旅の記録(17)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レオンハルトの記憶が、再び切り替わった。
そこは、見渡す限りの平原だった。
風が草原を走り抜ける。
雲の切れ間から差し込む陽光の下、その男は空を見上げていた。
レオンハルト。
その視線の先に――冥王がいる。
以前に見た姿よりも、異形さは増していた。
禍々しい魔力を全身から撒き散らしながら、巨大な翼を広げ、まるで天そのものを我が物とするかのように飛翔している。
そして、その進行方向には。
比較的大きな町があった。
「従者たちの報告によると、冥王は度々、食事のために人々の集落を襲っているようです」
傍らに立つシャルバートが告げる。
その声には、抑えきれない悲しみが滲んでいた。
「あいつを守っている部下の露払いは、あたしがやってあげるよ」
アウレリアが、にっと笑う。
冥王の周囲には、すでに複数の異形が集まっていた。
「助力を感謝する、二人とも」
レオンハルトは静かに頭を下げる。
「そして、危険と判断すれば、俺のことなど気にせず離脱してくれ」
「レオンハルト……」
「ここでなら、周囲の被害を気にせず存分に戦える」
それだけ告げると、レオンハルトは一人、前へ進み出た。
足取りに迷いはない。
恐れもない。
ただ一つだけ。
――目指すは冥王。
――奴を滅ぼすために、すべてを使う。
(レオンハルト……始める気だな)
レオニスには、それが痛いほど伝わっていた。
この男は、もう戻るつもりがない。
命さえも。
未来さえも。
すべてを、ただ一つの目的のために燃やし尽くす。
「待ちに待った時が来たのだ!」
レオンハルトが吠える。
「多くの命が、理由なく命と未来を搾取され、嘆いている!」
握り締めた拳が震える。
「彼らの彷徨える魂に、安らぎを与えるために……!」
その言葉の奥に、いくつもの顔が浮かんでいた。
――愛する人のために。
――親友のために。
――救われなかった、万人のために。
「すべての成就のために……!」
レオンハルトは、腰の聖剣へ手を伸ばした。
鞘から、ゆっくりと刀身を抜く。
白銀の刀身が陽光を受け、眩い光を返した。
そして、上段に構える。
「冥王よ!」
その声が、平原に響き渡る。
「俺は人の理に反し、地獄の門の前から帰ってきた!」
冥王が、こちらを見た。
レオンハルトは聖剣を構え直す。
そして――聖句を唱えた。
「聖剣抜刀……!」
次の瞬間。
レオンハルトの身体が、大地を蹴った。
聖剣が振るわれる。
冥王へ向けて。
(ついに始まった)
レオニスの前で、原初の戦いの記録が再生され始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
冥王の眼前に、十字の光が走った。
空間そのものを断ち切るような斬撃。
『――!?』
次の瞬間だった。
空気が裂ける。
冥王の巨大な肉体に、十字の傷が刻まれた。
『何事……』
傷ついた。
だが、冥王はそれを意に介さない。
その直後。
空を駆ける、一つの影があった。
白銀の鎧。
顔を覆う仮面。
手にした聖剣を構え、一直線に冥王へ迫ってくる。
「冥王様!」
異変を察した死王ノクスが動いた。
主を守るため、仮面の剣士へ向かって飛び出す。
しかし――。
その進路を、一条の光が横切った。
「痴れ者が!」
ノクスが吠える。
仮面の剣士から、さらに離れた場所。
そこには、一人の少女がいた。
アウレリア。
白銀の聖弓を構え、狙いを定めている。
弦が引き絞られる。
次の瞬間。
二本目の光の矢が放たれた。
「矢など、このボクに通じるものかよ!」
ノクスは鼻で笑った。
そんなものに構っている暇はない。
視線を前方へ戻し、レオンハルトの迎撃へ移ろうとする。
――ズンッ!
「……なに?」
ノクスの身体が、大きく揺れた。
右腕が、消えていた。
光の矢が。
その腕を、容易く打ち砕いていた。
「……小娘が。調子に……」
怒りの声を上げるノクス。
その視線の先で、アウレリアが笑った。
まるで挑発するように。
その瞬間だった。
「……聖剣断裂……」
低い声が響いた。
「……!?」
ノクスの身体を、白銀の刃が貫いた。
レオンハルトだった。
聖剣が深々と突き立てられる。
「……お前に用はない」
冷たい声。
次の瞬間。
聖剣が振り抜かれた。
ノクスの身体が、幾つもの傷を刻まれながら引き裂かれていく。
そのまま地上へ落下した。
レオンハルトは振り返らない。
「……これで、お前と俺の間を阻む者は何もない」
空中で身体を翻す。
そして。
ついに、冥王の眼前へと辿り着いた。
近い。
あれほど遠くにあった存在が、今は目の前にいる。
『誰に許可を得て、余の前に立つ』
冥王の声には、怒りすらなかった。
あるのは、侮蔑だけ。
『劣等な命が、神に歯向かうのか』
身体を斬られてなお。
冥王は、レオンハルトを敵としてすら認めていない。
対するレオンハルトは、聖剣を握り直す。
退く理由など、最初からなかった。
愛する者を奪われた男。
親友を失った男。
救われなかった命を背負った男。
そして、人の理に反して地獄から帰還した男。
その男が今。
神を名乗る怪物と、真正面から向かい合っていた。
宿命の対決。
その幕が、上がる。
レオニスはまだ知らない。
この戦いが、自分の予想していた結末とはまったく異なる方向へ進むことを。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




