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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
勇者の旅編
192/235

旅の記録(24)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



大地の底から、黒いものが滲み出ていた。


それは煙にも、液体にも見えない。


ただ、そこにあるだけで周囲の空気を歪ませている。


シャルバートは、それを見つめていた。


「……しかし、これは……すさまじい力です」


穏やかな声だった。


だが、その表情には隠しきれない緊張が浮かんでいる。


「今は大地が封じてくれていますが、長くは抑えられないでしょう」


地面の奥。


冥王が残した呪いは、未だ消えてはいなかった。


むしろ、少しずつ外へ滲み出している。


「これが解き放たれたら、その時は……」


シャルバートは、そこで言葉を止めた。


その先を口にする必要はなかった。


「シャルバート姉様でも、駄目なのですか?」


テレサが問う。


返事はない。


それは、肯定と同じだった。


テレサの知る限り、シャルバートは至高とも言える力を持つ存在だった。


その姉が、何もできない。


その事実が、何よりも重かった。


「テレサ」


やがて、シャルバートが口を開く。


「王国へ帰りなさい。そして、帝国の皇妃に助力を願いなさい」


「そんな!」


「あなたは、先ほど冥王と戦い続けると誓ったばかりでしょう」


シャルバートは、静かに妹を見る。


「その責任を取りなさい」


「シャルバート姉様は、どうなさるのですか!」


「……私も責任を取ります」


シャルバートの視線が上へ向く。


未だ宙に浮かぶ、あの少女へ。


「……あの力を使います」


そう言って、シャルバートはレオンハルトへ向き直った。


「……レオンハルト。私に聖剣を渡してください」


その声には、申し訳なさが滲んでいた。


だが。


レオンハルトは、静かに首を横へ振った。


「……駄目だ」


「……レオンハルト」


「……その役目は、俺がやる」


シャルバートの目が見開かれる。


レオンハルトは、手にした聖剣を見下ろした。


「それに、聖剣は物我一体だ」


そして、まっすぐシャルバートを見る。


「俺でなければ、十全には使えない。君が教えてくれたことだ」


その言葉には迷いがなかった。


「俺にしかできない」


レオンハルトは聖剣を握り直す。


「力に対する責任を、取らせてほしい」


声は穏やかだった。


「罪を償うとか、自暴自棄ではない」


一度、言葉を切る。


そして――。


「……何より俺は、君のために何かをしたい」


それは、飾りのない言葉だった。


心の底から。


レオンハルトは、そう思っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



レオンハルトは、その場に残った。


辺りには、もう誰もいない。


残っているのは、レオンハルトと――あの少女だけだった。


『……聞こえますか、レオンハルト』


耳元から、シャルバートの声が届く。


「……ああ。良好だ」


シャルバートが託したのは、通信用の魔法道具だった。


もともとは、アウレリアとの連絡に使っていたものらしい。


それを今、レオンハルトへ渡したのだ。


『……結果がどうなるかは、分かりません』


シャルバートの声が、わずかに震える。


『ですから、限界まで離れてください』


「……分かった」


『必ず、です』


レオンハルトは、静かに少女を見た。


「……俺の勘だが、君にはまだやることがあるはずだ」


そうシャルバートにレオンハルトは告げる。


シャルバートは答えない。


レオンハルトは目の前の少女に目を向ける。


ただ、レオンハルトを見ている。


その光景を、レオニスも見つめていた。


(……当たっているよ)


心の中で、レオニスは呟く。


シャルバートは、これから多くの人々を救う。


そして、魔王国という国の礎を築いていく。


自らの命を使いながら、それでも一人の人間として人生を全うする。


(……覇王から聞いた話では、その理由までは語られなかった)


だが、おそらく。


(……レオンハルトが、影響を与えたんだ)


二人の出会いは、決してこの場だけで終わるものではない。


その後の歴史へ、確かな波紋を残している。


(……そして、これから見ることになる)


レオニスは息を呑む。


(……レオンハルトの物語の結末を)


『……レオンハルト』


シャルバートの声が、再び響いた。


『……もし、貴方ともっと早く出会えていたら……』


「…………」


レオンハルトは、何も答えない。


『……埒もないことを言いました』


しばしの沈黙。


『……ご武運を』


「……ああ」


通信が途切れる。


レオンハルトは、少女へ向き直った。


少女はレオンハルトを見下ろしている。


そして、レオンハルトもまた少女を見上げていた。


その視線は、これまでとは違っていた。


正面から。


何かを試すように。


何かを見極めるように。


(……何だ、これは)


レオニスには、その視線の意味が分からない。


(……何を見ている……?)


