旅の記録(19)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……行くぞ、冥王!」
レオンハルトは、真正面から冥王へ駆けた。
小細工は、いらない。
フェイントも。
駆け引きも。
冥王は、レオンハルトの聖剣を恐れていない。
ならば、わざわざ意識を逸らす必要などなかった。
一歩。
また一歩。
半歩。
一センチ。
一ミリ。
ただひたすらに、距離を詰める。
――零へ。
冥王へ近づけば近づくほど、聖剣の力は増す。
ならば、やることは一つだった。
必殺の一撃を、最も近い場所から叩き込む。
『くくっ』
冥王が、小さく笑った。
次の瞬間。
無数の焔が鞭となって、レオンハルトへ襲いかかった。
(……レオンハルト、貴方という人は……)
レオニスには、それが恐ろしく見えた。
普通ならば、避ける。
大きく距離を取り、攻撃の軌道を見極め、隙を探す。
だが、レオンハルトは違った。
避けられる攻撃だけを避けるのではない。
――受けても構わない。
そう決めている。
紙一重で致命傷だけを避けようともしていない。
ただ、前へ進む。
その結果として、奇跡のように致命傷だけが外れていく。
「……!」
炎の鞭が迫る。
レオンハルトは、残された左手を振るった。
避けきれない一撃を、力任せに叩き落とす。
轟音。
炎が弾けた。
同時に――左腕が消し飛んだ。
それでも。
レオンハルトは止まらない。
血を流すことすら意に介さず、ただ冥王へ向かって歩く。
(……どこに、こんな力があるんだ……)
レオニスには分からなかった。
あれほどの傷を負って。
あれほどの肉体を失って。
それでも、前へ進める理由が。
(……これが、命を賭けた時の人間の力なのか……)
レオンハルトの身体は、すでに人間のものとは呼べない。
失われた肉体を、別の誰かの身体で補った。
ツギハギだらけの、生きた屍。
それでも。
その中には、確かに一つの命がある。
「……さらばだ」
レオンハルトは、静かに呟いた。
「俺も、事が済めば逝く」
その言葉に迷いはなかった。
自分の命を惜しまない。
だからこそ、今だけは命そのものを燃やし尽くして前へ進む。
レオニスは、同じ視界を共有していた。
そして、初めて理解する。
ツギハギの肉体でも。
仮初めの聖剣でも。
この男の中にあるものだけは、偽物ではない。
(……そして、これが――原初の勇者)
レオンハルトは、なおも冥王へ進む。
その姿を見て、レオニスは心の底から思った。
――この男は、勇者なのだ。
そして同時に。
レオニスは、初めてレオンハルトという一人の人間を、心から尊敬した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして――。
レオンハルトは、ついに冥王の懐へ入り込んだ。
逃げ道はない。
冥王もまた、目の前に立つ男を見下ろしている。
これほど近づかれても、なお、その表情には余裕があった。
「……これで……零だ」
レオンハルトは呟く。
残された右腕が、ゆっくりと聖剣を引き絞った。
そして。
「――!」
突き出す。
――ズムッ!
