「冥王だって!?」
グラーディスが声を上げる。
平穏な街。
普通の暮らし。
その中心にいるように語られた、ひとつの名。
冥王。
勇者一行は、思いもよらない形で――その存在と接触する機会を得た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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