少女は何も語らない。


レオンハルトも、何も語らない。


ただ二人の間に、奇妙な緊張だけが張り詰めていく。


そして――。


レオンハルトが、右手を上げた。


手にしていた聖剣を、天へ掲げる。


それに応じるように。


少女もまた、小さな手をレオンハルトへ翳した。


瞬間だった。


――キィン。


甲高い音が響く。


聖剣に、亀裂が走った。


「……!」


レオニスが息を呑む。


亀裂は一瞬で刀身全体へ広がった。


そして――。


――パァンッ!


聖剣が、砕け散った。


光の欠片となって、空中へ消えていく。


(……馬鹿な……!)


レオニスの胸に衝撃が走る。


見覚えのある光景だった。


あの時と同じ。


セシルの聖剣が砕かれた時と。


まったく同じだった。


レオンハルトは、動かない。


少女も、動かない。


ただ、レオニスの目の前で――。


聖剣は再び、失われた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



レオニスの目の前で、聖剣は失われた。


(……レオンハルトも、消えるのか……?)


セシルの時と同じなのだろうか。


あの少女によって聖剣を砕かれれば、持ち主もまた消える。


そう思った、その瞬間だった。


(……な!?)


異変が起きた。


レオンハルトの視線の先にいた少女の姿が、薄れていく。


輪郭が光に溶ける。


そして――。


消滅した。


「…………」


レオニスは言葉を失った。


だが、それだけでは終わらない。


少女が消えた場所から、一筋の光が生まれた。


光はレオンハルトの右手へ集まっていく。


そして。


――黄金の刀身が、そこに現れた。


眩い光を放つ、黄金の聖剣。


それは、これまでレオンハルトが手にしていた聖剣とは明らかに違っていた。


(……これは、いったい……何事だ!?)


セシルの時とは、結果が違う。


聖剣が消滅した。


少女も消えた。


その代わりに、新たな聖剣が生まれた。


(……レオンハルト。あんたは、一体何をしたんだ?)


レオニスには分からない。


何より、今のレオニスにはレオンハルトの心の声が聞こえなかった。


だから、何を考えているのかも分からない。


ただ――。


黄金の聖剣から、音がした。


――トックン。


一度だけ。


まるで、心臓が鼓動したような音。


レオンハルトは迷わなかった。


黄金の聖剣を、地面へ突き刺す。


「……」


何かを呟いている。


聖剣の力を引き出すための聖句なのだろう。


だが、その声もレオニスには届かない。


レオンハルトは、ゆっくりと柄から手を離した。


(……まさか……これは……!?)


次の瞬間。


聖剣から溢れた黄金の光が、大地へ広がった。


地面を覆い。


壁を伝い。


遥か天井へと伸びていく。


光の柱。


その中心から――何かが生えてきた。


枝だった。


一本。


二本。


それは瞬く間に数を増やしていく。


枝は絡み合い、広がり、空間そのものを覆っていった。


やがて。


光の中に、一本の樹が生まれた。


(……“樹王”……なのか)


レオニスは、その姿を見つめる。


巨大な樹。


その根は大地へ伸び、枝は天へ広がっている。


そして、その樹が生まれた瞬間から――変化が始まった。


大地に残されていた、冥王の呪い。


黒い染みが、少しずつ樹へ吸い込まれていく。


(……冥王の呪いを、糧に育っている……というのか?)


レオニスの目には、そう見えた。


黒い呪いが、樹へ吸収されていく。


その色が、徐々に薄くなる。


やがて黒は灰へ。


灰は白へ。


そして――。


透明な水のような輝きへと変わっていく。


まるで、汚れた大地そのものが洗い流されているようだった。


浄化。


そうとしか、表現できない。


「……ぐっ」


その時。


レオンハルトの身体が揺れた。


力が抜ける。


両膝が、地面へ落ちた。


それでも彼は、黄金の聖剣と生まれたばかりの樹を見上げている。


そんなレオンハルトの前に――。


いつの間にか、誰かが立っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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