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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
勇者の旅編
191/235

旅の記録(23)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



レオンハルトは、何も言わなかった。


ただ聖剣を握りしめたまま、静かに冥王を見つめている。


その足元から――一本の亀裂が走った。


一直線だった。


冥王の真下から、大地を裂きながら伸びていく。


冥王は逃げない。


いや。


逃げることすら、できなかった。


直後。


もう一本の亀裂が、大地を横切った。


地面が大きく割れる。


二本の亀裂が交差する。


巨大な十字。


その中心に、冥王がいる。


「……お前にくれてやる。死の十字架だ」


レオンハルトが呟いた。


すると、大地がさらに沈んだ。


十字に走った亀裂が、深く、深く沈んでいく。


それはもはや裂け目ではない。


冥王を地の底へ呑み込む、巨大な顎だった。


これこそが、レオンハルトの手にした聖剣の本質。


敵を斬るのではない。


逃げられる場所そのものを消し去る。


大地そのものを剣へと変える。


「……聖剣――」


レオンハルトが、聖剣を構えた。


「断罪・十字断裂!」


瞬間。


大地が、牙を剥いた。


冥王の身体が十字の裂け目へと引きずり込まれる。


抵抗する。


しかし、逃げ場はない。


直後。


十字の裂け目が、ゆっくりと閉じ始めた。


『……グオァァァァァァァァァ!?』


冥王の絶叫が、大地を震わせる。


まるで巨大な万力に挟まれたかのように、その身体が地面によって圧し潰されていく。


「……」


レオンハルトは、何も言わなかった。


何も感じなかった。


ただ。


ようやく終わる。


ようやく、冥王を葬ることができる。


そう確信した。


なのに――。


その光景は、ひどく殺風景だった。


十字に裂けた大地。


押し潰される冥王。


そして、それを見つめる自分。


そこにあるのは、ただそれだけだった。


まるで――。


意味のない風景そのもの。


その感情が、レオニスへと流れ込んでくる。


復讐を果たす。


それだけを求めて、ここまで来た。


それなのに。


その先にあったものは、何もなかった。


その時だった。


『……レオンハルト!』


「……っ」


レオンハルトの身体が、初めて大きく揺れた。


聞き間違えるはずがない。


忘れるはずがない。


かつて、共に戦った友。


そして――自らの前に立ちはだかった男。


冥王の身体から聞こえたのは。


確かに。


あの男――セレグナスの声だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



『……レオンハルト!』


「……セレグナス!」


今度は、幻ではなかった。


確かに聞こえた。


大地の底から。


かつて共に戦った、友の声が。


レオンハルトは、身体を引きずるようにして十字の裂け目を覗き込んだ。


『……俺は、お前が憎い!』


声が響く。


『お前がいたから、リオネーラは……!』


レオンハルトの身体が止まった。


『……彼女は俺のものだった!』


『それなのに、お前がいたから……リオネーラの心は、俺だけのものにはならなかった!』


それは、セレグナスが隠していた感情だった。


憎悪。


嫉妬。


そして、愛情。


レオンハルトが知らなかった真実だった。


リオネーラは高位の神官の娘だった。


そしてセレグナスもまた、神官の家系に生まれた男だった。


二人の婚約は、親同士。


いや。


血統同士によって決められたものだった。


今の時代では、珍しいことではない。


もともとリオネーラを愛していたセレグナスは、その婚約を心から喜んだ。


だが――。


婚約を受け入れたリオネーラは、喜んではいなかった。


そこには、迷いがあった。


セレグナスは、その理由にすぐ気づいた。


そして婚約した後も。


リオネーラは、一人でレオンハルトに会いに行った。


『……お前に未練があったんだ!』


『リオネーラは、俺を心から愛してくれなかった!』


叫び声が、大地の底から響き続ける。


『だから俺は、冥王を受け入れた!』


『この世界は間違っている!』


『……そんな世界なら――』


『滅びてしまえ!』


「…………」


レオンハルトの目の前が、血の色に染まったように感じられた。


――俺のせいだったと言うのか。


――すべて、俺が悪いからこうなったと言うのか。


――俺が、すべての元凶だと言うのなら。


――俺は、どうすればよかった?