硬い肉を断ち切る感触が、剣を通して伝わった。
聖剣が、冥王の身体へ深々と食い込む。
『くくっ……』
冥王は笑った。
『余が思っていたほど、脆弱ではなかったらしい』
まるで。
一匹の蟻が、自分の身体を噛んだ。
その程度にしか考えていない。
傷ならば、すぐに塞がる。
今まで、そうだった。
だからこそ――。
「……聖剣……断裂……」
レオンハルトが、低く唱える。
『……?』
その瞬間。
冥王の表情が、僅かに変わった。
何かを感じた。
だが、それが何なのか分からない。
いや。
分からないのではない。
忘れていた。
あまりにも長い間、感じることがなかったものだった。
『――っ』
冥王の身体が震える。
『余に……何をした!』
肉体の内側から、何かが広がっていく。
皮膚ではない。
傷口でもない。
もっと深い。
身体そのものが、内側から引き裂かれていく。
「……聖剣……断裂……」
レオンハルトは、さらに聖句を重ねた。
『ぐ、ぁ……!』
冥王の声が歪む。
次の瞬間。
『ぐぁぁぁぁぁ!!!』
空を震わせる絶叫が響き渡った。
初めてだった。
冥王が、苦痛に叫んだ。
身体の表面に、無数の亀裂が走る。
黒い傷口から、どす黒い体液が流れ落ちていく。
『がぁっ……! あ、ああああっ!?』
冥王は空中で暴れ始めた。
レオンハルトを振り落とそうと、身体を激しく捩る。
先ほどまでの余裕は、どこにもない。
ただ、耐え難い何かから逃れようとしている。
「……これが、痛みだ」
レオンハルトは聖剣を握り締めた。
「冥王……」
冥王がどれほど暴れようとも、手放さない。
やることは、一つだけだった。
――滅ぼす。
そのためだけに、ここへ来た。
「……聖……剣……断……裂……!」
最後の聖句が、戦場へ響き渡る。
直後。
冥王の肉体に、さらに無数の亀裂が走った。
『――――ッ!!』
肉体が崩れる。
翼が千切れ、巨体が傾く。
空を飛ぶ力すら、維持できなくなった。
レオンハルトもまた、冥王の身体にしがみついたまま落下していく。
黒き魔王と、生きた屍となった戦士。
二つの影が重なり合う。
そして――。
轟音とともに。
両者は、地上へ墜ちていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どれほどの時間が経ったのか。
レオンハルトには分からなかった。
ただ、意識の底に広がっていた闇が、ゆっくりと晴れていく。
最初に感じたのは――痛みだった。
「……不覚。気を失ったのか……」
レオンハルトは、重い身体を起こした。
左腕はない。
片足も失われている。
それだけではない。
冥王とともに地上へ墜ちた衝撃が、残された身体の至るところを傷つけていた。
それでも。
身体は、僅かずつだが動きを取り戻している。
「……シャルバートの魔法道具か」
彼女が持たせてくれた道具が、生命を繋いでいる。
それを確認すると、レオンハルトは周囲を見渡した。
「……冥王は、どうなった……」
答えは、すぐに見つかった。
『ぐ、がぁぁぁぁぁっ!』
少し離れた場所。
冥王が、地面の上で暴れ続けていた。
巨体が地面を削る。
翼が大地を叩き、周囲へ衝撃が走る。
その肉体には無数の亀裂が走っていた。
裂ける。
塞がる。
また裂ける。
まるで、自らの肉体そのものに拷問を受けているかのようだった。
「……まだ、終わってはいない」
レオンハルトは、冥王を見据える。
聖剣による傷は、確実に冥王を苦しめている。
だが――。
それにも限界がある。
「……あと一押し……」
そう呟いたところで。
レオンハルトは、自分の右手を見た。
そこにあるはずのものがない。
「……!」
聖剣。
その姿を探す。
そして、すぐに見つけた。
冥王の巨体。
その胸の奥深くに、聖剣は突き刺さったままだった。
「……行かねば」
レオンハルトは、右手に鞘を握った。
それを杖代わりにする。
残された片足へ力を込め、立ち上がる。
痛みが走った。
それでも構わない。
目の前で暴れ続ける冥王は、もはや巨大な岩石そのものだった。
どこへ動くか分からない。
次に何を振り回すかも分からない。
そんな相手から聖剣を掴み取る。
そして聖句を唱え、力を解放する。
今の身体では、あまりにも困難だった。
だが。
レオンハルトには、可能か不可能かを考えている時間など残されていなかった。
「……やるしかない……」
一歩。
鞘を杖にして進む。
もう一歩。
冥王へ近づく。
その時だった。
『――――ッ!』
暴れ狂う冥王の身体から、攻撃が飛んできた。
「!?」
避ける術はない。
レオンハルトは、ただ受けるしかなかった。
だが――。
――ズガァァァァァァァァァン!!
空から轟雷が落ちた。
雷撃は冥王へ直撃し、その巨体を大きく震わせる。
『――――!』
暴れていた冥王の動きが、止まった。
「……何事だ……?」
レオンハルトは顔を上げる。
周囲を見渡す。
そして。
そこに立つ、予期せぬ存在を見つけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




