旅の記録(18)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レオンハルトと冥王の戦いは、これまで一貫してレオンハルトが不利な状況で進んでいた。
それでも、彼は退かなかった。
戦いに先立ち、シャルバートはレオンハルトに様々な魔法道具を授けている。
空中を駆けるための具足。
魔法への耐性を高める帯。
傷ついた身体を癒やす衣。
そして、ただでさえ強靭な身体能力をさらに引き上げる籠手。
どれも、人間が用意できる最高峰の品だった。
レオンハルトは、それらすべてを身につけている。
それでも――。
冥王は、小さく笑った。
『ふふ…………』
その笑みと共に、冥王の身体に刻まれていた傷が塞がっていく。
聖剣によって断ち切られたはずの肉体が、まるで何事もなかったかのように再生していく。
『余の事を理解していないようだ』
その光景を見て、レオニスは思わず息を呑んだ。
――何て化け物だ。
聖剣でも、駄目なのか。
あれほどの一撃を受けても、冥王にとっては致命傷ですらない。
いや。
レオニスは、そこで気づいた。
冥王はレオンハルトを、敵としてすら見ていない。
遥か格下。
そんな言葉ですら、生温い。
せいぜい、自分の周囲を飛び回る羽虫。
その程度にしか認識していない。
『余に歯向かった無謀な自尊心はよし。だが、それだけだ』
冥王の声には、怒りすらなかった。
『それで?まだ無益なことを続けるか』
静かな声だった。
『無益だけなら良い。だが、過ぎれば害になるだけだ』
冥王が宙を進む。
『逃げるなら好きにするといい。余を崇め、今後地を這い、天を見上げぬのであれば、慈悲を与えよう』
そして、問いかける。
『それでも、まだ続けるか?』
レオンハルトは答えない。
『それとも――余に勝てると思っているのか?』
その言葉を受け、レオンハルトは静かに聖剣を構えた。
(……レオンハルト……)
レオニスの中へ、再び感情が流れ込んでくる。
憎悪。
怒り。
絶望。
それでも消えない、凄まじい負の激情。
――滅ぼす。
――こいつだけは。
だが、その激情の奥には、冷静な戦士としての思考があった。
――あと、何度聖剣が使える。
シャルバートは言っていた。
この限定聖剣が、本来の聖剣に近い力を発揮できるのは、七回ほど。
すでに二度、力を使っている。
ならば――。
――残り、五回。
レオンハルトは、聖剣の柄を強く握った。
そして、自らの直感を信じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『……無駄なことをする。余に通じぬと理解できんらしいな』
冥王は、空中に立つレオンハルトを見下ろしていた。
『……それなりの力はあるらしい』
その声音には、僅かな評価すら混じっていた。
だが、それも一瞬だった。
『だが、勘違いしてはいけない。力を持つことと、余に届くことは別の話だ』
冥王は、まるで自然の摂理を語るように続ける。
『……もう十分だろう。これ以上は、文字通り無駄だ』
その言葉に。
レオンハルトは、鼻で笑った。
「……貴様こそ理解していない。冥王」
仮面の奥から、低い声が返る。
「……俺は、ただの復讐を誓った亡者にすぎん」
聖剣を握る手に、力が込められる。
「……貴様が仮に王を名乗ろうが、俺には関係ない」
一歩。
空中を踏みしめる。
「……ただ奪うだけしか能がない化け物を」
そして。
聖剣の切っ先が、迷いなく冥王へ向けられた。
「……俺は、王だとは認めん」
『……羽虫に認められ、余が歓ぶと思うか。痴れ者よ』
その瞬間だった。
冥王の周囲に、炎が生まれた。
一つではない。
無数。
赤い火焔が、細長い鞭のように空中へ伸びていく。
『ならば、結果で理解しろ』
炎が走った。
普通の鞭ではない。
それは意思を持つ蛇のように、自在に身をくねらせていた。
レオンハルトが横へ跳ぶ。
炎も曲がる。
上へ逃げる。
炎も追う。
防御すれば、別の炎が背後へ回り込む。
逃げ道そのものを塞ぐように、無数の火焔が空を這った。
そして――。
「――っ!」
一本の炎が、レオンハルトの脚へ絡みついた。
次の瞬間。
爆ぜた。
轟音と共に炎が弾け、右脚から力が抜ける。
身体を支えていた脚が、動かない。
それでも。
「……意外と底が浅いな、冥王」
レオンハルトは立っていた。
いや。
正確には、空中に残っていた。
右脚を失ったことなど、些細な出来事だと言わんばかりに。
「この程度で、俺に何を理解させたかったんだ?」
冥王を見据える。
その声に、震えはなかった。
痛みも。
恐怖も。
後悔も。
レオンハルトには、もう必要なかった。
この身体は、かつて冥王に奪われた者たちの残骸から作られたものだ。
自分のものですらない。
ならば。
失うことを恐れる理由など、最初から存在しない。
それでもレオンハルトは、動かなくなった右脚へ僅かに意識を向けた。
名も知らぬ誰か。
かつて、この身体の一部だった人間。
その命を、自分は借りている。
だからこそ。
失った脚に対して、恐怖ではなく感謝だけを残した。
――ここまで、俺の脚になってくれてありがとう。
それだけだった。
レオンハルトは、再び聖剣を構えた。
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