麗王の力
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巡礼の地を目指し、アウレリアたちは森の中を進んでいた。
木々の隙間から差し込む陽光が、細長い影を地面へ落としている。
その道の半ばだった。
先頭を歩いていたレイラが、唐突に足を止めた。
「……」
その瞬間だった。
アウレリア、グラーディス、イシュリアンの三人が、一斉に身構える。
手が、それぞれの武器へ伸びた。
周囲を見渡す。
何かいる。
だが、姿は見えない。
気配だけが、森の奥に潜んでいた。
(……敵か?)
レオニスも緊張を覚えた。
しかし、彼は戦うためではなく、いつものようにフィデリアの側へ移動する。
そして森の奥へ向けて、静かに声を投げた。
「気配を消すつもりもないのなら、素直に出てくればよいのでは?」
返事はない。
「我々は、そちらが何もしないのなら抗戦の意思はありません」
その言葉に続くように、レイラが口を開いた。
「――警告します」
静かな声だった。
それでも、森全体に響く。
「私はロウガに依頼され、この者たちを案内しています。あなた方に敵対する意思はありません」
レイラだけは、まだ武器へ手を伸ばしていない。
黒いバイザーの向こうから、森の奥を見据えている。
「知らずに魔王国の有力者を傷つけられても、ロウガにとっては迷惑でしょう。ですから、ここは互いに争わずに済ませることを提案します」
アウレリアが警告するよりも、レイラの言葉の方が効果的だった。
彼女は人狼族の長。
そして、この魔王国の内情にも詳しい。
だからこそ、相手も無用な衝突を避ける可能性がある。
――そのはずだった。
やがて、森の奥から獣人たちが姿を現した。
その先頭に立っていたのは、巨大な虎頭の獣人だった。
手には一本の槍。
「……麗王レイラとお見受けする」
「そうですが」
「私は斑王ベイガーと申します」
「……存じ上げない名前ですね。こちらの無知を謝罪します」
「ははっ。新進気鋭の売り出し中、といったところですよ」
ベイガーは喉の奥で笑った。
「これからですよ。私の名を知るのは」
そして、槍の石突きを地面へ置く。
「ここは冥王様の支配領域。それは、当然ご存じでしょう?」
「勿論、存じています」
レイラは淡々と答えた。
「私は彼らの依頼を受け、とある町まで案内している最中です。冥王と敵対するつもりはありません」
「おや?」
ベイガーが目を細める。
「人狼族の本来の長である牙王ロウガは、覇王の元で冥王様と戦っていると聞いていますが?」
「……」
レイラは答えなかった。
それを見て、ベイガーは口元を歪める。
「……ふむ。困ったな」
そして、何でもないことのように続けた。
「古い連中は、牙王ロウガには手を出すなと言っておりましたが――所詮は伝統だけの話ですな」
その言葉に、レイラの周囲だけが静かになった。
「血統を誇る古い魔王。だが、覇王に下った。それが何よりの証拠でしょう」
「……何ですって」
声を上げたのはレイラだった。
レオニスは、その瞬間に気づいた。
先ほどまで自分たちが向けていた警戒が、いつの間にか変わっている。
アウレリアも。
グラーディスも。
イシュリアンも。
視線の先にいるのは、ベイガーではない。
――レイラだった。
「……もう一度、言ってごらんなさいな」
レイラが微笑む。
だが、その声には温度がなかった。
ベイガーは、その変化に気づかない。
「勿論ですとも」
虎頭の獣人は笑った。
「牙王と名乗っているが、牙など存在しない。伝統だけの、古い名前だけの魔王だ」
その瞬間。
森の空気が、変わった。
ベイガーはまだ知らない。
自分が今――何者の逆鱗に触れたのかを。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……そうです」
レイラは、口元に妖艶な笑みを浮かべた。
そして、顔だけをアウレリアたちへ向ける。
「……アウレリア。これは魔王国の問題です。私がすべて解決するので、手出し無用です」
「……そ、そうね」
アウレリアが、珍しく引きつった表情を見せた。
そして素直に一歩、下がる。
(いや、絶対に魔王国の問題じゃなく、個人の感情全振りだ)
レオニスは、そう思った。
だが、それ以上に気になるものがあった。
レイラから感じる、妙な気配。
殺気とは違う。
威圧感とも違う。
ただ、そこにいるだけで意識を引き寄せられるような――。
「さて、ベイガー」
レイラが再び、虎頭の獣人へ向き直った。
「貴方に興味を持ちました。もう少し会話をしましょうか?」
「……それは光栄ですな」
「では、ベイガー。お前から見て、冥王はどのような人物ですか?」
「……冥王?」
ベイガーは、少しだけ首を傾げた。
「特に存じませんよ。会ったこともありません」
「冥王に会ったこともないのに、冥王の配下を名乗るのですか?」
「ええ」
ベイガーは悪びれもせず答えた。
「冥王配下の死王ノクスと名乗る道化が言ったのですよ。今の魔王国に不満があるのであれば、変えればいい。最初は冥王の名を使っても、いずれ力をつけて取って代わればいい――と」
そして、胸を張る。
「それこそが、魔王国の道理でしょう」
「なるほど」
レイラは小さく頷いた。
「ベイガー。お前は野心のある、才能ある男だということですね」
「お褒めいただき、光栄ですよ」
ベイガーは笑った。
「〝麗王レイラ様〟。そのように自負しておりますのでね」
「そうですか」
レイラも微笑む。
その会話を聞きながら、レオニスは眉を寄せた。
(……麗王レイラ様?)
なぜだろう。
その呼び方が、妙に引っかかった。
何かがおかしい。
ベイガーは、先ほどまでレイラを侮っていた。
それなのに今は、まるで――。
(どうして……)
考える。
考えようとする。
だが。
考えれば考えるほど、違和感が薄れていく。
何が気になっていたのかさえ、曖昧になっていく。
(こっちを見てくれないんだろう……)
そんな考えが浮かんだ。
(視線が欲しいのに……)
――あれ?
なんだ、これ。
レオニスの思考が、ゆっくりと別の方向へ流れていく。
「……ぎゃっ!?」
突然、腕に走った痛みに、レオニスは小さな悲鳴を上げた。
意識が、一気に現実へ引き戻される。
「……い、痛っ……」
見れば、イシュリアンが頬を膨らませていた。
細い指が、レオニスの腕をしっかりと抓っている。
「レオニス。抵抗魔法をかけます」
「……あの、いったい何が?」
「……麗王レイラ」
イシュリアンは、レイラを睨むように見つめていた。
「あの方も忘れそうですが、魔王だと言うことです」
「……!」
レオニスの目が見開かれる。
そうだ。
目の前にいるのは、ただのレイラではない。
魔王。
魔王国を支配する存在の一角だ。
その事実を、なぜか忘れかけていた。
レオニスは、ベイガーたちへ視線を戻す。
彼らは、もう戦おうとしていなかった。
むしろ――。
レイラに、もっと話を聞いてほしそうにしている。
その姿は、酒に酔い、誰かに話を聞いてもらいたがっている者たちにも見えた。
だが、本人たちは気づいていない。
自分たちが、いつからこうなったのかすら。
これこそが。
麗王レイラという魔王の、片鱗だった。
そしてベイガーたちは、その異常さに気づくことすらできていなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