答えがあるのなら。


答えてみろ。


その声が、レオニスにははっきり聞こえた。


今まで聞こえなかった、レオンハルトの心の声だった。


冥王という悪を討った、その先。


待っていたのは、勝利の歓喜ではなかった。


理不尽な罵倒だった。


それでも。


レオンハルトは声を絞り出す。


「……俺を憎みたいのなら、気の済むまで恨め」


静かな声だった。


「……だが、お前のやったことは、紛れもない悪だ」


仮面の奥で、涙が流れた。


「……だから滅びろ」


「……気にせず、地獄へ行け。セレグナス」


一度、言葉を切る。


「……お前の言う通りなら、俺の行く先も地獄だ」


「……お互い、リオネーラには逢えないだろう」


「……彼女は、もう俺たちに微笑んではくれないだろう」


そして――。


レオンハルトの目の前で。


大地の十字架が、完全に閉じた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……レオンハルト」


静まり返った大地に、シャルバートの声が響いた。


レオンハルトは振り返る。


彼女は、少し離れた場所に立っていた。


「……君には感謝している」


レオンハルトの手には、まだ聖剣が残っている。


「すべて、君が与えてくれた」


聖剣を見つめる。


それは、命を燃やしてまで冥王へ挑むために与えられた力だった。


「……砕け、滅びるなら、それで構わんと思っていた」


声に悔いはなかった。


「……だが、どのみち終わりだな」


レオンハルトは、自らの身体を見下ろした。


継ぎ接ぎだらけの身体。


冥王との戦いで失った手足。


もう、人間だった頃の姿には戻れない。


「……この仮初の命も、長くはないだろう」


そして、静かにシャルバートを見る。


「……どうせ消える命だ」


「俺に、何かできることはあるか?」


シャルバートは、しばらく黙っていた。


やがて、小さく首を横に振る。


「……何も、ありません……」


「……そうか」


レオンハルトは目を伏せた。


「……未練だったな」


その言葉には、ほんの少しだけ残念そうな響きがあった。


だが――。


『……見事なものだ!レオンハルトとやら!』


「……!?」


空気が震えた。


「……冥王!?」


姿はない。


それでも、その声だけははっきりと聞こえた。


『……何も得られなかった男よ』


『余から褒美をやろう』


『余は、この世界よりしばらく去る』


「……何!?」


『そして、余が舞い戻るまで――』


大地の底から、黒い何かが滲み出した。


『死の呪いをくれてやろう』


『次に余が舞い戻るまで、世界は苦しむ』


『多くの者が死ぬだろう』


「……貴様――っ!」


『しかし、残念だ』


冥王の声が、愉快そうに響く。


『勝者となったお前の顔を、もう見られないとはな』


笑い声が、大地に木霊した。


その時だった。


「……ならば」


テレサが、一歩前へ出た。


「お前は、私たちの永劫の敵だ!」


冥王の笑いが止まる。


「……お前が何度蘇っても、私は勇者をその度に送り込む!」


小さな身体で、テレサは冥王へ言い放った。


「勇者は滅びない!」


「何度でも、蘇る!」


『……ほう』


冥王は、嘲笑うように答えた。


『しばしの別れだ!』


『余は何度でも蘇る!』


そして――。


声が消えた。


「…………」


残された者たちは、誰も言葉を発しなかった。


レオニスは、その光景を見つめていた。


歴史の始まり。


勇者と冥王。


繰り返される戦い。


その最初の一歩が、今ここに刻まれた。


(これが……勇者の儀の、はじまりなのか)


レオニスは、まだすべてを理解していたわけではない。


それでも。


ひとつだけ、確かに辿り着いた。


後世に語り継がれる、勇者と冥王の因縁。


その歴史は――。


この場所から、始まったのだ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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