旅の記録(終)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……アウレリア……」
レオンハルトの前に、ひとりの少女が立っていた。
アウレリア。
かつて彼を救った少女だ。
だが、その隣にはもう一人いる。
レオンハルトの知らない男だった。
(……ヴァルド!?)
レオニスは、その男の名を知っていた。
帝國最強の男。
アウレリアが師と仰ぐ人物。
なぜ、その二人がここにいるのか。
レオニスには理解できなかった。
ただ、ヴァルドは静かにレオンハルトを見つめていた。
「……選定者ではない者が、選定の力を僅かながらに与えられたのか」
その言葉が、何を意味するのか。
レオニスには分からない。
ヴァルドは続けた。
「……貴公にとって望んだ結果とはいえ、これはきっかけにすぎない」
「……この呪いを吸い、浄化し、大地に再び清浄を戻す役目を、自分自身で誓約してしまったことになる」
大地に広がる黒い呪い。
それを黄金の聖剣から生まれた樹が、少しずつ吸い上げている。
「これから、いつ終わるとも知れない長い旅を始め、世界にそれだけのために存在し続ける」
「自らの意思では、もう降りることのできない果てを目指す苦行と表現してもよい」
ヴァルドの声に、感情はほとんどなかった。
だからこそ、その言葉は重かった。
「それは、人にとって耐えきれるものではない……」
そう言って、ヴァルドは剣を抜いた。
漆黒の聖剣。
「これは慈悲ではない」
静かに、ヴァルドは告げる。
「……最終選択だ」
黒い切っ先が、レオンハルトへ向けられた。
「もし、僅かでも後悔があるならば、私が貴公を消そう」
「脆弱な覚悟の者に、世界の方向を決めさせるわけにはいかんのでな」
レオンハルトは、黙ってその剣を見つめた。
「お前たちが誰で、何者かということを問うつもりはない」
そして――アウレリアを見る。
「アウレリア、すまぬ……」
「……」
「君に今までの“心”と“記憶”を渡す」
レオンハルトは、わずかに俯いた。
「もしシャルバートに会うことがあれば、伝えてくれ」
ほんの一瞬。
声が揺れた。
「――『ありがとう』と」
それが、最後だった。
「これで俺は人を捨てる」
レオンハルトは、静かに告げる。
「そして……俺は、果てしない旅を始めるよ」
レオニスは、その姿を見つめていた。
今までのように、場面が切り替わることはなかった。
ただ、レオンハルトだけが遠ざかっていく。
立っている場所は同じはずなのに。
まるで世界そのものが、彼を遠ざけているようだった。
やがて、その姿は小さくなっていく。
声も。
気配も。
そして――記憶さえも。
レオニスの前から、急速に消えていった。
原初の勇者。
レオンハルト。
その人間としての旅は、ここで終わった。
そして彼は、自ら選んだ新たな旅へと進んでいった。
いつ終わるとも知れない、永き旅へ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
静寂が戻っていた。
巨大な樹王の前に、ヴァルドが一人で立っている。
アウレリアたちは、まだ目を覚ましていない。
フィデリアも同じだった。
そして、レオニスも。
彼はいまだ、レオンハルトの記憶の中にいる。
その時だった。
――キィン。
唐突に、甲高い音が響いた。
何かが弾けたような。
あるいは、遠くで鐘を鳴らしたような音だった。
直後。
樹王の根元に広がる湖へ、波紋が走った。
ひとつ。
ふたつ。
やがて幾重もの波が、水面を揺らしていく。
そして――湖の底から、何かが浮かび上がった。
水面を割る。
濡れた装甲が、月明かりを受けて鈍く輝いた。
騎士だった。
全身を鎧で覆っている。
その姿をレオニスが見ていたなら、言葉を失っていただろう。
なぜなら。
それは、レオンハルトが冥王との最終決戦で身につけていたものと、同じ装束だったからだ。
騎士は何も語らない。
湖面を歩く。
一歩。
また一歩。
ヴァルドの前まで来ると、そのまま横を通り過ぎていく。
ヴァルドは止めなかった。
ただ、静かにその背中を見送っている。
そして騎士は――足を止めた。
視線の先にいたのは、フィデリアだった。
「彼女に手を出すことは許さん」
ヴァルドの声が響く。
「同時に、彼らに手を出すこともだ」
騎士は答えなかった。
ただ一度だけ、フィデリアへ視線を向ける。
それから、再び歩き出した。
水面を渡り。
禁奈備の外へ。
その姿は、闇の向こうへ消えていった。
ヴァルドは追わない。
引き止めることもしない。
――その直後だった。
「……ん……」
フィデリアが目を開けた。
まるで、今この瞬間を待っていたかのように。
「ヴァルド?」
身体を起こしたフィデリアは、ただ一人立っているヴァルドを見る。
ヴァルドは振り返った。
「……フィデリアよ」
淡々とした声だった。
「試しの時は近い」
「……?」
突然の言葉に、フィデリアは目を瞬かせる。
だが、ヴァルドは構わず続けた。
「“第二の巡礼の地”の位置を教える」
「そこに、選んだ者たちを導きたまえ」
「それが君の役割だ」
告げられた言葉には、迷いがなかった。
相談でもない。
提案でもない。
まるで、既に定められた事実を伝えているようだった。
フィデリアは黙ってヴァルドを見つめる。
やがて、彼女の前に次なる巡礼の地が示された。
そこに何が待っているのか。
フィデリアは、まだ知らない。
そして――。
次の巡礼が、何を試すものなのかも。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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