動き始めていた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……なので、ロウガは他の有象無象の輩と比較できません」
レイラは、そこで一度言葉を切った。
まるで――ここが一番大事なところだ、と言わんばかりに。
なぜか、目元を覆うバイザー越しでも、その表情が分かるような気がした。
「私の身体は、毛筋一本、爪の先までロウガに捧げるもの」
「私のすべては、ロウガのために使う」
「私の愛は、ロウガだけに向ければよいのです」
レオニスは、先ほどまでとは別の意味で背筋が寒くなった。
(……苛烈、と表現していいんだろうか……)
何より恐ろしいのは。
レイラ本人が、それを何の迷いもなく語っていることだった。
(……牙王ロウガ。本当に尊敬します)
事情を完全には理解していないフィデリアを除き。
勇者一行の全員が、ほぼ同じことを考えていた。
レイラは、ロウガの命を脅かす者に対しては、一切の容赦をしないだろう。
愛ゆえの冷酷さ。
それを発揮することは、容易に想像できた。
だが。
ロウガという存在がいる限り、レイラという魔王が大きく道を踏み外すこともないのだろう。
それほどまでに。
レイラは「愛」という情動によって、自分自身を律している。
「……レオニス」
「な、何でしょう、イシュリアン様?」
唐突に名前を呼ばれた。
振り向くと、イシュリアンがじっとこちらを見つめている。
「危険です」
「……はい?」
「レオニスには、こういうことがないように、後で強力な護符を作ります」
「は、はい。ありがとうございます」
レオニス自身、今回の経験で痛感していた。
魔法に対する備えが、自分には足りない。
あれほど容易く精神へ干渉される可能性があるのなら、何らかの対策は必要だった。
「えっと……何か?」
「……」
それでも。
イシュリアンは、なおもレオニスを見つめている。
その視線に、レオニスは戸惑った。
「それと、レオニスには魔法抵抗の訓練もしてもらいます」
「え? 何で?」
「今後、幻惑などの罠にかからないような基礎訓練は必要です!」
いつも以上に力のこもった声だった。
その表情も、どこか不満そうだ。
まるで――それでは困る、とでも言いたげだった。
やがて、イシュリアンはふいに視線を外した。
そして。
指先で、レオニスの袖をそっとつまむ。
「……特に、魅了などという類のものは……駄目です」
「は、はい」
何故そこまで念を押されるのか。
レオニスには、よく分からなかった。
ただ。
その言葉に反論する理由もなく。
レオニスは、素直に頷くしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
荒野。
人の気配は、どこにもない。
街道からも遠く離れた、獣すら滅多に足を踏み入れない場所だった。
そこに残されていたのは、激しい戦いの跡。
大地には無数の傷が刻まれ、その中心には二つの氷像が立っている。
牙王ロウガの《凍結牙》によって、氷漬けにされた死王ノクスと、死王レヴェナントだった。
それは、ただの氷ではない。
二人の身体を完全に封じ込め、身動き一つ許さない。
そんな荒野へ。
一人の人物が、静かに姿を現した。
全身を黒いローブで包み、長いマントを引きずっている。
顔も、姿も、よく見えない。
ただ、その人物が歩みを止めた瞬間。
足元から、黒い影が広がった。
地面を這うように伸びた影は、氷像となったノクスとレヴェナントを飲み込んでいく。
そして――。
影の中から、二つの影がせり上がった。
氷は消えている。
ノクスとレヴェナントは、黒ローブの人物の前に立っていた。
だが、その姿勢は戦闘時とはまるで違う。
二人とも、主人の前に控える従者のように身を低くしている。
「……冥王様から離れられない私に、足を運ばせるとは」
黒ローブの人物の声は、淡々としていた。
「失態だな」
レヴェナントは何も答えない。
そもそも、彼には言葉がない。
ただ、ノクスだけが仮面の奥で僅かに身体を動かした。
「ああ、困っていたんだ……助か――」
その瞬間。
――ズンッ!
黒い影から、何かが伸びた。
鋭い鏃だった。
一瞬だった。
ノクスとレヴェナントの身体が、同時に貫かれる。
「ギヤァァァァァッ!!!」
ノクスの絶叫が、誰もいない荒野に響き渡った。
声の出せないレヴェナントは、ただ痛みから逃れたいように暴れ続ける。
これまで痛みなど感じなかった。
だからこそ、その苦痛は二人にとって未知だった。
黒ローブの人物は、何も変わらない。
表情も。
声も。
そこに込められた感情も。
「……罰として、痛みを与える」
淡々と告げる。
「しばしの間、存分に苦しめ」
やがて、鏃が消えた。
二人の身体が地面へと崩れ落ちる。
黒ローブの人物は、それを見下ろしていた。
「……すべては、冥王様のために」
ノクスは苦痛に震えながらも、顔を上げる。
レヴェナントもまた、ゆっくりと身体を起こした。
「……お前たちの役目は、それ以上、それ以下でもない」
声に温度はない。
「いや」
一拍。
「それだけが、許されている」
「……はい。そのとおりです」
ノクスが答えた。
レヴェナントも、静かに頭を垂れる。
二人は再び、主人に仕える者としての姿勢を取った。
そして。
黒ローブの人物もまた、同じように頭を垂れる。
「……すべては、冥王様のために」
「……すべては、冥王様のために」
「……………………………………」
声が、荒野に重なった。
勇者一行だけではない。
覇王だけでもない。
それぞれが、それぞれの理由で動き始めている。
そして――。
冥王もまた、動き始めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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